寒くて凍える時期も終わり、桜吹雪が舞う季節がやってきた。
四月上旬。
今日は三年生一学期始業式の後、入学式だ。
「行ってきます」
「あら、今日はいつもより早く出るの?」
「うん。なんかさ、また春が……。一学期がくると思うと、ね」
「そう……。行ってらっしゃい」
彼女とネットで出会った――春がくる。
家にいると、あのときと同じように生声劇をやれば、波希マグロさんと出くわす妄想をしちゃう。
家にいても辛くなるなら、今の居場所――演劇部がある学校の方がいい。
早めに学校へ行き、部室を掃除してから新入生を迎えよう。
春の澄んだ空気、青空の下、駅へと向かう。
イヤホンを繋ぎ、かつて彼女と創ったボイスドラマ動画を流す。
今やプライベート公開にした動画。
彼女が新しい道を歩むとき、未熟なアマチュア時代の音声が残ると邪魔になるなら、と。
プレイベート公開にしたときは、僕のSNSは波希マグロさんを求める声で一時荒れたけど……。
それだけ、彼女の演技や声が多くの人を感情的にさせるぐらい素晴らしいものだと思えば、炎上も笑顔で受け入れられたなぁ……。
彼女と連絡がつかなくなって、もう三ヶ月以上。
今、君は何をしてるんだろうか。
まだ外へ出ようと、頑張り続けてるのかな。
この澄んだ青い空を、カーテンを開けて君も見てるかもしれない。
海のように拾いネットの世界で、新しい名前をつけて活動してるのかもしれない。
それとも、夢へ向かって問題も乗り越えたのかな。
今の僕には、彼女が何をしてるか分からないけど……。
大晦日、凪咲さんから動画付きでメッセージが送られてきたのを思い出す。
「頑張ってたな……」
マスクとフード付きコートを着込み、玄関扉を少し開けては吐き気を耐えるように口を押さえる女の子。その後ろ姿だけが撮られた動画。
メッセージには、『信じてあげて』とだけ書かれていた。
声も動画には入ってない。
それでも――吐き気に打ち克とうとしてる子が、波希マグロさんなんだと分かった。
「……君が乗り越えようと頑張ってくれた。それだけで、十分だ」
除夜の鐘の音が聞こえたから、あれは大晦日の夜に撮って、すぐに送ってきたんだと思う。
僕との関係を断ち切ったことが、愛する君を動かす力になれたなら……それで十分。
僕だって、彼女と出会って変われた。
今では演劇部で、意見を積極的に求められる。
台本を中心に、劇全体を見るぐらい、居場所がある。
夢へ通じる声優やイラストレーターに向けて頑張っては、才能のなさに打ちひしがれてた。
だけど遂に、全身全霊をかける脚本家という道を見つけられた。
全部、君との縁があったからだよ……。
ネットから繋がった切れやすく細い糸が、こんなにも僕を動かしてくれた。
進むべき道標になってくれて、僕は将来の夢へ迷いなく走れる。
僕との出会い、それが君をも前へ動き出す力になってくれたなら、それで十分だ。
恋人関係は上手くいかなかったけど……それは仕方ない。
電車と新幹線の線路、夜行バスで通った道路。
色々な道が、遠く離れた君に繋がっていたんだ。
やがて駅のホームに着き、学校へと向かう電車を待つ。
新幹線に乗らなくても、この電車の線路を乗り換えていけば……。
君の元へ、感謝の言葉を届けられるのかな?
高校生最後の学年がスタートするからだろうか。
そんなセンチメンタルなことを考えちゃうよ……。
未だに彼女を思い出して、自然と口元が緩むな。
そんな怪しい自分の姿が誰かに見られてないか、周りを見回す。
うん、大丈夫だったみたいだ。人は思う程、僕を見てない。
本来は交わることのなかった僕たちを繋いでくれたのは、何十億って人との縁がロープの繊維のように溢れるネットの世界だった。
そんな中から、たった一人君と縁を結び。
世界一、僕の鼓膜と心を揺らす声を伝えてくれた奇跡に感謝だ。
電車が駅に入ってきたとき――スマホの通知音が、聞いているボイスドラマの中に混じった。
世界一、好きな演技を邪魔された……。
少し嫌な気分でスマホを見て――思わずディスプレイを二度見する。
大晦日以来の……凪咲さんからのメッセージだ。
『妹への気持ちは、まだ私たちと初めて会った頃のまま?』
明けましておめでとうのメッセージすら、交わしてないのに……。突然どうした?
新年の挨拶すらしなかったのは、僕たち二人が、めでたくない気分だったからかもしれないけど。
もう連絡を取ることはないと思ってた凪咲さんから、突然……失恋の傷を抉られるとはね。
『変わらない。変わるわけないです』
未練がましいとは、自分でも思う。
分かってはいても、自分の気持ちに嘘をつきたくない。
両親からの教えだし、大好きな子も……。そう言ってたから。
引かれただろうなと思っていると、ポンとまた通知音が聞こえた。
凪咲さんとのメッセージ画面を見ると、何か貼り付けてメッセージがきていた。
これは……動画か?
仕方ない、ボイスドラマ動画は一回止めるか。
動き出した電車に揺られつつ、送られてきた動画を再生してディスプレイを覗き込む。
学校の中、かな?
物陰から、髪の長い女生徒の後ろ姿を撮ってる映像。
まるで波希マグロさんがいじめられてた動画の、再現みたいだ……。
『いた! おい、テメェ! どういうつもりだよ!?』
『マジでふざけないでよ!? 絶対、逃がさないからね!』
『よく学校来られたもんだなぁ!? アアっ!?』
これは……。
少し成長してるけど、彼女をいじめてた女の子たちだ。
ということは――この長い髪の子は、波希マグロさん?
いつの、いつの動画だ?
女の子たちが成長してるってことは……。
まさか、彼女は……また学校に行けたのか?
