幸い――本当に幸いなことに、死者はゼロだった。
重傷者は多数いたけれど、バルルワ村にも治癒魔法の使い手が数名いて、何とか死者ゼロのまま乗り切れそう、とのことだった。
クゥン君も、後遺症なく回復することができた。
良かった……本当に、本当に。
そうして、今。
「「「「「女神様ばんざーい! エクセル神様ばんざーい!」」」」」
私、エクセルシア16歳。
異世界で、神になっていた。
「ささ、こちらにお座りくださいエクセル神様」
「喉は渇いておられませんか、エクセル神様?」
村人たち――犬耳のついた老若男女が、私をキラキラした目で見上げながら、『エクセル神』と崇めてくる。
「ですから、私の名前はエクセルシアだと――」
「エクセル神様!」
「女神様!」
「ばんざい!」
あー、ダメだこの人たち。聞いちゃいないよ。
前世でマイクロソフトExcelが抜群に得意だった私は、社内のいろんな人たちから『エクセル神』と崇められていた。
愛沢部長がまだ本性を隠していたころ――情報システム課がちゃんと5人体制だったころの話だ。
自分で言うのも何だが、Excel VBA(マクロ)がバツグンに得意だった私は、各部各課の定型業務を自動化させては有難がられていたものだった。
懐かしいなぁ。
「って、あああああっ!?」
と、一息ついたところで思い出した。
「夜までに戻らないと!」
辺境伯に友愛ポイントを下げられてしまう!
窓の外を見てみれば、空は真っ赤に焼けている。
急いで戻らないと!
「じゃ、じゃあ私はこれで。お疲れ様でーす」
私がそそくさと去ろうとすると、
「えええええっ!?」例の少女が悲痛な声を上げた。「女神様、帰っちゃうの!?」
「いや~、お姉さんにも事情がありましてですね」
「でも!」少女が震えている。「夜になったら、またあいつらが来るかも……」
あー……これは子供のガワママとかじゃなくて、命の懸かった切実なお願いだ。
村を取り囲むのは背の低い塀だけで、その塀もそこかしこが崩されている。
村には戦力になるような成人男性がいない。
その上、村は怪我人であふれ返っている。
鉄神を操れる私がいなきゃ、村を守れない。
「キュンキュン」クゥン君が少女をたしなめる。「女神様を困らせてはいけないよ」
「で、でも!」
って、その子キュンキュンって名前なの!?
ヤバ。何それ激カワ。
……じゃなくて。
よく見れば、キュンキュンちゃんの肩を抱くクゥン君の手が、震えている。尻尾も垂れ下がってしまっている。
怖いのだ、彼も。
当然だろう。つい先ほど、死にかけたばかりなのだから。
なのに、私のために、その恐怖を必死に隠そうとしてくれている。
彼のそのいじらしさに、私は胸が苦しくなる。
クゥン君は、恐らく十代前半。
それほどまで幼いにもかかわらず、彼はすでに、自分を律するすべを身に着けている。
彼の育った環境が、兵士としての今の仕事が、彼をそのようにさせたのだろう。
幼いのに、立派だ。
私が十代のころなんて、ワガママばかりでロクな人間じゃなかった。
そんな彼のために、ひと肌脱いであげたい。
というか、ここで彼を助けずして、いつ助けるというのか!
「よーし、お姉ちゃんに任せなさい!」
◇ ◆ ◇ ◆
というわけで、クゥン君とキュンキュンちゃんを鉄神のコックピット内にお招きする。
だいぶ手狭だが、大丈夫。
「ほら、このキーボードでコマンドを打つだけの簡単なお仕事だよ」
そう言って、私はコンソール画面に『move』と打ってみせる。
エンターキーを叩くと、鉄神がゆっくりと歩き出した。
数歩歩かせ、『wait』コマンドで停止させる。
「ほら、クゥン君もやってごらん」
そう、別に私じゃなくても、鉄神は動かせるのだ。
見たところこのロボット――鉄神はごくごく単純な命令文によって動いている。
前世のWindowsにおける黒画面(コマンドプロンプト)を思わせる画面に、短いコマンドを打ち込んでエンターキーを打つだけで、鉄神は動く。
「きーぼーど? こまんど?」クゥン君がうなり、「古代語ですか?」
「いや、古代語ではないが。ほら、『run』って打ってみてごらん」
「ラン? ランって何ですか?」
「こう。『r』、『u』、『n』」
「わわわ、真っ黒な黒曜石に古代語が!?」
「だから、古代語ではないが。ほら、まずはこの『r』を押すの」
「アール? このにょろっとした古代文字ですか? きーぼーどには同じ記号はないようですが……」
「あー、キーボードに刻印されているのは大文字(R)だから」
「??? あのぅ、女神様? オレやキュンキュンみたいな学のない獣人には、古代語なんて絶対に無理ですよ」
あ、ダメだ。
クゥン君が、『俺ぁアイティーってヤツはダメなんだ』って笑い飛ばす工場勤務のおっちゃんみたいな目をしている。
隣のキュンキュンちゃんも同じ目。
パソコンが苦手なご年配社員然り、微分積分と聞いただけではだしで逃げ出す文系高校生然り。
『ニガテだ』、『私には無理だ』と決めつけた人間というやつは、心のシャッターをガラガラガッシャンと閉めてしまうんだよね。
かく言う私も運動が壊滅的にダメで、小学生のころからあらゆる運動から距離を取り続けてきた。
やってみれば案外できたのかもしれないけど、人間決めつけてしまうと、あらゆる努力から逃げ出してしまうものだから。
クゥン君とキュンキュンちゃんは若い、というかまだまだ幼い。
今からじっくり教え込んであげれば、キーボードもコマンドも難なく使いこなせるようになるだろう。
けれど少なくとも今日、夜になるまでに『run』、『autobattle』、『wait』、『shutdown』を覚えさせるのは不可能だ。
「こうなったら!」私は鉄神を起動させる。「今から、突貫工事で堀と土塁を作ります!」
◇ ◆ ◇ ◆
>dig
穴掘りモード起動。
村の外周に、幅広かつ深い深い堀を掘っていく。
鉄神にとっては地面なんて豆腐に等しいらしく、腕を突っ込み、振り上げただけでばぁんと地面が掘り進められていく。
掘った土は堀の内側に積み上げ、土塁の材料にする。
ときどき、硬い岩にぶつかるが、どんな岩も拳一発でこなごなだ。
人口数十名、十数棟の家屋を持つバルルワ村を一周するのに十数分。
村人たちに集めてもらった小石を土に混ぜ、鉄神の巨大な足でバンバン踏み固めること数十分。
ものの1時間で、村をぐるっと取り囲む堅牢な堀と土塁が出来上がってしまった。
これだけ深い堀と高い土塁があれば、ゴブリンたちも侵入できないだろう。
鉄神、便利すぎ!
「むふーっ、成し遂げたぜ」
一夜城を終えた私は、コックピットから飛び降りた。
「女神様!」
すっかり女神様呼びが定着してしまったクゥン君が、水と布を持ってきてくれた。
クゥン君、しっぽをぱたぱたと振っている。ぐへへ、かわえぇのぅかわえぇのぅ。
「本当はもっとしっかりとした壁で覆いたいんだけれど」
「そんなそんな」一緒にやってきた村長さんが頭を垂れる。「ここまでしていただいただけでも十分でございます。何とお礼を言ったらいいか」
「って、あああ!」
空が! 空が暗い!!
友愛ポイントぉおおお!!
「すみません、今度こそ戻ります! この子――鉄神様をお借りしてもいいですか?」
「お貸しするも何も、鉄神様の主は女神様でございますれば」
「近いうちに、城壁造りにまた来ますから」
私はコックピットに入り、
>pickup
クゥン君を優しく抱え上げる。
>jump
5メートルの巨体がふわりと舞い上がり、堀を飛び越える。
鉄神の膝が着地の衝撃を吸収する。
>move /to
と入力すると、移動先を指定するための地図がモニタに表示された。
タッチパネルになっているモニタの一点に触れると、鉄人が小走りで前進し始めた。
うんうん、だいぶ使い方に慣れてきたよ。
鉄神の移動速度はすさまじく、馬のかけあし(馬の疲労を度外視した戦闘速度)くらいの速度が出る。
あっという間に、ヴァルキリエさんたちがいるところまで戻ってきた。
「構え――ッ!!」
ヴァルキリエさんの声。
松明の明かりの中、一斉に弓を構える従士たち。
「わーっ、私です私です! エクセルシアです!!」
「「「「「えええええっ!?」」」」」
ヴァルキリエさんと従士たちが仰天した。
◆ ◇ ◇ ◆
「ホブゴブリンを瞬殺!? それはすごいね!」
馬上のヴァルキリエさんが爆笑している。
『夜伽の時間までに戻らないと友愛ポイントを減らされてしまう』と私が言うと、ヴァルキリエさんはすぐに納得してくれた。
なのでこうして、帰りの道すがらで私からの報告を聞いてくれているわけだ。
夜間の行軍という危険まで押してくれて。
ヴァルキリエさんも、辺境伯に対して思うところがあるらしく、こうして私をかばおうとしてくれている。ありがたいことだ。
「それにしても、この子はいったい何なんでしょう?」
「まぁ、十中八九、隣国――モンティ・パイソン帝国が置き忘れていったものだろうね」
モンティ・パイソン帝国。
超大国。大陸の覇者。
数百年前に突如として産声を上げ、自動人形やその大型版の歩く戦車・騎乗人形、飛行船といったチート兵器の数々であっという間に大陸を平らげた国だ。
私たちの国――ゲルマニウム王国と国境を接する国でもある。
ゲルマニウム王国の国土は日本の四国程度のサイズ。
対してモンティ・パイソン帝国はロシアくらいはあるらしい。
超・超・超巨大な大陸国家モンティ・パイソンの、西の端っこにちょこんと張り付いている弱小国家。それがゲルマニウム王国だ。
そしてここ、フォートロン辺境伯領は、『魔の森』と呼ばれるモンスターだらけの森を挟んでモンティ・パイソン帝国と国境を接する国の東端、最前線なのだ。
先ほど行ったバルルワ村は、そのフォートロン辺境伯領のさらに東隣。
魔の森と目と鼻の先に構える『最後の村』とも言うべき究極の限界集落だ。
「まさかキミは、伝説の古代語『プログラミング言語』が使えるのかい!? 数百年前にモンティ・パイソン帝国の『始皇帝』が開発したと言われる機械兵たち。その機械兵を使役するための特別な呪文『プログラミング言語』は、始皇帝にしか理解できなかったと聞く」
ヴァルキリエさんによる解説が続く。
私(エクセルシア)の記憶にはない知識だ。ありがたい。
「だから、帝国軍の力は始皇帝の死とともに急落した。ゲルマニウム王国がこうしていまも生き残っているのは、帝国の始皇帝が死んだからなんだよ」
なるほど。
私が学んだ王国史は、『魔の森』を最終防衛ラインと位置付けた王国が一致団結して帝国を追い返した的な美談でまとめられたけど、実際は敵の自滅だったわけだね。
「もしキミがプログラミング言語を理解できるのなら、キミは間違いなく英雄になれるよ」
「そんな大層なものじゃないですけど」
あんなのはただのコマンドだ。
ITをちょっとでも聞きかじったことがある人なら、容易に思いつく。
でも、この子――鉄神を構築しているのは、もっと複雑で高度なプログラミング言語なのかもしれない。
それこそ、帝国名そっくりな、あの言語かも。
そう、そうなのだ。
モンティ・パイソン帝国。
何とも引っかかる名前なんだよねぇ。
始皇帝の名前が『■■』だったら、始皇帝は『アレ』で確定なんだけどなぁ。
そして始皇帝が『アレ』なら、フォートロン辺境伯もきっと『アレ』だ。
「ところで、ヴァルキリエさん」
「なんだい?」
「その、始皇帝って何っていう名前なんですか?」
「ソラだ」ヴァルキリエさんが『答え』を口にした。「ソラ = ト = ブ = モンティ・パイソンだ」
「やぁっっっっっったぁ~!」
私は喝采を上げた。
『空飛ぶモンティ・パイソン』
超有名なプログラミング言語『python』の生みの親グイド・ヴァンロッサムが大好きだったコメディ番組のタイトルだ。
そして、私の名前はエクセルシア = ビジュアルベーシック = フォン = アプリケーションズ。
エクセルVBA。いわゆるマクロ。
そして、辺境伯。
コボル = フォン = フォートロン。
コボルは言わずもがな超有名プログラミング言語の『COBOL』。
フォートロンも同じく超有名プログラミング言語の『Fortran』。
いずれも、プログラミング言語が名前の元になっている。
一方、私がこの世界で触れてきた名前はいずれも、プログラミング言語とは無関係だった。
メタ読みになるが、『転生者はプログラミング言語に関する名前になる』のではないだろうか?
だとしたら。あぁ、だとしたら。だ・と・し・た・ら!
「くふっ、くふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ、あはっ、
あははっ、
あはははっ、
あぁ、あぁ、あはぁっ、
あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!」
自分でも分かる。
今、私の顔、狂喜の笑みで染まってる。
「復讐できる! 辺境伯に――――……愛沢部長に!!」
こうして、私の今世における人生の目標が定まった。
◆ ◇ ◇ ◆
「何てことをしてくれたのですか!?」
頭を搔きむしる辺境伯(中身は十中八九、転生した愛沢部長)。
バルルワ村の機械兵を起動させ、ゴブリンの軍勢を追い返した。
堀と土塁でバルルワ村をまるっと囲み、村の安全を確保した。
以上のことを報告した際の辺境伯のリアクションが、これだ。
「「「???」」」
ヴァルキリエさん、クローネさん、クゥン君が首をかしげている。『良いことをしたのになぜ怒られる?』という顔だ。
一方の私は、「でしょうねぇ」という顔をしている。
だって、バルルワ村の惨状は、辺境伯が意図的に引き起こしているからだ。
帰り道でヴァルキリエさんから教えてもらった情報をまとめると、次のようになる。
十数年前まで、この地に獣人差別は存在しなかったんだそうだ。そして、獣人は『自治区』なる領土を持っておらず、辺境伯領で人間と仲良く共存していた。
状況が変わったのは、先代辺境伯が亡くなり、今の辺境伯(愛沢部長)が領土を治めるようになってからだ。辺境伯が魔の森と接する地域一帯を『獣人自治区』とし、獣人たちによる定住と自治を『認めた』のだ。
『友愛精神にあふれる慈悲深い辺境伯様が、獣人たちのために土地を下賜した』というストーリー。
実際、土地をもらった当時、獣人たちは喜んでいたらしい……が、それも住み始めるまでの話。
いくら自由に農耕できる広大な肥沃で土地が与えられたからと言っても、毎日のように魔の森から魔物たちが襲いかかってくるのでは定住なんてムリムリ。
しかも、防衛のために頑丈な城壁を建てようとすると、辺境伯から『領都に対して壁を建てるなんて、僕に反意があるのですか?』と問い詰められ、粗末な塀しか許されない。
とても住める土地ではない。とはいえ土地を返上しようものなら、『辺境伯たる僕が身を切る思いで差し上げた土地を一方的に返上しようとするなんて、友愛精神にもとると思いませんか?』とくる。
ここは封建制度が支配する世界。
この世界において、領主の言葉は神の言葉にも等しい。
神に見限られた者は、路頭に迷って盗賊か魔物かオオカミのエサになるしかない。
獣人たちからしたら、詰んでるよね。完全に。
辺境伯は獣人たちを生贄にして、魔の森と領都の間に緩衝地帯を設けたわけだ。
まぁ、いかにも愛沢部長のやりそうなやり方だ。人の命を命と思わぬ極悪非道なやり方。
それから十数年。
気がつけば街は獣人に対する差別意識にあふれており、一方、絶対にバルルワ村を守ってくれない領軍に対して獣人たちは怒り狂っている。
誰が獣人差別を助長させたのか? いったい誰が、領都のサーカスや劇場で、獣人を『無知で野蛮なケダモノ』と喧伝するような内容の演目を演じさせているのか。
誰ってそりゃ、決まってるよね。
分断して統治せよ。愛沢部長の得意技だ。
「あの、辺境伯様?」私はか弱い少女を演じて、「なぜそんなにもお怒りになっておいでなのでしょう。わたくし、辺境伯様がお話しくださった友愛精神に則り、バルルワ村の人たちを助けただけですのに」
「閣下」ヴァルキリエさんが加勢してくれる。「今回、領軍は自治区に一切足を踏み入れておりません」
実を言うとクゥン君が入ったんだけど、そこは伏せてくれるようだ。
「ゴブリンの軍勢と戦ったのは、あくまでもともとあの村に置いてあった古代兵器です。あの機械兵を起動させたのはエクセルシア嬢ですが、彼女は軍人ではありません」
「しかし、勝手に堀と土塁を築くなど」
「っ、それは、はい。私の指導不足でした」
「では、ヴァルキリエがマイナス100友愛ポイントですね」
「なっ――」
私は言葉を失う。
そんな、私の所為でヴァルキリエさんが!
「か、閣下! 下げるなら私のポイントを――むぐっ」
ヴァルキリエさんに口をふさがれた。
ヴァルキリエがウインクしてくる。
かっ、かっこいい。
と、ひと芝居終わったところで、私の心は再び深く沈み始める。
そう、このあとには、世にもおぞましい初夜が待っているのだ。
あぁ、心の底から嫌だ。
するなら、好きな相手とがいい。
私は思わず、助けを求めるような視線をクゥン君に向けてしまう。
クゥン君と目が合ったが、気まずそうに目をそらされた。
……まぁ、そりゃそうだよね。
夜伽は夫婦の義務だし、私は両家の同意の下で結婚した身だし。それがたとえ、エクセルシアが望んだものではないにしても。
「エクセルシアさん」
辺境伯が、ねっとりとした視線を私に向けてきた。
私は思わず、顔をそむけたくなる。
何か、何かないか、夜伽を回避する方法が――。
「エクセルシアさん」
私にねっとりとした声で呼びかけた辺境伯が、一転して深い深いため息をついた。
「はぁ~……気分が悪い。今日の夜伽は不要です。風呂には入ってくださいね。貴女からはひどい臭いがしますから」
あ、あはは……そりゃまぁ、鉄と血と土に触れ続けてきた半日だったからなぁ。汗もすごいし――って。
夜伽は不要!?
