今夜も、真琴(まこと)は「まこ庵」の厨房で景五(けいご)におせちの一品を教えている。今日は錦卵(にしきたまご)だ。ゆで卵を白身と黄身に分け、それぞれに味付けをしたあと層にして型に押し、蒸して作る。白と黄色が可愛らしくて華やかな一品だ。

 黄身は金色、白身は銀色を表し、二色(にしき)であることから錦と掛け合わされ、財宝の意味がある。金運の縁起物と言えるだろう。

 壱斗(いちと)のリサイタルは最近洋楽も披露される様になっていた。今は小学校でも英語を習う。それでも発音はまだ(つたな)いが、オリジナルをたくさん聴きながら必死だ。

 弐那(にな)は順調に漫画の制作に入り始めている。ネーム作業を終え、次はラフを描くのだと、タブレットにペンを走らせている。

 三鶴(みつる)も熱心に学術書を開き、ノートに何やら書き付けている。とうに真琴などには理解できない領域だった。

 四音(しおん)は厨房で、あやかしたちの注文に応えている。いろいろなお料理が作れる様になっていて、よほど珍しいもので無ければ、目分量で作れる様になっているのだ。

 そして景五は、真琴が教える通り、茹でた卵の黄身と白身を分けてそれぞれ裏ごしし、お砂糖とお塩、片栗粉を混ぜ合わせて、白身を下にした層を型の中に作る。

 それを前もって準備をしていた蒸し器に入れた。あとは卵が固まるのを待つだけ。セットしたタイマーが目安時間だ。

「巧く、できるやろか」

 湯気を上げる蒸し器を見て、景五がぽつりと呟く。

「大丈夫やで。景五ちゃんとできとったもん」

 真琴が言うと、景五をじっと見ていた六槻(むつき)も「そうやで!」と楽しそうな声を上げた。

「けいごおにいちゃんすごい! おいしい? むつきもたべれる?」

「……うん」

 景五が照れた様に、六槻から視線を反らせた。それでも六槻は「やったー!」と両手を上げてはしゃいだ。

「あー、景五ええなぁ〜。六槻、四音お兄ちゃんのことも褒めてや〜」

 すぐ近くにいた四音がおどけた様にそんなことを言うと、六槻は「えー?」と少しばかり不満げな声を出す。

「しおんおにいちゃんもすごいけど、いまはけいごおにいちゃんやねん」

「えー悲しいなぁ〜」

 四音はそんなことを言うが、全然ショックを受けている風では無い。とにかく最近の六槻は景五を優先していた。景五も六槻に懐かれてまんざらでは無さそうだ。そんな光景を見られるのも、あと少し。

 そう、あとたった2週間。猶予の折り返しに来ていた。それを思うと、また真琴の涙腺が緩みそうになってしまう。だがもう真琴は泣かないと決めた。

 別れの時こそ我慢できる自信は無いが、それでもせめてそれまでは。誰の負担にもならない様に。いちばん悲しい思いをするのは、きっと景五なのだから。

 卵を蒸している間に真琴は洗い物に取り掛かる。景五は四音に合流してもらい、あやかしのお相手だ。あまり口を開かない景五だが、あやかしたちは景五に話し掛けるだけでも楽しいらしい。

 景五が里に帰っても、子どもたちがひとりでもいる限りこの時間は続くだろう。それはいつまでのことなのか。

 子どもたちの背景を思うと、きっとそれは遠いことでは無いのだろう。夢を叶えて独立するのなら諸手(もろて)を挙げて喜べるが、帰郷することは夢の断絶に繋がっている。だからせめて壱斗と弐那、三鶴と四音には、少しでも長くこの家に、「まこ庵」にいて欲しい。もどかしいが、真琴はただ願うしかできないのだ。

 その時だった。「まこ庵」の自動ドアが開き、鞠人(まりと)さんが息急き切って飛び込んで来たのは。

「真琴さまっ、雅玖(がく)さま、景五っ……!」

 突然のことに真琴も子どもたちも、あやかしたちも驚いて動きを止める。全員の注目を浴びながら鞠人さんはぜいはぁと息を整え、厨房でぽかんとしている景五に叫ぶ様に言った。