トラウマを、乗り越えたのか?
『逃げるわけないよ。私は、起こった事実を先生たちに伝えただけだから』
鼓膜から届く情報に――全身が震えた。
この電車は、雲の上を走ってるのか?
そう思うぐらい――波希マグロさんの声は、僕の身体に染み渡る……。
『そのせいで、私は預かりクビになったんだぞ!? 自分が何したか分かってんのか!?』
『全員、お前のせいで人生めちゃくちゃだよ! テメェ、学校辞めれば逃げられるとか思うなよ!?』
怒声が汚い。
ふざけるな、君たちが先にやったことだろう……。
波希マグロさんが事実を告発したとしても、自業自得だろうが!
『それは自業自得だね』
彼女と意見が一致した。
当たり前だ。
誰が見ても――
『――舐めてんじゃねぇぞよ、クソがぁっ!』
『いっ!』
「はぁっ!?」
殴られた!?
え、波希マグロさんが、グーで殴られて……転がった!?
何してやがるんだ、コイツら!
電車内なのに、思わず声が出るぐらい……信じられない。許せない!
『テメェはもう終わったんだよ! 元天才らしく、ネットで遊んで満足してろよボケ!』
『私らを巻き込まないでくれない!? 本当、あんた最悪だよ!』
『……これで、満足した?』
床に突っ伏したまま、彼女の悲痛な掠れ声が……。
もう、いいよ。
君は、よく頑張った。勇気を出して、三人に囲まれても言いたいことを言った。
だから、もう煽るようなことを言わないで。
君が殴られるところなんて、もう見たくない。
『こんなんで満足すると思うなよ!?』
『オラ! 寝てんじゃねぇ! ウチらの気が済むまで、付き合ってくれんだろ!?』
『うぐっ!』
横たわる彼女を、まるでサッカーボールでも蹴るみたいに……。
足の衝撃で跳ねて、ゴロゴロと床を転がる彼女を……黙って見てられない。
スマホを握り潰しそうだ。
こいつらを、殴り飛ばしてやりたい!
『チッ。……クソが。あの七草兎とかいうド下手と、大人しく遊んでればいいのによぉ!』
『……七草兎さんが、ド下手? ……今、そう言ったの?』
成されるがままだった波希マグロさんが、ゆっくりと身体を起こして……。
立ち上がるなり、一人の手首を掴んで壁に叩きつけた!?
『いってぇな! 何しやがんだテメェ!?』
『私の悪口は、いくらでも言っていい! 殴りたいなら好きなだけ殴ればいい! でも七草兎さんを、私の大好きなクリエイターを、悪く言わないで!』
『なんだ、惚れてんのか!? 底辺同士、お似合いだな!』
『離してあげなよ! 可哀想でしょ! あんなド下手を庇って、なんなの!?』
どの口が言うんだ……。
ふざけるのも、大概にしろ!
僕は何て言われても構わない。頼む……。もう、やめてくれ!
『離せって言ってんだろうが――……。ぇ?』
『テメェ、投げ飛ばしやがったな! もう許さねぇ! ぅ、ぐぼ……。ぉえ』
え? 腕を掴んでた人を、投げ飛ばした?
襲いかかってきた一人の子も、お腹から上に突き上げられて吹き飛んだんだけど……。
『こ、これ投げるよ!? 顔に一生者の傷――ぇ……。いたたっ! 痛い、離してよ! ごめん!』
物を投げ飛ばそうと振りかぶった最後の子にも、立ち関節技を極めてる……。
あっという間に……全員を?
『アクションの練習、足りてないんじゃないかな?』
か、格好いい。まさか、お父さん……。娘に格闘技、教えてないよね?
覚悟を決めた波希マグロさん。思ったより武闘派だったんだな。……父親の血、か。
関節技を極められてた子は腰が抜けたのか、ペタンと崩れ落ちた。
『七草兎さんとお似合いってのは、褒め言葉だよね? ありがとう』
いやいやいや、それは違うって。
絶対、褒め言葉じゃなかったよ?
僕みたいな、底辺クリエイターと同レベルに堕ちたなって、馬鹿にしてたんだよ……。
『てめぇ……。こんなことして、学校辞めても警察に行けば人生終わるぞ!?』
『そ、そうだ! 七草兎とかいうやつのアカウントも炎上させてやるかんな!』
『ネットであることないことばらまけば、すぐだからね!』
本当に、そうだから怖い。
冤罪をネットに流しても、嘘である証拠を出さないと炎上確実だから……。
まして三人に口裏を揃えて言われれば、中途半端に知名度のある僕のSNSアカウントは大炎上間違いなしだろう。
でも、それが起きなかったってことは……。
『――ねぇ。今の発言はさ……。ちょっと、許せないかな?』
『ひっ』
薄く笑ってるみたいな声だけど、ドスが利いてる……。
さ、さすがだ。声のバリュエーションが凄い。
『私に理不尽なことするだけならスクールとか劇団、学校に口で事実を伝えるだけにしようと思ってたけど……。七草兎さんに……。私の大好きなクリエイターに手を出すつもりなら、話が変わるね?』
『な、何をするつもりだよ?』
『今は内部だけの問題、噂で済んでるけどさ。これがネットに流出したら、すぐに拡散されちゃうね。もしネットのショート動画投稿サイトに投稿したら、あっという間に皆が知る事実になっちゃうよね』
彼女がかざしてるのは、スマホ?
流れてくる音声的に……波希マグロさんがイジメられてたときの動画か?
