翌日。全国的に雨の日が増えてきた。梅雨が近付いていた。雨は客足に大きく影響するので、店舗経営をしている者としては心落ち着かない日々だ。
「まこ庵」はバッグに雅玖の資産という莫大なものが付いているので、よほどのことが無ければ閉店の憂き目には合わないとは思う。
雅玖の総資産がいくらなのかは真琴も聞かされていない。だが普段の雅玖の羽振りの良さ、お金の使い方を見るに、真琴が想像するよりも「えげつない」のだろう。
ひとまず、日々の天気をチェックし、食材の量を増減して様子を見るしか無いだろう。
これまでも雨の日はあったのだが、梅雨はそれが続いたりするので、どうしても憂鬱な気持ちになってしまう。
こんなことを雅玖に言えば、また「気にしなくて良いですよ」と良い笑顔で言われるだろう。だがいつまでも甘えてはいられない。まだまだ先のこととは言え、跡を継ぎたいなんて嬉しいことを言ってくれる四音と景五のためにも、少しでも良い経営状態を保たねば。
あ、そうだ。新たに雨の日キャンペーンをするのも良いかも知れない。降水確率が高い日に来てくれたお客に割引券を渡すとか。
そう考えると、できることはいろいろありそうだ。真琴は乗り越えるために頭を働かせた。
そして夜になると、子どもたちに会いたいあやかしたちが訪れる。
壱斗のリサイタル、弐那のイラスト練習、三鶴のお勉強はいつものこと。そして弐那と三鶴は、真琴があげたプレゼントを使ってくれていた。
「ママさまがね、に、あ、あたしにくれてん」
「お母さまがプレゼントしてくれたんよ」
ふたりは周りのあやかしたちに得意げに言いながら、弐那は漫画原稿用紙に、三鶴は大学ノートに筆を走らす。カウンタ内の厨房にいる真琴からはふたりが何を書いているのかまでは見えないが、手にしているのは弐那にあげたガラスペン、そして三鶴にあげた万年筆。使ってくれているだけで嬉しくなる。
壱斗にあげたVネックシャツは、壱斗の部屋のクローゼットに大事にしまってあるのだそうだ。
「これは、ここやっちゅう時に着んねん! リサイタル? いつものあやかし相手に勿体無いわ」
そう言って、壱斗は今日もモスグリーンのTシャツを着て、ステージ代わりの小上がりでマイク片手に暴れている。
真琴は四音と景五に料理を教えようとしていた。まだペティナイフでの皮剥きは難しいので、初めての今日はそれ無しで作れるものにする。
「まずはお出汁を取るで。顆粒だしが便利やねんけど、お店で出すんやったらやっぱり昆布とかつおでお出汁取りたいからな。これ、私が朝からお水に浸けといた昆布。これでええ昆布だしが出るんよ」
真琴は冷蔵庫からラップで蓋をした片手鍋を取り出す。お水に浸した昆布は水分を含み、ふっくらと膨らんでいた。真琴はストッカーから乾物のままの昆布を出す。
「これがお水を吸って、お鍋の昆布みたいになんねん。最低でも30分は浸けたいな。で、これを弱めの中火に掛ける。沸く寸前にたっぷりの削り節を入れて火を消すんや。で、削り節が沈むんを待つ。沸くまでにお野菜の下ごしらえしよか。四音、冷蔵庫から新玉ねぎと絹さや出してくれる? 景五はストッカーから新じゃがと人参な」
「うん!」
「うん」
スーパーではまだ新じゃがいもを買うことができた。皮が薄いので剥かなくても食べられるのだ。それと、これも皮剥きをせずに食べられる人参、新玉ねぎと牛肉の細切れ、絹さやを使う。
「新じゃがと人参の皮はよう洗ってな。剥かずに使うから。新玉は皮剥くけど、表面の汚れは綺麗に落とした方がええわ」
「は〜い」
「うん」
四音は元気に、景五は静かに返事をする。水道がふたつあるので、ふたりは台の上に立ち、並んでお野菜を小さな手で懸命に洗う。特に景五が洗う新じゃがいもの土汚れは落ちにくいので、野菜用に下ろしてあるスポンジを使った。
「これを切って行くで」
真琴はお手本を見せながら、包丁の持ち方を教える。ペティナイフと形が似ている三徳包丁を使い、新じゃがいもを横半分に切る。
真琴も料理人の端くれ。専門学校時代に購入した和包丁一式があり、「まこ庵」でも使っているのだが、菜切り包丁などは形も少し独特で、初心者には向かないのだ。
「新じゃがはじゃがいもの中では小粒やから、半分に切るんで充分やねん。ほな、やってみよ」