うおおおおおおおおおおおおおっ、やった!
このクソクソサイコパスじじいに抱かれなくて済む!!
◇ ◆ ◇ ◆
「しっかし、どうすっかなー」
お風呂に入り、冷めた食事を頂いたあとで、私は自室のベッドに寝転がる。
部屋は六畳間で、辺境伯の奥方としてはあり得ないほど貧相な待遇。
けれどメイドとして働かされるよりはよっぽどマシだ。
『等級』とやらが上がれば、部屋が豪華になったり、温かい食事が得られるようになるのかな?
今の私が、確か『4等級』。
クローネさんも同じだった。
クローネさんは5等級落ちしてメイド扱いになるのを恐れていた。
ってことは、スタートラインが4等級で、減点方式なんだろう。いかにも愛沢部長らしいマネジメントだ。
せっかく転生したこの命。
何のために使うかは、もう決めた。
――復讐だ。
辺境伯を徹底的に分からせてやって、徹底的に追い詰め、絶望させてから、■す。
私と、情シス課の4人の同僚たちが受けた苦しみを、100倍、1000倍、1万倍にして返す。返してから■す。
まぁ、実際に■すかどうかは置いておいて、分からせてやるのは絶対だ。
実際問題、辺境伯を苦痛の果てに■すだけなら容易い。
鉄神を動かして、手足をもいでやればいい。あのホブゴブリンみたいに。
ただし、領主■し、旦那■しはこの国において大罪。
私のみならず、実家――侯爵家も一生お尋ね者になってしまう。
私を売り飛ばした実家ではあるものの、それでも私(エクセルシア)の体の中には、衣食住や教育をしっかりと整えてもらったという記憶や、母や兄弟に優しくしてもらった思い出が残っている。
なので、犯罪行為はナシ。正規の手順で辺境伯よりもビッグな存在になり、辺境伯を断罪するしかない。
私が男だったなら、武勲を上げてどこぞの貴族に騎士(従士)として召し抱えてもらい、さらに武勲を伸ばして領地に封じられ、あの手この手で領土を増やし、最終的に辺境伯領も併呑、というのが王道なんだろうけど……あいにく私は女なんだよね。
女の王道は玉の輿。
辺境伯よりも高位の貴族――王・公・侯のいずれかに嫁ぎ、旦那を動かして辺境伯を断罪させるというもの。
だけど、私はもう既婚の身。離婚はこの国ではひどく外聞が悪いから、輿入れ早々離婚された私を娶ってくれる高位貴族なんて皆無だろう。
ならば、知識チートで政商ルートは?
産業革命チートや無煙火薬チート、お化粧チートで王室の覚えめでたくなったところで辺境伯の悪業をリークするとか。
でも、妻を虐げたり、領民(領地内の自治区に住む獣人)を虐げるっていうのは、この世界じゃ大した『悪行』にならないんだよね。
それで処刑まで持っていけるかというと、心許ない。
「やっぱり領地貴族になるしかないか」
辺境伯の近場で領主になり、戦争ふっかけてとっ捕まえてぬっ■す。
領土さえ接してしまえば、戦争の理由なんていくらでも湧いて出てくる。
水場争い、狩場争い、鉱山利権、関税、難民。
領境にある魔物や盗賊団のアジトを鉄神で壊滅させて、『そっちが管理できないならこっちで管理する』と言って実効支配してやってもいい。
それで怒った辺境伯が出てきたら、鉄神でボコしてとっ捕まえる。
出てこなかったら、出てくるまで領軍をボコして捕虜にする。
ヴァルキリエさんと戦うのは嫌だけど、鉄神の力を使えば、ケガさせずに無力化させることも可能だろう。
くふふ……辺境伯、もとい愛沢部長。
処刑はどんな方法がいいかな~。
高貴で人道的な処刑法であるギロチンなんて、絶対に使ってやらない。
やっぱり、不名誉と恥辱にまみれた絞首刑かなぁ。
◇ ◆ ◇ ◆
「あぁ、ダメです若奥様!」
「ぐへへ、いいではないかいいではないか」
「ですが若奥様はフォートロン辺境伯閣下の奥方。けして許されることではございません」
「往生際が悪いぞクゥン君! エクセル神たるこの私に逆らうというのかな?」
「あーれー」
「……シアさん」
「ぐへへ、クゥンきゅん」
「エクセルシアさん、朝ですよ!」
「――はっ!」
クローネさんの声で目が覚めた。
……あら。私ったらなんてはしたない夢を。
「おはようございま……す?」
起き上がってから、気づいた。
クローネさんの後ろに、メイド姿の奥さんがいることに。
メイドさんは私の着替えを持っている。
「そ、そそそそんなっ、自分で着替えます!」
「これもルールですので」とクローネさん。「和を乱して友愛ポイントを下げないようにお願いしますね」
先輩奥さんに後輩妻の世話をさせるとか、どんな地獄だよ!
「わ、分かりましたから! ちゃんとお世話されたって体にして、私にもお手伝いさせてください」
◇ ◆ ◇ ◆
朝。
辺境伯家の妻たちは忙しい。
掃除に洗濯、薪割りに飯炊き、調理と、たくさんの5等級以下奥さんたちが右往左往している。
って、薪割り!? 華奢な貴族家出身の元令嬢たちに薪割りやらせてるの!?
「お手伝いさせてください!」
見かねた私は、中庭の片隅に座らせていた鉄神に乗る。
今朝のドレスは昨日着ていたものよりもなお質素なので、鉄神によじ登るのも楽ちんだ。
血豆で苦しんでいた可哀そうな奥さんから手斧をお借りし、鉄神の親指と人差し指でつまみ上げる。
斧を木へ振り下ろす。
――シュッ、パコーン
木が真っ二つになる。
「まぁ!」
薪を一つ作るのに何度も斧を振り下ろしていた血豆の奥さんが、感嘆の声を上げる。
次の木を拾い上げ、
――シュッ、パコーン
――シュッ、パコーン
――シュッ、パコーン
あっという間に積み上げられていく薪の山。
「「「「「おおおおお!」」」」」
庭で仕事をしていた奥さんたち、大興奮。
「すごいです! 丸一日かかるはずのお仕事が、あっという間に終わってしまいました」
「追加の木も持ってきますね」
「そんな、悪いです!」
「ほら、この子ならあっという間に終わりますから」
遠慮する血豆の奥さんに木の置き場を教えてもらい、鉄神とともに向かう。
そこは、屋敷の裏手にある倉庫だった。
「ひゃっ」
鉄神で中に入ろうとすると、倉庫の整理をしていた奥さんを驚かせてしまった。
「あっ、ごめんなさい」
「ああ、貴女がウワサのエクセルシア令嬢ですか! ウワサどおり大きな自動人形ですね」
「5メートルはありますからねぇ。――って、え?」
目を疑った。倉庫の中に、数百体もの自動人形が並べられていたからだ。
確か、辺境伯が自室の人形を『貴重な最後の10体』みたいに言ってたはずだけど。
鉄神から飛び降りて、人形の1体に触れてみる。
かすかな振動――駆動音が感じられる。
「あの、この人形たち、使わないんですか?」
「その子たちは、耐久年数を超えてしまっているんです」
「故障してるってことですか?」
「いえ。故障ではなく、役目を終えたんです」
どういうこと?
「理由は解明されていないのですが」奥さんが解説してくれる。「自動人形は、起動してから二十数年経つと、それっきり動かなくなるんです。ある日、突然、動かなくなるんです。故障しているわけでもないのに。全ての自動人形がそうなので、我々はもう、そういうものなのだとあきらめています。多くの技師がこのナゾを解明しようと奮闘したそうなのですが、誰にも原因は突き止められませんでした」
ふぅん……?
何か引っかかるな。
私は鉄神に乗り込み、
>debug
とコマンド入力してエンター。
すると鉄神の指先が開き、端子がしゅるしゅると出てきた。
端子が自動人形の首筋に接続される。
すると、眼前の景色を映し出していたモニタに、この人形を構成するソースコードが表示された。
for i in range(9999):
#朝の起動確認
■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■
■■■■■
■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■
・
・
・
Python! やっぱり鉄神はPythonで開発されていた!
試しにデバッグモードで動かしてみると、ソースコードの1行目、for文のところでいきなり処理が終了する。
変数iの中身を確認してみると、
『9998』
「あはは!」
「えっ、どうなさったんですか?」
「いやコレ、単にiが終端までいっちゃってるだけですよ」
「???」
「この子は起動してから9999日しか動かないようにプログラミングされているんです」
『for i in range(9999):』とは、『9999回、同じ処理を繰り返す』という意味のコードだ。
もう少しだけ踏み込んで説明すると、『変数iが0~9998までの間、以下の処理を繰り返す』というもの。
そのiが、既に9998に達してしまっているのだ。
「9999日。ええと、365で割ると――」
おお、この奥さん暗算できるのか。
というかこの世界でも1年は365日なのね。
「27と端数。27年!?」
「そう。『二十数年経つと動かなくなる』というわけですね」
「そんな仕組みが! ですが、何のために?」
「それは分かりません。鹵獲されて永久に使用され続けないように、とか? 実際この子たちはモンティ・パイソン帝国から鹵獲されたものですし」
とはいえ、ここまで高度なロボットを開発できるソラ皇帝が、あたかも『とりあえず9999回でいっか』みたいな、小学生のようなプログラミングをするとは考え難い。
何か重要な伏線を目の前にぶら下げられているような、違和感。
「まぁ何にせよ、とりあえず直しますか」
私は『for i in range(9999):』の『9999』の末尾に『9』を付け加える。
自動人形が目を開き、動き始めた。
「これで、ほぼ永久に動き続けるようになりましたよ」
「ええ!? 永久って、どのくらいですか!?」
「99999÷365=274年くらい」
「えええええ!?」
瞠目する奥さんは置いておいて、私は次々と人形を目覚めさせていく。
数百体のメイド型ロボットが動き出したことにより、辺境伯家の奥さんたちは過酷な労働から解放された。
◇ ◆ ◇ ◆
【Side コボル辺境伯】
他人の不幸からしか得られない栄養素というのは、確かにある。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
百何十番目だったかの妻からの挨拶で、僕は目覚めた。
「あぁ、おはようございます。一人はみんなのために、みんなは一人のために」
微笑みかけてやると、名も忘れた妻が引きつり笑いを返してきた。ストレスに彩られた笑み。額に浮かぶ冷や汗。たまらない。
顔を洗い、着替えをして寝室を出る。
「「「「「一人はみんなのために、みんなは一人のために」」」」」
廊下で掃除をしていた妻たちが、一斉に挨拶してくる。が、
「…………ん?」
何やら様子がおかしい。
妻たちの顔色が、妙に華やいでいるのだ。
期待と好奇心に『まみれた』表情。
慢性的な食糧不足に陥っているこの地で久しぶりに肉でも手に入ったのか、特別天気が良かったのか、はたまたあの人騒がせな新人のゴシップで盛り上がっているのか。
良くない。良くありませんねぇ。
下僕たちがこうも華やいでいては、僕の心が満たされない。
こういうときは、心の中のアーカイブに保存してある不幸な顔を思い出すに限る。
陽子ちゃん、
千絵ちゃん、
春奈ちゃん、
叶恵ちゃん、
■■ちゃん、
風花ちゃん、
美優ちゃん、
明子ちゃん、
瑠香ちゃん、
理恵ちゃん、
朝子ちゃん。
中でも■■ちゃんは本当に良かった。
僕にバッグを投げつけて、顔をぐしゃぐしゃにさせて、挙句、交通事故で死んでしまった。
あのときの快感が忘れられなくて、僕はますます過激になってしまった。
ついつい加減を忘れてしまい、自殺者を出してしまった。
すべて■■ちゃんの所為だ。
執行猶予期間中、逆恨みをした朝子ちゃんの親族に背中を押され、轢死したのも■■ちゃんの所為。
いや、『お陰』と言うべきかな?
なぜなら僕は今こうして、よりたくさんの女性を支配できる地位を得たのだから。
「何か良いことでもありましたか?」
「ひっ」
手近な妻に話しかけると、彼女は顔を青ざめさせて、ふっと窓の外へ視線をやった。
「ん?」
窓の外。
「なっ!?」
あり得ない光景を目にして、僕は叫んでしまった。
「なっ、なっ、なっ――何だコレは!?」
窓を開け放つ。
「追加でもう2羽獲ってきました~」
ガションガションガションと、鉄神とかいうロボットが中庭を歩いている。
乗っているのは例の新妻――エクセルシア。
鉄神が両手に持っているのはウサギだ。
「「「「「きゃあ~~~~!!」」」」」
大勢の妻たちが厨房から出てきて、歓声を上げる。
「お肉! お肉ですわよ!」
「これだけあれば、わたくしたちもご相伴に預かれますわ!」
「お肉なんて何年振りかしら!」
「具だくさんシチュー? 香草焼き? 夢が広がるわね!」
そして、中庭では無数の自動人形たちが動き回り、薪割りやウサギの解体、炊事選択、掃除、庭の剪定などをやっている。
重労働から解放された妻たちが、厨房の周りでごった返している。
「もうひと狩り行ってきますね~」
ウサギを自動人形に渡して、背を向けるエクセルシア。
林の中に入っていく。
「「「「「エクセルシア様!」」」」」
そんなエクセルシアの後ろ姿に尊敬のまなざしを向ける妻たち。
おかしい。
おかしいおかしいおかしい!
そのまなざしは、辺境伯である僕に向けられるべきなのに!
【Side コボル辺境伯】終了。
◇ ◆ ◇ ◆
あはは。
辺境伯(クーソクソクソサイコパス愛沢部長)、めっちゃ私のこと睨んでる。
ここは食堂。
4等級以上の奥さん数十名(クローネさんとヴァルキリエさん含む)が長いテーブルを囲んでいる。
お誕生日席に座るのが辺境伯で、そこから一番遠い末席に座るのが私。
めちゃくちゃ距離があるけど、睨んできてるとはっきり分かる。
ゴブリンやホブゴブリン、そしてクゥン君のシャウト攻撃ほどじゃないけど、この世界って怒声や眼光に魔力が載るんだよね。
『視線を感じる』とか『むっ、殺気!?』みたいなのを地でいく世界なのだ。
奥さんたちは久しぶりのお肉に大喜び。
辺境伯領って慢性的に食糧不足らしくって、特に肉が全然ないらしい。
領都は行商人で賑わっていたけど、肉の流通は少ない。
辺境伯領のトップである辺境伯家の食卓に上るお肉ですら、塩辛くてカッチカチの干し肉か、ウジまみれのお肉だけなんだとか。
何しろ魔の森と接している所為で領のいたるところで魔物が強く、家畜を育てようとしてもすぐに襲われて食われちゃうんだそうな。
だから、奥さんたちが大喜びなのはよく分かる。
一方の奥さんたちは、辺境伯がなぜこうも不機嫌なのかが理解不能であるらしい。
私? 私は分かるよ。よーく分かる。
多分、愛沢部長は今、『栄養不足』で苦しんでいる。
『他人の不幸は蜜の味』を地でいく、本物のサイコパスだからね。
本音では私の友愛ポイントをがっつり下げてやりたいって心境なんだろうけど、それができない。
なぜって、私は奥さんたちを幸せにしただけだから。
さしもの辺境伯も、『妻たちを笑顔にしたのは友愛精神にもとります。マイナス100友愛ポイント』とは言えないらしい。
クローネさんみたいにガッツリ洗脳されている奥さんもいる一方で、ヴァルキリエさんのように理性的で辺境伯に対して是々非々な奥さんもいる。
だから、あまりにも矛盾したマイナス友愛ポイントの乱用はできないんだろう。
ぐふふ。
クソクソサイコパス部長よ、もだえ苦しむがよい。
さて、追撃するか。
「旦那様、発言してもよろしいでしょうか?」
「っ……何でしょう、エクセルシアさん?」
「わたくしの、この家における仕事のことですが」
「はぁ」
「この栄光ある辺境伯領に貢献できる、素晴らしいお仕事を見つけまして」
「獣人自治区のことは、獣人自治区に任せるべきですよ」辺境伯が先手を打ってきた。「手を貸し過ぎるのは内政干渉に当たります。それでは、何のための『自治』なのか分かりません。自治を謳いながら、一方で実効支配し武力で押さえつけるなど、友愛精神にもとると思いませんか?」
「そうではなく。食糧事情の改善を図ろうと思いまして」
「……はい?」
「狩りに出るのです。鉄神を使って!」
「というわけで、やって参りました『魔の森』!」
「あ~っはっはっはっ!!」ヴァルキリエさんが馬上で爆笑している。「食糧不足問題の解消のために、狩りに出る。なるほど。それで向かった先が手ごろな森や山ではなく、わざわざ領の東端の魔の森? エクセルシア嬢、キミは屁理屈の天才だね」
私とクゥン君とヴァルキリエさんは、魔の森の中を進んでいく。
私は旅装で鉄神に乗っている。ハッチを開いているので、声を張り上げれば会話が可能だ。
ヴァルキリエさんは甲冑姿ではなく、革鎧で急所だけを覆ったラフな旅装だ。昨日と同じ馬に乗っている。
この場には、私とクゥン君、ヴァルキリエさん、そして馬と鉄神しかいない。
今日のヴァルキリエさんは軍人ではなく私人。
ヴァルキリエさんがついてきたのは、『鉄神の能力を見たいから』とのこと。
ヴァルキリエさんは領軍のトップ――つまり将軍職だから、鉄神を戦力として使えるかどうかが気になるんだろう。
ちなみに、クローネさんは付いてこなかった。
『狩りにまで付いていくのは荷が重いです』とのこと。そりゃそうか。
「何もおかしなことはないでしょう。食せる魔物は多い。この子の力を借りれば、美味しいぼたん鍋にありつけそうです」
「ボタン? ボタンとは何かな? キミはときどき、よく分からないことを言うね」
ヴァルキリエさんが楽しそうに微笑む。
……トゥンク。
私は改めて、兜を被っていないヴァルキリエさんを観察してみる。
超絶美形。づか顔。宝塚の男役の顔である。
燃えるような赤いショートヘア、海のような優しさと激しさを感じさせる碧い瞳、長いまつ毛、適度に焼けた肌。
背は高い。175センチはあるだろう。
体格も良く、がっしりしているが、それでいて出るところは出ている女性的なプロポーション。
しかも性格はイケメンときている。
完璧だ。完璧超人がいる。
「おーい、エクセルシア嬢?」
「あっ」いかんいかん、見とれてた。「あー、いえ、こちらの話です。イノシシ系の魔物はいないんですか?」
「いるよ。Cランクモンスターのジャイアントボアが。ほら、ウワサをすれば――」
「ブモォォオオオオオオオッ!!」
森の奥から、体高2メートルはありそうな巨大なイノシシが突進してきた!