『なんで、その動画を持ってるんだよ!? 確認されてすぐ消したはずだろ! おい、そうだよな!?』
『う、うん。間違いなく、既読がついて、すぐ消した。あの一瞬で、保存されたの? そ、そんなの見せたら、いじめられてた子だって一生言われるよ!? やめときなよ!?』
『死なば諸共って言葉、知ってるかな? 私の未来も潰す覚悟はできてる。迷いなく、あなたたちも潰すけどね?』
いや、やめてよ。
そんな子たちのために、君の未来は潰すべきじゃない。
『大好きな人のためなら、どんな鬼にでもなれちゃうの。私の大好きな人に、二度と手を出すとか言わないで。謝って!』
『……す、すいませんでした。やりすぎました』
物を投げようとした子が、波希マグロさんに向かって頭を下げた。
『私に謝るんじゃない。貪欲に何でも学ぼうと努力する七草兎さんに、心から謝って。今、ここで!』
『て……テメェ。いくらなんでも、調子に――』
『――妹が退学届を出すから、その姿を記念にって記録してたのだけどね。とんでもない姿が偶然、映っちゃったわね~』
し、白々しい……。
凪咲さんの声、四人へ寄っていく画面。
こんなの、計算して撮ってたでしょうに。
『今のシーン、全部撮れちゃった』
『なっ、ぐっ!』
『春……七草兎さんのアカウントが炎上したら、反論が必要よね? 長い裁判、一緒に体験する?』
裁判で争い中なんてことになったら、どこの事務所も取ってくれないだろう。
ただでさえ、預かりをクビになった噂が内部で広がるかもなのに……。致命的だ。
『な、七草兎さん。すいませんでした』
『ごめんなさい』
『は、反省してます』
いや、スマホに向けて謝られても。というか、僕に謝るより波希マグロさんに謝れよ。
凪咲さんが僕に動画を送ったのって、この子たちの謝罪を見せるのが理由?
その後、いじめっ子たちは痛む身体を引きずって逃げ――。
『――もう、無理しすぎ! こんなの聞いてないよ!? 大丈夫!? あんな吹き飛ぶなんて……』
『身体に演技が染みついてたのかな? 殴られそうってなった瞬間ね。身体が勝手に、派手に吹き飛ぶように動いてた。ちょっと、嬉しいなぁ』
『馬鹿……。ケガしてる。せっかくの綺麗な顔が、腫れてるじゃない』
『うん……。演技じゃなくて、本当に殴られるのは初めてだった。いい経験になったよ。これでまたリアルな痛みの演技ができるようになった気がする。こんなにも、ジンジンと焼けるような感じなんだね』
波希マグロさんは、凪咲さんに抱きつきながら会話をしてる。
そんな波希マグロさんらしい言葉を最後に――動画が終わった。
波希マグロさんが殴られたシーンでは、心配とフラストレーションが溜まったけど……。
本当に、格好よかった。
まるで洋画に出てくる、アクション物の女性みたいだった。
波希マグロさんを理不尽に追いやって得た地位、事務所預かりがクビになったのも痛快だ。
何より、僕のことを大好きなクリエイターって言ってくれたのが――不謹慎だけど、嬉しい。
彼女は……僕なんかに関わってられない。さよならって、いなくなったわけじゃなかったんだな。
動画を撮ったのは、彼女が家を出られるようになってから。だから、少なくとも大晦日以降。
忘れられたわけじゃなかったんだ。君が立ち上がる切っ掛けのクリエイターになれたなら、思い出として覚えててもらえるなら……。僕は幸せだ。
凪咲さんに、お礼のメッセージをしないと。
『苦しんでいた問題を彼女が乗り越えられて、よかったです。ありがとうございました』
僕が送ったメッセージが、すぐに既読へなった。
何か返事がくるかと待っていると、友達紹介が送られてきた。
凪咲さんの友達を、僕に紹介?
紹介された人の登録された名前は――みお?
名前だけだと、分からない。
名字もない。
でも――このタイミング、凪咲さんからの友達紹介。
もしかして……。これは、もしかして!?
まさか、そんな……。
みおは――波希マグロさんの、アカウントか!?
いや、落ち着け。僕は彼女から『ばいばい』と告げられた。
これはきっと……お母さんとか、だろう。
でも、もしかしたら……。
震える指を動かし、友達追加を承認する。
トークルームを開くが、当然履歴には何もない。
僕から、何か送るべきなのか。でも、相手が誰かも確証がない。
そうこうしてるうちに、電車が目的の駅へ着いた。
危ない、考え込んで乗りすごすところだった。
人がまばらなホームに降りた瞬間、ポンッと通知の音が鼓膜に響いた。
ディスプレイに映る送信名は――みおさん。
届いたメッセージには
『遅くなって、ごめんなさい』
とだけ書いてあった。
まだ、まだ、誰か分からない。
誰なのか、知りたい。
勇気を出して聞け! 根性と行動力が、僕の取り柄だろう!
『もしかして波希マグロさんですか?』
『七草兎さん、お久しぶりです』
お母さんなら、お久しぶりなんて言わない。
そんなの――彼女しかいない!
『約束を守りにきました。先に待ってるね』
どういう、意味だ?
いや、そんなの……。
文面から分かる。
きました、先に待ってる。
どこで待ってる? そんなの――僕の行こうとしてた場所以外、ないだろう!
気がつけば、人がまばらな駅構内を走っていた。
階段を駆け上り、改札を抜け学校へと走る。
息切れなんて、今はどうでもいい!
肺が破れようと構わない!
今すぐ、彼女が待ってる場所に行きたい!
母さんと凪咲さんは、仲がいい。
僕が夜に話したことが、翌朝には伝わってるぐらいだ。
それなら、僕が登校するために家を出た時間が伝わっててもおかしくない。
彼女が、僕と交わした約束。
台本が尽きたとき、つまらない話と言って、彼女はいじめられた自分の過去を教えてくれた。
あの時の、『いつか私から会いに行けるように克服する。約束ね!』という言葉。
八王子にある家、扉を隔てた向こう側からの声が蘇ってくる!
忘れない、忘れるはずもない!
