「エクセルシアさん」

 私にねっとりとした声で呼びかけた辺境伯が、一転して深い深いため息をついた。

「はぁ~……気分が悪い。今日の夜伽は不要です。風呂には入ってくださいね。貴女からはひどい臭いがしますから」

 あ、あはは……そりゃまぁ、鉄と血と土に触れ続けてきた半日だったからなぁ。汗もすごいし――って。
 夜伽は不要!?
 うおおおおおおおおおおおおおっ、やった!
 このクソクソサイコパスじじいに抱かれなくて済む!!




   ◇   ◆   ◇   ◆




「しっかし、どうすっかなー」

 お風呂に入り、冷めた食事を頂いたあとで、私は自室のベッドに寝転がる。
 部屋は六畳間で、辺境伯の奥方としてはあり得ないほど貧相な待遇。
 けれどメイドとして働かされるよりはよっぽどマシだ。
『等級』とやらが上がれば、部屋が豪華になったり、温かい食事が得られるようになるのかな?

 今の私が、確か『4等級』。
 クローネさんも同じだった。
 クローネさんは5等級落ちしてメイド扱いになるのを恐れていた。
 ってことは、スタートラインが4等級で、減点方式なんだろう。いかにも愛沢部長らしいマネジメントだ。

 せっかく転生したこの命。
 何のために使うかは、もう決めた。

 ――復讐だ。

 辺境伯を徹底的に分からせてやって、徹底的に追い詰め、絶望させてから、■す。
 私と、情シス課の4人の同僚たちが受けた苦しみを、100倍、1000倍、1万倍にして返す。返してから■す。
 まぁ、実際に■すかどうかは置いておいて、分からせてやるのは絶対だ。

 実際問題、辺境伯を苦痛の果てに■すだけなら容易い。
 鉄神を動かして、手足をもいでやればいい。あのホブゴブリンみたいに。
 ただし、領主■し、旦那■しはこの国において大罪。
 私のみならず、実家――侯爵家も一生お尋ね者になってしまう。
 私を売り飛ばした実家ではあるものの、それでも私(エクセルシア)の体の中には、衣食住や教育をしっかりと整えてもらったという記憶や、母や兄弟に優しくしてもらった思い出が残っている。
 なので、犯罪行為はナシ。正規の手順で辺境伯よりもビッグな存在になり、辺境伯を断罪するしかない。

 私が男だったなら、武勲を上げてどこぞの貴族に騎士(従士)として召し抱えてもらい、さらに武勲を伸ばして領地に封じられ、あの手この手で領土を増やし、最終的に辺境伯領も併呑、というのが王道なんだろうけど……あいにく私は女なんだよね。

 女の王道は玉の輿。
 辺境伯よりも高位の貴族――王・公・侯のいずれかに嫁ぎ、旦那を動かして辺境伯を断罪させるというもの。
 だけど、私はもう既婚の身。離婚はこの国ではひどく外聞が悪いから、輿入れ早々離婚された私を娶ってくれる高位貴族なんて皆無だろう。

 ならば、知識チートで政商ルートは?
 産業革命チートや無煙火薬チート、お化粧チートで王室の覚えめでたくなったところで辺境伯の悪業をリークするとか。
 でも、妻を虐げたり、領民(領地内の自治区に住む獣人)を虐げるっていうのは、この世界じゃ大した『悪行』にならないんだよね。
 それで処刑まで持っていけるかというと、心許ない。

「やっぱり領地貴族になるしかないか」

 辺境伯の近場で領主になり、戦争ふっかけてとっ捕まえてぬっ■す。
 領土さえ接してしまえば、戦争の理由なんていくらでも湧いて出てくる。
 水場争い、狩場争い、鉱山利権、関税、難民。
 領境にある魔物や盗賊団のアジトを鉄神で壊滅させて、『そっちが管理できないならこっちで管理する』と言って実効支配してやってもいい。
 それで怒った辺境伯が出てきたら、鉄神でボコしてとっ捕まえる。
 出てこなかったら、出てくるまで領軍をボコして捕虜にする。
 ヴァルキリエさんと戦うのは嫌だけど、鉄神の力を使えば、ケガさせずに無力化させることも可能だろう。

 くふふ……辺境伯、もとい愛沢部長。
 処刑はどんな方法がいいかな~。
 高貴で人道的な処刑法であるギロチンなんて、絶対に使ってやらない。
 やっぱり、不名誉と恥辱にまみれた絞首刑かなぁ。




