九月中旬。急速に朝と夜が冷え込み始めた。
 先輩たちの公演は、つつがなく終わった。
 涙を浮かべ「正式な引退は文化祭後だからな」と叫ぶ部長に釣られたのか、三年生の先輩たちも泣いてた。
 裏方に徹した僕の横を通りすぎるとき、「不完全燃焼だ」と悔しそうに告げた武内君の表情が忘れられない。
 多分、集中が足りなくて配役を取れなかった僕に向けた言葉じゃないと思う。
 武内君は、部長の書いた台本の人物造形に不満を抱いてたから。
 もっと掘り下げた人物の物語が演じたくて、悔しかったのかもしれない。
 台本を書くようになってから、演技者の抱くそんな感情の機微も分かるようになってきた。
 やること、やりたいことは山のようにある。
 イラストの有償依頼も安めの価格設定なだけあって、それなりには来る。
 バイトも増やして、交通費と返済代金を稼がなきゃいけない。
 両親との約束だから、成績だって下げるわけにはいかない。
 今の僕が、特に力を入れてるのは――。
「――ここの効果音、背景も考えると……。こっちの方がいいかな?」
『う~ん。どっちも違う気が……。あ、これなんかどう?』
「お、いいね! これなら自然だ。これにしよう!」
 動画制作。
 台本を書いて、読んで。イラストを描いて終わりじゃない。
 ボイスドラマを動画投稿サイトに上げるなら、効果音とかイラストが動くとか……。
 そんな動画編集技術もあった方がいい。
 幸い、効果音に関しては完全使用フリーの有名サイトがある。
 山のようにある音声ファイルを探し、画面共有で波希マグロさんと一緒に動画やイラストを仕上げていく。
 肝心のボイスは、今回は最後に組み込んで調整だ。
 一応、目安で仮に録音したボイスデータはあるけど――。
「――最近、リモートレッスンはどう?」
『うん、順調! 顔を見せられないって条件で困らせちゃったけど、よく教えてくれてるよ! 昔以上に、活力や間近の目標もあるしね! 負けない、見返すぞ~。いい演技、披露するぞって気持ち!』
「よかった」
 彼女は、部屋からでも可能なボイトレレッスンを再開した。
 これまでも自主練は続けてたらしいけど、やっぱりプロの先生が教えてくれるのは大きいらしい。
 凪咲さんからも『妹が活き活きしてる。パパも大喜び。今度来たら、美味しいお弁当作っておくからね』と喜びのメッセージが届いてた。
『七草兎さん、疲れてきてない? 声に張りがなくなってるような?』
「あぁ、ごめん。ちょっと声に張りがなかったかな? 緊張する場も最近、多かったからかな?」
『緊張する場って、舞台とか?』
「違うよ。……僕の両親に頼んで、その道のプロに時間をもらって取材というか。色々と教えてもらってたんだ」
 両親の伝手を頼って、色々と相談してた。
 相談相手や内容を話すと、彼女は嫌がるかもしれないけど……。
『そうなんだ。なんか格好いいね。身体に疲れはたまってくだろうから、無理はしないでね?』
「うん。ありがとう。……だけど、やりたいことは全力でやりたいからさ」
『……そんなこと言われたら、止められないじゃん。取材して、いいのが書けそう?』
「どう、だろう。……少し怖い、かな。挑戦というか、反応がさ」
 その後も、僕が濁してるからか、彼女は不思議そうに心配してくれた。
 今、早くも次の台本を書いてる。その内容が、吉と出るか凶と出るか……。
 まだまだ全てがこれからの段階だけど……。
 創作は、構想や過程すらも楽しいんだよなぁ。
 それが大好きな人との共同制作なら、なおさらだ――。
 それから数日。
 いよいよ、その時がきた。
 僕は自室で、パソコンを前に胸をバクバクさせてる。
「じゃあ……グループ限定公開を外して、SNSに告知するよ? いい?」
『うん、大丈夫! 楽しんでもらえる! 多分、きっと、おそらく……。うん!』
 大手動画投稿サイトに投稿していたボイスドラマ動画の公開を――一般公開にする。
 そうしてSNSに、動画へのリンクつきで告知を書き込む。
「ああ、どうなるんだろう! 波希マグロさんの声は最高で耳が幸せだったけど! 僕の台本やらイラストやら、動画編集が足を引っ張ってたら!」
『大丈夫だよ! 七草兎さんの書いた台本、イラスト、動画、全部私は繊細で大好きだったから! きっと観てくれる皆も、楽しんでくれるって!』
「うう……。ありがとう。君の声依頼用のHP、ちゃんと動いてる?」
『うん、動いてるよ! サンプルボイスとかも流れる! 依頼はまだ一件もないけど、こっからスタートだね!』
 それは、まだ依頼がなくても当然だろう。
 だって、どこにも宣伝をしてないんだからさ。
 このボイスドラマ動画の動画情報欄で宣伝した後、声劇アプリにもリンクを貼るらしいけど……。
 声劇アプリは、主に演じ手側の集いだからなぁ……。
 台本主さんは、色んな人に演じてほしいだろうし。
 僕のSNSアカウントのフォロワーは、イラストを見るのが好きな人とか、同人サークル関連の人がそこそこの人数いる。
 フォロワー数だって、春に比べたら段違いに増えた。
 彼女のアドバイスで夜に投稿したり、投稿時間を散らばせたのが良かったんだと思う。
『――あ! 更新押したら、再生回数が増えてる!』
「え!? 本当!? どうしよう、リンク踏んだだけで、すぐに戻ってたら……。もう!」
『今日はマイナス思考だね~。大丈夫、成功したら二人の力。最後まで見ないで帰っちゃったら、冒頭セリフで心を掴めなかった私のせい!』
「いやいや! それを言うなら成功したら二人のお陰! 視ずに帰っちゃったら、トップ画から魅力的じゃない僕のせい!」
 お互い、興奮してるのかな?
 なんか変なやり取りをしてる気がする。
『あれ、グッドボタン? これ、いいよってことだよね!?』
「え? あ、本当だ! リアクションがきた!」
『成功ってこと? そういうことかな!?』
「た、多分? コメントとか視聴回数の伸びとか、まだ分からないけど……。少なくとも、誰かがちゃんと観てくれてるんだと思う」
 更新を押す度に、視聴回数が増えていく。
 スマホでSNSも更新すると、いいねやコメントがついてる。『おめでとうございます』、『視にいきます』、『イラスト可愛い』など……。
 そこそこフォロワー数が増えてた下地は、ボイスドラマへ流れる導線として力になったみたいだ。
 伸び悩んでても、諦めずにイラストを描き続けてよかった……。
『こ、これは……。凄いね! あっという間に百再生を超えたのって、SNSでした告知のお陰だよね!? やっぱり、ずっと努力してきた七草兎さんのお陰だったね!』
「そ、そんなことは……。内容が、特にボイスドラマ動画なんだから。ボイスの……僕と声とは不釣り合いなまでに君の演技が魅力的だからだよ! ある意味、引き立て役になれてよかった!」
『もう、自分を卑下しないの! 気持ちが伝わってくる演技だって言ってるのに~。このボイスドラマ動画を出せたのは間違いなく、七草兎さんがいたからなんだよ?』
「そ、それを言うなら……。波希マグロさんと出会わなければ、何も始まらなかったよ」
 なんだこの会話、とは思うけど……。
 お互いのよかったところを褒め合いながら、ボイスドラマの反応を見つめる。
 そうして、一つ形にできた喜びと彼女の嬉しそうな声に包まれたまま、眠りに落ちた――。
 迎えた土曜日。
 僕は、また八王子にある彼女の家まで来た。
「動画、凄い伸びたね!」
『ね、ね! 台本も、すっごく反応いいコメントきてたよね、嬉しい! 私にも声の依頼がきたよ! 本当……こんな未来がくるなんて、想像もしてなかった』
「僕もだよ。……春、君と出会う前までは、ずっと裏方だけで。自信を持って進みたい道も見つけられずに、いつか燃え尽きてたと思う」
 彼女と繋がれた奇跡に、感謝しかない。
 彼女が未来を望む方向へ進む力になれたことに、喜びしかない。
「声依頼の料金は実質、アルバイトより安い報酬かもしれないけど……。大丈夫?」
『うん! こんな状態の私を求めてくれてる人がいるんだって。それだけで救われるから!』
「誰かに必要とされて求められるって、生きていくのに必要だよね」
『そう、本当にそう。……家から出られなくて、人と顔も合わせられなくて。今の私が存在してる意味とか、ずっと悩んでたの。でも……七草兎さんとか、依頼をくれる人に求められて、存在してていいんだなって思えた!』
 分かる、分かるよ。
 もしかしたら、僕が裏方でもいいから全力で尽くしてたのも、誰かに必要と思われたかったから、なのかもしれない……。
『何度も何度も動画を視たけどさ、やっぱりこの物語に出てくる女の子は強いね。虐げられても、不屈の精神と周りの助けで何度も立ち向かってさ……。本当、魅力的』
「波希マグロさんが、こういう自分になりたいって。そう憧れて、望んだ姿を書いたからね」
『……私、こんな強い子になれるかな?』
「どうだろね。でも君は間違いなく、演じられてた。この子に生きた魂を吹き込んでくれた。無責任に大丈夫だよとは言えない。それでも魂を吹き込む人が抜け殻なら、キャラは皆に支持されなかったと思うよ」
 台本やイラストに声と魂を吹き込むのは、演じ手だ。
 彼女の演技は、技術は勿論、迫真に迫る情感に溢れ大絶賛されてる。
 わずか一作品を公開しただけなのに、声依頼が何件も来るなんてさ。
 元々の彼女の人気、僕のフォロワーという下地があったにしても……。この反響は凄まじいよ。
 そんな彼女の魂が薄っぺらく空っぽなはずがない。強くなれる素養があるに決まってる。
『……今すぐにでもこの扉を開けて、七草兎さんの目を見てありがとうを伝えたい。……震えてドアノブが回せない自分を、認められないよ』
「急がなくてもいいよ。君が外に繋がる窓を開けたり、挑戦して玄関にまで行ってるのは聞いてるから。それに演技指導を受けるのも再開したじゃん? 粉々にされた心が、急速に戻るわけがないよ」
『……ありがとう。ねぇ、私の今の夢……。こんな情けない状態でも見てる夢、聞いてくれる?』
「うん。教えて?」
 彼女の夢、か。
 劇団とかスクールを出て、有名になってたくさんの人の心を動かす演技者になること、かな?