彼女は約束通り、外へ出られないのを克服したんだ。
それなら、残ってる約束は――。
「――はぁ、はぁ……」
桜吹雪が舞う校門。
学校の前まで着いたけど……誰も、いない。
僕の勘違い、だったのかな?
それは、そうか。
そう、だよな。
彼女が、僕の高校にいるわけがない。
だったら、家か何かで僕の帰りを待ってるのかもしれない。
いや、それすらも勘違いで――。
「――七草、兎さん?」
後ろから聞こえた鮮明な声に――脳髄から震えた。
電波によるラグもノイズもない。
扉に邪魔された声音でも、ない。
スッと耳に届く、この声は……。
「波希、マグロさん?」
心臓がドクドクと、うるさい。
身体が鼓動に合わせて揺れる。
少し振り返れば――顔も見たことのない彼女がいるんだ。
痺れたように感覚がない身体を、無理やりでも動かせ!
やっとのことで振り返ると――涙が、滲んでくる……。
「あの、私の顔……。予想と違ったかな? 想像より不細工、だった?」
忘れられない音の記憶が、これが初対面な女の子の口から――聞こえてくる。
「そんなわけ、ないじゃん。想像通り、いや……。想像できないぐらい、可愛いかった」
「七草兎さんは、想像してた通りかな。……世界一、優しそうなイケメンだと思ってたから」
俳優を目指して絞ったのが分かるような細い身体を、この学校の制服に包んでいる。
動画ではロングだった髪は、ショートウルフカットで爽やかになってる。
髪型も相まって、顔が掌より小さいんじゃないかと錯覚して見えちゃう。
この世の人間じゃないのではないかと思うぐらい、綺麗に整った顔、肌。
彼女の見た目なんて、正直どうでもよかった。
見た目なんて関係なく、会えただけで――泣く自信があった。
それでも……。声や心だけじゃなくて、見た目まで美しいなんてさ。
ずるいよ……。
「勝手に連絡を取れなくなって、本当にごめんなさい。想いを募らせることで、届かない距離だからこそ湧き上がる感情をエネルギーにしないと……。本気では、産まれ変われないと思ったの。約束を果たして会いたい。顔を合わせて会いたいって。絶対に克服するって、覚悟を決めたから……。ごめんなさい」
「……僕が聞きたいのは、謝る言葉じゃない。何度も、何度も……。通話や扉越しで言ったじゃん」
「そう、だったね。……ありがとう。お陰様で私、立ち上がれたよ。また夢に向けて、歩き出せたよ」
「うん……。うん」
吸い寄せられるように、お互い一歩一歩近付いてる。
桜の花びらが舞う中、妖精のような彼女から、何度も何度も聞いた声がするのが違和感だった。
でも――ネットの海にいた彼女の声が、現実のものとして一致していく。
少し手を伸ばせば触れられる距離に、顔も名前も分からないネットで会った――彼女がいる。
「私ね、この学校の新入学試験、受かったの。今日から七草兎先輩の、後輩になります」
「そう、なんだね。頑張ったね。本当に、よく頑張ったね……」
「七草兎さんの傍にいて恥ずかしくないように、オーディションも受けたよ。この春から、大阪と東京に事務所があるとこの、預かり所属になったの」
「それは、僕も早く追いつかないとだね」
君は、本当に凄いよ。
君の実力を考えれば、当然の位置に戻っただけかもしれない。
だけど……その実力を発揮するための根性と行動力は、僕以上かもしれない。
唯一の取り柄の根性と行動力で負けてられないな。
「パパが名古屋の会社に異動願いを出してくれたから。私、色んな人に支えられて……。今、こんなに幸せ」
それでいて、周りへの感謝も忘れないなんてさ……。
こんな子がいたら、眩しくて自分なんかってなるよね。
だけど僕は、彼女をいじめた子たちとは違う。
君と同じぐらい、輝いて自信を持てるように頑張るから。
君がおしえてくれた脚本家の道を、全力で駆け上る。
「改めて、聞かせてください。あの保留してる話、私から勝手に離れたけど……。まだ、有効ですか?」
「……無効だよ」
「……ぇ」
それはそうだろう。
だって、あの保留してた話は、さ。
「もう保留にしてる理由がないから、無効だよ。君が抱えてた問題は、もう解決したんだから、さ」
「ぁ……」
不安で揺らいでた彼女の瞳に――涙が滲んできた。
「そう言えば、僕たち……。まだ本名で自己紹介もしてなかったね」
「そう、だね。リアルでハンドルネーム呼びも、ね」
お互いに笑い合いながら、また一歩彼女との距離が縮まった。
「初めまして、春日晴翔です。一年間、大好きでした。今後も、ずっと大好きです」
「初めまして、白浜海音です。一年間、晴翔さんへの愛を隠してました。今後は、ずっと愛します」
どちらからともなく、僕たちの手が――繋がれた。
不思議な感覚だな。
出会ってから一年も経ってるのに、初めまして。
初めましてなのに、お互い愛の告白まで、さ。
不思議ではあるけど、幸せで胸が躍る。
この一年間、僕たちは想いを伝えられない距離感で……。
お互いに、遠距離恋愛をしてたんだね。
やっとリアルで縁が結ばれた君と、最高に笑い合える日々を紡ごう。
ネットで出会った男女の関係と聞くと、不純なことも想像する人がいるかもしれない。
僕たちの関係を学校の人たちが知れば、心ない言葉を投げられるかもしれない。
それも仕方がないと思う。
だけど純粋な想い同士が交わるもある。
それを一緒に証明していこう。
大好きな演者さんが、胸を張って僕を紹介できるように。
君と繋いだこの手を、結ばれた縁を、二度と離したくない。
彼女の隣にいて恥ずかしくないように、もっと頑張らないとな。
君が――海音さんがいてくれれば、何処まででも頑張れる気がする。