「見せてもらおうか、鉄神の性能とやらを」
「ぶっふぉ」
偶然だろうけど、ヴァルキリエさんの口からサブカル好きなら誰もが履修しているであろうセリフが出てきた。
いかんいかん、集中。
>autobattle
鉄神が自動戦闘モードに入る。
鉄神が大きく腕を振り上げて、
――ぐしゃ
振り下ろした。
頭部を粉砕されたジャイアントボアは、それっきり動かなくなる。
「あ~っはっはっはっ! めちゃくちゃ強いな、その自動人形!?」ヴァルキリエさん、目の色を変えて大興奮。「ジャイアントボアと言ったら、ベテランのCランク冒険者パーティーや正規軍が損害を覚悟して挑むような相手だよ!? それを一撃とは」
「あははは……」
何より恐ろしいのは、この子――鉄神の名前が、
『労働一一型』
であることだ。
『一一型』というのはバージョンのことだろう。
前の『一』と後ろの『一』、どちらかがメジャーバージョンでどちらかがマイナーバージョンだと思う。
わざわざ『一』と銘打っているのだから、二型、三型もいるのだろう。
つまりこの子は最も古い機種である、ということだ。
さらには、『労働』。
そう、この子はあくまで労働用ロボットなのである。
わざわざ『労働』と銘打っているのだから、いるのだろう……『戦闘』型が!
空恐ろしい、とはまさにこのことである。
「さて。ひと狩りしたのでいったん戻りましょうか」
「え? もう戻るのかい? 領都までは馬の足でも小一時間かかるが……」
「いえ。領都までは戻りません。戻る先は、この近所にある『魔物肉の集積所』です」
「集積所……?」
◇ ◆ ◇ ◆
「ちは~す、三河屋で~す」
「「「「「女神様~~~~!! エクセル神様~~~~!!」」」」」
歓声とともに、私は出迎えられた。
「こちら、お土産です」ジャイアントボアを下ろす。「お肉も素材もお好きなように。ただ、今日のお昼にしし鍋が食べたいな~なんて」
「「「「「お任せください、女神様!!」」」」」
この村は若い男性がほぼ全員、辺境伯によって徴兵されてしまっているため、女子供と老人しかいない。
とはいえその『老人』たちも昔はみな屈強な戦士だったり猟師だったらしく、10人も集まればジャイアントボアの解体など造作もないらしい。
本当にたくましい!
伊達に『最後の村』で生き抜いていないね!
「集積所と言うからどこかと思って来てみれば」ヴァルキリエさん、首をかしげる。「バルルワ村じゃないか」
「集積所ですよ」私はニヤリと微笑んでみせる。
「いや、どう見ても」
「集積所でしょう?」
「あーうん、なるほど。見えてきたぞ?」ニヤリと微笑むヴァルキリエさん。
「あのぅ……女神様」村長さんが恐る恐る聞いてきた。「そちらの方は、まさか」
「私の友人の」私はにっこりと微笑む。「キリエちゃんです。私の、ただの、お友達です」
「そ、そうでしたか。よく似たお方を知っていたような気がしましたが、他人の空似でしたな」
「そうそう。他人の空似です」
「ぶふっ……」ヴァルキリエさん、今にも吹き出しそう。
「じゃ、約束どおりここを頑丈な城壁で囲んでしまいますね」
「い、いいのですか……?」
恐る恐る、ヴァルキリエさんの顔色をうかがう村長。城壁を造るのは『辺境伯に反意あり』とみなされるからね。
対するヴァルキリエさんが、芝居がかった様子で肩をすくめて、
「ここはバルルワ村ではなく、魔物肉の集積所だからね。確かに、ちゃんとした壁がないと、魔物肉の血の臭いでオオカミが集まってしまうだろう。でも」
ヴァルキリエさん、私に向けてウインクひとつ。
「上手いことやっておくれよ? 私だって、友愛ポイントには余裕がないんだから」
……トゥンク。
ヴァルキリエさん超イケメン!
◇ ◆ ◇ ◆
「ここを集積地とする!」
「いや、だからここを集積地にするんだろう?」
ここは、バルルワ村の南隣。
ゴツゴツとした岩肌が広がる土地だ。
見上げるような岩山も多く、とても開墾には適さない土地。
ヴァルキリエさんからのツッコミを受けながら、私はドッカンバッコン整地していく。
鉄神の馬力を使えば、どんなに硬い岩も豆腐と同じ。
凸凹だった土地が、あっという間に平らになっていく。
まるで、マインクラフトで整地作業をしているような手軽さだ。
「な、ななな、何という圧倒的な力!」村長さんが瞠目している。「ここは地面があまりにも硬く、長い間、開墾できずにいた土地なのです。それが、あっという間に!」
だからこそ、バルルワ村の南端がここなのだ。
彼らが開墾をあきらめたのである。
「あ、もしかして追加の農耕地が欲しかったりしますか?」
「えっ、下さるんですか!?」
「じゃあ、後で村の北側も開いてしまいましょうか」
小一時間ほどで、ゴツゴツの岩山はまっ平らな土地に変わった。
倉庫とか解体場とかはおいおい、村の人たちに協力してもらいながら作っていくとしよう。
「じゃ、北側に行きましょう」
>move /to
村長さんは私(鉄神)の手の中に収まる。
ヴァルキリエさんは馬で移動。
クゥン君は、なんと自分の足で馬の速度についてくる。
【闘気】という、魔力を体に纏わせることで身体能力を向上させる便利魔法が使えるとのこと。
クゥン君は強化系の念能力者だった!
たった1人でゴブリン軍を相手に戦えるほどの強さも納得だ。
あっという間に村の北端に着いた。
私は鉄神のコンソール画面に、農耕モードへ移行させるためのコマンドを入力する。
> plow
バトルに整地に農耕に。何でもできるな、鉄神!
岩肌を砕き、土を掘り返し、ほぐしていく。
午前中いっぱい耕して、数百メートル四方の畑が出来上がった。
ざっと農家10軒分くらい? 知らんけど。
何作るかによっても、そしてその家の家族構成によっても維持できる畑の広さは違うだろうからなぁ。
「おぉ……おぉぉ……」
「神様……農耕神様……エクセル神様!」
「これで、村の人口が増やせる!」
鉄神に腰掛け、汗をぬぐう私の後ろでは、村長さんや村の野次馬さんたちが感激している。
まぁ、ここに入植して以来ずっと開墾できずにいた土地が、これだけ耕されればね。
「女神様!」振り向けば、クゥンくんが尻尾を振っていた。「オレたちに、こんなにも良くしてくださって、本当にありがとうございます!」
「いやぁ、まあ」
いくら鉄神がいるとはいっても、これだけの畑を耕すのは一苦労だ。
鉄神の操縦には気を使うし、鉄神の中ってけっこう揺れるから疲れるんだよね。肩とか腰とかぶつけて地味に痛いし。
我ながら、しなくてもよい苦労をわざわざ買って出ているという自覚はある。
それも、バレれば辺境伯に睨まれるリスクまで犯して。
どうして、こんなことしてるのかって?
もちろん、理由はある。2つもある。
1つは、私の今世における『生きる目的』にまつわること。
そしてもう1つもまた、『生きる目的』に関係すること。
私の生きる目的の1つ目、それは辺境伯こと愛沢部長への復讐だ。
村の開拓が復讐に繋がるのかって?
ふふん、実はちゃんと考えがあるのよ。
私の生きる目的の2つ目、それはクゥン君への恩返しだ。
何しろ彼には、命を救われた恩がある。
ゴブリン軍の撃退によって多少は返せたようにも思うが、まだまだ返すべき恩は残っている。
「クゥン君。いいんだよ、気にしないで」
そう答えてあげると、感極まったのか、クゥン君が泣き出した。
こんなに枯れた土地で。きっとクゥン君もその家族も、とても苦労を重ねてきたのだろう。
私は鉄神から飛び降りて、クゥンの涙を拭う。
そのまま抱きしめてあげると、彼の尻尾が見えないくらい高速で振られはじめた。
んふふ、可愛いなぁ。
あー、ダメだな、私。
『恩返し』なんて綺麗事で言い繕っているけれど、本心はただの下心だ。
こんな、わけの分からない世界に突然放り出されて。
いきなり馬車が滑落したかと思えば、ゴブリンに殺されかけて。
『異世界転生やったぜ!』なんておどけてはいたけれど、あのとき私は、本心では心の底から怯えていた。
それこそ、心が無くなってしまいそうになるほどに、怖くて怖くて仕方がなかった。
そんな私の前に颯爽と現れ、私を救ってくれたクゥン君の、なんと格好良かったことか!
エクセルシアの、この体の初恋の相手は、間違いなくクゥン君だ。
だから私は、彼にいいところを見せたい。彼に喜んでもらいたい。
その見返りに、彼からもっともっと好意を向けてもらいたい。
ははは……本当、打算的で嫌な女だな。
「ご、ごめんなさいっ」クゥン君が飛び退く。「オレ、情けないところを見せてしまって。オレは女神様の護衛騎士なのに」
「気にしてないよ」私は努めて優しく、クゥン君に微笑みかける。「いろんなキミを見ることができて、嬉しいな」
「!? !? !?」
クゥン君、尻尾をぶわわわっと毛立たせながら、私の三歩後ろ――護衛ポジションへ下がってしまった。
あーあ、逃げられちゃった。
「大したお礼もできませんが」タイミング良く、村長さんが話しかけてきた。「せめてお昼は召し上がっていってください」
村人たちが、私を村へと招き入れてくれる。
「しし鍋できてますよ、エクセル神様!」
「ささ、こちらへ!」
「ジャイアントボアの肉は絶品ですよ!」
◇ ◆ ◇ ◆
「美味し~い!」
「本当に美味いな、コレ!」
大興奮でしし鍋を食べる私とヴァルキリエさんもとい『キリエちゃん』の隣では、
「美味しい!」
「うま~い!」
「こんなに美味しいお肉、生まれて初めて!」
「キュンキュン、落ち着いて食べなさい」
子供たちとクゥン君がわちゃわちゃしてる。
可愛いなぁ。
ここは教会の中庭。この村で一番広い場所だ。
老若男女、ほぼ村人全員が集まってる。
「こんなに美味しい物が食べられるのは、すべて女神様のお陰だよ。みんな、女神様に感謝するように」
私の護衛にして崇拝者、クゥン君が恥ずかしいことを言う。
「「「「「女神様、ありがとー!」」」」」
「そっ、そんな大げさな」
「それが、大げさでもないのです」と村長さん。「ご存じのとおり、この村の若手はほとんど全員が徴兵されてしまっておりまして。狩りに出られるような者は残っておらんのです」
「何てこと……うっ」
子供たちがキラキラした目で私を見てくる。
「う~~~~っ。もういっちょ狩ってきます! 解体の準備は任せましたよ!」
「「「「「うおぉおおお! エクセル神様! 肉神様!」」」」」
◇ ◆ ◇ ◆
というわけで、再び魔の森に潜る。
「10時方向、30メートル先に近接武器装備のゴブリン3。警戒を厳に」
「はい!」ヴァルキリエさんの鋭い指示に、私は鉄神のハッチを閉める。「って、え!?」
「あぁ」馬から降りたヴァルキリエさんがニヤリと微笑んで、「なぜ、目視していないのに相手の位置が分かるのか、かい?」
「あ、それもそうですけど」私の声は、鉄神のスピーカーを通じて外に聞こえる。「メートル法なんですね!?」
「メートル法? そんな法律があるのかい?」
「あ、いえ。何でもないです」
まぁ、『アプリケーションズ家』とか『フォートロン家』とか『モンティ・パイソン帝国』なんかが存在する国だ。
今さら驚くことでもないのかもしれない。
何にせよ、この国(世界?)がメートル法なのは便利で良い。
「それよりも。そうそう、どうしてこんなにも険しい森の中で、数十メートル先のことが分かるんですか?」
魔の森は鬱蒼としており、数十メートル先はおろか、数メートル先も満足に見えない。
「【闘気】さ」
ほう。ヴァルキリエさんも強化系の能力者であったか。
「【闘気】を極めれば、魔力を薄っすら体外に放つことによって、周囲の状況を探ることができるようになるんだ」
人間レーダーかよ。便利だな。
ん、レーダー?
>radar
と、私はコマンド入力。
するとモニタの1つがぱっと点り、鉄神を中心にしたレーダーが表示され始めた。
鉄神のすぐそばにはヴァルキリエさん、クゥン君、お馬さんを示す黄色い点があり、鉄神の前方十数メートル先に3つの反応がある。
近づいてきてるな。
「もう少し、鉄神の戦いぶりを見せてもらってもいいかな?」
「了解です」
>autobattle
鉄神がゆっくりと歩き出す。
ゴブリンたちが潜んでいる木の陰に突っ込んで、
――ブンッ
と拳を振るう。
――グシャッ
――ブンッ
――グシャッ
――ブンッ
――グシャッ
戦闘終了。
中央モニタに映るのは、頭部を陥没させた3体のゴブリンの死体。
「あ~っはっはっはっ! 強い! やっぱりめちゃくちゃ強いねその子!?」
「ですが、ゴブリンは食べられません」
「ちょうど良いのが近づいてきているよ」
レーダーに大きめの反応が2つ。
森の奥から出てきたのは、全長3メートル、豚の顔をした二足歩行の――
「オーク!?」
「「ブヒィイイイイイイイイイイイイイッ!!」」
オークのダブルシャウト!
ビリビリと空気が震え、草木が揺れる。
鉄神のモニタ越しだというのに、私はすくみ上りそうだ。
さっきのジャイアントボアのときは平気だったのに、なぜだろう?
アレか、単なる雄たけびと、魔力を載せたシャウトは別物ってことなのかな。
クゥン君とヴァルキリエさんは無事か!? と思って見てみれば、2人ともそよ風の中にいるかのような涼やかな表情。
おおお、これが戦士としての経験の差か。
「ほら、新鮮なお肉だぞ、エクセルシア嬢」
「えっえっえっ!? ウソでしょ、ウソですよね!? 二足歩行の生き物を食べるの!?」
とかなんとか言っている間に、自動戦闘モードの鉄神がオークたちの頭を握りつぶした。
◇ ◆ ◇ ◆
「「「「「オーク肉だぁ~~~~!!」」」」」
うわー……めっちゃ喜んじゃってるよ村人さんたち。
この世界じゃ、二足歩行の魔物も食料なのね。
「12時方向10メートル先にはぐれオーガ1」
「はい!」
――グシャ
「女神様、10時方向20メートル先にブラックベアが1体います」
「あいよ!」
――ベキッ
「9時方向30メートル先にオーク3。内1体は弓使いだ。気をつけて」
「了解です!」
――ドガッバキッグチャッ
◇ ◆ ◇ ◆
「【アイテムボックス】……【アイテムボックス】が欲しい!」
大量の肉を引きずりながら嘆く私にヴァルキリエさんが、
「いるよ、【収納魔法】持ち」
「えっ、ヴァルキリエさん使えるんですか!? ならこの大量のお肉を早く亜空間に収納してください!」
「いや、残念ながら私じゃないんだ。フォートロン家の奥さんの一人、ステレジア君が使えるのさ」
「なんと! 何とかして連れてこられませんかね?」
「教えておいて何だが、難しいだろうねぇ……。ステレジア君は1等級。旦那様が領都からは出したがらないだろうし、彼女も1等級の地位をみすみす失うような真似はしないだろう」
つまり、辺境伯のイエスマン(ウーマン)というわけか。
「1等級。そうか、4等級から逆に上がるパターンもちゃんとあるんですね」
「あはは、そりゃそうさ」
「あのぅ、聞いて良いか分からないのですが……ヴァルキリエさんも1等級なのでしょうか?」
【アイテムボックス】はとても便利な魔法だ。
その【アイテムボックス】持ちが1等級なら、【闘気】持ちで領軍を率いる将軍でもあるヴァルキリエさんも、きっと1等級のはず。
「いや~、私は万年2等級でね」
「えっ、何で?」
「私はほら、このとおり『自由奔放』だから」
「あー……」
『自由』などと回りくどい言い方をしているけれど、要は辺境伯のやり方に懐疑的ということなのだろう。
特に、恐らくはバルルワ村に対する処遇について疑問を感じているようだ。
『キミは屁理屈の天才だね』などと言いながら私の行動――バルルワ村に対する干渉を見逃してくれるくらいだからね。
イエスマンになった方がずっと楽なのに。イエスマンにならなきゃ友愛ポイントを下げられてしまうのに。
けっして保身に走らない、優しい人なんだ。
「私、ヴァルキリエさんと出会えて良かったです」
「何だい、急に。照れるじゃないか」
「オ、オレも!」クゥン君が割り込んできた。「オレも女神様と出会えて良かったです!」
「えへへ。クゥンキュンは可愛いなぁ」
なんて、デレデレ甘々な会話をしていたのがまずかったのだろう。
鉄神の足元をおろそかにしてしまった私は、足元の『ナニカ』に足を取られ、盛大に転倒してしまった。
――ガラガラガッシャ~ン!
「わぷっ!?」
「女神様!?」
「大丈夫かい、エクセルシア嬢?」
「は、はい……なんとか」
ハッチから這い出した私を出迎えたのは、
「コレにつまづいたようだね。これは……馬車?」
半ば土に埋まった、馬車のような人工物。
だが、その車体は明らかに鉄でできており、何よりその車輪が――
「ゴムタイヤ! こっ、これ、自動車だぁ~~~~!!」
中世ヨーロッパ世界に自動車とか、パないなモンティ・パイソン帝国!
