グラウンドを、男女のカップルが並んで歩いている。男の方は見たことがある。同級生だ。
 男子が自然な動きで女子の腰に手を回す。距離が近づき、女子が照れたように苦笑する。日常の中のありふれた光景。だけど今の僕には、あまりに眩しかった。
 心が通い合っている実感がもたらす、他者には入り込めない特別な空気感が、見ているだけで伝わってくる。

 心の中にわだかまるのは、昨夜の出来事だ。
 宵は、自分の中に僕を入れてくれない。僕にはその一線を跨げない。

「はあ……」

 頬杖をつき、窓の外を見つめて溜め息をついたとき。

「よォ、相棒☆」

 後ろからいきなり、首元に抱きつかれた。
 この暑っ苦しいスキンシップに心当たりはひとつしかない。タイミングの悪い襲来に溜め息をつきたくなるのをこらえ、振り返る。

「なんだよイチ……」

 すると、イチがなぜかドヤ顔をかます。

「いや~? 相棒が浮かない顔してるから、この俺様の力が必要かと思ってさ」
「そんな顔してない」

 軽くあしらおうとしたのに、イチは僕の声に耳なんて貸そうともせず、空いていた前の席に座ると僕の方に体を向けてきた。

「なになに、なにがあった?」

 こいつにはデリカシーというものがないらしい。多分産声を上げたときにはもう手放していたのだろう。
 でもこのくらいぐいぐい遠慮なく踏み込まれると、嫌でもガードが緩くなってしまう。その無遠慮さが、能天気さが、本当は嫌いではないのだ。そういうところに、僕は多分何度も救われてきたから。
 それに今は、こんな奴にでも頼りたいと思った。それくらいには心が揺らいでいた。

 観念して腹を括ると、ほんの少しの間ののちに打ち明けた。

「……実は、好きな子がいるんだ」
「ええ!?」

 教室に響き渡るほどの大声に、僕は慌ててイチの口を押さえる。

「うるさい……!」
「わ、わふい」

 制止の意味で睨みつけると、イチが何度もわかったというように頷くので、口から手を離してやる。
 すると口から手が離れるや否や、興奮したように捲し立ててきた。一応はひそひそ声で。

「まじで……!? お前、好きな子できたん!?」
「うん……」
「どんな子!?」
「えっと……高嶺の花で、だけど惜しみなく優しさと笑顔をくれる子」
「んん? どゆこと? っていうかこの学校の子? だれ!?」
「それは言えない、けど」

 相手についてはつい濁す。
 けれどイチにとっては、相手がだれであるかはさして大きな問題ではなかったらしい。それよりも僕に好きな子ができた、その事実に興奮している様子だ。

「いや~、ついにか! 全然女子の影がないから、お父さん心配してたんだぞ!」

 なんだよ、そのお父さんキャラは。
 つっこむ気力も起きない僕を尻目に、イチは満足そうに腕を組む。

「17歳の初恋、初々しくていいと思うぞ。うんうん!」

 そうやってひとりで満足し切ると、そこではて?と首を傾げるイチ。

「で? 灯は今、絶賛初恋に心ときめかせ期だろうに、どうしてあんなに浮かない顔をしてたんだ?」
「実は彼女がまだ僕に心を開いていてくれてる感覚がなくて……」
「ほう」
「告白したいんだけど、していいのか迷ってる」
「なるほどなあ」

 イチはこれでも百戦錬磨のモテ男だ。なにか名案を授けてくれるのではないかと期待し、イチの答えを待つ。
 するとたっぷり時間をかけて思案したのち、口を開いた。

「告白は焦らない方がいいな」
「そうなのか?」
「その様子じゃ、お前はまだその高嶺の花子ちゃんのことをよく知らないんだろ?」
「まあ……」
「告白するのは、相手の恋愛観をよく知ってからだ。相手に求める条件とか、恋愛の優先度とか」
「なるほど」

 饒舌に恋愛術を語るイチがとても頼もしく思えるのはなぜだろう。
 僕は重要な講義を受ける生徒よろしく、イチのアドバイスに聞き入る。

 それから講義の締めだと言わんばかりに、イチは僕をびしっと指さした。

「告白はちゃんとタイミングを見計らえよ。勢いにでも任せてみろ、それまで積み上げてきたもんも全部台無しになるからな」