大好きな人の期待に応えられるよう、夢への道を一緒に走り続けよう――。
四月上旬。
今日は三年生一学期始業式の後、入学式だ。
「行ってきます」
「あら、今日はいつもより早く出るの?」
「うん。なんかさ、また春が……。一学期がくると思うと、ね」
「そう……。行ってらっしゃい」
彼女とネットで出会った――春がくる。
家にいると、あのときと同じように生声劇をやれば、波希マグロさんと出くわす妄想をしちゃう。
家にいても辛くなるなら、今の居場所――演劇部がある学校の方がいい。
早めに学校へ行き、部室を掃除してから新入生を迎えよう。
春の澄んだ空気、青空の下、駅へと向かう。
イヤホンを繋ぎ、かつて彼女と創ったボイスドラマ動画を流す。
今やプライベート公開にした動画。
彼女が新しい道を歩むとき、未熟なアマチュア時代の音声が残ると邪魔になるなら、と。
プレイベート公開にしたときは、僕のSNSは波希マグロさんを求める声で一時荒れたけど……。
それだけ、彼女の演技や声が多くの人を感情的にさせるぐらい素晴らしいものだと思えば、炎上も笑顔で受け入れられたなぁ……。
彼女と連絡がつかなくなって、もう三ヶ月以上。
今、君は何をしてるんだろうか。
まだ外へ出ようと、頑張り続けてるのかな。
この澄んだ青い空を、カーテンを開けて君も見てるかもしれない。
海のように拾いネットの世界で、新しい名前をつけて活動してるのかもしれない。
それとも、夢へ向かって問題も乗り越えたのかな。
今の僕には、彼女が何をしてるか分からないけど……。
大晦日、凪咲さんから動画付きでメッセージが送られてきたのを思い出す。
「頑張ってたな……」
マスクとフード付きコートを着込み、玄関扉を少し開けては吐き気を耐えるように口を押さえる女の子。その後ろ姿だけが撮られた動画。
メッセージには、『信じてあげて』とだけ書かれていた。
声も動画には入ってない。
それでも――吐き気に打ち克とうとしてる子が、波希マグロさんなんだと分かった。
「……君が乗り越えようと頑張ってくれた。それだけで、十分だ」
除夜の鐘の音が聞こえたから、あれは大晦日の夜に撮って、すぐに送ってきたんだと思う。
僕との関係を断ち切ったことが、愛する君を動かす力になれたなら……それで十分。
僕だって、彼女と出会って変われた。
今では演劇部で、意見を積極的に求められる。
台本を中心に、劇全体を見るぐらい、居場所がある。
夢へ通じる声優やイラストレーターに向けて頑張っては、才能のなさに打ちひしがれてた。
だけど遂に、全身全霊をかける脚本家という道を見つけられた。
全部、君との縁があったからだよ……。
ネットから繋がった切れやすく細い糸が、こんなにも僕を動かしてくれた。
進むべき道標になってくれて、僕は将来の夢へ迷いなく走れる。
僕との出会い、それが君をも前へ動き出す力になってくれたなら、それで十分だ。
恋人関係は上手くいかなかったけど……それは仕方ない。
電車と新幹線の線路、夜行バスで通った道路。
色々な道が、遠く離れた君に繋がっていたんだ。
やがて駅のホームに着き、学校へと向かう電車を待つ。
新幹線に乗らなくても、この電車の線路を乗り換えていけば……。
君の元へ、感謝の言葉を届けられるのかな?
高校生最後の学年がスタートするからだろうか。
そんなセンチメンタルなことを考えちゃうよ……。
未だに彼女を思い出して、自然と口元が緩むな。
そんな怪しい自分の姿が誰かに見られてないか、周りを見回す。
うん、大丈夫だったみたいだ。人は思う程、僕を見てない。
本来は交わることのなかった僕たちを繋いでくれたのは、何十億って人との縁がロープの繊維のように溢れるネットの世界だった。
そんな中から、たった一人君と縁を結び。
世界一、僕の鼓膜と心を揺らす声を伝えてくれた奇跡に感謝だ。
電車が駅に入ってきたとき――スマホの通知音が、聞いているボイスドラマの中に混じった。
世界一、好きな演技を邪魔された……。
少し嫌な気分でスマホを見て――思わずディスプレイを二度見する。
大晦日以来の……凪咲さんからのメッセージだ。
『妹への気持ちは、まだ私たちと初めて会った頃のまま?』
明けましておめでとうのメッセージすら、交わしてないのに……。突然どうした?
新年の挨拶すらしなかったのは、僕たち二人が、めでたくない気分だったからかもしれないけど。
もう連絡を取ることはないと思ってた凪咲さんから、突然……失恋の傷を抉られるとはね。
『変わらない。変わるわけないです』
未練がましいとは、自分でも思う。
分かってはいても、自分の気持ちに嘘をつきたくない。
両親からの教えだし、大好きな子も……。そう言ってたから。
引かれただろうなと思っていると、ポンとまた通知音が聞こえた。
凪咲さんとのメッセージ画面を見ると、何か貼り付けてメッセージがきていた。
これは……動画か?
仕方ない、ボイスドラマ動画は一回止めるか。
動き出した電車に揺られつつ、送られてきた動画を再生してディスプレイを覗き込む。
学校の中、かな?
物陰から、髪の長い女生徒の後ろ姿を撮ってる映像。
まるで波希マグロさんがいじめられてた動画の、再現みたいだ……。
『いた! おい、テメェ! どういうつもりだよ!?』
『マジでふざけないでよ!? 絶対、逃がさないからね!』
『よく学校来られたもんだなぁ!? アアっ!?』
これは……。
少し成長してるけど、彼女をいじめてた女の子たちだ。
ということは――この長い髪の子は、波希マグロさん?
いつの、いつの動画だ?
女の子たちが成長してるってことは……。
まさか、彼女は……また学校に行けたのか?