   ◇   ◆   ◇   ◆




「あぁ、ダメです若奥様!」

「ぐへへ、いいではないかいいではないか」

「ですが若奥様はフォートロン辺境伯閣下の奥方。けして許されることではございません」

「往生際が悪いぞクゥン君! エクセル神たるこの私に逆らうというのかな?」

「あーれー」

「……シアさん」

「ぐへへ、クゥンきゅん」

「エクセルシアさん、朝ですよ!」

「――はっ!」

 クローネさんの声で目が覚めた。
 ……あら。私ったらなんてはしたない夢を。

「おはようございま……す?」

 起き上がってから、気づいた。
 クローネさんの後ろに、メイド姿の奥さんがいることに。
 メイドさんは私の着替えを持っている。

「そ、そそそそんなっ、自分で着替えます!」

「これもルールですので」とクローネさん。「和を乱して友愛ポイントを下げないようにお願いしますね」

 先輩奥さんに後輩妻の世話をさせるとか、どんな地獄だよ!

「わ、分かりましたから! ちゃんとお世話されたって体にして、私にもお手伝いさせてください」




   ◇   ◆   ◇   ◆




 朝。
 辺境伯家の妻たちは忙しい。
 掃除に洗濯、薪割りに飯炊き、調理と、たくさんの5等級以下奥さんたちが右往左往している。
 って、薪割り!? 華奢な貴族家出身の元令嬢たちに薪割りやらせてるの!?

「お手伝いさせてください!」

 見かねた私は、中庭の片隅に座らせていた鉄神に乗る。
 今朝のドレスは昨日着ていたものよりもなお質素なので、鉄神によじ登るのも楽ちんだ。
 血豆で苦しんでいた可哀そうな奥さんから手斧をお借りし、鉄神の親指と人差し指でつまみ上げる。
 斧を木へ振り下ろす。

 ――シュッ、パコーン

 木が真っ二つになる。

「まぁ!」

 薪を一つ作るのに何度も斧を振り下ろしていた血豆の奥さんが、感嘆の声を上げる。
 次の木を拾い上げ、

 ――シュッ、パコーン
   ――シュッ、パコーン
     ――シュッ、パコーン

 あっという間に積み上げられていく薪の山。

「「「「「おおおおお!」」」」」

 庭で仕事をしていた奥さんたち、大興奮。

「すごいです! 丸一日かかるはずのお仕事が、あっという間に終わってしまいました」

「追加の木も持ってきますね」

「そんな、悪いです!」

「ほら、この子ならあっという間に終わりますから」

 遠慮する血豆の奥さんに木の置き場を教えてもらい、鉄神とともに向かう。
 そこは、屋敷の裏手にある倉庫だった。

「ひゃっ」

 鉄神で中に入ろうとすると、倉庫の整理をしていた奥さんを驚かせてしまった。

「あっ、ごめんなさい」

「ああ、貴女がウワサのエクセルシア令嬢ですか! ウワサどおり大きな自動人形ですね」

「5メートルはありますからねぇ。――って、え?」

 
 目を疑った。倉庫の中に、数百体もの自動人形が並べられていたからだ。
 確か、辺境伯が自室の人形を『貴重な最後の10体』みたいに言ってたはずだけど。
 鉄神から飛び降りて、人形の1体に触れてみる。
 かすかな振動――駆動音が感じられる。

「あの、この人形たち、使わないんですか?」

「その子たちは、耐久年数を超えてしまっているんです」

「故障してるってことですか?」

「いえ。故障ではなく、役目を終えたんです」

 どういうこと?

「理由は解明されていないのですが」奥さんが解説してくれる。「自動人形は、起動してから二十数年経つと、それっきり動かなくなるんです。ある日、突然、動かなくなるんです。故障しているわけでもないのに。全ての自動人形がそうなので、我々はもう、そういうものなのだとあきらめています。多くの技師がこのナゾを解明しようと奮闘したそうなのですが、誰にも原因は突き止められませんでした」

 ふぅん……?
 何か引っかかるな。
 私は鉄神に乗り込み、

 >debug

 とコマンド入力してエンター。
 すると鉄神の指先が開き、端子がしゅるしゅると出てきた。
 端子が自動人形の首筋に接続される。
 すると、眼前の景色を映し出していたモニタに、この人形を構成するソースコードが表示された。

 for i in range(9999):
   #朝の起動確認
   ■■■■■■■■■■■■■■
   ■■■■■■■■■■■
   ■■■■■
   ■■■■■■■■■■■■■
   ■■■■■■■
   ■■■■■■■■■■■■■■
      ・
      ・
      ・

