どうしよう。溢れる涙が止まらない。雅玖がティッシュを差し出してくれるのだが、なかなか追い付かない。傍らに濡れたティッシュが積み上がるばかりだった。
「お母ちゃま、オレらのために泣いてくれるんやな。ほんまに嬉しい。ありがとう」
壱斗の声に我に返ってどろどろの顔を上げると、壱斗は快活な笑顔を浮かべている。どうしてそんな顔をすることができるのだ。その精神力に心の底から感嘆する。
なのに真琴がこの体たらくではいけない。真琴は鼻をすすりながらどうにか涙を押し留める。きっとひどい顔になっているだろうが、気にしてはいられない。
「母さま、俺、帰るんそりゃあ残念やなって思うけど、けど、いつかはって思ってたことやから。ありがとう、母さま」
「……ううん」
普段言葉少ない景五のせりふに、また涙がこみ上げそうになる。真琴はそれを頑張って留めた。真琴は気持ちを切り替えたいと、頬をぱんぱんと手のひらで叩いた。
「あかんやんな、私がこんなんやったら。よし、まだ時間はある。景五、「まこ庵」以外にしたいこととかある? いろんなことしよ」
真琴が言うと、景五は少し迷った様な素振りを見せ、やがて口を開いた。
「俺、母さまのおせちが作れる様になりたい。基本のもんだけでもええから」
予想外のお願いをされ、真琴は驚いて腫れぼったい目を丸くする。おせちは毎年真琴が設えていて、子どもたちにも好評なものだ。
おせちは確かに基本が決まってはいる。だがその家庭の特徴や癖が出るものでもある。いわゆる「家庭の味」だ。景五は真琴の、この浮田家の味を受け継ごうとしてくれているのだ。
「うん。ほな明日から毎日、1品ずつ作って行こな」
真琴が微笑んで言うと、景五は照れ臭そうに俯いた。
翌日の夜、あやかしたちが希望するお料理は四音に任せ、真琴は景五におせち作りを伝授する。最初の今夜はたたきごぼうだ。
おせちの一の重に入る祝い肴のひとつ。関東では黒豆と数の子、田作りで構成されるが、関西では田作りでは無くたたきごぼうだ。とは言え真琴はいつも田作りも作って4品にしてしまうのだが。
ごぼうは細いながら、地中深く育って行く根菜だ。なので「深く根を張り繁栄する」という縁起を持つ。また、叩くことで開運の縁起も担っているのだ。
用意したごぼうは洗いごぼうである。土があらかた取れているので、香りを残す様に手を使って洗ってやる。
それをまな板の上で、麺棒で軽く叩いて崩す。あまり力を入れすぎると真ん中からぱっくり割れてしまうので、ほどほどに。景五は恐々と力を加えて行った。
それを5センチぐらいの長さに切る。景五はすっかりと慣れた手付きで、愛用のペティナイフを振るう。
それを、お酢を加えたお湯で茹でる。根菜なのでここは少し時間が掛かるのだ。
茹で上がったらざるに開け、お鍋をさっと洗って調味料を入れる。お出汁、お酢、みりん、そしてお塩。沸いたら茹でたごぼうを入れて炒り煮して行く。
ごぼうが調味料をしっかり含み、水分が無くなって来たらすり白ごまをたっぷりと絡めて、少し深さのある青い器に盛り付けたら。
たたきごぼうの完成である。見た目こそ地味だが、おせちには欠かせない1品だ。真琴はその由来もあらためて景五に説明する。
「うん」
できあがったたたきごぼうは、まだ湯気を上げて良い香りを漂わせている。重箱に入れるなら粗熱を取らなければならないが、今日は熱々のまま振る舞おう。その前に。
「味見してみよか」
「うん」
真琴と景五はお箸を取り、それぞれ1本ずつ持ち上げ、口に運んだ。繊維のお陰でさくっとしながらも根菜らしいほっくり感。ごぼうの土に似た香りと白ごまの香ばしさの中に、ほのかな酸味が活きている。
「うん! 美味しくできてる。さすがやで、景五」
本当に良くできている。真琴が手放しで褒めると、景五は照れた様に頬を赤らめた。
