物音が落ち着き、扉の奥から小さな声が聞こえる。
『ごめんなさい、ごめんなさい、七草兎さん……』
 小さく、耳を澄まさなければ聞こえないぐらい――部屋の隅で泣きながら呟くような声だった。
「僕がほしいのは、謝る言葉じゃないかな」
『……それなら、私はどうすればいい、ですか? 私の問題、聞いたんですよね? だから、七草兎さんと恋人らしいこともできない私なんか――』
「――チャットアプリの僕のアカウントさ。もうブロックするなり、消すなり……しちゃった?」
 最愛の彼女の言葉を遮り、尋ねる。
 僕が聞きたい君の声は、そんな罪に苦しむような声じゃないんだ。
『……消してない。全部、メッセージ見てる』
「そっか。よかった」
 僕はスマホを操作し、ブックマークしてたURLをチャットアプリで送信した。
 ポンッと、部屋の中から受信の音が聞こえてくる。
『……これ、声劇台本?』
「そう。ごめんね。君のお姉さんや、お父さんに格好つけて、ここまできたんだけど……。これしか、僕には思いつかなかったんだ」
『なんで、声劇を……』
「君が一番、幸せそうに笑ってたのはさ……。劇を演じてるときだったじゃん」
 愛知県から東京まできて……。
 家族に啖呵を切ってこれかとは、自分でも思う。
「この台本の人物は、笑わないとできないよ? コミカルな台本だからね。僕はもう読み込んできたけど、波希マグロさんは、この登場人物に憑依できるかな?」
 でも――これが一番、彼女が喜ぶと思ったから。
 扉越しに、誰にも披露することのない演技をしよう。
 二人だけの、思うがまま自由にやれる楽しい劇を、さ。
『……待ってて。今、ちゃんと読むから。涙を拭いて、ちゃんと演じるから』
 ほら、君は乗ってきた。
 君は演技を愛してるからね。
 きっと、これなら一緒に前を向けると思ったんだ。
 こんなにも演技を愛し、演技に真剣な彼女から全てを奪うような真似をした連中に腹が立つけど……。
 まずは君が笑えるようになることが先だ。
 僕も、君を追い詰めて泣かせる原因になっちゃったんだから。
『いける。もう大丈夫』
「了解。じゃあ最初は波希マグロさんのセリフからだから、僕がキュー振りするね」
『うん』
 気合いがこもった、力強い声音だ。
「三、二、一、アクト――」
 緊張する時間が流れる。
 劇前のキュー振りは、いつもそうだ。
『――おかしいです! 先輩はおかしい! 変態です!』
「せめて変人って言ってくれないかな? それで、俺の何がおかしいって?」
 扉越しに、張りのある君の声が聞こえる。
 スピーカー越しより余程、心に響く。
『学校に、うどん、そば、そうめんの三食弁当を持ってくるからですよ!』
「ああ、なるほど。俺も迷ったんだよ」
『そうですよね、さすがにそうですよね!? 迷ったなら――』
「――冷やし中華を入れて四食にしようかってさ」
 こんなにも妙な……。
 何も考えないような声劇台本なのに、深く考えたくない今は丁度いい。
 彼女も楽しそうだし、一本目はこれで良い。
 相変わらず僕の演技は、幅もなくて下手くそだけど……。
 君は、こんな人物を演じるのすら上手いね。
 そうして演技は進んで行き、五分で終わるような短いコミカル台本を演じ終わった――。
「――ありがとう、どうだった?」
『……楽しかった。変な物語なのに、演技ができて凄い楽しかった!』
 本当に、嬉しそうな声だ。
 この距離で君との生声劇なんて、僕だって嬉しくてどうにかなっちゃいそうだ。
 生の波希マグロさんの声の破壊力は、本当に凄い。
「よかった。次は、ちゃんとした台本をやろっか?」
『うん、私も探すね! ……あ、いや。私……。七草兎さんと、こんなことをする権利なんて……』
「そういうの、いいよ。僕は波希マグロさんと演じたいんだ。一緒に劇、付き合ってくれないかな?」
『……うん。うん、ありがとう』
 次は彼女が選んだ台本の劇で……。
 僕たちは、交互にやりたい台本を話し合いながら、演じていく。
 色んな人物になり、様々な登場人物に憑依して世界に没入する。
「次は、とびきりハッピーエンドのやつが演じたいな」
『了解! タグ付けて検索しよう!』
「……あ、これなんか良さそう。四十分台本で、女性は兼ね役が要るけど」
『どれどれ!? 任せて、演じ分け頑張るから!』
 すっかり元気になった彼女の声に、思わず笑みを浮かべる。
 君の元気の源は、演技なんだなってさ。
 彼女に台本へのリンクを送信すると、静かに階段を上ってくる凪咲さんと、お父さんが見えた。
 二人はジェスチャーで、時計を見ろというような動きをしてくる。
 スマホの画面を見ると……もう夜の八時を過ぎてる!?