『いつか、ね。七草兎さんの書いた台本や脚本、絵や人物に魂を乗せて――プロとして演じてみたい』
 今でも僕が報酬を払えば……。プロと名乗れなくも、ない気がする。
 でも、そういうことじゃないんだろう。
『声だけは、こうして叶えてもらったけど、実写でも見せて恩返しをしたいな。君のお陰で立ち直ったよ、輝いてるよって。ゼロから君に手を引いてもらって、這い上がった後の、立派な姿を見せたい!』
 彼女は劇団や事務所に所属して、僕は企業に所属して依頼をもらうような、一線のプロになって。
 彼女が夢見てるのは、そういう姿だ。
 それは、ほとんどの人が挫折する困難な道。
 実力と運を兼ね備えた一握りの人しか辿り着けない場所だと思う。
「そうなるように、僕が頑張らないとね。今は独学でも、高校を卒業したらWスクールで脚本を学ぶ。波希マグロさんは、多少の出遅れなんて関係なく周囲を抜き去るって信じてるから」
『買いかぶりすぎだよ。だけど夢を目標にして、現実に変えるには……それぐらいの気持ちでいないとかもね! Wスクールでさ、身体と心を壊さないでね?』
 本気で僕の身体を心配してくれてる言葉だと分かる。
「気を付けるよ。それで次のボイスドラマ台本なんだけどさ、これどうかな?」
『え、もう書いたの!? 凄い!』
「まだ企画と、物語の設計図――プロット段階だよ。……君が嫌がる内容かもしれないから、無理なら無理って教えてね」
『待っててね、読み込ませてもらうから!』
 扉の下から吸いこまれていく台本原案を見て――はらはらとしていた。
 この台本は、決して面白くない。
 トラウマを乗り越えるために、どうしたらいいのか。
 保険の先生とか、医療知識がある色んな知り合いに相談して書いた物語だ。
『……これ、強い女の子じゃないんだね。むしろ、弱い?』
「そう見えるかもしれない。エンタメの物語には、向いてないのかも。テーマは、本当に辛かった、悲しかったんだって。そういう感情を大切にしながら自分を探す子、だからさ」
『……私に、訴えかけてるみたい』
「その通りだよ。君は自分に厳しいからさ、ネガティブな感情を抱えてるのを許さないじゃん?」
 一足跳びに、元通りの自分にならないとって気持ちが、声と行動から感じる。
 お医者さんも時間をかける必要があるって言ったらしいしさ。
 段階を踏んで、もう少し長い目で見てもいいんじゃないかな。
『そう、だね。今の自分が許せない。七草兎さんに顔を合わせてお礼も言えない自分が、情けなくて仕方がないよ……。信じてるのに、なんで身体が動いてくれないの~って……』
「気持ちは嬉しいけど、ネガティブな感情を持つのも人間じゃない? その感情を大切にしてるからこそ、ポジティブに強くステップする土台が固まって、回復に向かうのかもなって。勿論、君が嫌ならこれは破棄しよう?」
 自分を――情けない、こうあらなければと追い詰めるのは、かえって心を軋ませるらしい。
 まずは、そんな自分も認め、受け入れてあげることも必要な段階だと教わった。
 だけど……。
 本人がやりたいと思えない時の無理強いは、よくないからね。
『……やる、やりたい』
 君の抱えた問題を一緒に共有して、解決に向かって努力をしたい。
『この役に入り込んで自分を同一化したら、また何かが変わる気がする!』
 君が心から楽しむ声を、鼓膜から心を揺らす演技を――僕は世に届けたい。
『七草兎さんの思いやりに応えたい。今の自分を変えられる可能性があるなら、私は君を信じてなんでもするよ!』
 そのためなら僕は、君が立ち上がれるように全力を尽くすから。
「よし! じゃあ書くよ! リアルタイムで画面共有するからさ、読んでくれると助かる」
『うん! セリフのイメージがつきやすいように、心を込めて読むね!』
 僕たちは、顔も合わせないオフ会を繰り返す。
 一緒に創作して、好きとも伝えられない制約の中で、想いを創作物に込め続ける――。
 週明け。
 演劇部では、部長など一部が集まっていた。
「文化祭まで二ヶ月だけど、次の演題はどうしよっか」
「う~ん。部長も受験の雲行き、怪しいしなぁ……」
「うっせ。……まぁ俺が書き下ろすか、それとも既にある台本をやるか、だろうな」
 部長や副部長。
 これまでメイン級を担ってきた人たちが頭を悩ませてた。
 未だに発声やら滑舌の基礎練習をしてたけど……。
 勇気、出してみるか!
 彼女が現状を変えようと頑張ってる中、僕は悔しい現実をそのままにしておきたくない。
 ネットの世界だけに留まって、踏み出すのを恐れるな。
 リアルでも挑戦をしろ!
「――部長! 僕に台本を書かせてくれませんか!?」
「……え? 春日、お前、台本書けんのか?」
 まさか、僕が口を出してくるとは思わなかったんだろう。
 皆がポカンとしてる。
「じゅ、十分に書けるかは分からないですけど。一応、こういう台本を書いてます!」
 焦りながら、スマホで自分が投稿したボイスドラマ動画を再生する。
「……へぇ。結構、再生されてるのな。反応もいい」
「女の子、演技うまぁ……。春日君の演技は、まぁ置いとこう。今は物語が大切だもんね。うん!」
 置いておかれた。
 相変わらず演技が下手くそな自覚はあるから、仕方がない。仕方がないから!
 やがてボイスドラマ動画も終盤に差し掛かり、物語の全容が見えてきた。
「……いいんじゃないっすかね。晴翔にやらせても」
 武内君が真剣な表情で意見してくれる。
「この物語、面白いです。人物情景も浮かんでくるし、繊細っすよ」
「……俺が苦手なとこだな。まぁ、そこは俺より確実に優れてるのは認める」
「それに部長とか先輩方が引退したら、結局誰が台本を書くんだって話になりますよね?」
「確かに、な……。演者は一年も含めてそれなりに粒が揃ってるが、台本と演出がな……」
 部長も一理あると思ったのか。腕を組んで武内君の意見について考えてるようだ。
「挑戦して失敗した時には、部内公演で使った本を文化祭でやればいいじゃないっすか」
「それなら、時間をかけることなくいけるか。……失敗も必要な経験、か」
「腐らずに何ごとも一生懸命だった晴翔なら、面白いことになるんじゃないかなって」
「そうだね~。春日君、この二年間ずっと裏方で皆を助けてくれてたしさ。カバー案もあるなら、挑戦する機会をあげたいな?」
 前に道具作りのサポートをした女性の先輩も、同意をしてくれた。
 そう言ってもらえるのは、ありがたいな……。
 演劇台本なんて初めてだから、失敗はするかもしれない。
 それでもカバー案を含めて、存在を認めて何かを任されるのは――嬉しい。
 本当に――いるのか、いないのか。
 自分が部に必要か、必要じゃないのか。
 そんな悩みを抱えてたのに……。
 部屋にこもって出られなくなってる波希マグロさんも今、演劇部で居心地悪く過ごしてる僕と似た気持ちなのかもしれない。
 それなら――なおさら、僕だって現状を変える挑戦をしないと!