◇ ◆ ◇ ◆
ってなわけで自動車を鉄神のデバッグモードで起動させ、自動操縦モードで動かす。
狩った獲物を鉄神と自動車に分散させて村に運び入れたところ、村人たちはみなビビり散らかして逃げ出してしまった。自動車が怖かったらしい。
「め、女神様、それは何ですかな?」
「あはは……まぁ、鉄神様の親戚みたいなものです」
尻尾を丸めている村長さんに説明し、戻ってきた村人たちにオーガ1体、ブラックベア1体、オーク3体を引き渡す。
「じゃあ私は、日が暮れるまでに壁を造ってしまいますね」
今現在、バルルワ村周辺はこのようになっている。
北
↑
魔の森・・・
魔の森・・・
新しい畑 魔の森・・・
■■■■■ 魔の森・・・
■ ■ 魔の森・・・
■ 村 ■ 魔の森・・・
■ ■ 魔の森・・・
■■■■■ 魔の森・・・
集積地 魔の森・・・
魔の森・・・
魔の森・・・
これを、こうする。
魔の森・・・
■■■■■ 魔の森・・・
■ 畑 ■ 魔の森・・・
■ ■ 魔の森・・・
■ ■ 魔の森・・・
■ 村 ■ 魔の森・・・
■ ■ 魔の森・・・
■ ■ 魔の森・・・
■集積地■ 魔の森・・・
■■■■■ 魔の森・・・
魔の森・・・
それも、急場しのぎの土塁じゃなくて、立派な城壁で。
「おおお!」私が地面に描いた図を見て、目を輝かせるクゥン君。「これでついに、バルルワ村に城壁が! でも、大丈夫なんですか?」
バルルワ村に城壁が存在しない理由。
それは、辺境伯が『壁を作るのは辺境伯への敵意あり』とみなして城壁を作らせてくれなかったからだ。
私が勝手に城壁を作ってしまったら、私が辺境伯に叱責され、『友愛ポイント』とやらをがっつり減らされてしまうだろう。
だが、
「たまたま、集積地の間に村があっただけだからね」
そう。
私はバルルワ村を城壁で覆おうとしているのではない。
辺境伯領のために用意した集積地を魔物たちから守る必要があり、その集積地の間に、たまたまバルルワ村が存在していただけなのだ。
村の北部にあるのは『集積地』ではなく『畑』だが、それも言い訳は考えてある。
ゆくゆくはこの地を領都と物流網で結び、そこそこの人数にこの地で働いてもらうようにする。ここの従業員の食を支えるための畑だから、つまり集積地の一部ってことだ。
「あ~っはっはっはっ! さすがは屁理屈の女神様だね」
「褒めてないですよね、ソレ?」
「いいや、褒めてるよ? さぁ、それで」
づか顔でニヤリと微笑むヴァルキリエさん。
イケメンまぶしい。
「次はどんな光景で、私を驚かせてくれるのかな?」
「はい。村を覆うための壁なんですけどね」
私たちが今いるのは、村の南端。
集積地として岩肌を切り開いた際に、あえて残しておいた巨大な岩山の前だ。
「この岩山から、壁を切り出そうかと思いまして」
「あ~っはっはっはっ! 岩山から! 壁を! 切り出す! どうやって!?」
「こうやって」
私は鉄神に乗り込み、コマンドを叩く。
>mag /windcutter
――ビュッ、シュバババババッ!
鉄神の両手から放たれた疾風の刃が、岩山をスライスしていく。
さらに、
>mag /windcutter
で成形。
あっという間に、何百枚もの『壁』――厚さ50センチ、幅5メートル、高さ10メートルの岩の塊が現出した。
「こっ、こっ、こっ……」
おや、ヴァルキリエさんがニワトリになっとる。
「さすがは女神様!」
一方のクゥン君は平常運転だ。
「これはすごいね!?」
目の色を変えるヴァルキリエさん。
軍事転用に夢を膨らませているのだろう。
「えへん。でしょう? 実はこの子、魔法も使えるんですよ」
「魔力は? キミの体内から吸い上げているのかい?」
「そういうモードもありますけど、今は外気から取り込むモードでやってますね。特に、東の方から風と共に大量の魔力が流れてくるので」
「『魔の森』か。魔物が多いから魔力で満ちているのか、魔力が多いから魔物で満ちているのか。詳細は不明なままなんだけど、とにかくこの地は空気中の魔力濃度が高い」
「やっぱりそうなんですね」
私は『壁』の一枚を持ち上げて、鉄神の怪力に任せてずぼーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと地面に突き立てる。
「ほら、こんな感じで村を覆い尽くしてしまいましょう!」
「は、ははは……もう、笑うしかないよ」
「さすがは女神様!」
こうしてバルルワ村もとい『魔物肉の集積地』は、堅牢な城壁によってまるっと囲まれた。
◇ ◆ ◇ ◆
「あのぅ……折り入ってお願いがございまして」
翌日午前、村長さんがめちゃくちゃ恐縮した様子で話しかけてきた。
「はい、何でしょう?」
「この度は、村の北側に巨大な畑を広げていただき、本当にありがとうございました。それで、さっそく種を植えたいのですが、あいにくと水が不足しておりまして。誠に申し訳ございませんが、鉄神様のお力をお借りして、井戸を掘っていただくことはできませんでしょうか?」
「もちろん構いませんよ。どの辺りに掘りましょうか?」
「おおっ、ありがとうございます!」
「ところで、今は水、どうしておられるんですか?」
「はい。北の山から流れる川に頼っております」
そう。
この土地は、東は『魔の森』、北は山に囲まれたとても過酷な『さいごの村』。
魔の森は王国領内とは比べ物にならないくらいに多くの魔物であふれた地で、中でもその親玉が、超巨大なドラゴンらしい。
地龍シャイターン。
この世界に4匹いると言われるドラゴン――
地龍シャイターン
水龍レヴィアタン
火龍ポイニックス
風龍ルキフェル
の、地龍シャイターン。
何で、ラスボスがこんな村の真横に住んでいるのよ!
いや、そんなのが住んでるからこそ、モンティ・パイソン帝国はゲルマニウム王国を落としきれなかったのかな。
地龍シャイターンが森から出てきたことはないらしいし。
魔の森だけでも超ヤバいのに、北の山も魔の森に負けず劣らず魔物にあふれているのだそうな。
じゃあなぜ、こんな危険な場所に村を構えているのかというと、北の山から魔の森にかけて川が流れており、その川から命懸けで支流を引いてきたからなのだそうだ。
本当はもっと、魔の森から距離を取った西の方に村を築きたい。
けれどそうすると、川が使い物にならないほど細くなってしまう。
結果、魔の森にほとんどぴったりくっついたこの場所に、バルルワ村が作られることになった。
「現在の水の量では、新たな畑を耕すにはとてもとても」
確かに、村の中央を流れる川は水がちょろちょろと流れるばかりで、その終着点であるため池も、いつも村の女性たちが水を奪い合うような有様だ。
当然、バルルワ村の人たちは過去に何度も井戸を掘ろうと試みた。
が、畑を広げられなかったのと同じ理由で、地質が硬すぎて井戸を掘れずにいたのだそうだ。
ふむ。
先に水問題を解決すべきだったか。
ミスったな。
「あっ、けっして女神様を責めるような意図はございません!」
村長さんが慌てだす。
やば、顔に出てしまったか。
「女神様は我々の命をお救いくださり、こうして頑丈な壁で我々をお守りくださっておられます。これ以上の贅沢を申すなど、大変申し訳ないと思うのですが……」
「いえいえ、気にしないでください。さっそく向かいましょう」
私の中には、2つの気持ちがある。
1つは、平和主義で戦争知らず、のほほんとした元日本人として純粋な善意。
村人たちの生活が少しでも楽になるのなら、手を貸してあげたい。
このままじゃ、クーソクソクソ辺境伯に騙し討ちされるような形でこんな場所に住まわされている村人たちが、あまりにも可哀そうだ。
もう1つは、ややドライで打算的な思考。
村の、私に対する『依存度』を高めたいのだ。
村長さん然り、他の村人さんたち然り、バルルワ村の人たちは困ったことがあると私に相談しにくるようになった。
私、順調にこの村を実効支配しつつある。
辺境伯を糾弾し、復讐するための第一歩である、
『領地貴族になる。それも、辺境伯領と隣接した土地の』
が着実に進みつつある。
そう、私はそのために、無理を押してこの村を開拓しているのだ。
あとは、当の辺境伯、またはその上位者に『この土地はエクセルシアの物だ』と認めさせる一手があれば目的達成なんだけど……何か、何かないか。
正直、ちょっと焦っている。
だって、早いとこ領地貴族になって独立(離婚)しなきゃ、あのクーソクソクソ愛沢部長に抱かれるんだよ!?
そんなの、マジで、死んでもごめんだよ……。
ちなみに、昨晩は辺境伯との夜伽を回避できた。
『バルルワ村を含む集積地を、高さ5メートルの壁で囲みました。あとオーガ1体、ブラックベア1体、オーク3体分のお肉を持ってきました。領都に卸してもいいですか?』
って、報告したら、辺境伯ったら卒倒しちゃったよ。
あはは。
これからも、あの手この手で辺境伯の胃にダメージを与えつつ、夜伽を回避し続けるつもりだ。
が、いつまで持つか。
あまり無茶をすると、連帯責任でクローネさんまで友愛ポイントを下げられちゃうし。
◇ ◆ ◇ ◆
「じゃ掘りますんで、離れてくださーい!」
「「「「「は~い!」」」」」
北の畑の一角で、鉄神の拡声器を使って野次馬に次げると、元気の良い返事が返ってきた。
「あと、気になるのは分かりますけど、みなさん仕事してくださいね~」
「「「「「は、は~い……」」」」」
あはは。村人さんたち、尻尾丸めてら。
まったく、調子いいなぁ。
でもまぁ、十年以上解決しなかった井戸問題が解消するかもしれない瞬間を見届けたいって気持ちは、とっても良く分かる。
鉄神に搭乗している私は、
>dig
とコマンド入力。穴掘りモードだ。
深く深く、ひたすら深く真下へ掘っていく。
掘って掘って掘って、鉄神の腕力に任せてどばーーーーっと土を外に放り投げて。
掘れども掘れども水は出てこない。
仕方ない。この穴が井戸として実用できるかは度外視して、水脈がどの辺りにあるかを知るためにも、水が出るまで掘り進めよう。
>dig
>dig
>dig
>dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig……
数十分ほども経ち、何百メートル? その倍? いや、もっと?
訳分からないくらい掘った、そのとき。
――ズゴゴゴゴゴゴ……ドッパァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!
穴の底が割れ、とてつもない量の水が噴出してきた!!
圧倒的水圧で鉄神の体を押し上げる。
鉄神が地上へ放り出された。
冗談みたいな水量。
しかも何か、ホカホカしてる。
「え、これ……お、お、お、温泉だぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「「こ、これは……?」」ビビるクゥン君と村長さん。
「温泉ですね!」鉄神のハッチを開き、硫黄臭を嗅いで確信する私。「この地って、温泉、珍しかったりします?」
「確か、辺境伯領に温泉はなかったはずです」と村長さん。
勝った。勝ち申した。
村長さんのお言葉を信じるなら、この温泉は非常に希少価値が高いはずだ。
つまり、儲かる。
今でこそ魔物ばかりで旨味のない土地だが、温泉客で賑わえば、温泉客を目当てに行商人が集まり、護衛の冒険者たちが集まり、その冒険者たちを目当てに宿泊施設や武具屋が建ち並ぶようになるだろう。
滅びかけの『さいごの村』は、『エクセル神』が守護する巨大な温泉郷へと早変わりってわけだ。
「いける! 目指せ土地持ち貴族!」
そのためにもまずは、温泉の有用性を証明するための、温泉客を集めなければならない。
温泉に夢中になってくれて、その気持ちよさを口コミで広めてくれるお客さんがどこかにいないだろうか。
「――あっ」
いるではないか。
パワハラモラハラ夫に酷使されて、疲労困憊な665人の――
「村長さん! 井戸は後日必ずご用意しますので、しばらくは温泉の方に注力させていただいても構いませんか!?」
「それはもちろん。ですが、何をなさるので?」
温泉といったらもちろん、
◇ ◆ ◇ ◆
「「「「「えええええっ!? 温泉!?」」」」」
入るのさ。
長年の過労によって疲労MAX、お肌ボロボロの奥さんたちと一緒に!
「どうです、入ってみたくはありませんか?」
鉄神の猛ダッシュで戻ってきた私の言葉に、
「「「「「入りたい!!」」」」」
奥さんたち、目の色を変えて大興奮。
だが、
「でも……バルルワ村とは、獣人たちの村なのですわよね? 人間に襲いかかったりはしないのでしょうか?」
「ちゃんと言葉の通じる相手ですよ。それに、皆様の身の安全は私が――この鉄神様が保証します」
「私も一緒に護衛しよう」ヴァルキリエさんからの加勢。
「ですが、勝手に外出したりして、旦那様にとがめられたりは……?」
「それも大丈夫です。みなさんの友愛ポイントが下げられることのないよう、しっかりと調整して参りますので」
「でも、魔の森の近くなんですよね? 大丈夫なのでしょうか」
「高さ5メートルの壁で覆っておりますので、ご安心を」
「で、でも……」
奥さんたち、目をキラキラさせながらも、踏ん切りがつかない様子。
洗脳ってのは、怖い。
洗脳は、やがて依存に変わる。
洗脳されていることが、束縛されていることが、心地良くなってくるのだ。
その楔から抜け出すには、勇気がいる。
「わ、わたくしは!」奥さんたちの中から、クローネさんが出てきた。「わたくしは行きます。行きたいです! 連れていってください!」
「クローネさん!」
一番強固に洗脳されていたと思っていたクローネさんが、声を上げてくれた。
それが呼び水になって、最終的に百名以上の奥さんたちが来てくれることになった。
「それで」ニヤリと微笑むヴァルキリエさん。「足はどうするんだい?」
「自動車でピストン輸送ですね」
「ピストン? というのは良く分からないが、あの馬無し馬車ならここからバルルワ村までものの十数分で着いてしまうからね」
「手配、お願いできますか? 自動車の運行経路は設定済ですので」
「いいだろう、任された。キミはこれから、戦かな?」
「はい……戦いは苦手なんですけど」
「あ~っはっはっはっ! Aランクモンスターのブラックベアを殴り殺せるような令嬢が、何か言っているぞ」
「私がじゃなくて、鉄神が、ですからね!?」
◇ ◆ ◇ ◆
「また何かやらかしたのですか、エクセルシアさん? って、臭っ。その臭いは何ですか」
辺境伯が、ものすごく嫌そうな顔をして私を出迎える。
ここは辺境伯の私室。
部屋では1等級の奥さん数名がくつろいでおり、壁には10体の自動人形たちが侍っている。
「その匂い――まさか温泉!?」
奥さんの1人、【アイテムボックス】使いのステレジアさんが目を輝かせた。
「はい」私はできるだけ優雅に微笑む。「実は先ほど、バルルワ村にて温泉を掘り当てまして」
「「「温泉!?」」」
おおおっ、1等級奥さんでも温泉は嬉しいのか。
辺境伯領には温泉はない、という村長さんの言葉が事実らしい。
「甕に入れられるだけ入れて持って参りました。旦那様と、ここにいる奥様方にお楽しみいただける分はございます」
私は、自動人形に運ばせてきた甕の蓋を開く。
同じ甕があと9個、風呂場に運ばれている。
「まぁ、素晴らしい!」ニコニコ顔のステレジアさん。「温泉は美容にとても良いのですよ」
「ですが……」
「「「ですが?」」」
「これ以上は運ぶことができませんでした。せっかくの温泉なので、全ての奥様にお楽しみいただきたかったのですが」
「まぁ! そんなの、バルルワ村? とかいうところへ直接行けば良いじゃない。私が行きましょうか。【アイテムボックス】に収納すれば、腐ることもありませんし」
「ステレジア君」辺境伯の短い叱責。
「冗談ですわよ、旦那様」
「ステレジア奥様が仰ってくださったとおりで、多数の奥様が日帰り温泉小旅行を希望なさっておいでです。心優しい旦那様、どうかご許可をいただけませんでしょうか?」
「そうは言ってもですねぇ」
「いいじゃないですか、旦那様」ステレジアさんの加勢。「どうせ、大量の自動人形たちによって屋敷の管理は完璧なんですから」
「はぁ~……分かりました、許可しましょう。ですが」辺境伯、窓の外を見下ろして、「エクセルシアさん、アナタ、ここに話に来る前に、すでに動いてますね?」
窓の外では、ウキウキ顔の奥さんたちが自動車に乗り込んでいる。
「当主たるこの僕に事前相談なく妻たちを勝手に動かすなど、友愛精神にもとります。そうは思いませんか? エクセルシアさんにマイナス1000友愛ポイント」
ぐはっ。
ともあれ、ダメージを食らうのは私ひとりで済んだ。
◇ ◆ ◇ ◆
「反対だ! 人間を村に入れるなんて!」
「しかも、今から来るのは辺境伯家のやつらなんだろう? 俺たちの敵じゃないか!」
「そうだそうだ!」
あー……調整の順番、ミスったなぁ。
私ってば女神様呼びされてるし、奥さんたちを招き入れるのは新しく開いた地域だから、村長のOKさえ出ればすんなりいくと思ってたんだけど。
ここは、バルルワ村の村長宅。
最大戦速の鉄神で、奥さんたちを乗せた自動車を追い越して村長宅に突撃し、奥さんたちが来ることを伝えようとしたところ、もうこの騒ぎになっていた。
村長には、領都に戻る前の時点で、温泉客(人間)を連れてくることは伝えていたから。
村長宅は老若男女でごった返している。
子供たちは、
『温泉♪ 温泉♪』
『温かいお風呂なんて初めて~』
と楽しそう。
女性陣及び老人勢は、私の提案を快く受け入れてくださっているご様子。
反対しているのは、村の若者だ。
若者。
この村は、若い男性はほぼ全員徴兵に取られてしまっている。
そう、『ほぼ』だ。
鍛冶などの特殊技能を認められて徴兵を免れた若手の男性が、一定数いるのである。
具体的には、3人。
「いくら女神様のお言葉だからって、限度がある!」
鍛冶屋の男性(三十台半ばくらい?)と、
「そもそも辺境伯さえいなければ、俺たちがこんな目に遭うこともなかったんだ!」
大工さん(二十後半?)と、
「そうだそうだ!」
狩人(十代半ば)。
彼らは、バルルワ村がゴブリンの軍勢に襲われたあの日、買い出しと行商に出ていて村にいなかった。
つまり、あの凄惨な戦場を、恐怖の光景を、そんな恐怖の象徴であるホブゴブリンを圧倒する鉄神をその目で見ていないのだ。
『百聞は一見に如かず』と言うけれど、その逆もまた然り。
その目で見ていないのだから、いくら他の村人たちが私を『女神様』と呼んでいても、実感が沸かないのだろう。
それに、彼らには積年の――文字どおり十数年来の恨みがある。
だから私も、彼らの気持ちはよく分かる。
でも、この関門は何としてでも乗り越えなければ。
人間と獣人の分断工作。辺境伯による分断統治……その解消が必須なのだ。
この地を辺境伯領に匹敵するくらい大きくするために。
もともと数の少ない獣人だけでは、実効支配領域を広げられない。支配を広げるためには、人間の力が必要だ。
私の復讐達成のために。
そしてもちろん、バルルワ村の発展と、村人たちの幸福のためにも。
「皆さんに相談もせずに勝手に決めてしまったこと」私は頭を下げる。「本当に申し訳ございませんでした」
ざわり、としたあと、場が静かになった。
ちらりと視線だけ上げてみると、村人たちが男性3人を『何を女神様に頭下げさせてんだ』って目で睨みつけている。
なので私は、慌てて頭を上げた。
「まず、温泉客――人間たちは、元々のバルルワ村、つまり堀と土塁の内側には絶対に入らせないようにいたします。それでも気になるようでしたら、土塁の上に城壁も設けましょう」
「「「…………」」」ばつの悪そうな顔をしている男性陣。
「この村には行商人が来ず、塩や衣類、生活用品は皆さんが定期的に領都へ買い出しに行ってらっしゃるんですよね? 大変なことだと思います」
この村には馬がいない。
馬を買うほどのお金もないし、養えるほどの牧草地もないし、仮にあったとしても、すぐに魔物に襲われてしまうから。
馬の足で小一時間かかる領都まで、荷車を引いて往復するのはすさまじい重労働のはずだ。
「ですが、温泉客が定着すれば、客を目当てにこの地に行商人が来るようになるでしょう。そうすれば皆さんは、本業に集中できます」
「「「…………」」」
うーん、まだ弱いかな?