 彼女と過ごす時間が嬉しすぎて、時を忘れてた……。
 八王子駅を出る終電は、夜九時頃だったはず。
 乗り遅れたり乗り継ぎに失敗したらまずいからと、注意にきてくれたのか。
 名残惜しいけど……。
「……ごめんね、波希マグロさん。終電が近いみたいだ」
『あ……。そっか、そう、だよね。私、夢中になってて……。本当は、謝らないといけないことが――』
「――また、ここに来てもいいかな?」
『……え?』
 謝らせないよ。
 せっかく君が楽しそうな声を聞けたのにさ、そんな言葉を余韻に帰りたくないからね。
「メッセージとか通話の繋がりもいいんだけどさ。やっぱりラグが一切ない声劇とか、会話もいいから。……だから、また来てもいい?」
『……でも、七草兎さんが住んでるのは、愛知県の春日井市でしょ? そんな簡単に……』
「大丈夫、そこはなんとかするから」
『……うん。でも、無理はしないでね!? これ以上、七草兎さんを振り回すなんて迷惑かけたくない! 私との繋がり、いつでも切っていいんだからね!?』
 なんて寂しいことを言うんだ、君は。
「僕が君に告白した時の約束、覚えてる?」
『……うん、忘れるわけがないよ』
「波希マグロさんが本当に幸せで笑えるなら、振り回されるのを迷惑なんて思わない。どんな問題も、一緒に乗り越えたい。……僕は、この約束を破らない。君を裏切らない。それを証明していくよ」
『……でも、今の私は努力しても顔を合わせることすらできなくて。せっかく来てくれてるのに、部屋からも出られない……。七草兎さんの想いに、全く応えられないから……』
 この家に来るまでの車内で、僕は一つの決意をしていた。
「波希マグロさんが救われるまで、僕はもう君に好きと言わない」
『……え?』
「今、トラウマのような状態から抜け出そうと頭一杯な君に、これ以上の悩みごとを増やさない。そう決めたんだ」
 彼女の過去を少しだけど凪咲さんから聞いたとき、そうした方がいいと思った。
 恋愛とか、本当に難しいから。
 今は彼女のためにならない。勿論、僕のためにも。
「だからさ、難しいことは考えなくていいよ。単純に声劇とか相談とか、一緒にしようよ! ダメ、かな?」
『……ダメ、じゃない。どうしよう、断らなきゃいけないのに――』
「――断りたくない、かな? 君が告白に返事をくれた時のセリフ、僕だって忘れるわけがないよ」
『……私のセリフ、取らないでよ。意地悪……」
 意地が悪かったかな?
 でも、不満そうな声も可愛い。
『ありがとう。本当にありがとうね。私も……。もっと、もっと頑張って挑戦してみるから!』
「その言葉だけで十分だよ。そもそも、生の波希マグロさんボイスがこの距離で聞けるだけで、最高のご褒美なんだから。ほら、アイドルの追っかけみたいな?」
『なに、その例え? 私、そんな大層な人間じゃないよ』
「僕にとっては、それぐらいの存在なの。それじゃ、送った台本は次に持ち越しで。あ、他にもやりたい台本、選んでおいてね。次にお邪魔した時、やりたいからさ」
 僕も読み込まないとな。
 彼女の演技に圧倒され、魅了されるのもいい。
 だけど僕だって、彼女と一緒に夢を追う人間でなければ。
 そうじゃないと、対等な関係とはいえないと思う。
「それじゃ、またね」
『……うん。また、ね』
 バイバイとかは言わない。
 また、次がある。
 そう強調しながら、僕は扉の前を離れる。
「お父さん、凪咲さん。お待たせしました」
 音を立てずに待っていてくれた二人に、頭を下げる。
『……凪咲、さん? え? お姉ちゃん、名前呼び?』
 なんか小さく聞こえた。
 うん……。聞こえなかったことにしよう! それがいい!
 凪咲さんも苦笑してる。
 お父さんは……サングラスだから分からないけど、腕の血管がビキビキと音を立てそう。
 娘二人と仲がいいから!?
 怖いんですけど……。
 足早に車へ乗せてもらい、八王子駅へと向かう。
「晴翔君。予想以上だったよ。……でも、本当に無理はしなくていいからね」
「凪咲さん、無理なんかじゃないですよ」
「高校生が何度も愛知から東京までくるなんて、無理どころか無茶でしょ」
「まぁ、そこは頑張るって方向で」
 確かに、新幹線だと往復で六日分のバイト代が吹っ飛ぶ。
 でも、もっと安い移動手段も見つけたからな。
「君はさ、人に尽くしすぎだと思うんだよ。自分の夢とか目標を追いな」
「これが僕の、やりたいことですから。やりたいことに何でも全力で挑戦したり、人をよく見ることが結果的に僕の夢……。アニメとか舞台とかの仕事にも繋がると思うんです」
「……それなら、せめて交通費は私が出すから」
「いや、俺が出す。娘のためだ。当然だろう」
 お父さんが久し振りに声を出してくれた。
 提案は凄くありがたい。だけど、それは僕が納得できない。
 お金をもらってなんて、利害関係の繋がりみたいだから。
「すいません、お気持ちだけ。……小僧なりの見栄と思っていただければ、と」
 両親へ借りた機材代金の返済に、声優スクールのレッスン代金。
 支出はキツいけど僕がやりたいことで――お金を稼ぎながら、夢にも繋がる手段を考えてある。 
 見栄もあるけど、どうなるかワクワクもするんだ。
「ふ~ん……。あの劇しか愛さない妹が、ぎゃんぎゃん涙を流すぐらい惚れるわけだ」
「え?」
「ね、晴翔君。私とも連絡先を交換しよ。お互い、困ったことがあったら助け合うためにさ」
「あ、はい」
 凪咲さんがスマホを取りだしたのを見て、僕もスマホを取りだす。
 ディスプレイには、僕と波希マグロさんがやり取りしてるコミュニティ形成に向いたアプリじゃない。
 もっと日常で広く用いられてるチャットアプリが見えた。
 このアプリ本名で使う人が多いから、リアルで会った人同士でしか交換したことないけど……。名前もばれてるし、今さらか。
「おっけー。困ったら、遠慮せずお姉さんに言いなさい。社会人三年目だし、それなりに貯金してるからさ。それに晴翔君のことも、もっと知りたいし」
 お父さんが握るハンドルから、ギリギリッと音がした。
 む、娘さんに下心はないと思いますよ!?