「皆にも食べてもらお。皆さーん、景五が作ったたたきごぼうですよ〜」
真琴がフロアに向かって声を掛けると、猫又のあやかしたちが先陣切って詰め掛けた。猫又たちは景五がたたきごぼうを作っている時にも、カウンタ越しにじっと見つめていたのだ。
「たたきごぼう、確か人間さまがおせちにも入れる一品ですよね?」
年老いた見た目の男性のあやかしである。景五を見る目はまるで孫を見る様なそれだ。
「そうです」
真琴がまた由来を披露すると、あやかしたちから「へぇ〜」と関心した様な声が上がった。
「わし、聞いたことあります。そんな縁起のええもんを、景五が作ってくれるなんてなぁ」
老人男性のあやかしは嬉しそうに目を細め、お箸を使って大事そうに口に入れた。
そして、真琴は1日に1品ずつ、おせちの作り方を教えていった。黒豆や数の子は下準備に時間が掛かるので、前日の晩から取り掛かったり、お昼間にも作業をしながら進めて行った。
そして景五は今、お昼の「まこ庵」にもお手伝いに入ってもらっている。ランチタイムには細々とした作業をお願いし、ティタイムにはスイーツの盛り付けなどを教えながら手掛けてもらっている。
「あれ、店長さん、えらい可愛いお手伝いさんやねぇ」
おやつタイムに良く来てくれるご常連の畑中さんだ。抹茶のスイーツがお好きで、抹茶シフォンケーキを注文することが多い。
畑中さんは壮年の女性である。悠々自適の専業主婦だと言っていた。ふたりいるお子さんも独立してお家を出たらしい。
「息子なんです。可愛いんですけど、格好ええでしょ」
「ほんまやねぇ」
景五は厨房の中で恐縮しっぱなしである。李里さんは「せやろ」と言う風に得意げだ。
真琴の年齢で、この歳の子どもは大きい。だが畑中さんは何も聞かず、景五を褒めてくれた。場を読んでくれたのだ。
景五が「まこ庵」に入れるのもあと少し。その間だけでも、景五のしたいことをさせてあげたい、良い思い出を作って欲しい。そのために真琴ができることは何でもやろう、そう心の底から思っていた。
「お母ちゃま、オレらのために泣いてくれるんやな。ほんまに嬉しい。ありがとう」
壱斗の声に我に返ってどろどろの顔を上げると、壱斗は快活な笑顔を浮かべている。どうしてそんな顔をすることができるのだ。その精神力に心の底から感嘆する。
なのに真琴がこの体たらくではいけない。真琴は鼻をすすりながらどうにか涙を押し留める。きっとひどい顔になっているだろうが、気にしてはいられない。
「母さま、俺、帰るんそりゃあ残念やなって思うけど、けど、いつかはって思ってたことやから。ありがとう、母さま」
「……ううん」
普段言葉少ない景五のせりふに、また涙がこみ上げそうになる。真琴はそれを頑張って留めた。真琴は気持ちを切り替えたいと、頬をぱんぱんと手のひらで叩いた。
「あかんやんな、私がこんなんやったら。よし、まだ時間はある。景五、「まこ庵」以外にしたいこととかある? いろんなことしよ」
真琴が言うと、景五は少し迷った様な素振りを見せ、やがて口を開いた。
「俺、母さまのおせちが作れる様になりたい。基本のもんだけでもええから」
予想外のお願いをされ、真琴は驚いて腫れぼったい目を丸くする。おせちは毎年真琴が設えていて、子どもたちにも好評なものだ。
おせちは確かに基本が決まってはいる。だがその家庭の特徴や癖が出るものでもある。いわゆる「家庭の味」だ。景五は真琴の、この浮田家の味を受け継ごうとしてくれているのだ。
「うん。ほな明日から毎日、1品ずつ作って行こな」
真琴が微笑んで言うと、景五は照れ臭そうに俯いた。
翌日の夜、あやかしたちが希望するお料理は四音に任せ、真琴は景五におせち作りを伝授する。最初の今夜はたたきごぼうだ。
おせちの一の重に入る祝い肴のひとつ。関東では黒豆と数の子、田作りで構成されるが、関西では田作りでは無くたたきごぼうだ。とは言え真琴はいつも田作りも作って4品にしてしまうのだが。