 僕は身長が高いから……まるで見下ろすようにお願いしてるのも、よくないか?
「部長、失敗するかもしれません! カバー案に頼るかもしれません! それでも、挑戦する機会だけでも、もらませんか!?」
 頭を下げてお願いする僕の肩に、ポンと手が置かれる感触がした。
「……分かった。下が挑戦するなら、上が信じてやらないとな。まぁ受験勉強で、ほとんど顔は出せないが……。思い切って、やってみろ!」
「あ、ありがとうございます!」
「台本が書けたら、皆にも意見を聞く。早めに頼むぞ」
「はい! 頑張ります!」
 やった、やった!
 リアルでも――便利屋としての利用価値だけじゃない。
 自分のやりたいことが夢に繋がって……。
 ここに居ていいと思える場所に、変える一歩を踏み出せたのかもしれない!
「武内君! ありがとう!」
「……晴翔。スタートラインに立っただけだかんな。折れんなよ?」
 それだけ言って、武内君は練習へ向かってしまった。
 途中で投げ出すなって、ことかな?
 前回は中途半端な挑戦になっちゃったから……。
 でも今回は、心強い味方がいる。
 彼女とやる声劇の台本は、長い夜行バスの移動時間で書けてる。
 イラストやアルバイトのスケジュールを組み直して、波希マグロさんにも相談しながら演劇台本に挑戦してみよう!
 失敗を恐れて何もしないより、転ぶ度に助け合って進む方が絶対にいいんだから――。
 アルバイトを終え家に帰ってから、波希マグロさんと通話を繋いだ。
『――演劇台本!? うわぁ、私は書いたことないけど、楽しそうだね!』
「楽しい挑戦だけど、声劇と違って人数が多くてね。違いも色々とあるだろうし……。裏方ばっかりじゃなくて、ちょい役でも早くから挑戦して実体験を積んでおくべきだったなぁ~」
『う~ん。それこそ、今さらだね。私は未熟な演じ手だから、人物的なところだけなら力になれると思うけど……』
 演じ手と書き手じゃあ、全く違うよな。
 自分の挑戦なんだから、彼女に頼るを超えて――依存はダメだ。
 優秀な演者に台本をチェックしてもらえるぐらいで丁度いい。
「それだけでも助かるよ。元劇団所属、頼りにしてる」
『全力を尽くします! あ、もらった台本の声データ、送るね』
「早いね、さすが。僕の録音と動画とかイラストは、演劇台本を優先してやるから。ほんのちょっと、待っててね。仮眠生活で頑張って進めるから、具体的なスケジュールは――」
『――ちゃんと寝て! 動画の方は急がなくていいから!』
 冗談じゃなく怒られた。
 僕の立てたスケジュールは、動画作成に関わるものが後ろ通しになり……。
 結果、睡眠の時間が大幅に増えた。
 怒るぐらい僕の身体を心配してくれるのは、ありがたい。
 その後、部員の数や過去の配役数を参考に台本のプロットを立て、本文を書き……。
『わ、私は……。ただの、無名な音楽家ですから』
『ちょっと! いつまでこんなところに閉じ込めてる気!? もう付き合ってられないわ!』
『お母さん……。僕たち、帰れないの?』
『あ、待って! これ、おかしくない? なんでここに、あの人の持ち物が落ちてるの?』
 彼女が演じられそうなものは、実際に演じてもらって微調整をした。
 波希マグロさん、どれだけ演技の幅があるんだ。
 さすがに、一日では書き終わらない。
 しかしたった四日で、台本の初稿が完成した。
 文化祭での上演時間は、四十五分から五十分程度。
 おおよそ二万文字の台本だ。
 演劇用のト書きなんて初めてだったにしては、かなり早く書けたんじゃないだろうか?
 手探りではあるけど、これを提出して部内で話合おう――。
「――おお、面白い台本じゃん!」
「うん。いいね、感情の流れもスッと入ってくる」
「序盤の謎かけもフック効いてて面白い。盛り上がり場面もハッキリしてるし。古い洋館で事件に巻き込まれ、脱出できなくなる。ありがちだけど、面白いよ」
 迎えた金曜日。
 僕が持ち込んだ台本を人数分印刷し、演劇部のミーティングが開催された。
 演じ手の評価は凄くいい。
 だけど暗い顔……。いや、悩ましい顔をしてる人たちもいる。
「あの……。僕の台本、面白くないですか?」
 恐る恐る聞いてみる。
 僕の魂を削って創った創作物だけど……。
 結局、皆で魂を込めて創り、舞台で披露する作品だ。
 批難を恐れて、自己満足にしちゃいけない。
「いや、う~ん……。話は面白いし山場もいいけど、実現するには……ね。想像してみたけど、セット入れ替えに使う間が空きすぎじゃない?」
「これだと、裏方がどう動けばいいか浮かばないです。スタッフの動きとか、シーン入れ替えの順番とか。調整しないとかなって……。勿論、お話は面白いと思いますけど!」
「美術スタッフとかの動きも考えてほしいな。春日君なら、その辺も分かると思うんだけど……」
「血塗れで倒れてる被害者を発見するか~。いいんだけど、文化祭のステージ照明だと、さ。観客には照明が灯った瞬間、丸見えだよ? 服装も血塗れに着替えるなら、テンポがなぁ……」
 僕の素案として持ち込んだ台本を手に、裏方メインの人たちが意見をくれる。
 その一つ一つが、僕にとっては盲点で……。
 裏方仕事に徹してた僕は、そこにも配慮して台本作りをしないとダメだったのに。
 全然……気がついてなかった。
 声劇と演劇の台本じゃ、全然異なるものなんだって……。
「でも、ボツにするのは勿体なくないっすか? 皆が言うように、内容は面白いんで。……実現できるように、大幅修正の方向性ついて話し合いません?」
 武内君が手を上げ、意見をくれた。
 僕は……彼の期待に、応えられてるのかな?
 いや、話は面白いと言ってくれてるんだ。
 劇に熱い武内君なら、ダメならもっと怒りを顕わにするはず。
 こういう作品を向上させるための、建設的な意見は助かる。やってやろうって気になる。
「……春日。俺も、この台本は面白いとは思う。ボツにするには勿体ない。だが裏方も含めた動きを入れたら、一時間は余裕で超えるしテンポも落ちる。裏方の動きも踏まえて、週明けまでに修正できるか? できないなら、俺がイジるが」
「いえ、やってみます! やらせてください!」
「……そうか。初めて書いた本をこれだけ皆から、あれこれ言われたら心が折れてるかと思ったが……。お前は強いな」
 僕が、強い?