 勿論、僕にも!
 見定めるって意味だと思うので、落ち着いてほしい……。
 肌着に汗が染みていくのを感じながら、僕はカチコチに緊張し大人しくしていた。
 そうして八王子駅のロータリーに車を停車したところで――。
「――坊主、ありがとうな」
 お父さんが頭を下げて、お礼を言ってきた。
 ガキや小僧から、坊主へ昇格したらしい。
 というか、お父さんの見た目は目立つから人目が集まる……。
「い、いえいえ! これからも、お邪魔させていただきます!」
「その時は毎回、俺が送迎しよう。俺とも連絡先、交換するか?」
 嫌すぎる。
「はいはい、その時は私から連絡するから。晴翔君もどっちに連絡すればいいか、迷っちゃうでしょ。私だって免許持ってるし」
「むぅ……」
 お父さんは渋々と言った様子で、頷いた。
 あれ、なんか……。お父さんが可愛く見えてきたかも?
「おい、坊主。これからはともかく、今日は俺たちが呼び出したんだ。今日の分の交通費は受け取れ。いいな?」
「は、はい……」
 こんなところで、財布からお金を手渡さないでほしい。
 駅前交番にいる警察が、完全にこっちを見てるんだけど……。
「そ、それでは! 今日はありがとうございました! 本当に、幸せな気分になれました! 誘拐は怖かったですけど、勉強になりました!」
 頭を下げて、小走りで駅構内へと向かう。
 余裕を持って到着した方が、両親も安心できるだろうから。
 あ、状況も連絡しないとな。
「――すいません、今の声が聞こえましてね。幸せな気分とか、誘拐だとか……。職務質問にご協力いただけますか?」
「な、何? また職質か……。畜生、小僧が!」
 背中越しに怖ろしい会話が聞こえたけど、僕は悪くない。
 事実しか言ってないから――。
 約三時間後。時刻は完全に深夜だ。
 春日井市駅に到着すると、両親が待ってくれてた。
「お帰り。社会勉強はできたか?」
「うん。……色々と、ね。帰ったら、相談があるんだ」
「分かってるわ。どうなったかの事情は、白浜さんから連絡があったもの」
 凪咲さんの方か、お父さんの方か。
 僕が波希マグロさんと話してる間に、状況を説明してくれてたみたいだな。
 安心感がある慣れた車に乗り、自宅へ帰ってからリビングテーブルにつく。
「これから……夏休み。それと土日を利用して、東京に通おうと思うんだ」
「……彼女の事情は聞いた。何とかしてやりたいとは、父さんたちも思う」
「それで? 私たちにお金を貸してって? いいわよ。いつか返すなら」
「違うんだ。昔はお金を稼げない年齢だったけど、今はバイトだって――こういう仕事だってできる」
 僕はスマホディスプレイに映る、新幹線内で登録だけ済ませていたサイト画面を見せる。
「これ、『イラスト有償依頼募集中』……。要は、お金をもらってイラストを描くってこと?」
「そう。これなら、僕のやりたいことに一石二鳥だから。アニメとか演劇関係の職業に就く夢、彼女に遭うって願い」
「だが、そんなに甘い世界でもないだろう。稼げるのか?」
「……無理、だと思う。僕の実力じゃ、本当に少しは足しになる額しか稼げないと思う」
 速度、クオリティ。
 依頼がくるかすら、実績的に怪しい。
 そこで嘘をつくと両親は絶対に許してくれないから、素直に厳しいのは認める。
「じゃあ、どうするつもり? 現実的な案を言いなさい」
「うん。バイトに入る日を増やして、移動は新幹線じゃなくて夜行バスで行こうと思う」
 夜行バスなら、高校生でも乗れる。
 時間は七時間ぐらいかかるけど、液晶タブレットを持っていけば車内でイラストも描ける。
 料金は往復でバイト二日分――早めに予約すれば、もうちょっと安くいけるプランだってあった。
「……なるほど、現実的な案が出せるようになったな」
「二人のスパルタ教育のお陰でね」
 今回の白浜家を巻き込んだ教育は、今まで以上に強烈だったよ。
「でも、今回許した条件に、少し追加する必要があるわ」
「……はい」
 これも予想はしてた。さて、どんな条件がくるか……。
「まず学校の成績を落とさないこと。これは絶対ね」
「うん」
 学生が本分を忘れるなということか。
 心配させるような我が儘を言ってるんだから、これは当然だ。
「あと――必ず、彼女さんを家に連れてきなさい」
「え?」
「母さん?」
 そんなことを言っても……。波希マグロさんは人と顔を合わせられない。
 今日だって扉越しでしか話せなかったのに、愛知県まで挨拶に来るのを求めるなんて無茶だ。
「これは後払いでいいわ。母さんたちが生きてる間なら、何年、何十年後でもいい。……そこまで根性と行動力を見せる相手なら、心も射止めてみせなさい」
「母さん……。でも、波希マグロさんは……。僕を恋愛対象とか――」
「――相手側から拒絶されたら、この条件はなしにするわ。でも、あんたが放り出すことは許さない。ストーカー化したら、ぶん殴るわ」
 これは、条件と言うのかな?
