「ど、どどどどういうことですか、キッシュ皇帝陛下!?」

 拉致られるように乗せられた飛空艇の中。
 ひときわ豪華な応接室で。
 私の魂の叫びに、

「僕はもう皇帝じゃなくなったから、気軽にキッシュと呼んでください」

 元皇帝キッシュが穏やかに微笑んだ。
 一人称も口調も、まるで別人だ。
 皇帝ということで、偉そう、強そうなキャラを作っていたのだろうか。

「いやいや、そうじゃなくて。キッシュ君、元皇帝? で、私が皇帝……って、こと!?」

「そのとおりです」

「いやいやいやいや、何でそうなるの!?」

「始皇帝が、貴女をお認めになったからです」

「あー……」

 ソラさんが仰ってた『要相談』というのは、このことか。

「でも、皇帝はさすがに荷が重いというか」

「この国では」私の言葉をさえぎるように、キッシュ君が言った。「プログラミングスキルが全てなのです。4年に1回、全国プログラミング選挙が行われて」

「プログラミング選挙」

 初手パワーワードだな。

「優勝者が皇帝になるんです。シン帝国と戦うための兵器も、それを開発する工場も、民の生活を支えるインフラ群も、全ては始皇帝が残した聖遺物。それらを維持管理できる人材こそが尊ばれるのです」

 なるほどなぁ……って、

「キッシュ君、その年で優勝したの!? 天才じゃん!」

「僕なんて全然」

「ちょっと見せてみてよ」

 これでキッシュ君が十分な実力を持っているなら、褒めて褒めて褒め殺して帝位に残ってもらおう。
 何しろ私には領地経営の仕事があるし、早いとこカナリア君たちの顔が見たい。
 あと、優勝者の実力というのが純粋に気になる。

「……分かりました。実際にご覧いただいて、エクセルシア様に帝位に就いていただく必要性を痛感いただくとしましょう」

 キッシュ君がノートパソコンを持ってくる。
 プログラミングエディタを表示させ、タイマーを起動させて、

「スタート!」

 キッシュ君が猛烈な勢いでタイピングをし始める。
 あっという間に出来上がっていくクラス群。
 これは、リバーシ(オセロ)だな。

 キッシュ君は猫のような――実際猫だが――手さばきで、一度もタイプミスすることなく、猛然とコーディングしていく。
 あっという間に盤上が現出し、黒と白の駒が配置され、相手(CPU)のロジックが組まれ始める。

「終わり! 記録は――」

 たったの16分20秒で、リバーシが出来上がってしまった!

「て、ててて天才じゃん!? 始皇帝の試験受かるよこれ!?」

「いえ……リバーシ作りはこの国では定番の試験なのです。僕は何度も何度も練習して、暗記するまで練習してようやくこれなので」

「いやいやいや」

「それに、暗記してしまったのでは、『ゾーン』に入れないのです」

「あー……」

 それはなんか分かる。

「そして僕では、戦闘車両のIFFや戦闘機のアビオニクスを10分で開発するなんてとてもとても。実際、僕も始皇帝の試験を受けたことがあるのですが、第30問辺りで脱落しました」

「そっか……いやいや、それでも私より格段に早かったよリバーシ!? やっぱり皇帝はキッシュ陛下にしかできないって!」

「エクセルシア皇帝陛下、陛下のプログラミングをお見せください」

「だから言ったじゃん。大した事ないって」

 私は一刻も早くバルルワ = フォートロン辺境伯領に戻らないといけないんだって。
 きっとみんな、ひどく不安がっているはずだから。

「お願いします」

 上目遣い。
 ネコ耳美ショタの、上目遣い。
 くっ…………………………………………くぅぅぅうううううううっ!!

「い、一回だけだからね!?」

 私はノーパソの前に座る。
 リバーシを思い浮かべながらキーボードに触れた。
 その瞬間、

「――はっ!?」

 いかんいかん、なんか意識が飛んでた。

「1分35秒です」

「え?」

 目の前には、完成したリバーシ。

「陛下の記録です。ゾーンに入っていない状態ですら、コレですよ。これが陛下の、今の実力です」

「なっ、ななな……」

「お願いします!」キッシュ君が頭を下げてくる。「始皇帝が遺してくださった膨大な兵器たちを使い潰しながら抑え込んできましたが、シン帝国が使役する四龍たちの猛攻はすさまじく、もう数年も持たないところまで、我が帝国は追い詰められているのです。兵器がすりつぶされてしまえば、今度は民が銃を持って戦わなければなりません」

 涙ながらのキッシュ君の話は、悲痛を通り越して悲惨だ。

「国を挙げての総力戦。祖国戦争です。ですが、長い間、機械に守られ続けてきた我が国民が、今さら銃を取って戦うなどとても現実的ではありません。そもそも帝国は、周辺諸国を飲み込む際に、帝国が国防を担うのを条件にして武装放棄させてきたのですから」

 キッシュ君の目。
 助けを求める者の目。
 この目には、私は弱いんだ。

 思い出す。
 陽子さん、千絵ちゃん、春奈ちゃん、叶恵ちゃん……愛沢部長のえげつないパワハラとセクハラで神経をすり減らし、そこに追い打ちをかけてくる止まないトラブル電話。
 仕事がパンクしそうになったとき、情報管理課の元同期たちはみな、キッシュ君と同じ目をしていた。




 ……………………あぁ、くそっ。




「……分かったよ」

「では!?」

「だけど、このまま連れていかれるのは勘弁してね。いったん戻って、領地経営の引継ぎを――」




 ビーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!