「行商人が来るようになれば、嗜好品――そう、お酒なんかも買えるようになるでしょう」
「「「「「酒!?」」」」」
うおっ。
これには男性陣のみならず、ご老人たちも反応した。
「お酒を買うためにも、お金を稼がなければ。『バルルワ温泉郷』として有名になれば、お金ががっぽがっぽ。お酒も、綺麗な服も、化粧品も、おもちゃも買い放題ですよ!」
「「「「「おおおおおっ!?」」」」」
老若男女、大喜び。
よ、よーしよしよし。
何とかなった、かな?
◇ ◆ ◇ ◆
村長宅での会合が解散となったあと、私が鉄神に乗り込むと、
『そりゃ酒は欲しいけどよ、あの小娘の言うことを本当に信じたわけじゃないだろうな?』
村長宅の裏手から、ひそひそ話が聴こえてきた。
盗み聞きするつもりはなかったのだけど、鉄神の集音器、めっちゃ優秀なんだよね。
『ああ。ちゃんとした城壁さえあれば、アイツが死ぬこともなかったんだ。あのクソ領主さえいなければ……』
『よせ、その話はもうするな。だが、あの娘が信用ならないのは事実だ。なんたって領主の妻なんだからな。あのクソ領主みたいに、耳障りのいいことを言って俺たちを誘い出してから、裏切るに決まってる。せめて俺たちだけは騙されないようにしなければ』
……そう、だよね。
あの日、ゴブリンの軍団に襲われていたバルルワ村。
同じような悲劇は、きっと何度も起こっていたことだろう。きっと何人もの人たちが犠牲になったことだろう……。
私も、もっとちゃんと、この村について考えよう。
もっと誠実に考えて、対応して、村人全員に認めてもらえるように。
◇ ◆ ◇ ◆
数日が過ぎた。
5等級以下の数百人の奥さんたちは入れ代わり立ち代わり温泉に訪れて、その心地良さを領都で思いっきり喋ってくれた。
今も昔も、口コミこそ最強の宣伝手段。
自動人形のお陰で重労働から解放された奥さんたちだが、人形は喋れないので、買い出しは依然として奥さんたちの大事なお仕事。
そうして外に出た奥さんが、バルルワ温泉郷のことを喋る。
数百個の口が数千個の耳に伝わり、さらに拡大していく。
1万人都市であるフォートロン辺境伯領都にバルルワ温泉郷のウワサが行きわたるまでに、数日もかからなかった。
バルルワ村の北側は『温泉郷』の名に恥じず、今やちょっとした街みたいになっている。
メインは鉄神の腕力で掘った大小十数個の温泉。
その隣に、数十室もの部屋と1つの大宴会場を構えた2階建ての巨大な温泉宿(!)。
その周囲には行商人たちの屋台と、温泉宿に入りきらなかった客のためのテントが立ち並ぶ。
この温泉郷で何より目を引くのは、もちろん巨大な温泉宿。
こんなどでかい建物、たったの数日で建てられるわけがない。
どうしたのかと言うと、1等級の奥さん・ステレジアさんの【アイテムボックス】だ。
温泉にドハマりしたステレジアさんが、亜空間からこの超どでかい建物をずるりと引っ張り出してきたときには、本当におったまげたよ。
『なるほど、これが1等級奥さんの力か』と思った。
マジで奥さんたちだけで軍隊作れるんじゃなかろうか。
ちなみに私は、辺境伯のお気に入りであるステレジアさんを勝手に動かした罪で、友愛ポイントをがっつり下げられた。
もう5等級落ち目前である。
早く、早く領主として認められて離婚しなければ!
「まぁ、エクセル神様。今日も見回りお疲れ様です」
温泉郷のマスコットキャラである鉄神に乗って温泉郷の中を歩き回り、『魔物が出ても大丈夫』アピールをしていると、温泉宿から出てきたクローネさんがほくほく顔で話しかけてきた。
「クローネさん」ハッチを開き、飛び降りる。「すっかり顔色良くなりましたね。お肌もぷにぷに」
「ひゃっ。ちょっと、くすぐらないでください」
「えへへ。良いではないですか、良いではないですか」
いろいろなストレスから解放され、温泉効果ですっかり癒されたクローネさんは、目の下のクマはすっかり取れて、肌はツヤツヤ、髪はさらさら。
すっかり美少女になってしまった。
「どこか怪我してません?」クローネさんが私の体をぺたぺたと触ってくる。「貴女という人は、いつも生傷が絶えないから。怪我してたら遠慮なく仰ってくださいね。治癒魔法を使いますから」
「はーい。でも魔力は大丈夫なんですか?」
「はい。ここのお湯に浸かっていると、なんだか魔力の戻りが早くなるような気がするんです」
「へぇ」
温泉効果(?)で魔力の回復量が増加したクローネさんは、とても幸せそうだ。
たぶん、温泉自体に魔力回復ポーション的効果があるのではなくて、温泉でリラックスした結果、自然回復量が増えただけだと思うけど。
◇ ◆ ◇ ◆
「こちら、温泉宿の昨日の売上報告です」
私の秘書と化したクゥン君が、木簡の束を私に渡してくれる。
「こちらは商人たちからの土地借用申請。
こちらは伐採チームの昨日の資材調達量報告。
こちらは開墾チームからの鉄神出動要請です」
「ありがとね、クゥン君。すごく助かってる」
ここは執務室としてお借りしているバルルワ村の一室。
私が微笑みかけると、
「い、いえっ。少しでもお力に慣れて、恐悦至極に存じます」
クゥン君が澄ました顔をしながら、尻尾をブンブン振り始める。
ふふふ、大人っぽく見せようとしているみたいだけれど、尻尾は正直だ。可愛い。
机の上に広げているのは、魔の森で見つけてきた『モニタ・キーボード付き小型電算機』、つまりノートパソコンだ。
ノーパソには『Excel』という名の表計算ソフトもインストールされていた。異世界にExcelを現出させるとは、いよいよ帝国のソラ皇帝は地球人で間違いないな。
クゥン君からもらったデータを、私は自作エクセル表へと入力していく。
バルルワ村の労働可能人員数、得意分野、能力値がマスタ登録されているエクセル表へ、建設・開墾・狩り・温泉宿運営等のタスクを放り込んでいけば、あとはボタン一つで最適なスケジュールが自動立案されるようになっている。
温泉客の来場数と商人たちからの土地借用申請量が分かれば、建設ニーズが分かる。
建設ニーズを建屋マスタに放り込めば、MRPがBOMを参照して建設指図が自動生成される。
建設指図が出てくれば、必要な資材調達指図が自動生成される。
各指図書へ最適な人員が自動割り当てされれば、明日以降のスケジュール、ひいてはバルルワ村発展計画の出来上がり。
このエクセル表は、『バルルワ村そのもの』だ。
関数とVBA(マクロ)を駆使すれば、このくらいはお手の物。
前世の時代から、私はこの手の自動化が得意だった。
Excelさえあれば、私は無敵だ。エクセルシアの真骨頂。
「むふ~」
私がドヤ顔していると、
「女神様~! エクセル神様! 大変です!」
血相を変えた村長さんが、走ってきた。
「妙な客が来まして!」
◇ ◆ ◇ ◆
「通せ! 邪魔をしないでくれ!」
「おい、順番抜かしするなよ」
「こっちはもう30分も並んでるんだぞ」
入場トラブルである。よくあるやつだ。
入場手続きを担当している村の女性がオロオロしている。
「どうされましたか~」
ガションガションガション、と登場する私。
順番抜かしをしようとする悪質な客は、鉄神の姿を見ただけで、大抵は大人しくなって並び直す。
そもそもこの程度のトラブルは日常茶飯事なので、わざわざ村長さんが私を呼んだりはしない。
けれど、今回は少し事情が違うようだ。
妙なのだ。村長さんが言うように、順番抜かしをしようとしているその客が、『妙な客』なのだ。
「通してくれ! 早く!」
順番抜かしをしようとしている壮年の男性。
だが、単なる悪質な客とも言い難い。
何とも『妙』なのだ。
まず、やけに身なりが良い。どこぞのお貴族様のお忍びだろうか?
そして、周囲に2人の護衛がいる。しかも帯剣している。
極めつけに、男性がその腕に抱いているのは――
「甘ショタ!」
フワフワな金髪碧眼の美少年――5、6歳くらいの小さな少年を抱っこしている。
少年の顔色は、ひどく悪い。
「そなたがここの主か!?」
私が鉄神から飛び降りると、少年を抱える男性が、飛びかかるような勢いで駆け寄ってきた。
護衛のクゥン君が無言で私の前に立つが、私はクゥン君を下がらせる。
「ここの湯は体に良いと聞いたから、はるばる来たのだ。頼む、早くこの子を湯に浸からせてやってくれ。このとおり、昨晩から発作が止まらないのだ!」
「【小麦色の風・清き水をたたえし水筒・その名はラファエル――ヒール】」
一緒に来たクローネさんが、魔法を使う。
が、少年の顔色は変わらない。
「……ダメですね。怪我でもご病気でもないようです」
「この方々を案内して差し上げてください」
私の指示に、村長さんがうなずく。
長蛇の列を成している順番待ちの客たちから、ブーイング。
『昨日から子供の発作が~』の下りを間近で聞いていたお客さん数名は心配そうな顔をしていたが、事情を知らないお客さんからすれば、私が大した理由もなく順番抜かしを許可したみたいに見えるのだろう。
「ご協力、ありがとうございます!」鉄神の拡声器でアナウンス。「皆様のおかげで、急病人の救護を迅速に行うことができました! ご協力くださった皆様には、ジャイアントボアの串焼きをプレゼントいたしますので、中でお受け取りください!」
「ジャイアントボアってCランクモンスターの!?」
「高級肉じゃないか!」
「おおおおお!」
◇ ◆ ◇ ◆
>rosai
私は、私のできることをする。つまりは、鉄神関連。
甘ショタ君とそのお父さん(お忍び貴族?)が温泉から上がってくるのを、温泉宿の中庭で待つ。『労災モード』の鉄神に搭乗して。
いや、『労災モード』て。
コマンドがまんま『rosai』って!
始皇帝ことソラ = ト = ブ = モンティ・パイソン、日本人の転生者で確定だわ。
まぁ、労働環境では労災は重大問題。某工業社で社内SEとして働いていたころ、挨拶は『おはようございます』でも『お疲れ様です』でもなく『ご安全に』だったし。
労災モードの鉄神は、簡単な治癒魔法と、かなり詳細な診断魔法が使える。
索敵レーダーも山脈探しも非破壊検査も診断も、全て【鑑定】魔法の応用であるらしい。
それにしても、甘ショタボーイ、大丈夫だろうか。
私はショタっ子のツラそうな顔が大嫌いなのだ。
世界中のショタは全員、笑顔であるべきなのだ。
そこがたとえ、異世界であっても。
やがて、護衛らしき人たちが脱衣所から出てきた。
続いて、ショタボーイの手を引いた例の男性が。
って、ショタボーイ歩いて大丈夫なの!?
「あのっ、もし良ければこの子で診断を――」
鉄神から飛び降りた私に、
「ありがとうううううううううううう!!」
男性が飛びかかってきた!
「ヒエッ」
男性は泣いている。泣きながら私の手を取って、
「そなたは息子の恩人だ! 何か欲しいものはあるか!? 何でも言え! 何なりと褒美を用意しよう!」
「え、あ、その」
クゥン君と護衛の人たちが、私と男性を引き剥がすべきか悩んでいる。
「失礼ですが、どちら様で?」
「あっ」男性が手を離した。ショタボーイの頭を撫でながら、「失礼したな。余は――」
護衛の人たちが、『えっ、言っていいの!?』って顔してる。
男性が護衛たちに小さくうなずいてから、
「余はゲルマニウム王国国王・ゲルマニウム16世である」
「「「えぇぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」」」
私・クゥン君・クローネさんがおったまげた。
「それから」男性――国王陛下がショタボーイの頭をぽんっと撫でて、「この子は、我が末子にして第一王子・カナリアだ」
金 髪 碧 眼 !!
ふわっふわなショートヘア。
二重まぶたの、庇護欲をそそる大きな目。
まつ毛とか超長い。
ほっぺは湯上りのためかほんのり桜色に染まっている。
年の頃は5、6歳。
身長は100センチそこらだろうか。
って、カナリア!?
男の子なのにカナリアって名前!?
かっ、かわっ、可愛すぎる!!
「ほら、カナリア。そなたの命の恩人――レディ・エクセルシアにご挨拶なさい」
甘ショタ王子・カナリアキュンがきゅるんとした上目遣いで私を見上げ、
「お姉ちゃん、ありがとう!」
天使みたいに微笑んだ!
とてとてと歩いてきて、私の手をぎゅっと握る。
「!? !? !?」
てぇてぇ値がMAXに達した私は、その場で卒倒した。
◇ ◆ ◇ ◆
11番目にしてついに生まれた念願の男児カナリア。
だが、その男児は体が弱かった。いや、『体が弱い』という単純な言葉で片づけてよいのかは分からない。
とにかく、しょっちゅう倒れた。貧血の症状に似ているのだが、血が足りていないわけでもない。
原因不明の奇病。呪い――。
待望の男児。
王妃様はもう40代。
カナリア君のことはあきらめて、次の子を作る? 40台の奥さんと? 次の男児が生まれるまで? それはさすがに無理がある。
じゃあ、側室を娶って男児を作る? いやいや、カナリア君はまだ生きているのに?
それで側室に男児が生まれて、もしもカナリア君が死ぬことなく成人したら、間違いなく跡目争いになる。
というわけで、王様はカナリア君の体質を治すために全力を尽くす方針にしたのだそうだ。
魔法という魔法、おまじないというおまじない、温泉という温泉も全て試した。だが、カナリア君はちっとも良くならなかった。
そんな折、全国にアンテナを張っていた王様の耳に、新たな温泉が掘り当てられたとの情報が飛び込んできた。それも、随分と評判が良いらしい。
だから――
「こうして、やって来られたというわけですか」
王様の、何が何でもカナリア君を長じさせよう、王位に就かせようという意気込みは本物であるらしい。
それこそ、こうして王様自らが温泉郷に突撃してくるほどに。
「うむ!」
私が魔の森でとっ捕まえたウォーリアチキンの温泉卵をむしゃむしゃとやりながら、王様がうなずく。
ここはステレジア奥様が【アイテムボックス】から引っ張り出してきた、例の温泉宿の一室。
部屋は、王様の護衛――男性2名のうち1名が使った【消音】魔法の結界によって守られている。
「本当に、今でも信じられない。カナリアを湯に浸からせたとたん、あれほど苦し気にしていた表情が和らぎ、呼吸も整ったのだ。そうして今や――」
「このタマゴ美味しいね、お姉ちゃん!」
カナリアキュンが私の膝の上に座って、温泉卵にパクついている。
かっ、かわっ、可愛い!!
すんすん……ふわっふわのつむじから、なんかいい匂いがする。あ、温泉の匂いだったわ。
カナリア君、なぜか私にすっかり懐いた模様。
いや、『なぜか』でもないか。カナリア君の体が温泉のお陰で本当に治ったのだとすれば、温泉を掘り当てた私は命の恩人ということになるのだから。
「本当に、奇跡だ」王様が、そんなカナリア君を優し気な目で見つめる。「そなたが『女神』というのは、存外本当なのかもしれないな」
「や、やめてください。というか、私のことご存じなんですね」
「それは」王様、壁際に侍る護衛の1人を見て、「なりふり構っていられないとは言え、最低限の調査はするさ」
……ん? 言われてみれば、この護衛の人によく似た客が、昨日来ていたような?