 不器用な励ましにしか、聞こえないよ……。
「お嫁さんの顔ぐらい、ちゃんと見たいのよ。それとも、あんた適当に放り投げる気?」
「僕は投げ出すつもりはない! だけど、結婚とか……。それは、相手の意見が大切で……」
「晴翔、その条件なら父さんも許可しよう。お前が好きになった相手なら振り向かせる根性を見せてみろ。相手が迷惑そうなら、潔く身を引け。何ごとにも責任とリスクが伴うと、注意を忘れず学べ」
「あ、一緒に生活できるような仕事に就く準備も忘れちゃダメよ。家庭を持つ責任って、そういうことだからね。堅実に足場を固めながら、挑戦しなさい。現実から目を逸らすのは、許さないから」
 これで話は終わりとばかりに、二人とも寝る準備を始めた。
 僕は……恵まれすぎだと思う。
 普通、高校生が夜行バスでしょっちゅう遠出するとか言ったら、止めるだろう。
 一回二回ならともかく、いくら特殊な条件が揃ってるとは言え……さ。
 もっと反対されると思ってた。
 勿論、大変なのはここからだけど……。
 早速、有償依頼用のサイトを公開にして、SNSで告知をした――。
 シャワーを浴びて自分の部屋に戻り、やっと一息をつく。
 これから、やることやりたいことが目白押しだ。
 椅子に座り、スマホを手に取る。
 チャットアプリを開くと、凪咲さんから無事に着いたかの確認。
 それと――。
「――波希マグロさんから、メッセージが来てる。……怒濤の如く」
 両親を説得する材料を調べるのに夢中で、気がつかなかった。
 何通も何通も、僕への謝罪とお礼。無事に家へ戻れたかといった内容のメッセージが届いてる。
 すぐ『無事に着いたよ。今日はありがとう。驚かせてごめんね』と送ると――通話がかかってきた。
 この時間に、起きてたのか? 早寝の波希マグロさんが?
「も、もしもし?」
『もしもし!? よかった、無事でよかった……』
「お、おおう……。そんなに心配してくれたんだ?」
『当たり前だよ! お姉ちゃんたちが呼び出してたのだって、さっき知って……。謝られるのは嫌って分かったけど、これだけは謝らせて。本当に、ごめんなさい!』
 それだけのために、眠いのを我慢してたの?
 君の住んだ美声を扉越しの距離で聞けたから、お礼を言いたいぐらいなんだけどな。
「これからも、会いに行くよ。波希マグロさんが嫌がらない限りさ」
『嬉しい……けど。遠いから負担になっちゃう。だから、無理しないでいいんだよ?』
「大丈夫。僕の画面、共有するね」
『え?』
 スマホの画面を共有して、SNSアカウントを見せる。
『有償依頼……』
「そう! 今までは、お金をもらう自信もなかったんだけどね。波希マグロさんに褒めてもらって……。君に会うためには覚悟を決めようって。これは僕の夢にも繋がると思う。つまり僕のためにもなるんだ」
『……そっか。応援する! でも――私に会うために、時間とお金をかけて来てくれるのは変わらないよね?』
 時間を持ち出されると痛い。
 七時間のバスの旅とか、夜の移動とか……。
 並行して演劇部とスクール、アルバイトに勉強だってある。
 これからに不安がないかといえば、それは嘘になる。
 一番の不安は、本当に君の問題を解決できるか、だけどさ。
「何とかするよ。僕、根性と行動力には定評があるから!」
『……払う』
「え?」
『私に会いにきてくれるなら、その分の交通費は絶対に払う! い、今はお金を稼げないけど……。お金を稼げるぐらい状況を改善させて、絶対に払うから! 受け取らないとか、ダメだからね! 友達にしても、その、あれな関係にしても……。対等でありたいの!』
 譲らないぞ、という強い意思を感じさせる語調に――ぷっと吹き出してしまう。
『な、何で笑うのかな!? 真剣なんだよ!?』
「いや、ごめんね! つい、一人の顔が頭によぎってさ!」
 君の、お父さんの顔が。
 絶対に今日の交通費を払うと譲らなかった。
 あんな厳つい、お父さんと君が似てるなんて……。
 やっぱり親子なのかな。見た目も、ひょっとしたら似てるのかも?
 まぁそれでも、僕の気持ちは揺るがないけどね!