 違う。作品を、劇をよくしようと伝わる意見なら――心は折れない。
 本当に強いのは、作品と関係ないところで心をぐちゃぐちゃにされても……。立ち上がろうとする心を持ち続けられる人のことだ。
「こんなところで折れてられません! 部長。せっかくチャンスをくれたのに、すいませんでした!」
「気にするな。一発で台本が通るわけがないんだ。俺だって、未だに何度もコイツらからボロクソ言われるんだからよ」
「え、部長でも、ですか?」
「ああ。創作家なんて、皆そんなもんだ」
 そうなのか。
 それなら――この苦しい体験も、将来脚本家になることへ繋がる晴らしい経験ってことだな。だとすれば、今は辛く感じていた言葉すらも、ありがたく思える。
「……念のため、俺の方でも修正台本を書いてはおく。――だから、挑戦してみろ。来週頭、二校をくれ。皆も二校を見てから、改めて細かい動きの修正と確認をする。それでいいな!?」
 部長の言葉に、皆が頷いてくれる。
 とにかく、ボツにならなくてよかった――。
 家に帰ってから、そして夜行バスの移動時間。
 ひたすらに自分で頭を悩ませ修正案を考えた。
 しかし、どうにもセットや衣装チェンジなど……。
 流れるようにスムーズな舞台が想像つかない。
「チャレンジはしてみたんだけどさ……。上手く行かないなぁ。僕は長いこと裏方に徹してたはずなのにね。全然イメージできないとか、観察が足りなかったのかなぁ」
 一枚の扉越しに、彼女へ相談を持ちかける。
 通話やメッセージでも触りは話したけど、詳しくは直接話したかった。
 やっぱりラグがない距離で話した方が、誤解なく伝わりやすいと思うから。
『つまり、イメージができないのが原因だよね?』
「うん。……多分? 実際に上演してから問題が浮き彫りになっても、遅いけど――」
『――シーン一から、実際にやっていこう?』
「……え?」
 薄い戸越しに聞こえた声なのに、ハッキリと聞き取れたのに……。
 何を言ってるのか、理解できなかった。
『私、台本はもう読み込んであるからさ。全部の役を演じるから。男性役の声は違和感凄いかもだけど……。シーンの入れ替えも含めて、舞台を脳内でイメージしてみてね?』
 そういう、ことか。
 彼女が実際に全ての役を演じてくれて……。
 それを僕が脳内でイメージする。
 なるほど。音読するとセリフの違和感が見つかるのと同じ。
 実際に上演するわけにはいかないけど……。
 舞台をイメージして演じてみれば、今の台本で無理があるところが分かるってことか。
 そんな大変なことを、やってくれるなんて、さすがに……。
『声劇じゃなくて、身振りを交えた演劇ぃ……。久し振りで、楽しみすぎて、私おかしくなりそう!』
 あ、嬉しそうな可愛い声。
 それなら……いっか。
 僕はそっと目を閉じ、脳内で舞台を想像する。
 床が軋み、足音……呼吸音すら、聞こえてくる。
『突然の大雨なんて聞いてないぞ! せっかくの気分転換が台無しだ!』
『天気予報には山の天気も追加してほしいですよね!』
 雨にうたれる男女が……探偵をしてる男女の様子が、脳内にはっきりと浮かんできた。
 顔も見たことない彼女の姿が、イメージできる。
 鼓膜越しに聞こえた音声情報が、脳で勝手に映像化されていく。
『そんな予測しにくいもの誰が――……。おい、あれ……。お前にも見えるか?』
『え、あ! 家がある? やった、雨宿り――』
『――ちょっと待て!』
『いたた! 先生、髪を引っ張らないで! もう、何をするんですか!?』
 無邪気に走りだす探偵助手の女性。
 そして森深い山に突然見えた洋館に違和感を感じた探偵が、長い髪を引いて止める。
 そのやり取りが、脳内で鮮明に動いてる。
 背景、舞台も一緒に……。世界が、構築されていく。
 目に浮かぶ……。物音、一挙手一投足、そこに何があるのかまで……。
 何てリアルな……演技なんだ。
 そうして劇が進んでいき、どんどんと問題点が浮き彫りになった。
「……ありがとう。脳内に浮かぶ、素晴らしい劇だった」
『はぁ、はぁ……。ありがと! 一人で一時間近く演じるの、大変だけど楽しいね! どう、何か分かった!?』
「うん。お陰様で! ト書きってさ、セリフの連続だから一見、声劇と一緒じゃない? でも舞台が頻繁に切り替わると、セットも変えなきゃいけない。ソファーや椅子、机一つでもそう」
『うん、そうだね。私も演じてて、そこにある前提でやったけどさ。廊下から部屋一つ移動するだけでも違うね! 裏方とか舞台を意識したら、部員さんたちの意見も確かにってなった!』
 その通りだ。
 廊下で会話して、事件が起きた部屋に入り驚く。
 声とかイラストで表現して映すのは容易でも、舞台なら丸見え。
 見せる相手の観客からしたら、何も衝撃がない。舞台上と下で温度差がありすぎるな。
「君のお陰でセットすべきものとか、無理にシーンを変えなくても繋げられる場面やセットとか。あと衝撃的なシーンの演出だとか……。うん、調整できそう! 直したいところが、どんどん浮かんできた!」
『よかった~。私も、未来の大脚本家様のお役に立てたかな!』
 大脚本家になんて、なれる気がしない。
 だけど、脚本家にも色々とある。
 アニメーションの脚本、今みたいに舞台の脚本やドラマなど。
 色々と体験して、違いが分かるのは大きい。
 彼女への恩が、また増えたなぁ。
 八王子市から春日井市への帰りのバス。
 そして日曜日を費やして修正をして、月曜日を迎えた――。
「――全員、読んだか? ……よし。意見があるやつは、手を上げろ」
 部長が促すと、まばらに手が上がった。
 まだ、ダメか……。
「演出とかのサポート、誰が入るんですか?」
「俺が入る。さすがに、全てを任せるには早い」
「それなら、私はオッケーです」
 え、オッケーもらえた?
 その後も、細々とした……。誰が、どこをどうサポートして、進行していくか。
 そんな話が続いた。
「あ、あの! 台本は、これでいいんですか!?」
 たまらず僕が尋ねると
「おう、よく直したな。大したもんだ」
 柔らかい笑みで、部長はそう返してくれた。
「部長……。本当、ですか?」
「あ? 皆の反応を見れば、分かるだろ」
「春日君、頑張ったね! でも気を抜いちゃダメだよ。今後、演出とか全てを含め、何回も修正を繰り返していくんだからね!」
「春日先輩! これ、いいですよ、俺、演じたくて身体が疼きます!」
 裏方で一緒に作業をした女性の先輩や、入部間もなくから僕に話しかけてくれた後輩が声をかけてくれる。
 僕……認められたのか。リアルにも居場所を、見つけられたのか? 本当に?
「晴翔。よかったな。やっと報われたじゃねぇか」
「武内君……。これは、僕だけで書いた台本じゃないんだ……」
「は? 権利関係が発生してんのか?」
「いや、そういう意味じゃなくて。僕に教えてくれる人がいたから、書けた台本で……」
 これは、僕だけでは絶対に書けなかった。
 荒削りでも、皆が認めてくれるような台本が書けたのは……波希マグロさんがいたからだ。
 彼女と出会い、脚本家の道を見つけ、彼女が実際に演じてくれたからだ。
 僕一人のままでは、何もできなかった。
「そんなん当たり前だろ。劇と同じだ。台本だって、いい劇を披露したい皆で創り上げてくもんだろ。……断っておくが、いい劇を披露するためなら、俺も遠慮なく意見するからな!」
 少し嬉しそうな笑みで言う武内君の言葉に、目がジンと熱くなる。
 思えば武内君は、僕がもらえないはずの台本をもらったり。諦めずに足掻き続ける僕を見てくれてた。チャンスをくれた。……感謝しないと。
「ネットで、世界一好きな演技に会って。僕は変えてもらえたんだよ……」
「……は? ネットで会った人間の演技が、世界一だと? ……気持ち悪ぃな。そんなん出会い目的って奴だろうが。相手も所詮、ネットの中で粋がってる存在だろ?」
 その言葉を、僕は一瞬――理解できなかった。
「あいつだろ、例の晴翔が創った動画の相手。……確かに、声の演技は上手かった。それは認める。だけど表舞台に立てるわけでも、事務所に所属できる実力も根性もないんだろ。だから、ネットで活動して満足してんだろうが」
 好き勝手に、彼女のことを……。
 いや、落ち着け。武内君は、彼女のことを声だけでしか知らないんだから。
「いや……あのさ、彼女も色々あるみたいだから」
「波希マグロだったよな? なんだよ、その名前。本名は、芸名は? 俺はメジャー作からマイナー作の名もない役まで相当チェックしてる。だがな、あんな演技者が出演してるのは、見たことも聞いたこともねぇよ」
 これ以上、彼女を悪く言うな。
「もう、やめてよ」
「そんな程度で満足して、偉そうに人へ教えてるようなやつの演技が俺より上? 声の演技も中々だが、口はもっと上手いみたいだな」
 僕のことは、何と言われようと構わない。
 だけど……彼女は、僕みたいな半端物とは違う。本物の演者で、人格者なんだよ!
「……やめて」
「なんで、やめる必要がある。波希マグロとかいう奴がネットで粋がってるのは事実だろ。否定したいなら、そいつの出演実績やら経歴を――」
「――やめろって言ってるだろ! 彼女を馬鹿にするな!」
「いっつ……! 何しやがんだ晴翔!」
 気がついた時には、武内君の胸ぐらを掴んでた。
 頭の中が、今まで感じたこともない程の怒りで染まってる!
「僕のことはいくらでも馬鹿にしていい! 僕の演技が下手で、台本もまだまだなのは事実だ! それでも彼女は違う! 未熟なクリエイターの僕は無駄に魂を削ってるだけかもしれない。でも彼女は、彼女は削った魂を声音にして世に届ける本物だ! 訂正しろ! 彼女を、波希マグロさんを馬鹿にした言葉を訂正しろ!」
「何キレてんだよ、クソが! ネットで出会った女のためにキレるとか、正気か晴翔!? どうせ下心だろ!」
「どんな出会い方だろうと切っ掛けがどんな繋がり方だろうと関係ない! 本気で好きになる人だったから、好きになったんだ! 好きな人を馬鹿にされて怒らないわけないだろ!」
 彼女のことを何も知らないクセに!
 知らないなら人を貶めるな。誰であろうと――そんなことは許されない!