 Python(パイソン)! やっぱり鉄神はPythonで開発されていた!
 試しにデバッグモードで動かしてみると、ソースコードの1行目、for文のところでいきなり処理が終了する。
 変数iの中身を確認してみると、

『9998』

「あはは!」

「えっ、どうなさったんですか?」

「いやコレ、単にiが終端までいっちゃってるだけですよ」

「???」

「この子は起動してから9999日しか動かないようにプログラミングされているんです」

『for i in range(9999):』とは、『9999回、同じ処理を繰り返す』という意味のコードだ。
 もう少しだけ踏み込んで説明すると、『変数iが0~9998までの間、以下の処理を繰り返す』というもの。
 そのiが、既に9998に達してしまっているのだ。

「9999日。ええと、365で割ると――」

 おお、この奥さん暗算できるのか。
 というかこの世界でも1年は365日なのね。

「27と端数。27年!?」

「そう。『二十数年経つと動かなくなる』というわけですね」

「そんな仕組みが! ですが、何のために?」

「それは分かりません。鹵獲されて永久に使用され続けないように、とか? 実際この子たちはモンティ・パイソン帝国から鹵獲されたものですし」

 とはいえ、ここまで高度なロボットを開発できるソラ皇帝が、あたかも『とりあえず9999回でいっか』みたいな、小学生のようなプログラミングをするとは考え難い。
 何か重要な伏線を目の前にぶら下げられているような、違和感。

「まぁ何にせよ、とりあえず直しますか」

 私は『for i in range(9999):』の『9999』の末尾に『9』を付け加える。
 自動人形が目を開き、動き始めた。

「これで、ほぼ永久に動き続けるようになりましたよ」

「ええ!? 永久って、どのくらいですか!?」

「99999÷365=274年くらい」

「えええええ!?」

 瞠目する奥さんは置いておいて、私は次々と人形を目覚めさせていく。
 数百体のメイド型ロボットが動き出したことにより、辺境伯家の奥さんたちは過酷な労働から解放された。




   ◇   ◆   ◇   ◆




【Side コボル辺境伯】


 他人の不幸からしか得られない栄養素というのは、確かにある。

「一人はみんなのために、みんなは一人のために」

 百何十番目だったかの妻からの挨拶で、僕は目覚めた。

「あぁ、おはようございます。一人はみんなのために、みんなは一人のために」

 微笑みかけてやると、名も忘れた妻が引きつり笑いを返してきた。ストレスに彩られた笑み。額に浮かぶ冷や汗。たまらない。
 顔を洗い、着替えをして寝室を出る。

「「「「「一人はみんなのために、みんなは一人のために」」」」」

 廊下で掃除をしていた妻たちが、一斉に挨拶してくる。が、

「…………ん?」

 何やら様子がおかしい。
 妻たちの顔色が、妙に華やいでいるのだ。
 期待と好奇心に『まみれた』表情。
 慢性的な食糧不足に陥っているこの地で久しぶりに肉でも手に入ったのか、特別天気が良かったのか、はたまたあの人騒がせな新人のゴシップで盛り上がっているのか。
 良くない。良くありませんねぇ。
 下僕たちがこうも華やいでいては、僕の心が満たされない。

 こういうときは、心の中のアーカイブに保存してある不幸な顔を思い出すに限る。
 陽子ちゃん、
  千絵ちゃん、
   春奈ちゃん、
    叶恵ちゃん、
     ■■ちゃん、
      風花ちゃん、
       美優ちゃん、
        明子ちゃん、
         瑠香ちゃん、
          理恵ちゃん、
           朝子ちゃん。

 中でも■■ちゃんは本当に良かった。
 僕にバッグを投げつけて、顔をぐしゃぐしゃにさせて、挙句、交通事故で死んでしまった。
 あのときの快感が忘れられなくて、僕はますます過激になってしまった。
 ついつい加減を忘れてしまい、自殺者を出してしまった。

 すべて■■ちゃんの所為だ。

 執行猶予期間中、逆恨みをした朝子ちゃんの親族に背中を押され、轢死したのも■■ちゃんの所為。
 いや、『お陰』と言うべきかな?
 なぜなら僕は今こうして、よりたくさんの女性を支配できる地位を得たのだから。