『……なんかさ、失礼なこと考えてない?』
「いや、考えてないよ。波希マグロさんって、お父さん似なの?」
『失礼なこと考えてるじゃん!』
 お父さんに外見が似てることは、失礼なこと扱いだった。どんまい、お父さん!
「私の外見はママとお婆ちゃん似だよ! 中身は……。うん、ね?』
 ダメだ、面白い。彼女に怒られても、笑いを抑えられずにはいられない。
 不思議なもんだ。
 身体は長旅で疲れてるのに、心は――ここ数日で一番、楽なんだから。
 耳から入って来た声が、全身のストレスとかを洗いながしてくれてる気分だ。
 超音波洗浄機みたいな……のとは、ちょっと違うか。表現が難しいけど――幸せだ。
 結局、その日。
 僕たちは寝落ちしても通話を繋ぎ続け、翌朝どちらともなく『おはよう』と目覚めた――。
 それから、いつもSNSで反応をくれる人から有償依頼のメッセージが届き、僕は超特急で描いた。
 波希マグロさんにもリアルタイムで見てもらい、今まででは考えられない速度で描き上げた。
 ラフ画の時点で一発OKをもらってたのも大きいけど、二人でささやかにお祝いをして……。
 それが、たまらなく幸せで……。夢にも近付いてる気がしてる。
 価格は相場の中で最安値だから、イラスト一本で食べていくのは厳しいけど……副業とかなら。
 そんな小さくても確実な成長を感じながら、初めての夜行バスへ乗る。
 八王子までは、今から七時間ぐらい。
 イラストの依頼も終えたからな。彼女の家に着いてから演じたい台本を探して、浅い眠りについた。
「波希マグロさん、久し振り」
『七草兎さん! 来てくれて、ありがとう! バスの旅、疲れたでしょう?』
「腰とお尻は、ちょっとね。でも、新鮮で楽しかったよ。それじゃ、演じようか?」
『休憩は……。ううん、分かった! どの台本からやる?』
 僕が少しでも彼女と会話して、一緒に演技をしたいのを察してくれたのかな。
 実際、彼女の声は特別だ。
 演技が上手い下手より先に、特別な彼女というだけで凄く幸せな音として響く。
 電波のラグもノイズもない、扉越しのやり取り。
 この貴重な時間を、片時たりともムダにしたくなかった。
 そうして、とんぼ返りの日々が始まった。
 夏休みも、もう終わる。
 三年生の卒業記念公演に向けて裏方を必死でこなし、アルバイトやイラスト、レッスンや勉強に明け暮れる日々。
 不思議と、追われてるって感覚はない。
 むしろ、日々が充実して感じる。
 恋愛は全てのエネルギー源だって聞いたことがある。僕にとっても、そうだったらしい。
 波希マグロさんの場合は、声劇みたいだけど。
 僕が毎日、自分を成長させられてるのは波希マグロさんのお陰だ。
 絶対に口にはできない分、どんどんと膨れ上がっていく想い。
 その膨れ上がった想いを、将来に繋がる行動に繋げられる。
 でも――毎週のように何本も台本を演じてると、問題も起きる。
『う~ん。やりたい台本、なくなってきたなぁ……』
「君が兼ね役をしてくれても、限界があるからね」
『そうなんだよねぇ。少年声なら得意だけど、さすがに叔父さんキャラは難しいなぁ』
「僕も演技の幅があればいいんだけど……。万年、基礎クラスの僕には高度なことはできないや」
 僕と彼女を繋ぐ、一番の趣味がネタ切れだ。
『今日はさ、お喋りとかしない? これ……。面白くない話かも、だけど』
「……OK。波希マグロさんが辛くない範囲で、ゆっくりね?」
『うん。……本当、察しがいいね』
 君が自分の境遇について話そうとしてるのを、声色から感じたんだよ。
 僕が感情の機微に敏感だって言われるのは、この辺なのかもしれないな。
『……私ね、中高一貫の女子校に通ってるんだ。芸能活動にも理解があって、同じ劇団やスクールに通ってた子も……同級生なの』 
「それは……。学校にも、行きにくいよね」
『うん。だけど……。スクールの先生にも、学校の先生にも、私が行かない事情は説明できなかった』
「なんで? その、動画観ちゃったけどさ、あれがあれば相手が悪いってなるんじゃない? そりゃオーディションで変な噂とか、流れちゃうかもしれないけど……」
 とてつもなく不利になるとは思えなかった。
 波希マグロさんの声をスクールの先生に聞かせたら『この子、めっちゃ上手いね。まだまだ伸びそうだけど』って、驚いてたし。
 プロの声優として事務所にも所属してる先生が言うんだから、実力は間違いない。
『……これは誰にも言ってないんだけどね。あの子たちが改心してくれるって、信じてたんだ』
「は?」
『昔、小さかった頃は……。一緒にプロになろうねって、笑いあってた友達だったの。でも私がいい役をもらってばっかりで、実力判定とかスクール内審査で最高評価をもらってばっかりになると、変わっちゃった』
 幼い頃からなら、変わりやすいだろうね。
 無邪気な状態から、徐々に現実を受け入れられなくなってくる。
 僕が適正のない夢を追って不安で押しつぶされそうに変わったのと、少し似てるな……。
『私だって、あの子がいなければとか、あの役は私の方がいいのにとか……。魔が差した考えをしたことはある。だから一時の気の迷いなら……なかったことにしたかった。バラしちゃったらさ。あの子たちは確実に、どこの事務所も取ってくれないでしょ?』