「景五、(おさ)が持ち直した!」

 すると店内がざわつき始める。真琴も「え?」と目を見開いた。

「お父ちゃん呼んでくる!」

 三鶴が素早く立ち上がり、ばたばたと足音を立てて上へと駆け上がって行った。真琴は慌てて手を洗い、景五を促してフロアに出る。

「鞠人さん、どういうことですか?」

 真琴が聞くと、鞠人さんはようやく呼吸を落ち着けて、背筋を伸ばした。

「長の病巣(びょうそう)が限りなく小さくなったんです。このまま巧く行くと消滅する見込みなんです」

「そうなん!?」

「そうなのですか?」

 三鶴に呼ばれた雅玖が慌てて降りて来た。三鶴に話を聞いたのか、雅玖も驚いて目を丸くしていた。

「はい。妖力とあびこ観音さまのご加護で治療を続けていたのですが、昨日、病巣が小さくなり、長の意識も戻ったのです。今日も病巣はさらに小さくなって……。なので、このまま治療を続けたら、完治の可能性もあるのです」

「すると、景五を戻すという話は」

「はい。長が元気になれば、ひとまずは無くなります」

 その知らせにあやかしたちが「わぁっ!」と沸いた。特に猫又のあやかしたちの喜び様は凄かった。「まこ庵」に来ているから皆いつも通りに過ごしてくれていたが、心配で無かったわけが無い。

 そして、真琴も。どうしても景五のことばかりを考えてしまっていたが、猫又の純血を守るという重責を(にな)う長の逝去(せいきょ)が見えていたのだから、同じ猫又たちも、もちろん景五も気が気では無かっただろう。

 その長が永らえ、景五もまだここにいることができる。それは何と素晴らしいことか。まさに奇跡では無いだろうか。

「良かったぁ……」

 真琴は全身の力が抜けてしまい、どうにか手近にあった椅子に腰を降ろした。そんな真琴の肩を雅玖が支える。

「真琴さまにも雅玖さまにも、ご心配をお掛けしました。ところでひとつ不思議なことがあるんですが、実は我々の妖力とあびこ観音さまのご加護の他にもうひとつ、2週間ほど前から強大な妖力が長に作用していたんです。まるで、人間さまとの混血のあやかしの妖力なまでに大きな力が」

 まさしく人間との混血である雅玖は首を捻る。

「私には心当たりはありませんが」

「そう、ですよね」

 するといつの間にか、六槻が真琴の足元に寄って来ていた。

「ねぇ、ママ、おとうちゃん、けいごおにいちゃん、かえらんでええようになったん?」

 無邪気に聞いて来て、その天真爛漫(てんしんらんまん)さに真琴はほっと癒される。雅玖が六槻を軽々と抱き上げた。

「そうですよ。景五お兄ちゃんは、まだこの家にいることになりましたよ」

「やったぁ! あのね、むつきね、けいごおにいちゃんがずっとこのいえにいられるようにって、ずーっとおねがいしててん!」

「お願い?」

「そう。ねこまたのえらいひとのびょうきがなおりますようにって。だって、えらいひとがたすかったら、けいごおにいちゃんかえらんでええんやろ?」

 六槻のせりふに真琴と雅玖、そして雅玖と鞠人が目を見合わせる。

「まさか、六槻の?」

 真琴が言うと、鞠人さんは嘆息(たんそく)した様に「はぁ〜」と息を吐いた。

「六槻さまはまだお小さいから、まさかやとは思ったんですが」

「もしかしたら、六槻は私などには及ばない妖力を秘めているのかも知れませんね」

 当の六槻は雅玖の腕の中で得意げににんまりとしている。自分がやったことの大きさを分かっているのかいないのか。そう、まだ小さいから、六槻は無意識だったのだろう。知らず識らずのうちに妖力を送ってしまっていたのだ。しかも次元すら異なる猫又の里に向けて。

 もしかしたら、ずっと景五の側にいたがったのは、そのためだったのかも知れない。もちろんそうとは知らぬままで。

「六槻、凄いなぁ。絶対に六槻のお願いが効いたんやわ。でもまだ完全に治ってへんねんて。せやからまた一緒にお願いしよな」

 真琴が微笑んで六槻の頭を撫でると、六槻は「うん!」と満面の笑顔で頷いた。

 そして子どもたちは景五を囲む様に抱き合って歓喜し、壱斗などは「うおー!」と雄叫びを上げていた。