「女神様」
クゥン君が窓から部屋に入ってきた。
ここ、2階だっていうのに。身軽な子だなぁ。
クゥン君が私の膝の上に乗るカナリア君を見て、ほんの一瞬、わずかに眉をひそめた。
……おや?
もしかして、嫉妬かな? お姉さん嬉しくなっちゃう。
クゥン君はそんな自分自身を恥じたのか、ぱっと頬を染めて首を振る。
クゥン君だってまだまだ『幼い』といえる年齢なのに、ここまで自分を律するすべを身につけているなんて、本当に立派だ。
「診断結果が出たようです」
「おっけ」
私はカナリア君を優しく下ろしてから、クゥン君の背中にしがみつく。
するとクゥン君が、鉄神の背中目がけてひょいっと飛び降りる。
出会った当初こそ、クゥン君に抱き上げられるのを恥じていた私だけれど、魔の森での戦闘やら村での開拓やらで鉄神に乗ったり下りたりを繰り返す機会が増えたことで、こんな風にクゥン君に運んでもらうことの便利さに気づいてしまった。
私自身でも鉄神によじ登ることはできなくはないんだけど、そのためには鉄神をひざまずかせなければならないし、何よりドレスが汚れる。
狩りのときは旅装(男装)だけど、村や温泉郷にいる間は、一応は『女神様』としてドレス姿でいることが多いからね。
何はともあれ鉄神に搭乗する。
モニタには、カナリア君を【診断】した結果が表示されている。
「こ、これは――」
『魔力欠乏症(小康状態)』
「魔力欠乏症?」
私は『魔力欠乏症』の文字をタップ。
すると、ブラウザのリンクよろしく別画面に遷移した。
『魔力欠乏症:生まれつき魔力が少ない体質。魔力不足・魔力切れの症状を呈する』
「こ、これ、まさか――」
クゥン君にお願いして、温泉の湯を酌んできてもらう。
――ここのお湯に浸かっていると、なんだか魔力の戻りが早くなるような気がするんです。
――魔物が多いから魔力で満ちているのか、魔力が多いから魔物で満ちているのか。詳細は不明なままなんだけど、とにかくこの地は空気中の魔力濃度が高い。
まさか。まさかまさかまさか!
汲んできてもらったお湯に、鉄神の端子を漬ける。
果たして、モニタに表示されたのは――
『魔力を含んだ温泉水』
「なんてこったい!!」
クローネさん、プラシーボ効果でも何でもなかった!
事実、ここのお湯は魔力を含んでいた!
つまり、ここの温泉はゲルマニウム王国第一王子・カナリア君にとっては特効薬!
「ふ、ふふふ、ふふふふふふふ! あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
「め、女神様……?」
キタ! キタ! 来てんだろ!
私を領主と認めさせるための神の一手、キタァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!\\٩( ‘ω’ )و ////
◇ ◆ ◇ ◆
「魔力欠乏症!? 魔力を含んだ温泉水!? な、ななな……」
言葉を失う王様。無理もない。
王様が私をじっと見つめたあと、
「レディ・エクセルシアよ。本当に感謝する」
頭を下げた!
「あ、頭をお上げください!」
心臓に悪いって!
「そなたは我が息子の、いや、我が王国の恩人だ。望むものなら何でもやろう」
え、マ? 世界の半分くれ、とかいったらくれちゃう?
「いえ、そんな」
私の欲しいもの、それはもちろん領地と爵位だ。
伯爵位が欲しい。できれば辺境伯の地位が欲しい。
そんでクーソクソクソ辺境伯と同等の位になり、爵位と領地を維持するために『やむを得ず』離婚し、さらには『たまたま』フォートロン辺境伯領と係争が発生したために『やむを得ず』宣戦布告し、辺境伯をとっ捕まえる。
それが私の望みだ。
だが、男尊女卑を地でいくこの世界では、女性が爵位や領地に対してがっつくのは非常に外聞がよろしくない。
「望むものなんて……王様や王太子様とこうしてお話しする機会を得られただけでも、身に余る栄誉でございます」
だから私は、猫を被る。
大丈夫。作戦は考えてある。
「む、そうか。まぁ、急に言われても困るであろう。何か思いついたら、いつでも言うがよい。それで」王様が身を乗り出す。「折り入って頼みがあるのだが」
「な、何でございましょう」
国王様からの『折り入った頼み』とか、心臓に悪い。
「例の馬無し馬車――自動車とか言ったか? アレで王都とここを結んでほしいのだ」
――キタ!
「また、もしも2台目、3台目の自動車がまだあるのなら、毎日往復できるような定期便を作ってほしい」
カナリア君の健康を維持するためには、ここに通い続ける必要がある。
王様のお願いはもっともだ。
そしてこの言葉こそ、私が待ち望んでいた言葉でもある。
「お気持ちは痛いほどよく分かるのですが……わたくしは、もはや5等級落ち目前。5等級になってしまうと、屋敷で下女として働かなくてはなりません。ですので、2台目、3台目の自動車を発掘したり、王都までお伺いして運行経路をプログラミングしたり、といったことはもうできないのです。本当に申し訳ございません」
「5等級落ち? 下女として働く? どういうことだ」
「実は――――……」
◇ ◆ ◇ ◆
全て話した。
妻を等級管理し、飲まず食わずで働かせていること。
『一人はみんなのために、みんなは一人のために』などと言いながら、実際には妻たちを消耗品扱いしていること。
友愛ポイント制度という宗教めいたやり方。
私がバルルワ村を救ったら、友愛ポイントをがっつり下げられたこと。
バルルワ村を魔の森及びモンティ・パイソン帝国との緩衝地帯として使っていること。
バルルワ村の人たちを十数年来見殺しにしてきたこと。
獣人と人間をわざと不仲にさせたうえでの分断統治。
「うむむ……」王様、渋面一色。「善政とは言い難いな。しかし、罪として問えるほどの悪行でもない」
そうなんだよね。
辺境伯はその辺の悪知恵がとことん働いていて、罪にならないギリギリを攻めてきている。
実に愛沢部長らしい。
「何より、そなたほどの逸材を、愚物の側室として閉じ込めておくのは、あまりにももったいない」
を、ををを……『愚物』って仰ったぞ、今。
私の陳情は、好意的に受け取っていただけたらしい。
「んー……」温泉卵や串焼きでお腹いっぱいになったカナリア君が、私の膝の上で眠そうにぐずる。「おはなし、終わった? 一緒にお昼寝しよ、お姉ちゃん」
ふおおおおっ!?
甘ショタ王子様と同衾!?
まずいですよそれは!
「ううう……お姉ちゃんもそうしたいんだけど、自由に動けるうちに、いろいろとやっておかないといけない仕事が山積みで」
「えーっ、やだやだやだ! ボク、お姉ちゃんと一緒にいたい! ――はっ」
そのときカナリア君に電流走る――!
「ちちうえ! ボク、お姉ちゃんと結婚する!」
「~~~~!!」か、可愛いなぁ!「お姉ちゃんもカナリア君と結婚したいけど……ごめんね、お姉ちゃんは既婚者だから」
「良いぞ、結婚」
「ぶっふぉ」王様、今何と?「いや、離婚はまずいのでは」
「大義名分があればよい。国のためになる、という大義名分が」
王様がうなずくと、護衛の1人が剣を差し出した。
王様が抜剣し、剣の腹を私の肩に乗せて、
「エクセルシア = ビジュアルベーシック = フォン = バルルワ。そなたをバルルワ温泉郷伯に封ず」
「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!? って、温泉郷伯!?」
「温泉郷伯!?」
「たった今、新設した爵位だ。城伯と同位」
絶叫する私に、王様が優しく教えてくださる。
城伯は1つの城塞都市を支配する爵位。
こんな感じだ。
公爵 > 侯爵 > 辺境伯 > 伯爵 > 『城伯』 > 子爵 > 男爵 > 騎士爵
「これだけ高い壁に守られた土地は、もはや立派な要塞。バルルワ村の住民たちはそなたを『王』どころか『神』と認めておる。土地があって、民がおる。立派な領地だな」
キタキタキタ!
目標の第一段階達成だ!
だが、これはちゃんと確認しておかなければ。
「ですが、辺境伯様から土地を奪うなんて」
そう。この地は『獣人自治区』。
フォートロン辺境伯の属領なのだ。
「できる。この国で唯一、余ならばな。だが、城伯では未だ辺境伯の側室としてギリギリ家格が釣り合ってしまう。ここからどんどんこの土地を広げ、第二の辺境伯領にしてしまうのだ」
具体的なロードマップが示された!
この土地を開拓していけばやがて辺境伯にしてもらえる、という約束を取りつけることができたわけだ。
◇ ◆ ◇ ◆
「というわけで、バルルワ温泉郷伯を拝命いたしました」
「なっ、なっ、なっ!?」
いったん領都に戻り、クーソクソクソ辺境伯様へご報告。
あはは。辺境伯様ったら顔を真っ赤にさせている。
「バルルワ温泉郷伯領の開拓に集中するため、しばらく戻ってこられそうにありません」
「はぁああ~~~~!? 初夜もまだだというのに、何を勝手なことを!」
初夜がまだだから、だよ。
処女のまま離婚を果たしたいんだよ。
「大変心苦しいのですが……これも王命ですので」
「ねぇねぇお姉ちゃん」カナリア君が、私の手を引っ張る。「早く温泉行こうよ! ここ、なんかジメジメしてるからやだー」
あはは。
確かに辺境伯邸は、愛沢部長が好むジメついたくらーい雰囲気で満ちている。
奥さんたちが重労働から解放され、かつ大量の肉で栄養問題からも解放されたから、これでもだいぶ空気が軽くなったんだけどね。
「何なんですか、その無礼なガキは!?」
「王太子殿下です」
「お、王太子……ヒッ!?」椅子から飛び上がり、慌てて平伏する辺境伯。「こ、これは大変失礼を!」
「ほら、お姉ちゃん。もう行こう」
改めて、カナリア君が私の手を引く。
去り際にカナリア君が辺境伯へ向けた視線の冷たさに、私はぞくりときた。
……もしかしてカナリア君、実はかなり賢いのでは?
私が王様に話してた内容、実はちゃんと理解しているのでは?
わざと理解していない風を装って、私から言質を引き出すために『お姉ちゃんと結婚したいー』と無邪気そうな発言をしてみせたのでは?
「あ、あはは……」
カナリア君、恐ろしい子!
◇ ◆ ◇ ◆
というわけで、晴れて『バルルワ温泉郷伯』としてバルルワ村に住むことになった。
時刻はお昼前。
朝イチで陛下がいらっしゃって、
カナリア君が回復し、
バルルワ温泉郷伯になり、
辺境伯に三くだり半を叩きつけに行って、
こうして帰ってきた。
いやー、濃密! 密度の濃い半日だな!
「女神様~!」
「エクセル神様!」
鉄神に乗って歩けば、温泉郷で働く村人たちが手を振ってくれる。
「ほー、これがウワサの鉄神!」
「エクセルシア令嬢、ジャイアントボアの串焼き美味しかったです!」
温泉客からも好意的に受け入れられているようだ。
「いらっしゃいいらっしゃい! 温泉のお供、タオルはいかがですか~」
「良い石鹸が置いてあるよ!」
「お風呂上りと言ったらやっぱりエール!」
「搾りたてのヤギのミルクだよ! 氷魔法でキンキンに冷えてるよ!」
温泉郷の至る所で、行商人さんが商売している。
貴重な家畜を持ち込んで、お風呂上がりの牛乳ならぬヤギミルクを売ってる猛者までいる。
彼らの売り上げの一部は私の懐にはいる。
いや、別に私腹を肥やそうと思っているわけじゃないよ? ちゃんと、村と温泉郷の発展のために回すつもりだ。
まぁ、結果として私の地位が上がり、クーソクソクソ辺境伯への復讐が近づくわけだから、『私腹』と言えなくもないけれど。
「それにしても私、どこに住もうかなぁ」
「僕、お姉ちゃんと一緒に住みたいな」
鉄神の中、私の膝に座るカナリアキュンからの甘々なご提案。
「オ、オレも!」鉄神の肩に乗って護衛してくれているクゥン君の、焦った声。「一緒に住まわせていただきたいです! 間近で女神様を守らせてください」
「あ、じゃあクゥン君の家は?」
「え!? あー……いや、オレの家はめちゃくちゃ粗末ですからお勧めできかねます。何より、部屋が1つしかありませんし」
「いいじゃない。上がらせてよ」
「いや、同衾はまずいでしょう……」
「女神様~!」と、村長さんが駆け寄ってきた。「国王へ……ゲフンゲフン、ナゾのお忍び紳士様からお話はお伺いしております! 正式に、この村の領主様になられたのですね。女神様のお住まいは、すでにご用意させていただいております。ささ、こちらへ」
「え?」
◇ ◆ ◇ ◆
バルルワ村の中心、教会のすぐ横で。
「「「「「お帰りなさいませ、女神様!」」」」」
「な、な、な、なんじゃこりゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?」
いつの間にか、本当にいつの間にか、2階建ての、質素ながらも立派な木造屋敷が出来上がっていた。
そして、エプロン姿の村人女性4名によるお出迎え。
メイド服こそ着ていないけれど、この感じ、間違いなく『当主を屋敷の前でお出迎えするメイドさんたち』だ!
「え? え? え? 何ですかこの立派な家は!?」
「女神様のお住まいです」ニコニコ顔の村長さん。「本来ならば、女神様がご降臨くださった日にすぐご用意すべきところ、すっかり遅くなってしまい、申し訳ございませんでした」
「いやいやいや、悪いですよさすがに。それに、自分の世話くらい自分でできますし」
「何を仰いますか! 女神様はこの村をお救いくださり、丈夫な城壁で守護してくださり、たくさんの肉や素材をお恵みくださり、行商人をこの地に招いてくださり、こうして今や、お金を得るための働く場所までくださいました。くださったご恩があまりにも大き過ぎて、この程度ではとてもお返しできているとは言えません。
また、ここで女神様のお世話をさせていただく者たちは、みな子供を育て終わった者ばかり。家事も慣れており、みな女神様のお世話を許されたことを喜んでおります。どうかお気になさいませんよう」
そうとまで言われてしまえばもう、断るのも申し訳ない。
まぁ村人たちとしても、私(というより鉄神)が村の中心に住んでいる方が安心なのだろう。
「お連れ様が住むための部屋も多数ございますので、どうかご自由にお使いください」
「そうかそうか。では、ここに滞在している間は、余もこの家を使うとしよう」
陽気な声に振り向いてみれば、
「へ、陛下――じゃなかった。ナゾのお忍び紳士様!? と、クローネさんにヴァルキリエさんまで」
なんか人が増えてる。
◇ ◆ ◇ ◆
各自、自分用として選んだ部屋に荷物を置いた後で、1階の食堂に集まる。
獣人メイドさんたちによる心づくしの昼食をいただいた。
長~いテーブルで。
国王陛下を差し置いて私がお誕生日席なのが恐縮だったけど、今の陛下は『ナゾのお忍び紳士様』だから仕方ない。
それにしても、私が運び込む大量の魔物肉と、行商人が売ってくれる香辛料や干し魚、ドライフルーツなどのお陰で、ここの食事が劇的に良くなってる!
肉比率がやけに高いのが気になるけど、まぁ獣人だからきっと肉が好きなんだろう。
畑を広げたら、小麦だけでなく野菜畑も広げるように提言してみよう。
「美味しいね、お姉ちゃん!」
カナリア君は、ウォーリアチキンの温泉卵が好物なようだ。
生前の記憶にある鶏卵と異なり、Eランクモンスター・ウォーリアチキンの卵は味がめっちゃ濃厚なんだよね。
「さて」皿が片づけられたタイミングで、私は声を上げる。「今日も、いつもの日課、行きますか!」
「あ~っはっはっはっ! 待っていたよ」楽しそうなヴァルキリエさん。
「あ、あのっ」クローネさんが勇気を振り絞った様子で、「今日はわたくしも同行させてもらえませんでしょうか? エクセルシアさんがいつも生傷を作って帰ってくるのが不安で」
「ををを!? でも、大丈夫なんですか?」
「はい。ここの温泉のお陰で魔力が使い放題ですから、治癒魔法の腕を伸ばしたいな、とも考えておりまして。……何だか打算的ですみません」
「いえいえそんな! クローネさんが来てくださったら、心強いです!」
実際、戦闘起動中の鉄神の中って割と過酷で、肩やら腰やらをガンガンぶつけるから、常に軽い打撲傷を負っているんだよね、私。
「ねぇねぇ、みんなでどこ行くの?」
カナリア君が首をかしげる。
か、か、可愛い!
「魔の森に狩りに行くんだよ。お姉ちゃんたちの日課なの」
「えーっ! いいなぁ、ボクも行きたい!」
「いやいやいやいや」
それはさすがに。
5、6歳児を。
それも、病み上がりでこの国唯一の王太子を魔の森に連れていくのは、さすがに。
「構わんぞ。行ってきなさい、カナリア」
「えええええ!?」
「というか、鉄神の中ほど安全な場所は他にはあるまい」
「ありがとう、ちちうえ!」
陛下にぎゅってするカナリア君。
あっ、いいなぁ(尊死)。
おや、陛下がカナリア君に何やら耳打ちしている。
カナリア君がうなずいたあと、陛下がカナリア君の肩を叩き、
「では、行ってこい! 男カナリアの初陣だ。そなたがレディ・エクセルシアを守るのぞ?」
「うんっ」
というわけで、私の2人目の守護騎士が爆誕した。
◇ ◆ ◇ ◆
というわけで、魔の森に入る。
編成は、
斥候 兼 前衛・クゥン君
前衛 兼 盾・私 in 鉄神
中衛 兼 指揮・ヴァルキリエさん
ヒーラー(後衛)・クローネさん
カナリア君は私の膝の上だ。
戦闘起動中の鉄神はけっこう激しく揺れるんだけど、そこはまぁ、男の子だからガマンしてもらおう。
鉄神の中が一番安全だってのは間違いないんだから。
あぁ、それにしてもカナリアキュンの体は温かいなぁ。
小さい子供って体温高いよね。
それに、なんかいい匂いする。
すんすん……あ、これ温泉の匂いだったわ。っていうか、この下り、もうやったわ。
それに、温泉だけではない、この得も言われぬフレッシュな香りは――!
