NIGHT MARE


 初めての恐怖体験以降、私は頻繁に金縛りに遭うようになっていた。もはや何度経験したか数えきれないくらい頻繁に。
 金縛りというのは、体が寝ていて頭が起きている状態だという。確かにほとんどの場合はそうなのだろう。
 ただ、だったら枕元に誰かが立っていたり目の前に顔があったりする現象はどう説明すればいいのか。それも例の錯覚かもしれないから、心霊的なものだと断言はできないけれど。というか、どちらかといえば前者であってほしい。
 とにもかくにも、中学生になった頃には、今日金縛りくるな──と眠る前になんとなくわかるくらい慣れていた。

『はじめに』にも書いたが、私はおそらく先天的に霊感が備わっていたわけではなく〝様々な条件が重なって〟後天的に備わったのだと思う。実際に『はじまりの夜』での体験まで、心霊現象とは程遠い人間だった。
 ならば、なぜいきなりこんなことになってしまったのか。〝様々な条件〟とはなんなのか。
 思い当たる節は、大きくふたつある。
 ひとつ目は、部屋の問題だ。金縛りに遭うようになったのは、きょうだいに部屋を交換してほしいと頼まれ、承諾して和室に移ってからだった。
 ちなみにきょうだいが部屋の交換を頼んできた理由は、「和室で寝ると金縛りに遭ったり変なことが起きたりして怖かったから」だと大人になってから打ち明けられた。もちろんそれを正直に言えば、当時小学生だった私が部屋の交換を拒否すると思って黙っていたらしい。鬼である。
 もちろん和室イコール幽霊が出る、などと安直すぎることを言うつもりはない。部屋の種類ではなく構造の問題じゃないかと思うのだ。
 その部屋はふたつの窓が向かい合わせになっている。ドアや窓が一直線になっている部屋は霊の通り道になりやすい、なんて話もよく聞く。
 あるいはその部屋自体に……いや、この線はできれば考えたくない。実家に霊が住み着いている可能性なんて普通に嫌だ。

 ふたつ目は、部屋の交換によって私と同室になった姉が霊感の強い人であること。
〝視える〟ことこそ頻繁ではないが、強く〝感じる〟そうだ。外で一緒に歩いているとき、道端で姉が突然立ち止まったかと思えば「ここで誰か亡くなったんだね」と呟いたりすることもあった。事故発生現場の看板があるわけでも、はたまた花が供えられているわけでもなんでもない、なんの変哲もないごく普通の道端で。
 前置きが長くなってしまったが、今回の話は、そんな姉と私の体験談である。

 *

 同室になったといっても、歳が離れた姉はバイトやら夜遊びやらであまり家にいなかった。しかしその日は珍しく私が起きている時間に姉が帰宅し、心底安堵した。いい加減ひとりで寝るのが怖かったのだ。何より、不思議と姉がいるときは金縛りに遭わなかったから、今日は大丈夫だと確信を持てた。
 話もそこそこに電気を消して、私はすぐに夢の中へ落ちていき──とそのままスムーズに朝を迎えられたら万々歳だったのだが、体に異変を感じたせいでそれは叶わなかった。

 ──また金縛りだ。しかも、たぶんだめなやつ。

 姉がいるときは金縛りに遭わない、というジンクス的なものをあまりにもあっさり打ち砕かれた私は愕然とした。たったひとつにして最大の安心材料が消え失せてしまったのだ。
 救いを求めるように視線だけ動かすと、姉は疲れていたのかすでに眠ってしまったようだった。
 私の金縛りには二パターンある。
 何も起きない日は次第に体が動くようになるし(これが例の、体が寝ていて頭が起きている状態なのだろう)、何かが起きた日は気絶して朝を迎える。それが恐怖から逃れるための本能なのか単なる夢なのかは不明だ。
〝だめなやつ〟とは、すなわち〝後者になる予感がする日〟である。おそらくこれもまた第六感のようなものなので、なぜそう感じるのか説明はできない。
 嫌な予感は止まらないものの、どうか勘違いであってくれと願いながら、いつも通りにぎゅっと目を閉じる。
〝だめなやつ〟とわかるようになってからは、意地でも目を開けないようにしていた。物音や声が聞こえたりはするが、その程度なら夢だったと思い込めるし、見てしまうのがシンプルに一番怖い。
 それでも、なぜか、どうしても、つい開けてしまうときがある。一瞬だけ自分が自分じゃなくなってしまったように、無意識に開いてしまうのだ。
 そして、もはや当然のように嫌な予感は的中した。

 ──お姉ちゃんの横に、誰かいる。

 薄闇の中に、姉を見下ろす小さな男の子がぼんやりと浮かんでいた。
 金縛りに遭っている私になんて目もくれず、ただまっすぐに姉を見ていた。

 結局気絶して朝を迎え、姉に言った。
「私、昨日うなされたりしてなかった?」
「……なんで?」
「また金縛りになっちゃって……久しぶりに見たんだよね」
 金縛りに遭ったときは毎回姉に報告している。いつも「大丈夫だよ」「怖くないよ」と笑ってくれるので、いつものように安心させてほしかったのだ。
 だけど、今回は違った。
「……そっか。なんかごめん」
 目を伏せてそう呟いた姉は、少しためらいながら前日の話を聞かせてくれた。

 *

 当時、姉はカラオケ店でバイトをしていた。
 ある部屋には〝出る〟という噂があった。昔その部屋で自殺した人がいるらしい、と。どこの施設でも必ずといっていいほどある根拠のない噂話だが、従業員のほとんどがその部屋に入りたがらなかった。あの部屋はガチだ、という噂が根強く流れていたせいだ。
 仮に、怖い話っぽく四〇四号室とする。
 その日の閉店後、四〇四号室の掃除だけが残されていた。その日シフトが入っていた従業員全員が、怖がって手をつけようとしなかったらしい。呆れつつ、仕方がなく姉が片づけることにした。
 掃除を引き受けたのは、単に姉は責任感が強い性格だからだ。
 噂がデマだと思っていたわけではない。平気だったわけでもない。
 なぜなら姉はわかっていたのだ。
 あの部屋はガチだ、と。
 昔自殺した人がいるというのが事実か否かまでは知らないが、四〇四号室に入ると悪寒が止まらなかったと言っていた。
 心を無にしながらひとりで黙々と掃除を進め、もうすぐ終わるという頃。

 ふいに、泣き声が聞こえた。
 赤ちゃんか幼児か、とにかく幼い子供の泣き声が。
 閉店しているのだから、子供などいるわけがない。
 というか、そもそも。
 この部屋の中から聞こえる──。

 姉が〝感じる〟ときや〝視えた〟ときは必ずしも怖気立つわけではなく、漠然とではあるが〝嫌な感じ〟がするか否かによるらしい。そして、この泣き声は〝だめだ〟と直感したそうだ。
 さすがに恐怖を感じた姉は急いで仕上げを済ませ、夜遊びに繰り出す気にもなれず早々に帰宅した。

 カラオケでの出来事を語ってくれた姉は、私にもう一度謝った。おそらく連れて帰ってきてしまったこと、巻き添えを食わせてしまったこと、そして私が金縛りに遭っているとわかっていたのに助けてあげられなかったこと。
 姉は眠っていたのではなく金縛りに遭っていて、自分の横に立っている小さな男の子が、姉にずっと何かを訴え続けていたそうだ。