「武内君にとっては海ほど広いネットに溢れる一人かもしれない。でも僕にとっては、この世でたった一人の相手なんだよ! そんな大切な子を馬鹿にされて怒らないわけないだろ!」
 ああ、怒りで唇が震える……。
 僕の大好きな演者を、憧れで大恩ある彼女を馬鹿にされたのが――許せない!
「おい、春日! 落ち着け! 手を離せ!」
「先輩、ここでキレるのはまずいですよ! 一回離れて落ち着いて!」
「武内君も、謝りな! ごめん、皆! ミーティングは一回中止! 各々で練習してて!」
 呆然としてる武内君から引き剥がされ、僕は抑え着けられながら廊下へと連れ出された。
 怒りに沸騰してた脳が落ち着いてくると、自然と首が垂れてくる。
 やってしまった……。
 耐えきれず、初めて揉めごとを起こしてしまった……。
 喧嘩なんて、初めてだ……。怒りが収まると、自己嫌悪が……。
「……春日、すまん。武内には俺が話す。今日は一回、帰ろう」
「……部長、すいませんでした」
 僕の荷物を持ってきてくれた部長に謝ってから、学校を出る。
 少し公園で頭を冷やそう。
 これで僕は、演劇部から強制退部処分になるかもしれない。
 彼女のお陰で、やっとできそうだったリアルの居場所を……失うだろう。
 黄昏ながら考えても、彼女のために怒ったことを謝る気にはなれない。
 怒り方と場所が悪かったとは思うけど……。
 僕は……まだ子供。大人になれてないって、ことなんだろうな……。
 暗い気分のまま、はぁと一息吐いてからアルバイトへ向かった――。
 アルバイトを終えて帰って夕食を食べてると、母さんが不自然ほどに僕に視線を向けてくる。
「……何?」
「なんかあったでしょ? 顔に書いてあるよ」
 顔に書いた覚えはない。
 でも、目は口ほどに物を言うとも聞く。
 母さんには、隠してもムダだよな……。異常に鋭いから。
 僕は、正直に全てを話した。
 彼女のお陰で台本を書けたこと、部活で一時は認められたけど、彼女を侮辱されてキレて……。
 全てを台無しにしてしまったこと。
 一通り、僕の話を聞き終えると――。
「――よくやった!」
「……は?」
 満面の笑みで褒める母さんの言葉で、呆気に取られた。
「自分を守るために、すぐ周囲に当たり散らすやつはダメだ。でもね、好きな人のために怒るのは正しいよ。たまに暑苦しいけど、自分の意見より他人の意見。見事に都合のいい男だったあんたがね……」
 感慨深そうに言う母さんの言葉が、分かるようで分からない。
 もっと怒られると思ってた。
 短気になってるんじゃないよって……。
「本当のいい男に、成長したじゃない」
 まさか、こんなに手放しで褒められるなんて、予想外だ。
 こんな嬉しそうな母さん、久し振りにみたかもしれない。
 何が何だか分からないまま、僕は自室へ向かう。
 イラスト用の液タブを起動し、波希マグロさんとの作業通話を繋いだ。
「……もしもし? 聞こえる?」
『うん、聞こえるよ! 画面も共有できてる。今日も学校にバイト、お疲れ様!』
「ありがと。そっちも、お疲れ様」
『……ねぇ。何かあった?』
 どくんと、胸が跳ねた。
 え、これ! ビデオ通話になってないよね?
 母さん曰く、何かあったと書いてある顔は……彼女に見られてないはずなのに、何で?
『やっぱり。何か、あったんだね? 声で分かるよ』
 声優や舞台俳優を目指してる彼女の観察力にかかれば、顔を見なくても声で分かってしまうのか。
 隠しごとができないなぁ。
 でも、まさか喧嘩の理由を馬鹿正直に言うわけにはいかないし……。
「……演劇部で、ちょっと喧嘩して、ね」
『あの台本、ダメだった? 七草兎さんが喧嘩する程、ボロボロに言われたの?』
「ううん、違うよ……。拘りとかプライドのあるクリエイター同士が、譲れない部分で喧嘩するのって、よくあるでしょ? あんな感じだよ」
『……本当に?』
 嘘はついてない。
 自分の惚れ込んだ演者が貶されるのが、クリエイターとして許せなかった部分もあるんだから。
「うん」
『……そっか。じゃあ、これ以上は聞かないでおくね』
 納得してる声には、聞こえなかった。
 多分、僕の追求してほしくないという感情を察してくれたんだろう。
 その夜は、お互いにどこか歯切れの悪いままに、寝落ちするまで通話を繋いだ――。
 翌朝。
 学校へと向かう道中、スマホにが通知で振動した。
「え、凪咲さん?」
 メッセージを送信してきた相手は、波希マグロさんの姉。白浜凪咲さんだった。
 駅のホーム、電車を待つ間にメッセージを開いてみる。
『妹から朝、相談されたよ。晴翔君が何か隠してるみたいで、無理してるんじゃないか心配だってさ』
 なるほど。
 家族仲がいいみたいで、よかった。……でも、心配をかけちゃったか。
 一度ついた誤魔化しを引っ込めるわけにもいかないしな……。
『何もないですよ。プライドとかこだわりとか、大切なもので喧嘩しただけです』
 そう返信を送る。
 スマホをポケットにしまおうとすると、すぐに凪咲さんから返信がきた。
『まぁ晴翔君のお母さんが誇らしげに夜、電話くれたからさ。私はもう全部知ってたんだけどね!』
「だったら何で一回聞いた?」
 僕を泳がせて楽しんでたでしょ? 絶対そうでしょ。
 隠してた僕、めっちゃダサいじゃん……。
 電車が止まる音が響く中で、思わず口に出して突っ込んじゃったじゃないか。恥ずかしい。
 周りから、変な目で見られてないよね?
 周囲を確認してから、電車へと乗った。
『パパも根性がある坊主だってニコニコで褒めてたよ。妹のために、ありがとね!』
 保護者同士の繋がりって怖いなぁ……。
 ネット社会だと、井戸端会議のように近所で話が広まるだけじゃ済まない。
 どこからどこへ話が漏れるか分からない――。
 昼休み。
 僕は教室までやってきた部長に連れ出され、演劇部の部室へと向かった。
 昨日のことで沙汰がくだされるか、説教をされるか……。
 覚悟を決めて部室への扉を開くと――
「――晴翔、すまなかった!」
 綺麗に腰を九十度折った武内君が、扉を開けるなり部室の中から謝ってきた。
 え、何コレ……。
 驚きすぎて、思わず閉めちゃったんだけど。
 扉の前から後ずさり、廊下へ下がろうとするけど……。
 部長が背中を押し、無理やり部室内へ入れられた。
 逃げ場が、ない!
「え、あの……。どうしたの? 昨日は、あんなだったのに……」
「昨日は、すまん。……言い訳だが、悔しくて感情的になっちまった」
「……悔しくて?」
「声だけでも、演技者として波希マグロって人に負けてると自覚したのもあるが……。何より、あれだけの演技力がある人間が、表舞台じゃなくネットの世界で燻り続けてる現状が悔しかったんだ。だから、熱くなって思ってもないことまで口走って……。本当に、すまなかった」
 改めて、武内君は深々と頭を下げてくる。
 いや、あの……。これ、どうすればいいの!?
 波希マグロさんのことだから、僕が許すっていうのも変だし!
「……春日。武内もな、過去に劇団で揉めたらしいんだよ。だから業界の理不尽とか、実力以外のもので評価されるのが嫌なんだと。……せっかく、いい台本もできたんだ。揉めたままで劇が失敗なんて、俺も嫌だ。許すのは無理でも、反省してるのを受け入れてやってくれないか? 劇を成功させるためにも、よ」
「わ、分かりました! 協力して劇を成功させたいのは僕も一緒です! だからもう頭を上げて!」
 お弁当をゆっくりと食べる時間がなくなる程、謝られ続けたけど……。
 いい劇を観客に披露したいって共通の目標のため、サポートをお願いしてやっと、武内君は頭を上げてくれた。
 その放課後から、上演に向けた準備のスタートを無事に切れた。
 ほっとした様子の部員たちが協力してくれて、僕はいつもと違う作業……。
 今まで全く違う立ち位置にいながらも、皆と協力しながら準備を進めていった――。
『――順調そうだね。いやぁ……。私のせいで七草兎さんが居場所をなくしたら、どうしようかと思っちゃったよ~』
 少し嬉しそうなのは、準備が順調だからだよね?
