二十歳の夏、颯ちゃんとふたりで夜景を見に行った時のこと。
 帰り道の車内で、颯ちゃんが唐突に言った。
「ちょっと怖い話していい?」
 タイミングは最悪だった。
 夜景スポットというのは、同時に心霊スポットでもあることが多いのではないだろうか。少なくとも、まさにこの日私たちが行ったのは心霊スポットとしても有名な山だった。しかも、ほとんど外灯のない山道を下っている最中である。
「え、なんで? 今は嫌」
「ちょっとだけ。怖いから喋りたい」
 その気持ちはわからなくもない。とはいえ心の底からご遠慮願いたかった。相変わらずホラーは大好きだが、真夜中の心霊スポットで怪談話は聞きたくない。
「せめて国道出てからにしてよ」
「お願い、話だけ。誰にも言ってないんだけど、だんだん怖くなってきちゃってさ……」
 颯ちゃんはけっこうわがままなので、言い出したら聞かない時がちょいちょいある(私も人のことはとやかく言えないが)。例になく今回もそうなるなと判断した私は、話を聞くだけならまあいいだろうと観念するしかなかった。
「ええー……いいけど、急に大声出したり怖がらせたりするのは絶対なしだからね」
「そんなことしねえよ」
 何度目かの急カーブを曲がって、颯ちゃんが静かに話し始めた。

 颯ちゃんの仕事は営業職で、出張が多いそうだ。
「出張の時はビジネスホテルに泊まるんだけど、当たり外れの差が激しくてさ。外れの時はマジで、子供とか暴れたら倒壊するんじゃねえのってくらいボロボロ。当たりっつっても普通のホテルだけど。一泊五千円いかないくらいの。会社によってはいい感じの旅館とか泊まれたりするみたいだけどさ、うちの会社ケチだから絶対そういうのない」
 やや仕事の愚痴を交えながら颯ちゃんが言う。
 二ヶ月ほど前だっただろうか。
 一泊二日の出張を命じられて地方へ行った。ホテルは外観こそ当たりだったが、どことなく暗い雰囲気が漂っていた。
「昔、俺らしょっちゅう心霊スポット行ってたじゃん。俺が霊感あるって言ったの覚えてる?」
「覚えてるよ」
 ××の滝に行った日からあんまり信じてないけど、と思いながら答える。
「おまえは嘘だって笑ってたけど、あれほんとにマジでさ。子供の頃から、見たりはあんまないんだけど……なんとなくわかるんだよ」
 部屋のドアを開けて一歩足を踏み入れた瞬間、この部屋は無理だと思った。
 理由などない、とにかく部屋に入ることすら怖くて仕方がない。
 恥を忍んで部屋を変えてほしいとフロントに頼もうか。しばらく考えたが、さすがにそれは無理かと諦める。一泊だけだし、寝るだけだし、たった一晩耐えればいい話だ。きっと何も起きないと自分に言い聞かせながら、一応部屋の明かりを全部つけた。

 取引先との商談を終え、そのまま飲みに行ったため、部屋に戻ってきたのは日付が変わる頃だった。アルコールが回っていても感じる妙なおぞましさ。とにかく嫌だし疲れたし、酔いが醒めないうちにさっさと寝てしまおうと、すぐに着替えて布団にもぐった。
 長距離の移動と気を遣いっぱなしの飲み会で疲れているはずなのに、しばらく目を閉じていてもまるで眠気がやってこない。むしろ、時間が経てば経つほど頭が冴えてきてしまう。
 無理だ。今日は朝までどこかで別の場所で過ごそう。
 そう思い立ち、起き上がろうとした瞬間。
 突如、ひどい耳鳴りと金縛りに襲われた。
 部屋を変えてもらわなかったことをひどく後悔した。
 耳鳴りの中に、誰かの声が交じっている。
 うまく聞き取れないが、おそらく幼い子供の声だった。
 異変に襲われる直前、颯ちゃんは起き上がろうとしたのだ。だから当然、目を開けていた。
 布団の上、ちょうどお腹のあたりに黒い塊があった。
 意に反して目を凝らしてしまい、すぐにそれの正体がわかった。
 小さな女の子が、颯ちゃんの上に背を向けてまたがっている。
 吹き出す汗、鳴り止まない耳鳴りと声。
 まるで颯ちゃんの視線に気づいたかのように、女の子がゆっくりと振り返る。
 目が合った瞬間、彼女がにやりと微笑んだ──。

「で、気づいたら朝だったんだけど」
 話が終わったのは、ちょうど山を下りて国道に出た頃だった。私は深夜の静まり返った心霊スポットである山道でずっと怪談話を聞かされていたのだ。
「怖かった?」
「意外と怖かったよ! どうせ大した話じゃないと思って完全に舐めてたからびっくりしたよ! こんな夜中にこんなとこでそんな話しないでよ!」
「怒んなよ。ごめんって。けど俺も本気で怖かったしさ……今でも思い出したらゾッとするくらい」
 やっと終わったと安心した矢先、颯ちゃんはしっかりとオチまでつけてくれた。
「しかも連れてきちゃったんだよ、女の子。今も車に乗ってる」