四音と景五は初めての野菜切りに少し緊張した表情を見せ、息を詰めながら新じゃがいもの真ん中にペティナイフを当てる。まだ真新しく刃こぼれもしていないペティナイフは、軽く力を入れただけで新じゃがいもに埋まって行く。それがまな板に到達すると、ふたりは「ふぅ〜」と息を吐いた。
「き、切れた……!」
「う、うん」
真っぷたつに綺麗に切れた新じゃがいもに、四音と景五は感動した様子を見せた。それを固唾を飲んで見守っていたあやかしたちも、安心した様に息を吐いた。
四音は天狗、景五は猫又のあやかしである。なのでこのふたりに会いに来ているあやかしも天狗と猫又だ。いつもカウンタ席の片隅、置いたお料理の邪魔にならない様に固まり、ふたりがお手伝いしているのを眺めているのだ。
「うん。巧く切れたな。上手やで」
真琴が本心から褒めると、四音は「へへ」と照れた様に笑い、景五は頬をかすかに赤くする。
「ほな、それをここに入れてな。じゃがいもは切った表面にでんぷんが浮くねん。それを取ってあげた方がええねん。煮崩れしにくくなるからな」
真琴が示した水を張ったボウルに、ふたりは切ったばかりの新じゃがいもを両手でぽとぽとと落とした。
じゃがいもが終わると、今度は人参の乱切り。これは初心者には少し難しい。真琴はより丁寧に教えて行く。新玉ねぎのくし切りや絹さやの処理も一緒にやって。牛肉は細切れなので、そのまま使える。
作りたいのは肉じゃがだった。基本の煮物だが、昨今は作り方がいくつかある。煮込む材料を炒めてから作る方法、コールドスタート法、などなど。真琴も専門学校で習ったのだが。
今回は、炒めてから煮る方法を取る。そうすると灰汁がほとんど出ないのだ。
しゃぶしゃぶや鍋などをすると出て来てしまう灰汁は、どうしても見た目が良く無いし、食べ進めるうえで邪魔になってしまうので取らなければならないが、焼肉などでお肉を焼く時には灰汁なんて意識しない。
割烹や料亭などで繊細なお料理を求めるなら、灰汁抜きは必須とも言える。灰汁は雑味と捉えるからだ。その反面、灰汁は旨味だとも言えるのだ。今日はそれごと味わって欲しいと思う。
真琴はそういったことも分かりやすさを心掛けて説明しながら、四音と景五に肉じゃがの作り方を教えて行った。
「まこ庵」はバッグに雅玖の資産という莫大なものが付いているので、よほどのことが無ければ閉店の憂き目には合わないとは思う。
雅玖の総資産がいくらなのかは真琴も聞かされていない。だが普段の雅玖の羽振りの良さ、お金の使い方を見るに、真琴が想像するよりも「えげつない」のだろう。
ひとまず、日々の天気をチェックし、食材の量を増減して様子を見るしか無いだろう。
これまでも雨の日はあったのだが、梅雨はそれが続いたりするので、どうしても憂鬱な気持ちになってしまう。
こんなことを雅玖に言えば、また「気にしなくて良いですよ」と良い笑顔で言われるだろう。だがいつまでも甘えてはいられない。まだまだ先のこととは言え、跡を継ぎたいなんて嬉しいことを言ってくれる四音と景五のためにも、少しでも良い経営状態を保たねば。
あ、そうだ。新たに雨の日キャンペーンをするのも良いかも知れない。降水確率が高い日に来てくれたお客に割引券を渡すとか。
そう考えると、できることはいろいろありそうだ。真琴は乗り越えるために頭を働かせた。
そして夜になると、子どもたちに会いたいあやかしたちが訪れる。
壱斗のリサイタル、弐那のイラスト練習、三鶴のお勉強はいつものこと。そして弐那と三鶴は、真琴があげたプレゼントを使ってくれていた。
「ママさまがね、に、あ、あたしにくれてん」
「お母さまがプレゼントしてくれたんよ」
ふたりは周りのあやかしたちに得意げに言いながら、弐那は漫画原稿用紙に、三鶴は大学ノートに筆を走らす。カウンタ内の厨房にいる真琴からはふたりが何を書いているのかまでは見えないが、手にしているのは弐那にあげたガラスペン、そして三鶴にあげた万年筆。使ってくれているだけで嬉しくなる。
壱斗にあげたVネックシャツは、壱斗の部屋のクローゼットに大事にしまってあるのだそうだ。
「これは、ここやっちゅう時に着んねん! リサイタル? いつものあやかし相手に勿体無いわ」
そう言って、壱斗は今日もモスグリーンのTシャツを着て、ステージ代わりの小上がりでマイク片手に暴れている。