 凪咲さんから、変なこと言われてないだろうな……。
「心配かけてごめん。来月の文化祭公演は、きっと上手くいくと思う。……それぐらい、皆が協力してくれてるからさ」
『うんうん、本当によかった! 本当は、私もその演劇を生で見たかったなぁ……。そこは残念!』
「それは、また来年とか……さ。今、焦っても仕方ないよ。――あっ。二本目のボイスドラマ動画の再生数、見た?」
 文化祭公演まで残り一ヶ月に迫った十月の下旬。
 やっと彼女と創る二本目のボイスドラマ動画を、つい先日になって投稿ができた。
 今まで裏方だった演劇部で役割が変わったり、受験勉強と並行してる三年生が完全に引退する場とあって、仕事が今までの比じゃないぐらい増えた。
 結果、僕がボイスドラマ動画で担当するイラストや背景、動画編集が遅れたんだけど……。
『見たよ! すっごい伸び方でビックリ! 七草兎さんのお陰だよ、本当に。忙しい中、毎月会いに来てくれるし……。ありがとね!』
「こちらこそ、ありがとうね。扉越しだろうと、波希マグロさんの生声を聞けば元気が出るんだ」
 夏休みのように毎週とは、さすがにいかない。
 夜行バス移動の肉体疲労で、演劇部とか他の活動に支障をきたすと……。両親との約束を守れなくなる。それはダメだから。
 それでも二週間に一回は、彼女へ会いに行く。
 そうしないと肉体は元気でも、精神が物足りなさでエネルギー不足になるからな。
 波希マグロさんと電波とかのラグやノイズなしに直接話すのは、それぐらい心を揺さぶられる。
「SNSを見るとさ、他の出演作からも口コミが広がってるみたいだよ。やっぱり波希マグロさんの実力だね」
『違うよ? 全部、七草兎さんのおかげだよ?』
 キョトンとした声で言われた。
 いやいや……。僕のイラストとか、付け焼き刃な台本やら動画編集なんかじゃなくて、ほとんどの人が波希マグロさんの演技目当てだって。
 コメントでも、声や演技を褒めるのが圧倒的に多いんだから。
 たった二回のボイスドラマ動画と依頼作で多くの人を虜にするとか……。
 この子は、声の妖かしか?
 真剣に、そう思ったぐらいなんだからさ。
『今回のボイスドラマ台本って、弱い自分も、自分の一部と認めてあげる的な内容だったじゃない?』
「うん……。実際、どうだった? 暗い物語だったし、君には嫌な内容だったと思うんだけど」
『……感情移入して、物語の人物に没入してさ。やっと、気がついたよ』
「……何に?」
 かなり彼女の触れられたくないところに踏み込んだ自覚がある分、聞くのが怖い。
 それでも、だ。医療知識がある人のアドバイスをもらって僕が考えた台本が……。
 彼女にどう受け止められたのか、無責任に無視もしたくない。
『あのとき――私は、辛かったんだな。悲しかったんだなって。そう、受け入れられた』
 ゆっくり、噛み締めるように……。そんな声が鼓膜を揺らした。
 受け止められたじゃなくて、受け入れられた……か。
『そうすると、なんでか元気が出てきてね……。なんで、あの子たちは卑怯な手を使ったんだろうって。今さらになって怒りすら湧いてきた……かな』
「怒り、か。それ、波希マグロさんにとってプラスになったのかな?」
『うん。私、今までは自分の過去を見ないで、前だけを見るようにしてたんだと思う。……怒るのもできないぐらい、目を逸らしてたって言えばいいのかな? 過去も含めて今の人物を見るのが大切だよって。七草兎さんに演技指導したのは、私なのにね』
 自嘲気味に、彼女の声がスピーカー越しに聞こえた。
 そうだね。君が教えてくれたから、僕は人物の過去を見る大切さに気がつけた。
 演技をする上でも、台本を書く上でも、そしてリアルに存在する人を見るにしても、だ。
 だからこそ、君に今回のようなボイスドラマ台本を提案する決め手になったんだけど……。
 前を向く切っ掛けになったんだろうか? 怒りって聞くと、ネガティブ感情な気もして不安だ。
「落ち込まなかった?」
『落ち込んだよ?』
 あっけらかんと返ってきた言葉に、どう反応したらいいのかわからない。
 焦るような、拍子抜けのような……。
 受け入れて前を見る土台には、ならなかった。……そういうこと、かな?
『やっぱり、理不尽だったなって。私に嫌がらせした子はスクール内公演の大成功で評価を上げて、オーディションでも押してもらえてさ。今では芸能事務所で預かり所属なんだよ? 私は、こんな風になっちゃったのにさ……』
 事務所の預かり所属、か。
 声優スクールの先生に聞いたことがある。
 オーディションとかに合格して数年ぐらい、入所料やレッスン料金を払いながらも、事務所からマネジメントなどのサポートを受けられる状態だとか。
 仮採用に近い状態で、その間に素行だとか実力とか、出演経験だとかで見極めるみたいな。
 その期間に実績を積めば、正式に事務所へ所属が認められるステップ。
 準所属とか色々と呼び方はあるけど、だいたいの事務所がこういうシステムを採用してるとか。
 そんな準プロとも呼べる状態に、自分を悪意で蹴落とした相手が上り詰めてるのは……。
 それは怒りも湧くだろう。相手が改心してくれるかもとか考えてたときの方が、どうかしてるよ。
『だからこそ、自分の辛い。悲しい。悔しい……。そんな負の感情も抱きしめて、見返してやろう! 役者として負けないぞって気持ちに火がついたの! 七草兎さんの言う通り一歩一歩進むことで、今度同じことをされたら、大切なものを奪わせない。理不尽にも屈しない勇気みたいなのが溢れてきた!』
 安心した。力強い声音に、頬が緩んじゃうよ……。
 よかった、あの台本を書いて……。本当によかった!
『だからこそ、ね。……ちょっと、勇気を出して考えてることがあるの』
「え、それは……何?」
『……もう少し、弱い自分を受け入れて、咀嚼してからでもいいかな? それから上を目指そうと足掻いて、それでも……。もし、ダメだったら……』
 迷ってる、のか?
 彼女が迷ってるなら、力になりたいけど……。
 今は聞いてほしくないのかもしれない。
 それとも、僕には言いたくない内容なのか。
 そうだとしても、仕方ない。
 いくら仲良くなろうと、お互いの顔も見たことがない関係。
 見たくても、見られない関係。
 その繋がりには、限界がある。
 そもそも、だ。
『とにかく、七草兎さんの大切な文化祭まであと一ヶ月! 何回も私のために東京と愛知をバスで往復して、疲れてるはずなんだからさ。ちゃんと休む時間は、確保してね?』
 軌道に乗り始めたからには、もう僕の創るボイスドラマ動画や手助けなんかなくても……。
 彼女なら、また表舞台にまで返り咲けるのかもしれない――。
 文化祭での上演へ向け、忙しなくも充実した日々が続いた。
 瞬く間に月日は過ぎ、文化祭の当日。
 一発勝負。たった一回だけの上演で僕たち演劇部は――。
「――大成功、お疲れさん!」
 拍手喝采でステージから送られる終幕後挨拶を終え、部室で盛り上がることになった。
「おう、春日! やりきったじゃねぇか! どうだ、今の気分は?」
 ジュース片手に肩を組んでくる部長は、異常にテンションが高い。
 まぁ僕だって、趣味の声劇後にテンションがもの凄く上がる。余韻に浸るからね。
 あんな拍手喝采を生で浴びたら、それは興奮もするよなぁ。
 受験勉強の合間を縫っての部活だから、ストレスも凄いだろうし。
「いや、あの……。僕も、やっと仲間入りできたのかなぁ~。演劇部にいてもいいのかな……って?」
「晴翔、今さらだろ。……いいに決まってんじゃねぇか」
「武内君……。ありがとう」
「俺こそ、ありがとう。……俺、前に適当な緩い劇団で喧嘩してさ。下手でもいいから、全力な場所でやりたかったんだ。何ごとも全力な晴翔がいてくれたから、この部活で熱くならずに済んだ。おまけに、演技者として幸せな、面白い台本まで書いてくれて……。感謝の言葉しかねぇよ」
 武内君の過去に、そんなことがあったのか。
 人に歴史ありって聞くけど、僕を気にかけてくれてた理由が分かった。
 ここまで認めてくれる言葉をくれるなんて……。
 僕は間違いなく、リアルでも居場所を見つけられたんだなって分かる。
 文化祭での上演だって、素晴らしい出来だった。
 凄く嬉しい、嬉しいできごとが連続してるはずなのに。
 それなのに……どうしてだろう。
 物足りなさを感じてしまうのは、どうしてだろう?