トラウマを、乗り越えたのか?
『逃げるわけないよ。私は、起こった事実を先生たちに伝えただけだから』
鼓膜から届く情報に――全身が震えた。
この電車は、雲の上を走ってるのか?
そう思うぐらい――波希マグロさんの声は、僕の身体に染み渡る……。
『そのせいで、私は預かりクビになったんだぞ!? 自分が何したか分かってんのか!?』
『全員、お前のせいで人生めちゃくちゃだよ! テメェ、学校辞めれば逃げられるとか思うなよ!?』
怒声が汚い。
ふざけるな、君たちが先にやったことだろう……。
波希マグロさんが事実を告発したとしても、自業自得だろうが!
『それは自業自得だね』
彼女と意見が一致した。
当たり前だ。
誰が見ても――
『――舐めてんじゃねぇぞよ、クソがぁっ!』
『いっ!』
「はぁっ!?」
殴られた!?
え、波希マグロさんが、グーで殴られて……転がった!?
何してやがるんだ、コイツら!
電車内なのに、思わず声が出るぐらい……信じられない。許せない!
『テメェはもう終わったんだよ! 元天才らしく、ネットで遊んで満足してろよボケ!』
『私らを巻き込まないでくれない!? 本当、あんた最悪だよ!』
『……これで、満足した?』
床に突っ伏したまま、彼女の悲痛な掠れ声が……。
もう、いいよ。
君は、よく頑張った。勇気を出して、三人に囲まれても言いたいことを言った。
だから、もう煽るようなことを言わないで。
君が殴られるところなんて、もう見たくない。
『こんなんで満足すると思うなよ!?』
『オラ! 寝てんじゃねぇ! ウチらの気が済むまで、付き合ってくれんだろ!?』
『うぐっ!』
横たわる彼女を、まるでサッカーボールでも蹴るみたいに……。
足の衝撃で跳ねて、ゴロゴロと床を転がる彼女を……黙って見てられない。
スマホを握り潰しそうだ。
こいつらを、殴り飛ばしてやりたい!
『チッ。……クソが。あの七草兎とかいうド下手と、大人しく遊んでればいいのによぉ!』
『……七草兎さんが、ド下手? ……今、そう言ったの?』
成されるがままだった波希マグロさんが、ゆっくりと身体を起こして……。
立ち上がるなり、一人の手首を掴んで壁に叩きつけた!?
『いってぇな! 何しやがんだテメェ!?』
『私の悪口は、いくらでも言っていい! 殴りたいなら好きなだけ殴ればいい! でも七草兎さんを、私の大好きなクリエイターを、悪く言わないで!』
『なんだ、惚れてんのか!? 底辺同士、お似合いだな!』
『離してあげなよ! 可哀想でしょ! あんなド下手を庇って、なんなの!?』
どの口が言うんだ……。
ふざけるのも、大概にしろ!
僕は何て言われても構わない。頼む……。もう、やめてくれ!
『離せって言ってんだろうが――……。ぇ?』
『テメェ、投げ飛ばしやがったな! もう許さねぇ! ぅ、ぐぼ……。ぉえ』
え? 腕を掴んでた人を、投げ飛ばした?
襲いかかってきた一人の子も、お腹から上に突き上げられて吹き飛んだんだけど……。
『こ、これ投げるよ!? 顔に一生者の傷――ぇ……。いたたっ! 痛い、離してよ! ごめん!』
物を投げ飛ばそうと振りかぶった最後の子にも、立ち関節技を極めてる……。
あっという間に……全員を?
『アクションの練習、足りてないんじゃないかな?』
か、格好いい。まさか、お父さん……。娘に格闘技、教えてないよね?
覚悟を決めた波希マグロさん。思ったより武闘派だったんだな。……父親の血、か。
関節技を極められてた子は腰が抜けたのか、ペタンと崩れ落ちた。
『七草兎さんとお似合いってのは、褒め言葉だよね? ありがとう』
いやいやいや、それは違うって。
絶対、褒め言葉じゃなかったよ?
僕みたいな、底辺クリエイターと同レベルに堕ちたなって、馬鹿にしてたんだよ……。
『てめぇ……。こんなことして、学校辞めても警察に行けば人生終わるぞ!?』
『そ、そうだ! 七草兎とかいうやつのアカウントも炎上させてやるかんな!』
『ネットであることないことばらまけば、すぐだからね!』
本当に、そうだから怖い。
冤罪をネットに流しても、嘘である証拠を出さないと炎上確実だから……。
まして三人に口裏を揃えて言われれば、中途半端に知名度のある僕のSNSアカウントは大炎上間違いなしだろう。
でも、それが起きなかったってことは……。
『――ねぇ。今の発言はさ……。ちょっと、許せないかな?』
『ひっ』
薄く笑ってるみたいな声だけど、ドスが利いてる……。
さ、さすがだ。声のバリュエーションが凄い。
『私に理不尽なことするだけならスクールとか劇団、学校に口で事実を伝えるだけにしようと思ってたけど……。七草兎さんに……。私の大好きなクリエイターに手を出すつもりなら、話が変わるね?』
『な、何をするつもりだよ?』
『今は内部だけの問題、噂で済んでるけどさ。これがネットに流出したら、すぐに拡散されちゃうね。もしネットのショート動画投稿サイトに投稿したら、あっという間に皆が知る事実になっちゃうよね』
彼女がかざしてるのは、スマホ?
流れてくる音声的に……波希マグロさんがイジメられてたときの動画か?
