私と颯ちゃんは、あまりよろしくない関係だった時期がある。
その時期の真っ只中だった高二の夏、ふたりでホテルへ行った時のこと(生々しい描写は一切ないのでご安心を)。
*
どこのホテルも満室で、やっと辿り着いたのは──なんだかもう毎度毎度で申し訳なくなってきたが──〝出る〟という噂があるホテルだった。
噂によると〝出る〟部屋は三階のどれからしいので、私たちは二階の部屋を選んだ。はっきり言って私は信じていなかったが、颯ちゃんが絶対に三階は嫌だと駄々をこねたのだ。なんなら言われた通りに三階を避けてもなお怖がっていた。
颯ちゃんが危惧していたようなことは何も起きないまま眠り、叩き起こされたのは早朝だった。
「おい! 起きろ!」
「んー……なに……?」
「早く起きろって!」
颯ちゃんの尋常じゃない焦りように仕方がなく起きて、スマホで時間を確認する。
「ねえ噓でしょ……まだ五時じゃん……」
「いいから! もう出よう。早くここ出たい」
「え、なんで?」
颯ちゃんは怯えながら、なぜかしきりにお風呂場の方を見ている。視線を追ってみても、私には原因がわからなかった。
どうしてそんなに慌てているのか、何にそこまで怯えているのか。ひとつずつ訊いても、颯ちゃんは「とにかく出よう」の一点張りだ。仕方がなく颯ちゃんに急かされながら帰る準備をしてホテルを出た。
明るい場所で改めて颯ちゃんを見れば、目が血走っているしこめかみに汗が伝っている。
しばらく車を走らせてから、颯ちゃんはやっと口を開いた。
夢を見た。
正確には、最初は夢だと思った。
ふと目覚めると、視界に広がっていたのは眠る前と同じ光景だった。隣には私が眠っている。眠気眼だったので時間は確認しなかったが、体感で早朝だろうとわかった。
頭に靄がかかっているみたいにやけにぼんやりして、どことなく現実感がなかった。最初に夢だと思ったのはそのせいもある。
もう少し寝ようと寝返りを打った時。
ベッドに両手をついてこちらを覗き込んでいる男の子がいた。
正確には黒い影だったが、なぜか男の子だとわかったという。
頭の靄が晴れ、否応なしに覚醒する。夢じゃない、と気づいた。目が合うと──黒い影だから実際合ったかはわからないが、合った気がして──その影はものすごい速さでお風呂場の方へ走っていった。
私を叩き起こしたのはその直後だ。気絶や二度寝をした覚えはない。絶対にしていない。瞬きさえも忘れるくらいに覚醒していた。だからあれは絶対に夢じゃなかった。颯ちゃんは私にそう訴え続けた。
それ以来、私たちはそのホテルに行っていない。
噂によると、今はすでに潰れているそうだ。