 ああ、そっか……。
 僕の書いた台本を最初に演じてくれた……。脳内でシーンを思い描いた人が、いなかったから。
 皆の演技が下手くそだったわけじゃない。
 ただ僕は、あの子の演技が見たかったんだ――。
『――七草兎さん! 文化祭上演の大成功、おめでとう! 嬉しいなぁ~! どうだった? 楽しかった?』
「ありがとう、楽しかったよ! まぁ本番頑張ったのは演者とスタッフで……。僕の手柄は全部、波希マグロさんがいたからだけどね」
『謙虚すぎるのは、嫌味だよ~。皆で創りあげて成功! それでいいじゃない』
 その通りだ。
 たまに彼女が、一つ年下だということを忘れそうになる。
 それぐらい、波希マグロさんはしっかりしてる。やっぱり多くの物語で深く人物の生き方を追体験してきた人は、人生経験の厚みが違うのかな?
「同じことを、凪咲さんからもメッセージもらったよ」
『……凪咲、さん? ねぇ、前も名前呼びだったけどさ……。お姉ちゃんと、仲いいよね?』
 あ、なんか……。ふ、不穏な空気が!
『お姉ちゃんから聞く限り、連絡も結構取ってる感じだもんね』
「え、いや。あの」
『ふぅ~ん……。まぁお姉ちゃん、綺麗だもんね。お姉ちゃんも七草兎さんのことを話すとき、凄い笑顔だしさ』
 失敗したな、これ。
 ものすっごい、ふて腐れてる!
 どっち?
 大好きなお姉ちゃんが、僕に取られると思って?
 それとも……僕がお姉ちゃんに、気持ちが傾いてると思って?
『でも、ねぇ……。いや、うぅ~ん。やっぱり……』
 もしも僕が……保留されてる間に七草兎さんから、凪咲さんに気持ちが移ってる。
 そう思って嫉妬してくれてるなら――めっちゃ可愛い。
 頬が……。いや、首まで熱い。
 顔も知らないのに、なんでこんな……。
 いや、今さらか。
「そ、それより! あの、波希マグロさんへの声依頼、凄い量になってるでしょ!?」
『あ、話を逸らしたね?』
「次のボイスドラマ台本とか、やる時間ある!? あっ! 僕も依頼料、払った方がいいよね!?」
 強行突破だ!
 確かめるにしても、だ。
 恋愛話は波希マグロさんの抱える問題が解決するまで、僕からはしないって約束なんだ!
 もしも波希マグロさんが僕を好きで……。
 焼き餅を焼いてくれてるとしたら、想いが暴走しかねない!
『七草兎さんからの依頼料なんて、受け取れるわけないでしょ? むしろ私が払う側だよ! 夜行バス代とか、色々と含めてさ!』
「い、いやいや! そういうわけにも――」
『――ただ、さ。次のボイスドラマ台本……。ちょっと、その』
 え、なんだろう。
 そんなに言葉に詰まって……。
 もう、できないとか?
 やりたくない、とか?
 依頼が殺到してるから、それも仕方がない……か。
 そう、だよね。今まで僕の書いた台本を演じてくれてたのが、異常だったんだから。
 彼女が元あるべき位置に戻ってるなら、僕は去るべきなのかもしれない。
「……遠慮なく言って。覚悟は、できてる」
『そう、なんだ。……七草兎さんも、覚悟できてるんだね。それなら、うん』
 胸が張り裂けそうな程に痛い。
 それでも、彼女が望むなら……。
 彼女が、幸せに笑える道を自分で選ぶなら、それでいい。
『あの、さ……』
「うん……」
『――次の台本、私から内容をリクエストしても、いいかな?』
「……え?」
 力が抜けた。
 そんなこと、か。
 なんだ……。緊張して損した。
「勿論、いいに決まってるじゃん」
『そっか。……その前に、一個確認してもいい?』
「勿論だよ。何?」
『……今年の夏前。私から別れを切り出したときの答え――保留だったよね。あれ、まだ続いてる?』
 緩んでた気が張り詰めて、喉の奥がきゅっと締まった。
 一回安心させてから緊張させるのは、やめてほしい。
 そもそも、恋愛関係の話はしないって約束……。
 いや、あれは僕からはしないって約束だったか。
 つまり、彼女から話を振られる分には――約束違反じゃない、のか。
 盲点、だったな……。
「……僕は、そのつもり。ずっと――……。いや、うん。何でもない……」
 気持ちが暴走するのを、抑え着けるのが大変だ。
 口から半分、好きという言葉が飛び出かけた。
 彼女が問題を解決するまで、悩ませるようなことを言っちゃダメだ!
 理性を働かせろ!
『そこまで言ったなら、もう最後まで……さ。気持ちを言っちゃいなよ』
「……僕は、まだ保留にしておきたい。君に恩返しが済むまでは、邪魔をしたくない。願い通り、約束通りに君の抱える問題を解決するまではって約束を破れない、破りたくない。……一緒に創作をする仲間だと思ってくれてる君の気持ちを、裏切りたくない。ネットで出会った人が、恋愛目的だけで執着してるなんて心の傷、与えたくないよ」
『……そっか。そっかぁ……』
 あくまで創作仲間。
 共通の夢や目標を持つ友達だからこそ、ここまで仲良くなれたとも言える。
 本来なら、夏休みの時には切れてた縁。僕が恋愛関係を望んだから切れることになった、細い糸のような関係。切ろうと思えば、ブロックとかアカウント除去ですぐに切れてしまうネットの繋がり。
 それを保護者のサポートがあったとはいえ、リアルで説得するなんてルール違反で繋ぎ止めたんだ。
 多くを望んじゃいけない。こうして、君と過ごす当たり前の日常が……終わってほしくない。
 心に蓋をしてでも、だ。
『それならさ……。やっぱり、私の気持ち悪い台本のリクエスト……。してもいいかな?』
 気持ち悪い、リクエストだって?
 どんな台本なら、気持ち悪くなるって言うんだ?
 分からない。彼女とは色々な台本で声劇を演じてきた。
 それでも、一度も気持ち悪いなんて言葉はでなかったのに。
「それ、どんな内容?」
『……暗い過去を振り切って、愛する人のために強い意志を貫く物語』
「なんだ。それなら物語の定番で――」
『――例えば、学園でいじめられた子が、いじめっ子を打ち倒す……とか』
 咄嗟に言葉が出なかった。
 今の条件を当て嵌めると――それはもう、物語の登場人物にはならない。
 僕は実際に……ネット上で、そんな暗い過去を抱えた人を知ってる。
 波希マグロさん。
 これが君の実体験で、そうなりたい自分だとしたら……。
 愛する人ってのは、家族?
 それとも……。
『この一ヶ月、ううん。ずっと……私なりに努力してきたつもりだった。七草兎さんに、過去を受け入れるのも必要って教えてもらったり。……あと一歩、もうちょっと。強くなる子に自分を重ねて、自分もそうだって自分自身を騙せれば……』
 心からの悔しさ。
 そして辛さのこもった声音だった。
 本当なら、一人でどうにかしたかったんだろう。
 僕に頼ってばかりとか考えて……。
 十月に通話したとき、『自分なりに受け入れて。それから上を目指そうと足掻いて、それでも、もしダメだったら……』と。
 歯切れ悪く言ってたのは、この件だったのかな。
 気持ち悪いなんて――思うはずがないじゃないか。
「分かった、喜んで書くよ! 君が、君らしくなる物語を!」
『わ、私のことだとは――……。いや、うん。ここまできたら、誤魔化してもムダだね』
「うん、ムダだね」
 お互いに小さく笑い合い、さっそく画面共有で台本を書いていく。
 本来なら、まずはプロットを書くもんなんだけど……。
 不思議と、プロットなんか要らないぐらいスラスラと物語が浮かぶ。タイピングが止まらない。
 あっという間に、三十分台本……およそ一万文字を書き上げてしまった。
「……書けた。読み合わせ、してみる?」
『……うん。ありがとう、お願いします』
 劇前の心地良い静寂。
 僕はスマホに移した、できたての台本を手に立ち上がり、片手をお腹に当てる。
 腹式呼吸はできてる。
 準備は、大丈夫だ。
「じゃあ、キュー振りするね。三、二、一――アクト」
 澄み切った空より、透明な海よりも心地よく鼓膜から脳に情報が伝わる彼女の声音。
 その演技に魅了されながら、僕はメインヒロインに想われている男性役を演じていく。
 セリフで一度も引っかかることもなく、流れるように進んでいった時――。
『――好き、だから。愛してるから! だから……。私は、彼のために強くなる! 負けてなんかやらない!』
 彼女が繰り出した、突然のアドリブ。
 元のセリフは、『好きだから。だから、私は負けない!』というシンプルなもの。
 いじめっ子に対し、そう言い放つシーンで……。
 彼女は愛してるを強調して、大幅なセリフ改変を行った。
 戸惑う僕などお構いなしに彼女はいじめっ子との兼ね役をこなし、物語を進めていく。
 そうして、誰に聞かせるでもない。
 二人で織り成す声劇が終わった。
「……お疲れ様」
『お疲れ様でした! いやぁ~。いい台本だね! このままいこう!』
「あの、途中――」
『――これをボイスドラマ動画にできる日までに、また覚悟を決めないとなぁ~! 揺らいじゃダメだ!』
 僕の言葉を遮るように、早口で彼女が言った。
 アドリブには……触れないでくれってこと、なのか?