「ビバ・ショタ!」
「びば? しょた?」
「あっ」いかんいかん。「何でもないんだよ~。ところでカナリア君、さっき、お父さん陛下と何話してたの?」
「あ、えーと……どうしよう、言っちゃってもいいのかなぁ」
おや。男同士の内緒話かな?
「でも、お姉ちゃんに隠し事はしたくないし……いいや」
ええんかい。
「あのね」カナリア君、私の手をぎゅっと握って、「『この魚は絶対に逃がすな』って。『国益のためにも、そなた自身の命のためにも、レディ・エクセルシアを絶対に手放すな』って」
「お、おおう」
国王陛下、私を――というより鉄神や自動車、自動人形などを囲う気満々やんけ。
でも私を温泉郷伯に封じた以上、カナリア君の健康維持のために、私を王家に取り込むのは必須か。
それにしても国王陛下、私がショタっ子大好きって把握してるんじゃ?
把握したうえで、私にカナリア君をけしかけてるんじゃあるまいか。
『女神様!』鉄神のマイクがクゥン君の声を拾った。『もう、魔物たちの領域内です。お気をつけて』
やべ。
私とカナリア君の甘々(でもないな)な会話、外にだだ洩れだった……?
ハッチを閉じているときは、自動でスピーカーモードがオンになるから。
それにしてもクゥン君、いつもはわざわざこんな警告してこないのに。
もしかして:嫉妬?
ついに来たか、私のモテ期!
ぷにショタランド開園か!? 開園してしまうのか!?
『女神様!』
「うん。こっちのレーダーでも捉えた」
前方数十メートル先に、大きめの魔力反応3。
この大きさは、オークかな?
「ヴァルキリエさん、クゥン君、1体ずつ任せてもいいですか?」
『了解です!』
『構わないが、何をするつもりかな?』
「マニュアル戦闘の練習を」
クゥン君もヴァルキリエさんも、並みのオークが相手なら後れを取らない。
この前のホブゴブリンが、ちょっと異常なくらい強い個体だったんだ。
数十秒後、会敵!
「ブモォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
オークのリーダー格による開幕シャウト!
空気がビリビリと震える。
生身の私だったら、震えあがって動けなくなったことだろう。
だが、今は鉄神のハッチを閉じているので、手指が多少しびれる程度だ。
>manualbattle
私は操縦桿と各種ボタンを操り、慎重に鉄神を動かす。
オークリーダーのこん棒の振り下ろしを、鉄神の左手で受け止める。
私は、腰に下げているこん棒――鉄神のために1本の木から削り出した巨大な武器――を抜き放つ。
振り上げ、振り下ろした。
「プギャッ」
頭部を損傷させたオークリーダーが、倒れる。動かない。
「ふい~。何とかなった」
2人は?
鉄神の視覚センサーでぐるりと見回してみれば、クゥン君とヴァルキリエさんが、それぞれオークの首を刎ねたところだった。
いやー、知ってちゃいたけどこの2人、めちゃくちゃ強いのな。
「カッコイイ~~~~!」大興奮のカナリア君が、私の膝の上でバタバタしている。「お姉ちゃん、ボクも! ボクも鉄神動かしてみたい!」
カナリアキュンのさえずり声、マジカナリア!
「えへへ、いいよぉ。じゃあまずは、このキーボードで『move』と打ってごらん」
◇ ◆ ◇ ◆
小一時間後。
『王太子殿下、2時方向20メートル先にワータイガー1』
「うん!」
――ザシュッ
『カナリア王子、前方30メートル先にゴブリンが3体います!』
「うん!」
――バスッ、ドギャッ、グチャッ
「なっ、なっ、なっ、ななな……」
そこには、歴戦の戦闘機パイロットのような手さばきで操縦桿とボタン群を操り、あらゆるモンスターたちを瞬殺する戦士カナリアの姿がががが!
自動戦闘モードじゃないよ!?
マニュアルモードで、だよ!?
「もしかして、カナリア君って転生者だったりする……?」
「てんせーってなぁに、お姉ちゃん?」
「ナンデモアリマセン……」
そうか。単に天才だっただけか。
これはいよいよ、2機目の鉄神が欲しくなってきたなぁ。
――ゴリッ
「……ん?」
何やら、鉄神が硬い何かを踏みつけた感触。
「カナリア君、ちょっとストップ」
「なぁに、お姉ちゃん?」
>dig
私は穴掘りモードコマンドを入力。
鉄神が踏んづけてしまった『ナニカ』を掘り起こす。
「こ、こ、これは……!!」
ずんぐりむっくりなシルエット。
全長5メートルもある巨体。
「「「「「鉄神様だぁ~~~~~~~~~~~~~!!」」」」」
◇ ◆ ◇ ◆
「というわけでお義父さん、息子さんを下さい」
バルルワ温泉郷伯領の戦力増強のために!
エースパイロット・カナリア君は何が何でも欲しい!
「だから、そう言っているであろう。そなたをカナリアの妻にする、と。え、違う? カナリアがそなたを娶るのではなく、そなたがカナリアを娶る? いや、雇う??? どういうことだ?」
バルルワ村の女神宅で、首をかしげる国王陛下。
「実はかくかくしかじかで」
「なんと! 2つ目の鉄神! そして我が息子にそんな才能が!?」
「この子は鉄神操縦の天才です」熱弁しながら、私は腕の中のカナリア君をぎゅっと抱きしめる。「この子がいれば、百人力どころか一騎当千!」
「ふむ。将来のことはさて置くとして、当面は良いだろう。我が息子に、しっかりと戦場での経験と武勲を積ませてやってくれ」
いやぁったぁああああああああ!!
ぷにショタ王子、ゲットだぜ!!\\٩( ‘ω’ )و ////
数日、穏やかな日々が続いた。
朝、バルルワ村の女神邸で目を覚まし、メイドさんたちが作ってくださる魔物肉尽くしに舌つづみを打ち、鉄神に乗って温泉郷をぐるっと一回り(守護してますよアピール)してからひとっ風呂浴び、サクッとデスクワーク(ほぼ自動化済)を片付けて、早めの昼食を取ってから魔の森に出撃する。
まぁ、『穏やか』というにはやや野性味が強いが、クーソクソクソ愛沢部長もクーソクソクソ辺境伯もいない、貞操の危機に脅かされない平和な日々。
「では皆さん、準備は良いですか? ――突撃!」
「「「「「おう!」」」」」
今日の狩りメンバーも、いつもどおり。
斥候のクゥン君、
メイン盾にして主力の私(in 鉄神)&カナリア君(in 鉄神2号)、
指揮担当にして実はメイン剣のヴァルキリエさん、
ヒーラー・クローネさん。
そう。実はヴァルキリエさんこそがメイン剣なのだ。
めちゃくちゃ強い鉄神だけど、ヴァルキリエさんはそんな鉄神よりもさらに強い。
もうね、ヴァルキリエさんマジ強すぎ。どのくらい強いのかと言うと、
『女神様』
木に登っていたクゥン君が、私(鉄神)の肩に音もなく降りてくる。
おサルさんか、もしくはニンジャか。可愛い。
『2時方向10メートル先にブラックベア1です』
「今夜はクマ鍋かな」
『ここは私にやらせてもらえないかな?』鉄神のマイクがイケメン声を拾う。『最近、体がなまってしまっていてね』
「キタ! メイン剣キタ! これで勝つる!」
『メイン剣? 相変わらずエクセルシア嬢は面白い言葉を使うね』
森の中、少し開けた場所で、ヴァルキリエさんが仁王立ちして待つ。
私たちは、その数メートル後方で待機。
1分ほどすると、
『ヴォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
3メートルの巨体、黒光りする分厚い毛皮。
Aランクモンスター・ブラックベア登場。
四つ足で、ヴァルキリエさんに飛びかかる!
――シュッ
風を切る音とともに、ヴァルキリエさんの姿が一瞬ブレた。
次の瞬間、ヴァルキリエさんが腰に帯びた鞘から、『チン』という音。
ヴァルキリエさんが目にもとまらぬ速度で抜刀し、元の鞘に納めたのだ。
ブラックベアが動きを止めた。
1秒、2秒、3秒してから、ブラックベアの首がずるりとズレて、こぼれ落ちた。
続いて、ズゥウウン……という音とともに、ブラックベアの体が倒れる。
「TUEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!」
「さすがは奥様!」
私とクゥン君による賞賛。
『抜刀』と言ったが、ヴァルキリエさんが帯びている剣は曲刀。
刀をほうふつとさせるサーベルなのだ。
「まるで目で追えません」クローネさんも感心しきり。「さすがは元Sランク冒険者!」
『女神様、周囲にモンスターはいません』
「お疲れ様でした~」
私は鉄神のハッチを開け、飛び降りようとして、
「ぷぎゃっ!?」
地面の石に足を取られ、盛大にすっ転んだ。
「まったくこの子は。【小麦色の風・清き水をたたえし水筒・その名はラファエル――ヒール】」
クローネさんが、擦りむいた私の鼻先を癒してくれる。
「どうしてこう、足元がおぼつかないのですか。困った子ですね」
クローネさんがよしよししてくれるのだが、この子、肉体年齢でも私より年下ですよね?
「あのぅ、私の方がお姉さんなのですが」
「わたくしはエクセルシアさんの指導係ですから」
「よし、ではいったん戻ろうか」
ヴァルキリエさんが指揮を執る。
ヴァルキリエさんは最年長だし領軍のトップを務めているだけあって、仕切り慣れている。
いや、『指揮』り慣れているというべきか。
「先頭はクゥン、右翼に殿下、左翼にエクセルシア嬢、殿(しんがり)は私。クローネ嬢を中央に。肉はエクセルシア嬢が担いでくれ」
「はーい」
◇ ◆ ◇ ◆
「「「「「お帰りなさいませ、女神様!」」」」」
バルルワ村の南、魔物肉の集積地に入ると、村人たちだけでなく、領都から来た行商人さんたちまでもが私を女神呼びして出迎える。
「今日の第一弾はクマです!」
作業用のスペースに、3メートルのクマがどーんと仰向けになる。
「こっ、これはAランクモンスターのブラックベア!?」
「超高級食材じゃないですか!」
「さすがは女神様!」
引退猟師の村人さんたちがさっそく解体しようと試みるが、
「この毛皮、硬っ!?」
「刃が入らない」
「こんなに硬い相手の首を刎ねたって? さすがは女神様」
「あ、いえ。今回仕留めたのは私じゃなくて――」
言いかけた私の唇を塞いで、ヴァルキリエさんがウインク。
……トゥンク。
づか顔たまらん。
「キミたち、離れてくれたまえ」
ヴァルキリエさんが曲刀の柄に手を伸ばし、
――シュッ、チン
とたん、クマの片腕から毛皮がずるりと剥ける。
さらに、
――シュッ、チン
――シュッ、チン
――シュッ、チン
あっという間に、クマの全身から毛皮が剥がされ、お腹が割り裂かれ、内臓が露出した。
「おおおお!?」
「何と見事な切り口! アンタがこのクマを仕留めただか!?」
村人さんたち、大興奮。
『フォートロン辺境伯領軍のヴァルキリエ』と言えば、バルルワ村を見殺しにし続けてきた諸悪の根源みたいに言われていたというのに。
生来の優しい気質や、イケメンムーブや、何よりこの圧倒的な武力のお陰で、ヴァルキリエさん、順調に村に馴染みつつある。
良かった良かった。
「聞いたことがあるべ! 辺境伯領を渡り歩いた伝説のSランク冒険者! その名も『曲刀使い(ソードダンサー)』!」
ををを!?
ヴァルキリエさん、中二な二つ名をお持ちだった。
「やめてくれ。昔の話さ」
とかなんとか話しつつも、ベテラン村人さんたちの手は止まらない。
硬い毛皮さえなければ、3メートルのクマだって解体はお手のもの。
あっという間に内蔵が引きずり出され、肉が切り分けられ、爪や牙などの素材が切り取られていく。
内蔵――モツ肉は村の子供たちが冷やした水につけて、村へと運んでいく。足の速いモツは、村でその日のうちに消費するのが通例だ。
じゃあ、モツ以外の部位はというと――
「クマの手! 1000ゴールドから!」
「1050!」
「1100!」
「1200!」
さっそく競りが始まった。
村人さんたちも行商人たちも生き生きしている。
というか、レアモンスターの素材が手に入れられるとあって、行商人たちは目をギラギラさせている。
いやぁ、楽しそうでいいですね!
村をますます開拓していき、川を増設し、畑を広げ、住宅を増やし、住民を誘致する。
実効支配領域をどんどんと広げていく。
フォートロン辺境伯領を飲み込んでしまえるくらいに。
やりたいことは山積みだ。
けれど、どれをやるにも先立つものがいる。
「と言うわけで、もう1回魔の森に突撃です!」
「「「「「おう!」」」」」
こんな穏やかな日々が、これからもずっと続いていくものだと、私は思っていた。
このときは、まだ。
◇ ◆ ◇ ◆
【Side守護騎士クゥン】
オレは、焦っていた。ひどく、ひどく焦っていた。
理由は簡単。恋のライバルが現れたからだ。
ここは、魔の森。
視線の先では、2柱の鉄神様――女神様が乗る『1号』と、カナリア殿下が乗る『2号』が歩いている。
『お姉ちゃん、3歩下がって』
カナリア殿下の声が2号から発せられると、
『了解』
女神様が即答し、即座に1号を3歩下がらせた。
それとほぼ同時に、草むらの陰からBランクの魔物・ジャイアントウルフが飛び出してきた!
1号(女神様)を襲うはずだった魔物の突進は空振りし、戸惑った様子のジャイアントウルフは、待ち構えていた2号(カナリア殿下)の棍棒の振り下ろしによって後頭部を強打され、絶命した。
それは、ほんの数秒の出来事。
見事と言うほかない攻防だ。
オレは、悔しい。
オレが血の滲む鍛錬の果てに手に入れた武力を、カナリア殿下があっという間に追い抜いてしまったことが悔しい。
本来はオレが立つはずの、『女神様の守護騎士』という立ち位置をカナリア殿下に奪われてしまったことが悔しい。
そして何より、女神様がカナリア殿下のお言葉にまったく疑うことなく従ったのが――お二人の信頼関係が、悔しくて妬ましくてたまらない。
……と同時に、こんなにも浅ましい思いを抱いてしまっている自分のことが、恥ずかしくてたまらない。
相手はまだ五、六歳の幼子なんだぞ?
とにかく、オレもがんばって活躍しなければならない。
そうでなければ、女神様から頂いた大恩の数々に報いることができない。
「め、女神様、次はオレにやらせてください」
『ん、クゥン君?』1号から、女神様の戸惑った様子の声。『大丈夫だよ、クゥン君。魔物の相手は私たちがするから』
気のないお返事。
きっと女神様はもう、オレに対する興味も期待も、失ってしまったのだろう。
「っ。お願いです!」
『え、あー、うん』
女神様の曖昧な返事を了承と取って、オレは鉄神様たちの前に出る。
鬱蒼とした森の中へと飛び込む。
ほどなくして会敵した。
相手はゴブリン3体。あらかじめ【闘気】で把握していたから、驚きはない――
「なっ!?」
――はずだったのに。
「ゴブゴブ!」
敵は魔法使いタイプの『ゴブリン・メイジ』3体だった!
1体目が放ってきた束縛魔法【バインド】による光の鎖を、オレは避ける。
が、
「ゴブ!」
続けざまに、2体目の【バインド】。
オレは辛うじて避ける。が、体勢が致命的なほどに崩れてしまった。
「ゴブゴブ!」
そこに、3体目が放った【バインド】。
光の鎖に手足を封じられて、オレは無様に転ぶ。
油断した!
3体ともメイジのパターンには遭遇したことがなかったから、3体でもオレ一人で勝てると高をくくっていたのだ。
短剣に持ち替えたゴブリン・メイジたちが、オレに剣を振り下ろす!
『やめろぉおおおおおおおおおおおおお!!』
オレは、死なずに済んだ。
女神様が、1号の拳でゴブリンたちをいっぺんに殴り飛ばしてくれたからだ。
「大丈夫、クゥン君!?」
女神様が鉄神から飛び降りてきた。
「お、オレは大丈夫です」
体の震えを必死に押さえつけながら、オレは起き上がる。
「そんなことより、鉄神様が……」
オレを助けるために、棍棒を投げ捨てて駆けつけてくれたからだろう。
無理やりゴブリンを殴りつけた鉄神様の指が、変な方向に曲がってしまっている。
オレは、顔から血の気が引いていくのを自覚する。
オレを、オレなんかを助けるために。
オレの所為で……。
◇ ◆ ◇ ◆
狩りは中止になった。
当然だ。オレの所為で、大切な鉄神様がお怪我を負ってしまったのだから。
そうして、今。
バルルワ村の一室で、女神様は鉄神様の治療をなさっている。
「め、女神様、オレ……」
「あー、ごめん。後で聞くね」
女神様は鉄神様の手指を覗き込んだまま、答える。振り向いてもくれない。
きっと、内心では怒っているのだ。
……当然だ。オレの所為で、余計な仕事が増えてしまったのだから。
「応急処置として自動人形の土木作業用手首パーツを繋げてみたものの、上手く動かないなぁ。ドライバはちゃんとインストールできているはずなんだけど」
『ノートパソコン』とかいう不思議な板を覗き込みながら、うんうんとうなる女神様。
「お姉ちゃん、見せて見せてー」
そんな女神様に、カナリア殿下が絡みつく。
「ごめん、カナリア君。あっちで遊んでおいで」
「お姉ちゃん、コレ、ここになんか赤いマークが出てるよ」
「え? あ、ホントだ。エラー吐いてる! カナリア君、ありがとう! デバッグモードを起動してっと。うーん、どこを直せばいいんだ……?」
「お姉ちゃん、ここじゃない?」
「を?」
「こことここを繋げてあげれば――」
カナリア殿下がノートパソコンに入力すると、鉄神様の手が動きはじめる。
「ををををを!? カナリア君マジ天才!」
女神様が、心底嬉しそうにカナリア殿下を抱きしめる。
「そうか、L1-1G型のドライバ単体で無理やり動かそうとしたからダメだったのか。鉄神の右腕に自動人形F1-1G型の手首運動ドライバをインストールして、改修を加えたスリーハンドシェイクメソッドによって※※※を※※※して※※※が※※※※※――」
女神様は古代語や鉄神様関連のことになると、ものすごく早口になることがある。
そんなとき、オレはもちろん、村の誰も女神様の話に付いていける人がいなくて、最終的に女神様が寂しそうな顔をすることが何度もあったんだ。
けれど。
「うんうん。こことここが、ちょうどその※※※? なんだよね」
「そうそう、そうなのよカナリア君! さらにここの※※※の※※※が――」
「うんうん」
カナリア殿下は、そんな女神様の話に平然と付いていっている。
具体的な単語はおぼつかないご様子だが、話の内容は明らかに理解なさっておいでだ。
「っ……」
ズキリ、と胸が傷んだ。
女神様が、子どものように目を輝かせながら、カナリア殿下との会話を楽しんでいるからだ。
オレはいたたまれなくなって、部屋を出た。
【Side クゥン: つらい思い出】
「近寄るなよ、薄汚いケモノが」
「さっさと突撃しろ、ケモノ。俺たち人間様の代わりに死ぬのが、お前らの役目だろ」
「ケモノ用の糧食なんてあるわけないでしょ。アンタらは魔物の死骸でも齧っていなさい」
クゥン = バルルワ。
バルルワ村の誇り高き戦士。
けれどそんな誇りが通用するのは、村の中だけだった。
一歩でも村を出れば、そこはオレたち獣人にとっての地獄。
そしてオレたち獣人の男はみな、辺境伯領軍に徴兵される。
オレは、諦めていた。
うつむいて、背中を丸めて生き続けていくしかないのだと。
いや、生きる権利すら、オレたちには存在しない。
オレたちは使い捨ての命だ。
突撃に殿(しんがり)。真っ先に死ぬことを命じられる。
たくさんの戦友たちが死んでいった。
オレもいつまで生き残れるか。
15の成人を迎えられるのか?