「それは……。優しいけど、甘いね」
 あの子たちは、もう性根から歪んで憎しみに取り憑かれてるように見えた。
 今更、改心するとか……。そんなの、ないと思う。
 改心の余地があるならイジメ動画を撮って送りつけて、精神を粉々に壊そうとは考えないはずだ。
『冷静になった今なら、そう思う。……私が耐えて強くなれば、それで済むとか思ってたけど……ね。私は思ってたより弱くて、こんな状態から抜け出せないでいる。SNSも、あの子たちにあることないこと言われて、大炎上したのが怖くて消しちゃった。……炎上で通知が止まらないのって、怖いね』
「……どう考えても、君は悪くない。強いて言えば、やり返す勇気を出してほしかった」
『やり返すのってさ、本当に勇気がいるんだよ。本当に、さ……』
 それは……便利屋扱いされても仕方ないって、勇気を出して配役や責任ある仕事に立候補しなかった僕にも刺さる言葉だ。
 三人がかりでイジメられたり、不特定多数のネットで誹謗中傷されたら……厳しいだろう。
 物語のキャラみたいに強くなるのは、難しいもんだな。
『波希マグロってハンドルネームの由来も、本名をもじったのはあるけど……。広い海に延々と起こる波の中、常に泳ぎ続けて希望を見つけたいって願いを込めたんだ。……七草兎さんのハンドルネームは?』
「僕のハンドルネームは、本名のイメージを縁起良くしただけ、かな」
 お互い、まだ名前すら知らない繋がり。
 それでも、これだけ深くのめり込んでるんだから――不思議な感覚だ。
「演技やイラストで、少しでも良縁がありますようにってさ。波希マグロさんが声劇のハンドルネームに願いを込めたのは、そんなキャラを演じたい。なりたいって思いからだったんだね」
『そう、だね。……お芝居をしてれば、気が強くて何ごとも立ち向かって困難に打ち克つキャラって、いるじゃない?』
「うん、いるね」
 初めて彼女と生声劇で演じた女性騎士もそうだった。
 自分の守るべき信念のために、親友と闘い抜いた。
 その生き様は、切なくも格好よかったけど。
 君は、君じゃないか。
『人物を深く分析してから演技で没入してるとさ、熱中して自分に戻ってこられなくなる時があるよね。登場人物に憑依しすぎて、本当の自分はどんなだっけみたいな』
「それ、聞いたことはあるよ。僕の演技力だと、その領域に至れてないけど」
『楽しいんだよ~。七草兎さんにも、味わってほしいな。……演技をしてれば、弱い自分を忘れられる感覚。何者にでもなれちゃう感覚』
「僕は……とことん、演技の才能がないみたいだから」
 イラストは少し上達や進歩を感じるけど、劇は全くだ。
 努力してるつもり、程度なのかもしれないけど……。
『私は、七草兎さんの全力と真面目さが伝わる熱い演技に、元気をもらってるよ?』
 その言葉だけで、嬉しさで胸が震えるよ。
『初めて生声劇した時から、技術とかより熱意に引っ張られた。演技の原点、楽しさに導かれた』
 あの時、僕は君の素晴らしい演技に導かれてばかりだと思ってた。
 僕も、君を導くことができてたんだ。僕は……君の役に立ててたんだね。
 じゃあ、お互いに救われたってことだ。
『……私も、あの時の女騎士さんみたいに強くなりたいなぁ……。立ち向かって決断できる、強い自分になりたい』
 彼女の願いを聞いて――僕は一つ、閃いた。
 いや、でも、これは……。
 僕に、できるのか?
 いや、できるかできないかじゃない。
 僕が――やりたい!
「波希マグロさんはさ、嘘から出た誠って信じる?」
『どうしたの、急に?』
「演技ってさ、究極的に言うと自分ではない自分。嘘を如何に本物のようにするかじゃない?」
『それは、うん。そうかもだね。その結果、自分を見失うぐらい、本物に限りなく近い嘘だと思う』
 それが聞ければ、十分だ。
「――僕、台本を書いてみるよ」
 彼女が嘘から出た誠で……望む自分になれるような台本を、さ。
『え。台本、書けたの?』
「初めて挑戦してみるよ。だからこそ、いいんじゃないか。新たな道を探す一歩が、君がなりたい役を書くためなんて……。最高に燃えるよ!」
『七草兎さん……。でも、キャパシティオーバーじゃない? 夢に向かって挑戦するのは、格好いいけどさ。ちゃんと、寝られてる? せめて寝落ち通話は、やめようか?』
「僕の元気の源には、その寝落ち通話も入ってるんだよ。だから、波希マグロさんが大丈夫なうちは、続けたいかな~」
 好きな子の喜ぶ声、眠くなってきたときの可愛い声。
 口には出せない約束だけど……。そのエネルギー源を断たれなければ、いけると思う。
 格好つけられると思う。
『私、こんな……。こんな幸せをくれる思いに、応えたい。応えられない自分を必ず変えるから……』
「お医者さんが、時間をかけないと難しいって言ってたんでしょ? 今は、その気持ちだけで嬉しいよ」
 トラウマについては、僕も調べた。
 心に深くついた傷は、風邪や骨折みたいに時間と薬で治るほど単純なものじゃないそうだ。
『それなら、せめて……これだけ言わせて』
 彼女の声が、これまで以上にすぐそばから聞こえる。
 僕が背中を預けてる扉を伝って、彼女の熱が伝わるような距離だ。
 彼女も僕と同じように、扉に背を預けてるのかな?