『なんで、その動画を持ってるんだよ!? 確認されてすぐ消したはずだろ! おい、そうだよな!?』
『う、うん。間違いなく、既読がついて、すぐ消した。あの一瞬で、保存されたの? そ、そんなの見せたら、いじめられてた子だって一生言われるよ!? やめときなよ!?』
『死なば諸共って言葉、知ってるかな? 私の未来も潰す覚悟はできてる。迷いなく、あなたたちも潰すけどね?』
いや、やめてよ。
そんな子たちのために、君の未来は潰すべきじゃない。
『大好きな人のためなら、どんな鬼にでもなれちゃうの。私の大好きな人に、二度と手を出すとか言わないで。謝って!』
『……す、すいませんでした。やりすぎました』
物を投げようとした子が、波希マグロさんに向かって頭を下げた。
『私に謝るんじゃない。貪欲に何でも学ぼうと努力する七草兎さんに、心から謝って。今、ここで!』
『て……テメェ。いくらなんでも、調子に――』
『――妹が退学届を出すから、その姿を記念にって記録してたのだけどね。とんでもない姿が偶然、映っちゃったわね~』
し、白々しい……。
凪咲さんの声、四人へ寄っていく画面。
こんなの、計算して撮ってたでしょうに。
『今のシーン、全部撮れちゃった』
『なっ、ぐっ!』
『春……七草兎さんのアカウントが炎上したら、反論が必要よね? 長い裁判、一緒に体験する?』
裁判で争い中なんてことになったら、どこの事務所も取ってくれないだろう。
ただでさえ、預かりをクビになった噂が内部で広がるかもなのに……。致命的だ。
『な、七草兎さん。すいませんでした』
『ごめんなさい』
『は、反省してます』
いや、スマホに向けて謝られても。というか、僕に謝るより波希マグロさんに謝れよ。
凪咲さんが僕に動画を送ったのって、この子たちの謝罪を見せるのが理由?
その後、いじめっ子たちは痛む身体を引きずって逃げ――。
『――もう、無理しすぎ! こんなの聞いてないよ!? 大丈夫!? あんな吹き飛ぶなんて……』
『身体に演技が染みついてたのかな? 殴られそうってなった瞬間ね。身体が勝手に、派手に吹き飛ぶように動いてた。ちょっと、嬉しいなぁ』
『馬鹿……。ケガしてる。せっかくの綺麗な顔が、腫れてるじゃない』
『うん……。演技じゃなくて、本当に殴られるのは初めてだった。いい経験になったよ。これでまたリアルな痛みの演技ができるようになった気がする。こんなにも、ジンジンと焼けるような感じなんだね』
波希マグロさんは、凪咲さんに抱きつきながら会話をしてる。
そんな波希マグロさんらしい言葉を最後に――動画が終わった。
波希マグロさんが殴られたシーンでは、心配とフラストレーションが溜まったけど……。
本当に、格好よかった。
まるで洋画に出てくる、アクション物の女性みたいだった。
波希マグロさんを理不尽に追いやって得た地位、事務所預かりがクビになったのも痛快だ。
何より、僕のことを大好きなクリエイターって言ってくれたのが――不謹慎だけど、嬉しい。
彼女は……僕なんかに関わってられない。さよならって、いなくなったわけじゃなかったんだな。
動画を撮ったのは、彼女が家を出られるようになってから。だから、少なくとも大晦日以降。
忘れられたわけじゃなかったんだ。君が立ち上がる切っ掛けのクリエイターになれたなら、思い出として覚えててもらえるなら……。僕は幸せだ。
凪咲さんに、お礼のメッセージをしないと。
『苦しんでいた問題を彼女が乗り越えられて、よかったです。ありがとうございました』
僕が送ったメッセージが、すぐに既読へなった。
何か返事がくるかと待っていると、友達紹介が送られてきた。
凪咲さんの友達を、僕に紹介?
紹介された人の登録された名前は――みお?
名前だけだと、分からない。
名字もない。
でも――このタイミング、凪咲さんからの友達紹介。
もしかして……。これは、もしかして!?
まさか、そんな……。
みおは――波希マグロさんの、アカウントか!?
いや、落ち着け。僕は彼女から『ばいばい』と告げられた。
これはきっと……お母さんとか、だろう。
でも、もしかしたら……。
震える指を動かし、友達追加を承認する。
トークルームを開くが、当然履歴には何もない。
僕から、何か送るべきなのか。でも、相手が誰かも確証がない。
そうこうしてるうちに、電車が目的の駅へ着いた。
危ない、考え込んで乗りすごすところだった。
人がまばらなホームに降りた瞬間、ポンッと通知の音が鼓膜に響いた。
ディスプレイに映る送信名は――みおさん。
届いたメッセージには
『遅くなって、ごめんなさい』
とだけ書いてあった。
まだ、まだ、誰か分からない。
誰なのか、知りたい。
勇気を出して聞け! 根性と行動力が、僕の取り柄だろう!
『もしかして波希マグロさんですか?』
『七草兎さん、お久しぶりです』
お母さんなら、お久しぶりなんて言わない。
そんなの――彼女しかいない!
『約束を守りにきました。先に待ってるね』
どういう、意味だ?
いや、そんなの……。
文面から分かる。
きました、先に待ってる。
どこで待ってる? そんなの――僕の行こうとしてた場所以外、ないだろう!
気がつけば、人がまばらな駅構内を走っていた。
階段を駆け上り、改札を抜け学校へと走る。
息切れなんて、今はどうでもいい!
肺が破れようと構わない!
今すぐ、彼女が待ってる場所に行きたい!
母さんと凪咲さんは、仲がいい。
僕が夜に話したことが、翌朝には伝わってるぐらいだ。
それなら、僕が登校するために家を出た時間が伝わっててもおかしくない。
彼女が、僕と交わした約束。
台本が尽きたとき、つまらない話と言って、彼女はいじめられた自分の過去を教えてくれた。
あの時の、『いつか私から会いに行けるように克服する。約束ね!』という言葉。
八王子にある家、扉を隔てた向こう側からの声が蘇ってくる!
忘れない、忘れるはずもない!
