高一の秋。
 私にとっては地獄でしかないイベント、半年ぶりの入寮期がやってきた。危うくショック死しかけるくらい最悪だったのは、まさかのひとり部屋だったこと。
 前回の『寮生活』にも書いたが、入寮する時、グループ分けや順番や部屋割りは寮の先生に決められる。
 今回一緒に入寮したのは瑠衣だった。友達と一緒なら普通は喜ぶところなのだが、私たちに至っては振り分けを見た時、なんてとんでもない組み合わせにしてくれたのだと絶句していた。〝ある側〟が集まると奇妙なことが起きやすい──という持論は、瑠衣も同じだったからだ。彼女も一度目の入寮では散々な目に遭っていた。
 とはいえ逃れる方法は退学以外にないので、ふたりで怯えながら入寮したのだった。

 *

 前回はたまたまで、あるいはやはり私の勘違いで、今回は何事もなく平和に過ごせるのではないか。
 なんて期待は初日で打ち砕かれた。しかも、持論が当たっているかは知らないが前回より悪化していた。まるで私たちの再入寮を歓迎してくれているみたいに。お気遣いいただかなくて結構だし悪いけどご遠慮願いたかった。できることなら全力でほっといてほしい。
 肝試しならまだましだと思った。自分の意思で帰れるのだから。けれど寮となればもちろんそうはいかない。何があろうと期限までいなければいけないのだ。
 唯一の救いは、一度目の入寮より規則がやや緩くなったこと。シャワーや就寝前の洗面台は複数人での利用を許可されていた。だから絶対にひとりで行かないようにして、常に瑠衣と行動していた。持論と矛盾している気もするがもはや今さらだし、ひとりでいるより百倍ましだった。
 馬鹿みたいに一時間もある学習時間は誰かと連絡を取り合い、消灯時間になるとすぐに布団にもぐって、朝が来るまで不可解な出来事にひたすら耐えた。寝不足もいいところだ。

 なんとか耐え抜き、残り二日になった日の夜。
 いつも通り布団にくるまった私は、珍しくすぐに寝ついた。さすがに寝不足も限界だったのかもしれない。
 だけどそのまま爽快な朝を迎えられるほど寮生活は甘くなく、深夜にふと目が覚めた。見回りの先生に見つからないよう枕の下に隠していた携帯で時間を確認すると、二時を少し過ぎた頃だった。
 なんでよりによってこんな時間に──と叫びたくなる。
 次いで、ここからが本番だと言わんばかりに金縛りになった。しかも当然のように〝だめなやつ〟だと直感した。
 いっそのこと気絶させてくれと祈りながら目をつむっていると、足音が聞こえてきた。部屋の中を何度も何度も往復している。
 いい加減にしてくれとまた叫びたくなったのは、壁側から誰かの話し声が聞こえてきたことだ。男か女かも判別できないくらい小さな声で、ひとり言みたいにぼそぼそと喋っている。
 金縛りの時は何かを見たら気絶する、という私の特徴はいまだ健在だった。ならばいっそのこと目を開けてしまえば早いのかもしれないが、自らそんなことをする度胸はさすがにないし、そこまで怖いもの知らずにはなれない。
 そんな頑なに目を開けない私にトドメを刺すかのように、今度は廊下から鈴の音が聞こえてきた。
 遠くから、徐々に近づいてくる。
 ──もうやめてよ、本当になんなの……。
 体が動かないのだから耳を塞ぐ術などあるはずがない。心の中で、テレビで観ただけのよく知りもしないお経を唱えながら、今私を取り巻いているすべてのものが去ってくれるのを待つことしかできなかった。

 翌朝、起床時間になるまで待ちきれなかった私は、廊下に人の気配がないことを慎重に確認してから隣の瑠衣の部屋へ行った。
 軽くノックをしても返事がない。「瑠衣、入るよ」と小声で断ってからドアを開けると、脱力したようにベッドにへたり込んでいる瑠衣の目からは涙がとめどなく溢れていた。
「瑠衣……?」
 大丈夫? ──なんて言葉を投げかけるのが残酷にすら思えるほど、瑠衣は憔悴しきっている。
 瑠衣を落ち着かせてから事情を聞くと、瑠衣の身には私以上の恐怖が襲いかかっていた。
 二時頃に目が覚めたこと、金縛りに遭ったこと、部屋の中で誰かが歩き回っていたこと、誰かの話し声や鈴の音が聞こえたこと。私たちは同じ時間に同じ体験をしていたのだ。
 大まかな点だけ上げれば同じだが、問題なのは、瑠衣が目を開けてしまったことだった。
 瑠衣ははっきりと見てしまったらしい。
 部屋の中を歩き回っている人影も、瑠衣の枕元に正座してぶつぶつと喋り続ける男の人も。鈴の音は瑠衣の部屋の前で止まり、空が白み始めるまでずっと鳴り続けていたそうだ。

 登校してから瑠衣は母に電話で事情を説明した。
 ──枕元に鏡を裏返しに置いて、部屋の窓とドアのそばに盛り塩を置きなさい。必ず綺麗に掃除してから置くこと。絶対に言った通りにするんだよ。
 そうアドバイスを受け、寮に戻ってからすぐに実行した。ただし瑠衣の部屋だけ。精神的に限界だった私たちは、最後の夜だけ瑠衣の部屋で一緒に寝ることにしたのだ。
 別室のふたりが一緒に寝ることなど許されるわけがない。わかってはいても、どうしてもあと一日が耐えられなかった。就寝後の見回りは一度だけだから、それさえ終われば移動できる。万が一バレたとしても、もうどうでもよかった。またひとりであんな体験をするよりずっとましだ。
 安眠などできるはずはなかったが、アドバイスのおかげか、最終日は何も起こらなかった。そして翌日、私たちは監獄から脱走するくらいの勢いで退寮した。

 *

 これが、寮生活で一番記憶に強く残っている恐怖体験だった。
 その後も卒業するまで何度か入寮したが、ちょっと異変が起きる程度のもので、ここまで盛大に脅かされることはなかったのだ。
 入寮するたび、瑠衣の母からのアドバイス通り、盛り塩を怠らなかったことが効いていたのかもしれない。
 一度、よりによって一番厳しい寮監の先生に盛り塩が見つかってしまったが、ただ「退寮する時は片づけるように」と注意されただけだった。
 当時は怒られなかったことに安堵していたが、考えてみれば、たかが一週間やそこら入寮した私たちがあんな体験をしてしまうのだ。何年もそこに勤めている寮監の先生たちの身に何も起きていないとは考えにくい。
 入寮制度は今でも変わらずあるそうだ。
 同時に、今でも妙な噂が絶えないらしい。