「何か良いことでもありましたか?」

「ひっ」

 手近な妻に話しかけると、彼女は顔を青ざめさせて、ふっと窓の外へ視線をやった。

「ん?」

 窓の外。

「なっ!?」

 あり得ない光景を目にして、僕は叫んでしまった。

「なっ、なっ、なっ――何だコレは!?」

 窓を開け放つ。

「追加でもう2羽獲ってきました~」

 ガションガションガションと、鉄神とかいうロボットが中庭を歩いている。
 乗っているのは例の新妻――エクセルシア。
 鉄神が両手に持っているのはウサギだ。

「「「「「きゃあ~~~~!!」」」」」

 大勢の妻たちが厨房から出てきて、歓声を上げる。

「お肉! お肉ですわよ!」
「これだけあれば、わたくしたちもご相伴に預かれますわ!」
「お肉なんて何年振りかしら!」
「具だくさんシチュー? 香草焼き? 夢が広がるわね!」

 そして、中庭では無数の自動人形たちが動き回り、薪割りやウサギの解体、炊事選択、掃除、庭の剪定などをやっている。
 重労働から解放された妻たちが、厨房の周りでごった返している。

「もうひと狩り行ってきますね~」

 ウサギを自動人形に渡して、背を向けるエクセルシア。
 林の中に入っていく。

「「「「「エクセルシア様!」」」」」

 そんなエクセルシアの後ろ姿に尊敬のまなざしを向ける妻たち。
 おかしい。
 おかしいおかしいおかしい!
 そのまなざしは、辺境伯である僕に向けられるべきなのに!


【Side コボル辺境伯】終了。




   ◇   ◆   ◇   ◆




 あはは。
 辺境伯(クーソクソクソサイコパス愛沢部長)、めっちゃ私のこと睨んでる。

 ここは食堂。
 4等級以上の奥さん数十名(クローネさんとヴァルキリエさん含む)が長いテーブルを囲んでいる。
 お誕生日席に座るのが辺境伯で、そこから一番遠い末席に座るのが私。
 めちゃくちゃ距離があるけど、睨んできてるとはっきり分かる。
 ゴブリンやホブゴブリン、そしてクゥン君のシャウト攻撃ほどじゃないけど、この世界って怒声や眼光に魔力が載るんだよね。
『視線を感じる』とか『むっ、殺気!?』みたいなのを地でいく世界なのだ。

 奥さんたちは久しぶりのお肉に大喜び。
 辺境伯領って慢性的に食糧不足らしくって、特に肉が全然ないらしい。
 領都は行商人で賑わっていたけど、肉の流通は少ない。
 辺境伯領のトップである辺境伯家の食卓に上るお肉ですら、塩辛くてカッチカチの干し肉か、ウジまみれのお肉だけなんだとか。
 何しろ魔の森と接している所為で領のいたるところで魔物が強く、家畜を育てようとしてもすぐに襲われて食われちゃうんだそうな。

 だから、奥さんたちが大喜びなのはよく分かる。
 一方の奥さんたちは、辺境伯がなぜこうも不機嫌なのかが理解不能であるらしい。
 私? 私は分かるよ。よーく分かる。
 多分、愛沢部長は今、『栄養不足』で苦しんでいる。
『他人の不幸は蜜の味』を地でいく、本物のサイコパスだからね。

 本音では私の友愛ポイントをがっつり下げてやりたいって心境なんだろうけど、それができない。
 なぜって、私は奥さんたちを幸せにしただけだから。
 さしもの辺境伯も、『妻たちを笑顔にしたのは友愛精神にもとります。マイナス100友愛ポイント』とは言えないらしい。
 クローネさんみたいにガッツリ洗脳されている奥さんもいる一方で、ヴァルキリエさんのように理性的で辺境伯に対して是々非々な奥さんもいる。
 だから、あまりにも矛盾したマイナス友愛ポイントの乱用はできないんだろう。

 ぐふふ。
 クソクソサイコパス部長よ、もだえ苦しむがよい。
 さて、追撃するか。

「旦那様、発言してもよろしいでしょうか?」

「っ……何でしょう、エクセルシアさん?」

「わたくしの、この家における仕事のことですが」

「はぁ」

「この栄光ある辺境伯領に貢献できる、素晴らしいお仕事を見つけまして」

「獣人自治区のことは、獣人自治区に任せるべきですよ」辺境伯が先手を打ってきた。「手を貸し過ぎるのは内政干渉に当たります。それでは、何のための『自治』なのか分かりません。自治を謳いながら、一方で実効支配し武力で押さえつけるなど、友愛精神にもとると思いませんか?」

「そうではなく。食糧事情の改善を図ろうと思いまして」

「……はい?」

「狩りに出るのです。鉄神を使って!」