 それなら、このままいこうと言った彼女の言葉通りにしよう。
「じゃあ、イラストも書いていくね」
『うん。……この音声、色々と仕上げて送るのに時間かかるかもだけど……。いい、かな?』
「勿論。ただでさえ、依頼が殺到してるんだからさ。無理なく楽しもう」
『ありがとう。七草兎さん。……本当に、たくさんありがとう』
 波希マグロさんの声は、少し震えていた――。
 十二月下旬。
 クリスマスイブになった。
 今まで波希マグロさんの音声納品は、遅くても三日後には届いていた。
 しかし今回の台本は、約一ヶ月――数日前に僕の手元へ届くペースだった。
 彼女をモチーフにした台本だから、それだけ抵抗感があって感情移入が難しかったのかな。
「じゃあ、公開するよ?」
『……うん、お願い』
 噛み締めるように言う彼女の声は、やはりこのボイスドラマ動画が特別なものだと告げてる。
 公開へクリックする指が、どうしてか重い。
 何か、不穏なものを感じる……。
 それでも、何とか指を動かし――。
「――投稿、したよ。反映されてる?」
『されてる。……視られるよ』
 終わった……。
 なぜだか、妙に疲れた。
 最近は演劇部が忙しくなったり、二学期末のテスト勉強もあったから、精神が疲れてるのかも。
 そんな時は、やっぱり彼女に会いに行きたい。
「あのさ。明後日から冬休みなんだ。三日後あたり、また会いに行っていいかな? いつも聞くけど、念のために――」
『――ダメ』
「え……」
 今……断られた?
 初めてだ。
 初めて彼女の家に行ってから、断られることなんてなかった。
 いつも『ありがとう。嬉しいけど、無理しないでね?』と、そう喜んでくれてたのに……。
「あの……」
『七草兎さん。私は七草兎さんの未来を……。将来に向かって歩みたい夢を見つける、力になれたかな? リアルで居場所を見つけるお手伝い、できたかな?』
「なんで……。なんで、過去形なの?」
 そんな、もう会わない。
 もう縁を切るみたいな。まるで、お別れみたいな言い方じゃないか……。
『……今の私は、七草兎さんの隣にいられない。いたくない。……自己嫌悪に浸るんじゃない。弱い自分も受け入れて、前に進むね』
「……僕も一緒に、問題を抱えて解決に向かうって。そう……僕は約束したよ」
『……七草兎さんの会いに来てくれる優しさ、嬉しさに甘えてちゃダメだって思ったの。本気で変わるには、飢えないとってさ。……覚悟、決めたんだ』
 止めてよ……。
 涙を堪えながら、まるで固い決意を語るような口調はさ……。
「そ、そっか……。じゃあ、会うのは止めよう。通話、いやメッセージだけに――」
『――だから……ごめんね。頑張るって口先だけで、約束を守れない人になりたくないの』
 僕だって、約束を守れない人になりたくない。
 波希マグロさんが、また笑えるように問題を……一緒に解決したいよ。
『七草兎さんが思い描く、将来の夢へ繋がる道を紡ぐ力になれて、本当によかった。また、いつか……。いつか、また会おうね』
「ちょ、ちょっと待って! 僕は、君と過ごす将来が――」
『――ばいばい……』
 通話が――切れた。
 慌ててかけ直しても、彼女に繋がることはない。
 オフライン。
 さっきまで話していた彼女が、オフライン状態になってる。
 ミュート……された?
 フレンドリストに、まだ彼女は残ってる。
 ブロックされたんじゃ、ないと思う。
 だけど……もしかしたら、チャットアプリそのものをスマホから消してたら?
 相手が再インストールして、ログインしない限り……。
 一生、僕からのメッセージが伝わることはない。
 慌てて声劇アプリを確認する。
 ここ一ヶ月、更新もコメントの返信もない。
「ふ、フリー声優のホームページ! あっちは!?」
 動画にもリンクを貼ってある、依頼募集用のフリー声優ホームページへ飛ぶ。
 依頼を……募集停止?
 サンプルボイスまで、消されてる……。
 そっか……。
 そう、なんだね……。
 君は、いつか話していたね?
 確か、『通ってたスクールで禁止されてたから。デビューの時に、未熟な時の演技が残ってると不利になるかもだからって』。
 家族以外と顔を合わせられなくなる事件前まで、声劇アプリとかをしなかった理由を聞いたとき、そう答えてた。
 じゃあ、これは……。
 君がフリー声優じゃなくて、事務所に所属して活動する声優。
 元々目指してた、競争が激しい世界を目指すって決意をしたんだね……。
「……何でだろう。彼女が自分の夢を再び追うって決意。大好きなことを目指す、笑える時間を取り戻す。そのためになら、関係を切られてもいい。そう、望んでたはずなのに……」
 切れやすいネットで出会った関係だし、仕方ないって思ってたのにさ……。
 何で……涙が溢れてくるんだろう。
「寂しい、嫌だって……。何で、自分勝手で、わがままなことを思っちゃうのかな。僕は……」
 視界が滲んで、何も見えない……。
 彼女と共有してきた画面も、メッセージの山も……。
 何も、見えないよ……。
「ぅ……。ぐぅ……ぅっ! ぁ、ぁああ……あぁっ!」
 泣いてる声が家族に聴かれないように力一杯、顔を毛布に埋める。
 夏に音信不通になったときとは、完全に別だ。
 明らかな、決別宣言。
 優しい彼女は、いつかって……。不確かな言葉で濁してくれたけど。
 そんなの、お互いがプロになった時に偶然、仕事場で会うぐらいしか……。
 何年、何十年先の話なんだ。どれだけ夢を現実にしていけば、そんな偶然が起きるんだ……。
 布団がどんどんと湿って、力一杯握ってるところがしわくちゃになっていく……。
 涙が止まるまで。すぐに、我が儘な気持ちを抑えつけるから。
「ぁあああ……。ごめん、ごめんね……」
 だから、それまで。ほんの少しだけ、このまま……。
 そう思いながら、顔も知らない彼女との思い出が一つ一つ蘇り――アラームが鳴った。
 泣き疲れ、力の入らない手でアラームを止める。
 スマホの日付は、十二月二十五日。
「……メリー、クリスマス」
 声が届くはずもないのに……。
 気がつけば、脳内で一人の声を思い起こしながら――そう呟いてた。
 窓を開ければ、朝陽が顔を覗かせてる。
 外が明るい。
 泣き明かした、のか……。
 ふと、スマホが鳴った。
 もしかして波希マグロさんから――と、急ぎ手に取る。
 凪咲さんから、通話がかかってきてる?
 淡い期待は砕けた。
 波希マグロさんの、お姉さんから……。
 彼女から、話を聞いたのかな。
 一体、何を言われるんだろう……。
 震える手で、通話ボタンを押す。
『もしもし、晴翔君!?』
「……おはようございます、凪咲さん」
『どういうことか知ってる!? 心当たりある!?』
「何に、でしょうか?」
 色々と、心当たりがありすぎる。
 主語が抜けるぐらい、凪咲さんも戸惑ってるのか……。
『妹が、学校を退学するって言いだしたのを!』
「……ぇ」
『朝から凄い、もめてるの! パパも妹も感情的になっててさ! 何であの子が突然、そんなことを言いだしたのか、さっぱり伝わらないの。晴翔君、事情を知ってたら教えてくれない!?』
 彼女が、高校を退学する……。
 元々、いじめっ子と同じ高校だから行きにくいとは聞いてた。
 でも、このタイミングで退学を決断するとしたら――。
「――彼女は、波希マグロさんは……。過去を踏み越えて、新しい道をいきたいんじゃないでしょうか」
『……晴翔君? 風邪? 声が、嗄れてる?』
「いじめっ子も、僕もいないところで、再スタートを切りたいんだと……」
『……泣いてる、の?』
 凪咲さんの心配する声に、返事はできない。
 少しでも、波希マグロさんに似てる声ってだけで……。
 今は、涙が溢れてきちゃう。
 彼女は、今更ながらに生まれた怒りで、感情に身を任せて何か起こそうとしてるのかもしれない。
 台本や会話の中で、波希マグロさんに悪い影響を与えてたとしたら?
 僕は、家庭や人生を崩壊させる切っ掛けを、つくってしまったのかもしれない――。