「……ちゃん……お姉ちゃん……お姉ちゃんってば!」

「――――はっ!?」

 気がつけば、日が暮れていた。
 目の前には、山と積まれた処理済みの仕事たち。
 私、気絶しながら仕事していたのか。
 さすが、社畜歴ゲフンゲフン年ともなれば覚悟が違うな。

「お姉ちゃん?」

 膝の上のカナリア君が、こちらを見上げてきている。

「あ、うん。何かなカナリア君?」

「あぁ、良かった。やっと戻ってきた。ほら、見て見て! コレ、ボクが書いたんだよ」

 そう言ってカナリア君が見せてくれたノートバソコンの中には、世にも美しいコードが!

「う、ウソでしょ……これ、もはや私よりも上手く書けてない? カナリア君、マジもんの天才!」

「えへへ。天才? ボク天才?」

 そう言って屈託のない笑顔を見せてくれるカナリア君は、天使だ。

「やっぱりお姉ちゃんにはカナリア君しかいないよぉ~!!」

 私がカナリア君の体をぎゅっと抱きしめ、温泉の香りがするつむじに顔を埋めると、

「きゃ~っ」

 カナリア君が楽しそうにジタバタする。
 カナリア君の笑い声が、可愛らしいさえずり声が私の脳を満たしていく。
 カナリア君、マジカナリア!

 失恋した直後に別の相手にすがりつくなんて、現金にもほどがある。
 けれど、妻帯者相手に粘着するよりも、よほど健全だろう。
 それに、そうだ!

「カナリア君だって、私の命の恩人だものね」

 そう。
 忘れもしない1週間前、地龍シャイターンに殺されかけていた私を、身を挺して守ってくれた人こそ、このカナリア君なのだ。

「ねぇ、カナリア君」

「なぁに?」

「お姉ちゃんのこと、好き?」

「だから、何度も好きって言ってるでしょー!?」

 カナリア君が怒りだす。
 まぁ、そうだよね。
 出逢った初日からほぼ毎日プロポーズを受け続けてきて、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとのらりくらりと逃げ続けてきたものね、私。

「でも、でもさ、私、10歳も年上だよ? それでも好き?」

「好きだよ。年なんて関係ないよ」

「も、もしも」額に、じっとりとした汗が浮かび始める。「もしも11歳上だったとしても?」

「好きだよ」

「12歳上でも?」

「好き」

「13歳上でも?」

「好きだってば」

 心拍数が上がっていく。

「じゅ、14、15、16――」

 視界が狭まっていく。

「21歳年上でも!?」




「エクセルシア」




 ぎゅっと、手を握られた。痛いほどに。
 それでようやく、いつの間にかカナリア君が膝から降りていたことに気づいた。
 真正面に、カナリア君の顔がある。

「ボクは」カナリア君の小さな手が、震えている。「ボクは――」




   ◇   ◆   ◇   ◆




【Side カナリア】


 物心ついたころからずっと、ボクの意識は暗いモヤの中に閉ざされていた。
 倦怠感。
 絶え間ない頭痛と吐き気。
 ぐるぐると回り続ける視界。
 食べても飲んでも吐いてしまう。
 ただただ不快で、生きているのがしんどかった。

 いろんな人が話しかけてきたけれど、生きているだけで精いっぱいで、相手の顔も満足に見ることができなかった。
 ボクは、絶望していた。
 生まれながらに絶望していた。
 しんどくてしんどくて、ただただしんどくて、早く楽になりたかった。

 そんな地獄の日々は、ある日突然終わりを告げた。




 …………ちゃぽん




 父上が、僕を温かなお湯に漬けた。
 とたん、ボクの世界を覆っていた暗いモヤが、ぱっと消え去った。
 世界が、明るくなった。
 あれほどボクを蝕み続けてきたはずの倦怠感が、きれいさっぱり消え去ったんだ!

「……ちちうえ?」

「カナリア! あぁ、あぁ、カナリア!」

 父上は泣いていた。
 父上って、こんな顔してたんだ。

 そこからは、驚きの連続だった。
 生まれて初めて、自分の足で歩くことができた。
 お風呂上りに飲んだ水が、ぶり返すことなく喉を通った。
 そして――

「あのっ、もし良ければこの子で診断を――」

 生まれて初めて正視した、女性の顔。
 エクセルシアお姉ちゃん。
 女神みたいに可愛らしいその女性に、ボクは夢中になった。
 ボクの体を治してくれて、ボクに人生をくれた人。
 この人のためなら、何でもしてあげたい。
 あとになって、女神図書館の物語本から、この感情が『恋』であることを知った。

 エクセルシアお姉ちゃんは面白い人だ。
 いつも笑顔で自信満々に見せかけて、実は気が弱い。
 魔物が相手だと体がすくんでしまい、鉄神への指示が一瞬遅れる。
 好き勝手やっているように見せかけて、実は周囲の人たちの顔色を窺っている。

 今も、ボクとの年齢差のことで悩んでいる。苦しんでいる。
 僕はちっとも気にしていないのに。
 可愛い人だと思う。
 守ってあげたいと思う。
 だから――

「エクセルシア」

 ボクはお姉ちゃんの手を全力で握りしめる。

「ボクはキミが14歳だから好きなんじゃない。キミがキミだから、好きなんだ。キミが14歳でも、20歳でも、30歳でも40歳でも50歳でも、100歳でも好きだ!!」

「あ……」

 お姉ちゃんが泣いている。

「わ、わた、私なんかが……」

 ぽろぽろ、ぽろぽろと泣いている。

「私なんかが、キミのことを好きになっても、いいの?」

「うん!」

「カナリア君!」

 抱きしめられた。

「私も、私もカナリア君のことが好き! 大好き!」

 それから、お姉ちゃんがボクの口に唇を近づけてくる。
 あ、これ、物語本で読んだ『口づけ』ってやつだ――




 ――ばぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんっ!!




 そのとき、執務室のドアが開いた!
 ボクらは大慌てで飛び退く。

「た、たたた大変だ!」駆け込んできたのはヴァルキリエ。「モンティ・パイソン帝国が攻めてきた!!」

「「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!?」」