彼女は約束通り、外へ出られないのを克服したんだ。
それなら、残ってる約束は――。
「――はぁ、はぁ……」
桜吹雪が舞う校門。
学校の前まで着いたけど……誰も、いない。
僕の勘違い、だったのかな?
それは、そうか。
そう、だよな。
彼女が、僕の高校にいるわけがない。
だったら、家か何かで僕の帰りを待ってるのかもしれない。
いや、それすらも勘違いで――。
「――七草、兎さん?」
後ろから聞こえた鮮明な声に――脳髄から震えた。
電波によるラグもノイズもない。
扉に邪魔された声音でも、ない。
スッと耳に届く、この声は……。
「波希、マグロさん?」
心臓がドクドクと、うるさい。
身体が鼓動に合わせて揺れる。
少し振り返れば――顔も見たことのない彼女がいるんだ。
痺れたように感覚がない身体を、無理やりでも動かせ!
やっとのことで振り返ると――涙が、滲んでくる……。
「あの、私の顔……。予想と違ったかな? 想像より不細工、だった?」
忘れられない音の記憶が、これが初対面な女の子の口から――聞こえてくる。
「そんなわけ、ないじゃん。想像通り、いや……。想像できないぐらい、可愛いかった」
「七草兎さんは、想像してた通りかな。……世界一、優しそうなイケメンだと思ってたから」
俳優を目指して絞ったのが分かるような細い身体を、この学校の制服に包んでいる。
動画ではロングだった髪は、ショートウルフカットで爽やかになってる。
髪型も相まって、顔が掌より小さいんじゃないかと錯覚して見えちゃう。
この世の人間じゃないのではないかと思うぐらい、綺麗に整った顔、肌。
彼女の見た目なんて、正直どうでもよかった。
見た目なんて関係なく、会えただけで――泣く自信があった。
それでも……。声や心だけじゃなくて、見た目まで美しいなんてさ。
ずるいよ……。
「勝手に連絡を取れなくなって、本当にごめんなさい。想いを募らせることで、届かない距離だからこそ湧き上がる感情をエネルギーにしないと……。本気では、産まれ変われないと思ったの。約束を果たして会いたい。顔を合わせて会いたいって。絶対に克服するって、覚悟を決めたから……。ごめんなさい」
「……僕が聞きたいのは、謝る言葉じゃない。何度も、何度も……。通話や扉越しで言ったじゃん」
「そう、だったね。……ありがとう。お陰様で私、立ち上がれたよ。また夢に向けて、歩き出せたよ」
「うん……。うん」
吸い寄せられるように、お互い一歩一歩近付いてる。
桜の花びらが舞う中、妖精のような彼女から、何度も何度も聞いた声がするのが違和感だった。
でも――ネットの海にいた彼女の声が、現実のものとして一致していく。
少し手を伸ばせば触れられる距離に、顔も名前も分からないネットで会った――彼女がいる。
「私ね、この学校の新入学試験、受かったの。今日から七草兎先輩の、後輩になります」
「そう、なんだね。頑張ったね。本当に、よく頑張ったね……」
「七草兎さんの傍にいて恥ずかしくないように、オーディションも受けたよ。この春から、大阪と東京に事務所があるとこの、預かり所属になったの」
「それは、僕も早く追いつかないとだね」
君は、本当に凄いよ。
君の実力を考えれば、当然の位置に戻っただけかもしれない。
だけど……その実力を発揮するための根性と行動力は、僕以上かもしれない。
唯一の取り柄の根性と行動力で負けてられないな。
「パパが名古屋の会社に異動願いを出してくれたから。私、色んな人に支えられて……。今、こんなに幸せ」
それでいて、周りへの感謝も忘れないなんてさ……。
こんな子がいたら、眩しくて自分なんかってなるよね。
だけど僕は、彼女をいじめた子たちとは違う。
君と同じぐらい、輝いて自信を持てるように頑張るから。
君がおしえてくれた脚本家の道を、全力で駆け上る。
「改めて、聞かせてください。あの保留してる話、私から勝手に離れたけど……。まだ、有効ですか?」
「……無効だよ」
「……ぇ」
それはそうだろう。
だって、あの保留してた話は、さ。
「もう保留にしてる理由がないから、無効だよ。君が抱えてた問題は、もう解決したんだから、さ」
「ぁ……」
不安で揺らいでた彼女の瞳に――涙が滲んできた。
「そう言えば、僕たち……。まだ本名で自己紹介もしてなかったね」
「そう、だね。リアルでハンドルネーム呼びも、ね」
お互いに笑い合いながら、また一歩彼女との距離が縮まった。
「初めまして、春日晴翔です。一年間、大好きでした。今後も、ずっと大好きです」
「初めまして、白浜海音です。一年間、晴翔さんへの愛を隠してました。今後は、ずっと愛します」
どちらからともなく、僕たちの手が――繋がれた。
不思議な感覚だな。
出会ってから一年も経ってるのに、初めまして。
初めましてなのに、お互い愛の告白まで、さ。
不思議ではあるけど、幸せで胸が躍る。
この一年間、僕たちは想いを伝えられない距離感で……。
お互いに、遠距離恋愛をしてたんだね。
やっとリアルで縁が結ばれた君と、最高に笑い合える日々を紡ごう。
ネットで出会った男女の関係と聞くと、不純なことも想像する人がいるかもしれない。
僕たちの関係を学校の人たちが知れば、心ない言葉を投げられるかもしれない。
それも仕方がないと思う。
だけど純粋な想い同士が交わるもある。
それを一緒に証明していこう。
大好きな演者さんが、胸を張って僕を紹介できるように。
君と繋いだこの手を、結ばれた縁を、二度と離したくない。
彼女の隣にいて恥ずかしくないように、もっと頑張らないとな。
君が――海音さんがいてくれれば、何処まででも頑張れる気がする。
大好きな人の期待に応えられるよう、夢への道を一緒に走り続けよう――。