『七草兎さんに会えて……。ネットの広い海で繋がれて、本当によかった!』
 それは――こちらのセリフだよ。
 いつかのお返しじゃないけど……。僕のセリフを取らないでよ、意地悪……。
『七草兎さんも私と同じ気持ちになってくれるように、頑張るから!』
 もう、なってる。
 君と出会ってからこそ見えた景色だらけで……。君と会えてよかったって。
 恋愛関係のことは言わないって約束をしてなければ……。
 君が悩みを解決できたなら……。
 すぐにでも、この気持ちを添えて伝えたい。
「う、うん、応援してる! 今日はそろそろ、夜行バスの予約時間だから。またね!」
『うん、来てくれて本当にありがとう。いつか私から会いに行けるように克服する。約束ね!』
 僕がそういって立ち上がると、凪咲さんが玄関に立っていた。
 僕が帰る時間に会わせて、準備をしてくれてたんだろう。
 そうして今日は、凪咲さんが運転する車に乗る。
「晴翔君。今日も来てくれてありがとね。……正直、驚いた」
「何がですか? 僕が諦めず、本当に通ってることがですか?」
「そういう根性の話だけじゃない。私たちには予想もつかない方法で、あの子を前向きにさせてくれるんだなって、さ」
「いや、僕は……。思考が偏ってるだけじゃないですか?」
 声劇に誘いまくるとか、台本を書くだとか。
 こんなの、一般的な治療方法じゃないはずだ。
「……知らなかったんよ。今日、話してた内容のほとんど、家族ですら聞いたことないの。紛れもなく、あの子が抱える本音の奥底だった。……悔しけど、嬉しい」
 バックミラーに映る凪咲さんは、儚げな笑みを浮かべてた。
 家族っていう血の繋がりがある人を差し置いて、僕は何も言えない。
 なんで波希マグロさんが僕だけに話してくれたのかも、聞けなかった。
 互いに無言のまま八王子駅のロータリーへ着いた。
 車を降りた僕に、凪咲さんは真剣な表情で
「一応だけどさ。あの子の頑張るって言葉、口だけじゃないかんね。……カーテンで閉じきってた窓を開けたり、玄関まで歩いていったり。震えながら毎日、挑戦してるの」
 そう教えてくれた。
 僕の存在が、どこまで貢献できてるのかは分からない。
 それでも、彼女が抱えた問題を乗り越える力になれてるなら、嬉しい。
 帰りの夜行バスの中、早速台本の構想を練り始めた――。
 そして始まった二年生の三学期。まだまだ暑い九月。
 もうすぐ三年生の引退記念で、部内公演がある。
 部活中は、裏方としてやるべきことに全力は尽くす。
 実際に武内君から前にもらった台本に書かれてるセリフが、どのように演じられるのか。
 演じ手じゃなく書き手としての見方に変えると、凄くセリフ運びの参考になる。
 休み時間や、登下校の電車内。
 あらゆる隙間時間を使って、台本に頭を悩ませた。
 人物造形から歩んできた物語に描かれない背後まで。
 そうして、あっという間に次の土曜日。
 僕は印刷した台本を手に、白浜家へとやってきた。
「波希マグロさん、お待たせ」
『七草兎さん、今日も来てくれてありがとう!』
 部屋の中を小走りに走って、扉の前まできてくれた音が聞こえる。
 扉のほんの少し前から、蕩けそうになる君の声が聞こえてくる。
「はい、これ。メッセージで話してた約束の台本」
 扉の下から、僕が初めて書いた台本を渡す。
 するすると室内へ吸いこまれてく台本を見て、胸がどきどきとする。
『……凄い、凄いよ』
「どう? 演じてみたいって思うような仕上がりになってるかな?」
『うん、うん! 私が目指した、困難に立ち向かって乗り越える強い子だ!』
「喜んでもらえてよかった! 僕は書いた側だから、読み込みできたら演じよう!」
 お世辞かもしれない。
 気を遣ってくれたのかもしれないけど……。
 書いてよかった!
