私の幼なじみであるAくんのお話。
Aくんは〝ある側〟ではまったくなく〝見えた〟ことなど一度たりともないという。ちなみに、とても怖がりなのでホラーは大の苦手だ。
あれは十九歳の冬、中学時代の友達五人で遊んでいた時のこと。
久しぶりに集まったメンバーでご飯を食べ、まだ遊び足りなかった私たちは、友達の車で軽くドライブをすることになった。
しばらく走った頃、運転手の男の子が言った。
「この近くに心霊スポットあるんだけど、ちょっと寄ってかね?」
それは私が何度も行ったことのある『明るい朝に』や『閉じ込められた影』でも登場した場所だ。
隣に座っているAくんを見れば、予想通り青ざめていた。
「俺やだよ! しかも今冬じゃん、入れないって」
「それが入れるんだよ。こないだ前通ったら、全然雪積もってなくてさ」
Aくんと私以外の三人は乗り気で、とりあえず廃墟の前まで行ってみようという話になった。
柵の前に車を停める。運転手の彼が言うように、確かになぜか廃墟の敷地内には雪が積もっていなかった。何年も前に潰れている廃墟なのだから除雪されているわけがないだろうし、ロードヒーティングが設置されているとしても建物にまで雪がないのはおかしい。
いや、そもそも〝積もっていない〟というより、まるでその敷地だけ避けられているみたいに、雪が降ってすらいないように見えた。
みんなはそれに気づいていないのか気にしていないのか知らないが、もはや「とりあえず廃墟の前まで行ってみる」という発言を忘れているみたいに、当然のように中に入る空気になっている。
「私、車で待ってる」
言うと、四人は信じられないとても言いたそうに私を見た。
心霊スポットは『肝試しはほどほどに』で完全に懲りたので、あれ以来一度も行っていないし二度と行かないつもりだったのだ。
「マジで言ってんの? え、ひとりで? ここで?」
「うん。Aは? 私と一緒に待ってる?」
Aくんが大のホラー嫌いだと知っていた私は助け船を出したつもりだったが、意外にも彼は少し悩んでから「いや、行く」と呟いた。あとから聞いたところ、私が〝ある側〟で何度も不可解な体験をしてきたことを知っていたので、私とふたりきりで待つのもそれはそれで怖く、だったら霊感とは無縁の大人数と行動する方がましだと判断したそうだ(失礼な奴である)。
この時にそう言ってくれればよかったのに。そうしてくれたら、大丈夫だと言ってあげられたのに。
私は『閉じ込められた影』で、廃墟にいる何者かが柵を越えられないことを知っていたのだから。
ここから先は、Aくんから聞いた話を元に書いていく。
*
大きな庭の奥にひっそりと建っている廃墟は、見るからに不気味としか言いようがなかった。Aくん以外の三人は和気あいあいと話しながら進んでいく。震える足に鞭打って、置いていかれないよう必死についていった。
あと数メートルで建物に着くという時だった。
二十歳まで見なかった人は、一生そういうのとは無縁──という話を聞いたことはあるだろうか?
それが事実なのか、私はもちろんわからない。
もしも事実だったとしたら。
二十歳までに見てしまった人は──Aくんは、その後どうなるというのか。
扉の前に、白い影が立っていた。ぼやけていたが女の人に見えた、とAくんは言う。
肩の辺りから、紐のように細長い線がゆらゆらと伸びてきた。
放心状態になってしまったAくんは、影から目を離せなかった。
そして、気づいた。
こちらに向けて手を伸ばしている──。
「──ごめん、もう無理だ」
我に返ったAくんは、震える声を振り絞って「帰ろう」と訴えた。みんなに笑われても、反論する気さえ起きなかった。馬鹿にされようがどうでもよかった。幸い怯えている友達を無視して先に進むような子はいなかったため、すぐに中断して車へ戻った。
ちなみにこの時、私はAくんを見た瞬間に異変を察していた。何か見てしまったのかもしれない、と。いくら怖がりだとしても、たった五分やそこら廃墟を歩いただけとは思えないほど憔悴していたからだ。
そのあとすぐ解散になったが、Aくんにとっては白い影が見えたことなど始まりに過ぎなかった。
その後Aくんを襲ったのは夢だった。
起きたあとは内容をほとんど覚えていないが、怖い夢であることは間違いなく、白い影だけが記憶に残っているそうだ。
最初の頃は、怖いものは怖いが、目が覚めてしまえば問題なかったらしい。だって結局夢は夢だし、たぶんあの時の恐怖が記憶に焼きついているだけだろうと思っていたからだ。
けれど、それが一週間も続けばさすがに参ってくる。だんだん眠るのが怖くなり、仕事で疲れているのに眠れなくなっていった。
ある日、さすがに疲労と寝不足が堪えたのか、家に帰ると倒れるように寝てしまった。
それでも容赦なく夢を見て、いつものように飛び起きる。
いつもと違ったのは、飛び起きたのが深夜だったこと。
寝る時間が早すぎたからだろうか。まだ朦朧としている意識の中で、再び寝ようか、いっそのこと起きてしまおうか悩む。またあんな夢を見るくらいなら寝不足のまま仕事に行った方がましだと判断し、電気をつけた時。
ふと、クローゼットが視界に入った。
──あれ?
どうしてクローゼットが開いているのだろう。閉め忘れたのだろうか。
だけどAくんはかなり几帳面な性格のうえ繰り返しになるが怖がりなので、隙間という隙間を徹底的に排除していた。ましてや夜に閉め忘れたことなど一度もない。
──いや、違う。
今この瞬間、クローゼットが少しずつ開いている。
ゆっくりと開いたドアから、あの廃墟で、夢で、何度も見た白い影が、
こちらに向かって手を伸ばした──。
その後Aくんは部屋から慌てて脱走し、部屋の問題とは思えなかったがとても住み続ける気になれなかったので、すぐに引っ越したそうだ。
だけど、その体験すらもAくんにとっては序の口だった。
Aくんが本当に悩まされているのは夢なんかじゃない。
それ以来、たまにではあるが〝見える〟ようになってしまったことだった。
二十歳までにうんぬんというのは、本当だったのだろうか。