◇ ◆ ◇ ◆
「おいっ、ここの床、汚いぞ! さっさと掃除しろ!」
「領主様が視察にいらっしゃるまで、もう時間がない! 酒や賭博品は全部床下に隠せ!」
その日は、兵舎が朝から慌ただしかった。
領主様が、急に視察に来ることになったのだそうだ。
オレが無心で床掃除をしていると、兵舎が急に、しーんと静かになった。
「「「「「一人はみんなのために、みんなは一人のために!!」」」」」
人間の将兵たちが一斉に敬礼していた。
領主様が来たのだ。
オレは慌てて、その場でひざまずく。
オレたち下等兵が領主と顔を合わせるのは不敬にあたるからだ。
「そこのケモノ」
と思っていたら、いきなり領主様から話しかけられた!
「は、はい!」
「キミは明日から、私の新たな妻の護衛です。友愛精神を大事にして、しっかりと任務に励みなさい」
「…………は」
一瞬、あっけに取られたけれど、
「ははっ!」
すぐに返事をしなければ。
オレは頭を下げた。
こうしておれは、エクセルシア様の護衛従士になった。
◇ ◆ ◇ ◆
「奥様の護衛が犬って」
「フォートロン辺境伯家はアプリケーションズ侯爵家と不仲だっていうから、意趣返しなんじゃないか?」
周囲の陰口は不快だったが、とかくもオレは『死ぬ』以外の任務を得ることができた。
汚い思惑があったにせよ、オレにとっては絶好の好機だった。
その日は、悪夢を見ずに眠ることができた。
◇ ◆ ◇ ◆
翌日。
いつまで経ってもエクセルシア様がいらっしゃらなかったので、オレは不安になった。
一度不安になると居ても立ってもいられなくなって、オレは領都フォートロンブルクまでの街道を走りだした。
走って走って、まれに魔物が出る森に至り、激しい馬の嘶きを聴いた。
――まさか。
まさかまさかまさか!
声がした方へ駆けていき、オレは心臓が止まるかと思った。
アプリケーションズ家の紋章が入った馬車が横転し、炎上している。
そして。
そのすぐそばで、今まさにゴブリンの手にかかろうとしているのは――
――この人間に死なれてしまっては、オレはまた、使い捨ての突撃兵に戻されてしまう!
「若奥様から離れろぉぉおおおおおおおおおおッ!!」
無我夢中で戦った。
エクセルシア様は非常に聡明なお方で、今まさに死にかけたところだというのに、オレに冷静に警告してくれて、オレの命を救ってくださった。
そこからは、驚きの連続だった。
「キミ、大丈夫!?」
オレのことを『ケモノ』と言って離れようとするどころか、オレの髪や頬に触れてくるエクセルシア様。
オレの身を案じてくれるエクセルシア様。
オレの耳を『素敵だ』と褒めてくださるエクセルシア様。
そして、オレに名前を聴いてくださるエクセルシア様!
オレは急に、自分のことが恥ずかしくなった。
だってオレは、保身のためにエクセルシア様のことを助けた。
だというのにこの人は、オレに『ありがとう』と言ってくれたのだ。
あのときの衝撃は、感動は、たぶん一生、忘れることができないだろう。
オレはあっという間に、恋に落ちた。
そこからは、驚きの連続だった。
エクセルシア様は、オレとバルルワ村にありとあらゆるものを下さった。
鉄神様、
城壁、
大量の魔物肉、
新しい畑、
温泉郷での収入、
衛生的な水路。
緩やかに死んでいくしかないと思っていた故郷は、ものの数日で安全で住みやすい理想郷に変わってしまった。
目が離せなかった。
エクセルシア様の――女神様の一挙手一投足に、オレは夢中になった。
生まれてきてからずっと絶望しか知らなかったオレにとって、次々と希望を振りまいていく女神様は、まさしく神だった。
そして同時に、強く美しく、可愛らしい女性。
◇ ◆ ◇ ◆
【Side クゥン: 現在】
「……ここは?」
気がつけば、オレはバルルワ温泉郷の壁の外を歩いていた。
カナリア殿下と楽しそうに話す女神様を見ていられなくて、飛び出してきてしまったのだ。
「はぁ……」
情けない。
自己嫌悪でため息が出る。
まだ昼だというのに、『目の前が暗い』。
オレはダメなやつだ。女神様の守護騎士なのに、女神様に迷惑ばかりかけて。
気が滅入る。『目の前が真っ暗』だ。
「……………………え?」
視界が真っ暗になっていることに、オレはようやく気づいた。
これは恐らく、幻惑魔法が得意なシカ系の魔物・ブラインドディアの暗闇魔法だ。
完全に油断しており、かつ心が弱っているのが災いした。
ここまで強固に掛かってしまうと、自力で解除するのは不可能に近い。
――ヒィイイイイイイイイイイイイイイン!
矢のような嘶きとともに、ブラインドディアが突進してきた!
「ぎゃっ」
背中からまともに突進され、オレは地面に転がる。
体は、動く。大丈夫だ。当たりどころが良かった。
背骨をツノで貫かれていたら、そのまま殺されてしまうところだった。
だが、そんなのは気休めだ。あまりの痛みに、涙が出てきた。
真っ暗な視界の中で、無我夢中で立ち上がろうとする。
そうして、はたと気づく。
……今のオレに、生きている意味なんてあるのだろうか?
真っ暗闇の中、右も左も分からず、子どものようにみっともなく泣きわめいて。
守るべき女神様を放置して、こんなところを一人でフラフラと歩いて。
守護騎士ならば、すでにカナリア様がいらっしゃる。
オレはお役御免になって、きっとまた、あの使い捨ての突撃兵の身分に舞い戻ってしまうだろう。
そうすればオレは、早かれ遅かれ死ぬ。
だったら、いいんじゃないか?
もう、あがかなくても。戦わなくても。頑張らなくても。
つらい思いをして剣を振るわなくても。
怖い思いをして戦わなくても。
もう、楽になってもいいんじゃないか?
――ヒィイイイイイイイイイイイイイイン!
魔物の足音が迫ってくる。
父さん、母さん、兄さんたち。
オレも、すぐにそちらへ――
「クゥン君!」
愛しい声が聞こえた。
女神様の声だ。
――ぱっと、視界が開けた。暗闇魔法が解けたのだ。
「クゥン君、大丈夫!?」
目の前には、魔物の死体。
そして、魔物を殴り殺した体勢の、鉄神様だ。
女神様が、鉄神様から飛び降りてきた。
「あぁ、あぁ、クゥン君! 大丈夫!? 怪我は!? そうだ、労災モードに治癒魔法があったはず!」
狼狽した様子の女神様が、再び鉄神様の中へ入っていく。
鉄神様がオレの背中に優しく触れる。
ほどなくして、痛みが引いていった。
「クゥン君!」
そうして再び、女神様が飛び降りてきた。
「あ、その……女神様」
オレが何と言って良いか分からず戸惑っていると、
「バカ!」
抱きしめられた。
力の限り。
細い腕のいったいどこにこんな力が隠されていたのかと思うくらいだ。
「勝手に出ていったりして、心配したんだから!」
「し、心配……? オレの、ですか?」
「当たり前でしょう!?」
「でもオレ、迷惑ばかりかけて。それに、カナリア殿下がいらっしゃったら、オレはもう要らないじゃないですか」
「バカ! クゥン君は私の大事な守護騎士なの。勝手にいなくなるなんて、絶対に許さないんだから」
じわり、と目がうるんだ。
そう自覚した途端、あとからあとから涙が溢れ出てきた。
「め、女神様、オレ、オレは……うわぁああああん!」
「うん、うん。怖かったよね。もう、大丈夫だから」
女神様の腕の中で、オレは幼子のように泣いた。
【Side クゥン】終了。
◇ ◆ ◇ ◆
泣きじゃくるクゥン君の背中を、ぽんぽんと撫でてやる。
大人びて見えるけど、この子はまだ12、3歳。
日本なら中学1年生。まだまだ子供だ。
そんな彼の不安に気づいてあげられなかった私は、年長者失格だな。
「お、オレ、最低なやつなんです」
震える声で、クゥン君が懺悔を始める。
カナリア君に嫉妬してしまったこと。
使い捨ての突撃兵に戻されたくなくて、私のことを必死に守ってくれていたこと。
どちらも、謝罪されるほどのことじゃない。
カナリア君に嫉妬していたとしても、クゥン君は別に、カナリア君に冷たく当たったりはしていない。
それに人間誰しも、打算的な思考は持っているものだ。
現に私だって、辺境伯との離婚のためにバルルワ温泉郷を発展させているのだし。
守護騎士としての立場を外されたら、いつ死ぬかも分からない仕事に戻されるだなんて、そりゃ誰だって今の仕事にしがみつくに決まっている。
というか、バルルワ村から徴兵された兵士たちの非人道的な扱いについては、辺境伯をぶちのめしてからしっかり改善しないとだな。
「オレは浅ましいやつなんです。王族を相手に、それもあんなに幼い方を相手に嫉妬してしまって」
「そんなことないよ。それに、私に対してそんなふうに思ってくれて、嬉しい」
「オレ、いつもいつも自分のことばかりなんです。そのくせ、守護騎士としての力はカナリア殿下にも劣るし、女神様みたいに書類仕事もできないし」
「そんなことない。頼りにしてるし、バルルワ村の人たちとの調整役をやってくれて、本当に助かってるんだよ」
前世時代からコミュ症気味な私にとって、バルルワ村の人たちに顔が利き、商人相手にも臆することなく調整して、その結果をまとめて持ってきてくれるクゥン君の存在は、本当に本当に大きな助けだ。
お陰で私は、クゥン君が言うところの書類仕事――エクセル表を使っての、バルルワ温泉郷運営・発展スケジュールの立案に注力することができた。
私ひとりでは、そうはいかなかった。
きっと、村人たちの願いと、温泉客のニーズ、商人たちからの要求の間で板挟みになって、前世みたいに心をすり減らしていたはずだ。
戦場でも職場でも、私はクゥン君に守ってもらっている。
「調整役を買って出たのは、不安だったからです。武力でカナリア殿下に劣るオレには、残されているのはもう、それしかなくて。女神様ならご自分でもできるであろう仕事を勝手に奪って、取りまとめて、女神様にご提出することで、オレを見てほしかったんです」
「ふふ、可愛い」
私は、クゥン君の顔を胸に抱く。
「えっ!? ――わぷっ」
つまりクゥン君は、調整役を買って出ることで、『オレを見捨てないでください』と必死にアピールしてくれていたわけだ。
なんといじらしいのだろう!
私の胸の中で、彼に対する愛情がじんわりと広がっていく。
「でも、本当に助かってるんだよ。実は私、そういう調整事ってものすごくニガテなの。これからも頼りにしてるからね、私の守護騎士兼秘書さん」
「あ、あのあのあの、女神様!?」
クゥン君が、私の胸元でもごもごと喋る。
うふふ、くすぐったい。
「あ、当たって――」
当ててんのよ。
雰囲気は完璧だ。押すならきっと、今しかない。
そう思って、顔を真っ赤にさせながら一世一代の大攻勢に出た私だったのだが。
「お、オレはもう大丈夫ですから!」クゥン君が、私の腕を振りほどいてしまった。「オレはこの魔物を運ばないと」
あーあ、逃げられちゃった。
「「「「「おーい、女神様~!」」」」」
振り向いてみれば、村の方から男性陣がやってくるところだった。
クゥン君が、逃げるようにして村人たちに合流しようとする。
「ねぇ、クゥン君!」私は、愛しい少年に向けて声を張り上げた。「私のこと、名前で呼んでよ」
振り向いた彼は、ひどく戸惑っているようだった。
崇拝する『女神様』を名前呼びすることに躊躇があるのか。
もしくは、もはや声が届くくらいにまで近づいてきた村の人たちに、名前呼びするところを聞かれたくないのか。
顔を真っ赤にさせた彼が、大きく口を動かした。
『エ』
『ク』
『セ』
『ル』
『シ』
『ア』
彼はそのまま、恥ずかしそうにそっぽを向いてしまう。
「~~~~~~~~っ!」
シカ運びの指揮を取る彼の後ろ姿を見つめながら、私は内心、身悶えしていた。
心臓は、いつまで経っても静かにならなかった。
彼が、好き。
前世を含めると一回り以上の年齢差があるけれど、この気持ちを偽ることは、できそうにもない。
◇ ◆ ◇ ◆
「お風呂! お風呂行きましょう!」
翌日。
朝の見回り with 鉄神を終えると、ウキウキ顔のクローネさんが話しかけてきた。
あはは。クローネさん、もうすっかり温泉無しでは生きられない体になってしまっている。
「お姉ちゃん、ボクも一緒に入りたい!」
ををを、カナリア君がまずいことを言いだしたぞ。
「お姉ちゃんもカナリア君と一緒に入りたいけど、周囲の目がねぇ」
男児が女風呂に入るのは何歳までオーケーなのか問題。
ちなみに、ここのお風呂は全て男女別だ。
私の意向も入っているけど、貞操(血筋)を重視するお貴族様のご来場も多く見込まれるので。
「そんなこともあろうかと!」と、温泉宿を切り盛りしている獣人女性が話しかけてきた。「女神様御一行様専用個室風呂をご用意させていただきました!」
「おおお!?」
なら、良いか!
「よし、一緒に入ろう、カナリア君!」
「えええ!?」クゥン君が慌てる。「それはさすがにまずいのでは?」
「クゥン君も一緒に入ろうよ」
「えええええ!?」
「湯浴み着は着るからセーフ」
「せ、せーふって何ですか?」
「ほらほら」
顔を真っ赤にさせたクゥン君の手を引き、女神様御一行専用シークレット風呂へ。
◇ ◆ ◇ ◆
クローネさんも一緒に入りたがっていたが、ヴァルキリエさんに引っぱられてどこかへ行ってしまった。
何というか私、クローネさんに懐かれてない?
いや、美少女に懐かれるのは、それはそれで嬉しいから良いんだけどさ。
そうして、今。
私は、この世の天国にいる。
「お姉ちゃんの肌、すべすべ~」
「カナリア君のお肌、もちもち!」
「きゃ~、くすぐったいよお姉ちゃん!」
「ぐへへへ。良いではないか良いではないか」
あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああカナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君可愛いよぉ!
「――はっ」
いかんいかん。
トリップするところだった。
3メートル四方ほどの贅沢な湯船の端っこでは、クゥン君が縮こまっている。
「ほら、クゥン君もこっちにおいで」
「い、いえ! オレはここでいいです!」
「そんなこと言わずに、さぁ」
「ああっ女神さまっ」
「ふぉおおお……クゥン君、シックスパックじゃん」
甘々ショタ・カナリア君5歳と、
細マッチョショタ・クゥン君十数歳。
最高だ。
最高だよ。
ああ、聴こえてくる。
ぷにショタランド開園の、鐘の音が!!
◇ ◆ ◇ ◆
温泉の後は、魔物尽くしの昼食。
そして昼食の後は、リビングルームのソファで午睡。
昨日、張り切って狩りまくったものだから、解体が間に合っていないそうなんだよね。
「め、女神様、あんまりくっつかないでください」
「えー、だってクゥン君は私の護衛でしょ? だったらちゃんとそばで護衛してくれないと」
「お姉ちゃん、ボクもボクも!」
「ぐへへ、カナリアキュン」
最高かよ異世界。
クゥン君の太陽の匂いと、カナリア君の温泉の匂い。
私たちがソファの中でくんずほぐれつしていると、
「大変だ、エクセルシア嬢!」血相を変えたヴァルキリエさんが、部屋に飛び込んできた。「敵襲! それも、見たことのないほど巨大な魔力反応だ」
ヴァルキリエさんの顔色は、悪い。
あの、無類の強さを誇るはずのヴァルキリエさんが。
どんなときもイケメン笑顔を崩さなかったはずのヴァルキリエさんが。
「もしかすると、魔の森の主・地龍シャイターンかもしれない。もしそうだとしたら」
ヴァルキリエさんが、震えている。
「最悪、この村が――――……いや、フォートロン辺境伯領そのものが、消滅する」