 ひどく長い、不吉な警報。

「これは――」真っ青な顔のキッシュ君。

 そのとき、帝国の将官が応接室に転がり込んできた。

「大変です、陛下! シン帝国からの、今までにない規模の総攻撃です! 前線を維持しきれません!!」

 前線。
 ソラさん曰く『ウジャウジャいる』四龍の猛攻を受け止めている前線。
 ソラさんが遺した兵器たちによって維持されている前線。
 そこが突破されてしまったら――

 ……仕方がない。
 今ここで、私が見捨てて帰ったら、モンティ・パイソン帝国は崩壊する。
 そうしたら、バルルワ = フォートロン辺境伯領も、ゲルマニウム王国も、遠からず四龍の食後のおやつになるだろう。

 私は席を立ち、キッシュ君が乗っていた陸戦鉄神が眠る格納庫へと走る。

「エクセルシア陛下!?」

「キッシュ君。私、ソラさんと話してくる」

「助けてくださるんですね!? ありがとうございます!」

 キッシュ君が器用に私を抱き上げ、ぴょんぴょんと鉄神に登っていく。
 ハッチを開け、例のヘルメットを手渡してくれた。




   ◇   ◆   ◇   ◆




「ど、どどどどうしましょう!?」

 格好良く飛び込んできてはみたものの、私にはどうすれば良いのか分からない。
 今の私、『覚醒』しているらしいし、実際リバーシは1分、2分で開発できたけど、力の使い方がよく分かっていないのだ。
 そこで、始皇帝――ソラさんに相談しに来たというわけ。

「慌てなさんな」

 白いタイルが無限に続く不思議空間の中、ソラさんは飄々とした笑顔を浮かべていた。
 が、よく見ると、薄っすらと額に汗が浮いている。
 年長者の意地で余裕を見せてはくれてるものの、内心は大焦りのようだ。
 っていうか電子生命体でも汗かくのな。

「見てみな」

 何もない空間に、モニタが浮かび上がる。
 モニタに映っているのは世界地図か?
 いや、航空写真だ!
 どこまでも続く前線が真っ赤に燃え上がっている。

「あの前線に張り巡らしているのは全て、無数の砲と機銃を詰め込んだコンクリート製の堡塁。私はマジノ線って呼んでるけどね」

「フランスか!」

 めっちゃ迂回されそう。

「道路になる国が隣にあったりしないでしょうね?」

「おや、戦史にも詳しいのかい?」

「詳しいってほどではありませんが、都落ちする前はゲーム会社に勤めてましたので」

 アクションにRPGにシミュレーションにFPS。
 ゲームはよくする方だった。
 愛沢部長が本性を現すまでの話だけど。

「大丈夫。道路国(ベルギー)は存在しないよ」

 ソラさんが航空写真の一点をタップすると、今度はモンティ・パイソン帝国側からシン帝国側を映した動画になった。

「これが、数分前の映像だ」

「なっ、なっ、なっ」

 山脈が、動いていた。
 いや、山脈と見まごうばかりの無数の地龍たちが、ものすごい勢いでマジノ線へ突撃してきているのだ。
 さらに、

「空が……赤い?」

 夕焼けだろうか?
 いやいや、時刻はまだ午前だぞ!?

「あれは、火龍ポイニックスの眷属どもだ」

 夕焼けではなかった。
 空を埋め尽くすほどの火龍が、押し寄せてきているのだ。

「か、勝てるわけがない……」

 地龍の幼体1体で死にかけた私たちだというのに。
 ほら、迎撃する陸戦鉄神たちが、あっという間に地龍の群れに飲み干されて――

「…………おや?」

 鉄神たちが地龍をバッタバッタと薙ぎ倒してる!!

「そりゃあ、伊達に数百年戦い続けちゃいないよ。だが――」

 そこに襲いかかる、火龍たちによる強烈なファイアブレス。
 地龍たちもろとも、鉄神たちが焼けただれていく……。

 そんな火龍を迎え撃つはモンティ・パイソン帝国軍の戦闘機!
 何百機という戦闘機が放つミサイルが、火龍たちを叩き落としていく。

「こ、これはイケるのでは!?」

「いや……」

 ソラさんの顔色は、悪い。
 モニタを見ていると、ソラさんの顔色の理由が分かった。
 戦闘機たちが、次々と墜落し始めたのだ。

「何で!?」

「風龍ルキフェルの眷属さ」

 見れば、労働型鉄神が使う風魔法ウィンドカッターに似たかまいたちが空に吹き荒れ、戦闘機の翼を斬り落としている。

「火龍たちのさらに上空――我が軍の戦闘機では到達し得ない高高度4万フィートから、一方的に攻撃してくるのさ。今までは、単純に風龍を上回る量の戦闘機を出すことで拮抗させていたんだが……今回の総攻撃では、予備の風龍も投入してきたようだ。このままだとマジノ線を突破されてしまう」

「マズイじゃないですか!」

「あぁ、マズイ。だから」ソラさんが、ニヤリと微笑む。「お前さんの助けがいるのさ」

「何をすれば!?」

「補給は急がせている。が、今この瞬間は、現有戦力だけで何とかするしかない。数が足りないなら質で何とかするまでだ」

「んな、大戦期の日本軍じゃないんですから」

「精神論じゃないよ。戦闘機のアビオニクスを、戦闘車両の行動ルーチンプログラムを現在進行形で改善していくんだ。実は戦場は、ここだけじゃなくてね。海の方も水龍レヴィアタンの大軍でヤバい。私は海の方を担当するから」

 ソラさんが私にノーパソを手渡す。

「お前さんには、陸の方をお願いする」

 とたん、私は0と1になった。