『OK。いけるよ!』
 そうして、台本主と貴族子息役が僕。
 悪役令嬢と、虐げられてた女性生徒役を彼女が演じる劇が始まった。
 情感がこもった、うっとりする程に魅力的な彼女の演技。
 つい聞き惚れてしまうけど……。
 最後、虐げられてた子が困難に打ち克つシーンの力強さ、演技に込められた想い。
 これを聞いた瞬間、彼女の演技を超えた――本気で打ち克ちたい、強くなりたいって心が伝わってきた。
「……どう、だった?」
『……楽しかった。楽しかったよ! このキャラ大好きだし、物語も面白い! 感情移入とか没入とか超えて、本当に一体化してる気分になれた! 気持ちよかった~!』
「君をイメージしたからね。僕も、安心した~……」
 ヘナヘナと、扉に背を預け座りこむ。
『七草兎さん、この台本……。私、大好き! お世辞とか抜きで、先生とか公演で使う台本みたいだった! 本格的にプロと細かい修正をやれば、もっともっと最高になるかも!』
「ははっ……。本気にしちゃうよ?」
『本気にしてほしい! 私、気は遣うけど、演技に関して嘘は言わないよ。人物の感情とか、自然で繊細で……本当にいる人物だって思うぐらい。これ、もっと色んな人に見てほしい台本だなぁ……』
 しみじみと言う声……。本気、なんだろうな。
 確かに、彼女は大好きな演技に嘘は吐かないだろう。
 そっか……。時間はかかったけど、見つけたかもしれない。
 僕の適性、僕が進むべき――道を。
 人の感情の機微に敏感って特技が、こんなところに活きるとは……。
 彼女と会ってなければ、気がつかなかった。
「……僕さ、脚本家とか作家になれると思う?」
『それは、演じ手の私には分からないかなぁ。すっごく素敵な台本だと私は思うけど、評価って皆が決めるもんだし』
「そっか、そうだよね」
 芸術全般、いいものかどうかは人の評価が決めるものだ。
 誰かに評価されないと、そもそも価値は分からない。
 それなら――。
「――これ、受け取ってくれないかな?」
 彼女とのチャットに、データを送信する。
『もしかして、この物語の登場人物?』
「そう、台本を書いてるときに具体的なイメージをしたくてさ。今回は流行のファンタジーだったけど。イラストに描いてみたんだよ」
『へぇ~! やっぱり上手! 特にこのドレス、繊細なレースが凄い! 舞台で着てみたいなぁ。この貴族子息が騎士礼服姿で身に付けてる金のチェーンとかも、丁寧……』
「この台本とイラストを使って――君とボイスドラマを創りたいとか、思ってるんだよね」
 ボイスドラマ動画にすれば、ネットで多くの人に視聴してもらえる。
 多くの人から評価をもらう、機会になる。
『いいね! 七草兎さんの実力が皆に評価されてほしい!』
 それに――。
「――これで名前が売れれば、有償依頼がくるかもしれないよ」
『うん、きっとくるよ! 台本とかシナリオ依頼とか! 七草兎さんはイラストも素敵だから、そっちもだね!』
「ううん、違うよ。僕が有償依頼がくるかもって言ってるのは、違う」
『違う?』
 こんなことを口にしたら、嫌われるかもしれない。
 それでも彼女が前へ歩み出す切っ掛けになるかもしれないから……。
 勇気を振りしぼって、言おう。
「波希マグロさんの――声優活動に、だよ」
『……ぇ?』
 何を言われたのか分からないのか、呆気に取られた声が聞こえてきた。
『え、私が、声の演技で、有償依頼を?』
「そうだよ。一文字いくらとか、一ワードいくらで個人が受けるみたいな仕事。事務所とか関係ない、フリー声優って知らない?」
『……知らなかった』
 スクールで実績を積んで、オーディションに合格して事務所に所属とか。
 アニメや映画、舞台やミュージカルの場を順調に目指してた彼女は、知らなかったのかもしれない。
 事務所で活動するのとは別名義でやってる声優さんもいるって話だけど。
 まだそこまで深い……副業的な世界は、視野に入れてなかったのかな。
「波希マグロさんなら、大人気で依頼が舞い込みそうだなぁ~。同人とか、個人制作も流行ってるらしいから」
『ちょ、ちょっと待って! 私、私なんて……。まだまだスクール生の段階で、お金もらって演技をできるレベルじゃないよ!?』
「僕のイラストだって、そんなレベルとは名乗れないよ。自分で名乗るほど、傲慢にはなれない。……買い手が、お金を払ってでもやってほしい。だから、やる。有償依頼って、そういうものじゃない?」
 物の価値は、買い手が決めるんだ。
 勿論、個人でやるからトラブルは起きやすいだろうけど……。
 そこは家の教育方針で、契約やらお金の管理やらトラブル対策やら。
 色々と叩き込まれてる僕も、多少は力になれると思う。
「できるかできないか。今の段階でそれを言うのは、早いよ。宣伝にもなるボイスドラマ動画を含めてさ。やりたいか、やりたくないか。それを教えて?」
 ちょっと卑怯な言い方だったかもしれない。
 元々、声劇アプリで色んな人が聞けるコラボ募集動画を上げてた波希マグロさんだ。
『――やってみたい、やりたい』
 絶対、こう答えると思ってた。
『大人気になって、私をいじめた子を見返したい! お金を頂いて、七草兎さんの交通費を返したい! 何より――たくさんの人の、心に響く演技を届けたい!』
 そうだよね。
 波希マグロさんは、演じるのが大好きだもんね。
 それなら僕は、君が望むことができるように――。
「――全力を尽くすよ。一緒に創ろう。僕たちのボイスドラマ、そして将来を!」
 互いに抱えた問題を解決する糸口が見えた。
 僕たちで一緒に、夢へ辿り着く道を紡ぐんだ――。