真琴は四音と景五に料理を教えようとしていた。まだペティナイフでの皮剥きは難しいので、初めての今日はそれ無しで作れるものにする。
「まずはお出汁を取るで。顆粒だしが便利やねんけど、お店で出すんやったらやっぱり昆布とかつおでお出汁取りたいからな。これ、私が朝からお水に浸けといた昆布。これでええ昆布だしが出るんよ」
真琴は冷蔵庫からラップで蓋をした片手鍋を取り出す。お水に浸した昆布は水分を含み、ふっくらと膨らんでいた。真琴はストッカーから乾物のままの昆布を出す。
「これがお水を吸って、お鍋の昆布みたいになんねん。最低でも30分は浸けたいな。で、これを弱めの中火に掛ける。沸く寸前にたっぷりの削り節を入れて火を消すんや。で、削り節が沈むんを待つ。沸くまでにお野菜の下ごしらえしよか。四音、冷蔵庫から新玉ねぎと絹さや出してくれる? 景五はストッカーから新じゃがと人参な」
「うん!」
「うん」
スーパーではまだ新じゃがいもを買うことができた。皮が薄いので剥かなくても食べられるのだ。それと、これも皮剥きをせずに食べられる人参、新玉ねぎと牛肉の細切れ、絹さやを使う。
「新じゃがと人参の皮はよう洗ってな。剥かずに使うから。新玉は皮剥くけど、表面の汚れは綺麗に落とした方がええわ」
「は〜い」
「うん」
四音は元気に、景五は静かに返事をする。水道がふたつあるので、ふたりは台の上に立ち、並んでお野菜を小さな手で懸命に洗う。特に景五が洗う新じゃがいもの土汚れは落ちにくいので、野菜用に下ろしてあるスポンジを使った。
「これを切って行くで」
真琴はお手本を見せながら、包丁の持ち方を教える。ペティナイフと形が似ている三徳包丁を使い、新じゃがいもを横半分に切る。
真琴も料理人の端くれ。専門学校時代に購入した和包丁一式があり、「まこ庵」でも使っているのだが、菜切り包丁などは形も少し独特で、初心者には向かないのだ。
「新じゃがはじゃがいもの中では小粒やから、半分に切るんで充分やねん。ほな、やってみよ」
四音と景五は初めての野菜切りに少し緊張した表情を見せ、息を詰めながら新じゃがいもの真ん中にペティナイフを当てる。まだ真新しく刃こぼれもしていないペティナイフは、軽く力を入れただけで新じゃがいもに埋まって行く。それがまな板に到達すると、ふたりは「ふぅ〜」と息を吐いた。
「き、切れた……!」
「う、うん」
真っぷたつに綺麗に切れた新じゃがいもに、四音と景五は感動した様子を見せた。それを固唾を飲んで見守っていたあやかしたちも、安心した様に息を吐いた。
四音は天狗、景五は猫又のあやかしである。なのでこのふたりに会いに来ているあやかしも天狗と猫又だ。いつもカウンタ席の片隅、置いたお料理の邪魔にならない様に固まり、ふたりがお手伝いしているのを眺めているのだ。
「うん。巧く切れたな。上手やで」
真琴が本心から褒めると、四音は「へへ」と照れた様に笑い、景五は頬をかすかに赤くする。
「ほな、それをここに入れてな。じゃがいもは切った表面にでんぷんが浮くねん。それを取ってあげた方がええねん。煮崩れしにくくなるからな」
真琴が示した水を張ったボウルに、ふたりは切ったばかりの新じゃがいもを両手でぽとぽとと落とした。
じゃがいもが終わると、今度は人参の乱切り。これは初心者には少し難しい。真琴はより丁寧に教えて行く。新玉ねぎのくし切りや絹さやの処理も一緒にやって。牛肉は細切れなので、そのまま使える。
作りたいのは肉じゃがだった。基本の煮物だが、昨今は作り方がいくつかある。煮込む材料を炒めてから作る方法、コールドスタート法、などなど。真琴も専門学校で習ったのだが。
今回は、炒めてから煮る方法を取る。そうすると灰汁がほとんど出ないのだ。
しゃぶしゃぶや鍋などをすると出て来てしまう灰汁は、どうしても見た目が良く無いし、食べ進めるうえで邪魔になってしまうので取らなければならないが、焼肉などでお肉を焼く時には灰汁なんて意識しない。
割烹や料亭などで繊細なお料理を求めるなら、灰汁抜きは必須とも言える。灰汁は雑味と捉えるからだ。その反面、灰汁は旨味だとも言えるのだ。今日はそれごと味わって欲しいと思う。
真琴はそういったことも分かりやすさを心掛けて説明しながら、四音と景五に肉じゃがの作り方を教えて行った。