ごぼうは細いながら、地中深く育って行く根菜だ。なので「深く根を張り繁栄する」という縁起を持つ。また、叩くことで開運の縁起も担っているのだ。
用意したごぼうは洗いごぼうである。土があらかた取れているので、香りを残す様に手を使って洗ってやる。
それをまな板の上で、麺棒で軽く叩いて崩す。あまり力を入れすぎると真ん中からぱっくり割れてしまうので、ほどほどに。景五は恐々と力を加えて行った。
それを5センチぐらいの長さに切る。景五はすっかりと慣れた手付きで、愛用のペティナイフを振るう。
それを、お酢を加えたお湯で茹でる。根菜なのでここは少し時間が掛かるのだ。
茹で上がったらざるに開け、お鍋をさっと洗って調味料を入れる。お出汁、お酢、みりん、そしてお塩。沸いたら茹でたごぼうを入れて炒り煮して行く。
ごぼうが調味料をしっかり含み、水分が無くなって来たらすり白ごまをたっぷりと絡めて、少し深さのある青い器に盛り付けたら。
たたきごぼうの完成である。見た目こそ地味だが、おせちには欠かせない1品だ。真琴はその由来もあらためて景五に説明する。
「うん」
できあがったたたきごぼうは、まだ湯気を上げて良い香りを漂わせている。重箱に入れるなら粗熱を取らなければならないが、今日は熱々のまま振る舞おう。その前に。
「味見してみよか」
「うん」
真琴と景五はお箸を取り、それぞれ1本ずつ持ち上げ、口に運んだ。繊維のお陰でさくっとしながらも根菜らしいほっくり感。ごぼうの土に似た香りと白ごまの香ばしさの中に、ほのかな酸味が活きている。
「うん! 美味しくできてる。さすがやで、景五」
本当に良くできている。真琴が手放しで褒めると、景五は照れた様に頬を赤らめた。
「皆にも食べてもらお。皆さーん、景五が作ったたたきごぼうですよ〜」
真琴がフロアに向かって声を掛けると、猫又のあやかしたちが先陣切って詰め掛けた。猫又たちは景五がたたきごぼうを作っている時にも、カウンタ越しにじっと見つめていたのだ。
「たたきごぼう、確か人間さまがおせちにも入れる一品ですよね?」
年老いた見た目の男性のあやかしである。景五を見る目はまるで孫を見る様なそれだ。
「そうです」
真琴がまた由来を披露すると、あやかしたちから「へぇ〜」と関心した様な声が上がった。
「わし、聞いたことあります。そんな縁起のええもんを、景五が作ってくれるなんてなぁ」
老人男性のあやかしは嬉しそうに目を細め、お箸を使って大事そうに口に入れた。
そして、真琴は1日に1品ずつ、おせちの作り方を教えていった。黒豆や数の子は下準備に時間が掛かるので、前日の晩から取り掛かったり、お昼間にも作業をしながら進めて行った。
そして景五は今、お昼の「まこ庵」にもお手伝いに入ってもらっている。ランチタイムには細々とした作業をお願いし、ティタイムにはスイーツの盛り付けなどを教えながら手掛けてもらっている。
「あれ、店長さん、えらい可愛いお手伝いさんやねぇ」
おやつタイムに良く来てくれるご常連の畑中さんだ。抹茶のスイーツがお好きで、抹茶シフォンケーキを注文することが多い。
畑中さんは壮年の女性である。悠々自適の専業主婦だと言っていた。ふたりいるお子さんも独立してお家を出たらしい。
「息子なんです。可愛いんですけど、格好ええでしょ」
「ほんまやねぇ」
景五は厨房の中で恐縮しっぱなしである。李里さんは「せやろ」と言う風に得意げだ。
真琴の年齢で、この歳の子どもは大きい。だが畑中さんは何も聞かず、景五を褒めてくれた。場を読んでくれたのだ。
景五が「まこ庵」に入れるのもあと少し。その間だけでも、景五のしたいことをさせてあげたい、良い思い出を作って欲しい。そのために真琴ができることは何でもやろう、そう心の底から思っていた。