翌日の昼下がり。

「今日もお疲れさまでした」

 今やすっかり、私の執事ポジションに収まったクゥン君が、労働一一型鉄神2号に飛び乗ってタオルを渡してくれた。

「むふーっ、成し遂げたぜ」

 2号の肩に腰掛ける私は、タオルで汗を拭いながら、本日の『成果』を見下ろす。
 鉄神の『dig』コマンドによって北の山から掘って掘って掘り抜いてきた溝――もとい『河』である。
 河の延伸、温泉郷やバルルワ村の開拓、城壁の付け替え――いずれも主力は2号だ。
 2号でざっくりやって、細かい加工を村人や領都から出稼ぎに来ている建築ギルドの人たちにやってもらう。
 この『溝』も、このあと合流する職人さんたちがさらに(なら)し、ローマンコンクリートで舗装してくれる手はずになっている。

 けれど、今は、2人きりだ。

「なんか、クゥン君に出逢ったばかりのころを思い出すね」

「そうですね。エクセルシアはオレをバルルワ村に連れ出してくれて。鉄神でホブゴブリンを撃退して、たった一夜でバルルワ村を立派な堀と土塁で囲ってくださいました」

「あったねぇ、そんなことも」

「あの日、オレは救われました」

「そんな大げさな」

「大げさなんかじゃないんです」

 クゥン君が、じっと私の目を見る。
 私は戸惑う。
 ふわっふわな茶髪、もふもふな犬耳、愛らしい黒い瞳。
 私の好みどストレートの甘ショタ・クゥン君。

「俺はあの日、エクセルシアから全部もらいました。生まれて初めて、人間様から『素敵な耳』だと言ってもらえて。名前を聞いてもらえて。あのとき、オレがどれほど驚いたのか――感動したのか、分かりますか?」

 なんだろう。
 なんだか泣けてきた。




 私は誰と結婚すべきか問題。




 そりゃ、バルルワ = フォートロン辺境伯家のことを考えるならカナリア君一択だ。
 けれど。
 けれど私は、できれば想い人と一緒になりたい。

 私の想い人――クゥン君と、だ。

 そんな、惚れる要素なんてあったか、って?
 あったんだよ。
 出逢ったその瞬間に。
 超弩級の『惚れる要素』が。
 私は、この子に、命を、救われたんだよ!!

 私がエクセルシアとして目覚めて0秒で死にかけて、ゴブリンに殺されるか犯されるか攫われるかしかけて。
 あのときの私の恐怖は、混乱は、実際に同じ経験をした人じゃなきゃ分からないと思う。
『転生キタコレ!』とか『甘ショタキターーーー!』とか言いながら陽気に振舞っていたけれど、私の心はいつも、恐怖におびえていた。

 馬車滑落で死にかけて、
 ゴブリンに馬車を燃やされて死にかけて、
 弓矢で死にかけて、
 極めつけに、ゴブリンに腕を捻り上げられて。

 あまりの恐怖で心を失くしかけたあの瞬間、颯爽と現れたクゥン君の、なんと格好良かったことか!
 あのときの感動は。
 あのとき、私がどれほど救われたのか。
 クゥン君の小さな背中を、どれほど心強く思ったのか。
 私がどれほど強く、クゥン君に夢中になったのか。
 それはきっと、彼自身にだって分からない。
 この体――エクセルシアの初恋の相手は、間違いなくクゥン君だった。

 死ぬかもしれないのに、クゥン君を連れてゴブリンまみれのバルルワ村に飛び込んだり、
 痛む体を押して鉄神でゴブリンたちと戦ったり、
 疲労困憊なのに鉄神で堀と土塁を築いたり。
 我ながらめちゃくちゃ無茶をした。
 あれは全て、惚れた相手にいいところを見せたい一心での行動だった。

 今でこそ、カナリア君やクローネさん、ヴァルキリエさん、バルルワ村と温泉郷のみんな、領民たち――と守るべき相手が増えて、クゥン君のことばかり考えてもいられなくなってしまったけれど、それでも今なお、心の大部分を占めている相手。

「ど、どうされました? オレの顔をじっと見て」

 やばい。
 ちょっと、熱っぽい視線を向けすぎたな。
 いいや。これを機にいっちょ揺さぶりをかけてみよう。

「ねね、クゥン君って好きな人とかいる?」

「エクセルシアです」

「ぶっふぉ」

「エクセルシアは、オレの命の恩人で、村の恩人です。このご恩はオレの一生を、全部をかけてお返しさせていただきます」

「あー……」

 愛はある。
 が、恋ではないなぁ。
 いや、諦めるのはまだ早い。

 クゥン君は自分を律するのが得意なタイプだ。
 そう簡単には本心を明かさないだろう。
 なら、建前が崩れるまで押してみたら?
 押して無理なら押し倒せ、だ!

「ね、ね、クゥン君」

 私はクゥン君に密着する。

「え、エクセルシア?」

 クゥン君が顔を赤くしている。

 自慢じゃないけど、今世の私は絶世の美少女だ。
 ウェーブがかった長い銀髪、淡い琥珀色の瞳。
 二重まぶたの大きな目。
 ツヤツヤなお肌。
 スタイルはまぁ、ヴァルキリエさんには劣るけれど……それでも14歳基準から見れば育っている方だろう。

「急にどうしたんですかっ? からかわないでください」

 を?
 ををを?
 これ、脈ありなのでは。

「クゥン君。私、実は――」

「おっ、オレ!」クゥン君が、鉄神から飛び降りる。「急用を思い出しました! 失礼いたします!」

 こ、これはフラれたのかなー……。




   ◇   ◆   ◇   ◆




【Side クゥン】


 体が熱い。
 心臓が口から飛び出しそうだ。
 バルルワ村の片隅を走りながら、オレはエクセルシアの表情を思い出す。
 濡れた瞳、はにかむように微笑む口元。
 一度意識してしまえば、もう止まらない。

 今までは、既婚者だから、領主様の奥様だからガマンできていた。
 それが、先日の決闘でエクセルシアは離婚を果たした。
 そう。
 求婚しようと思えば、できるのだ!

「……でも、ダメだ」

 この心臓の高鳴りは、走っているからというわけではない。

「この気持ちは、ダメだ。忘れろ、忘れるんだ、オレ!」

 エクセルシアは、この領の領主様だ。
 バルルワ = フォートロン辺境伯家は今や、王国で一、二位を争う大家と言われている。
 単純なお金だけで言えば、地龍シャイターンの血肉・素材の販売によって王国で一番潤っている。
 エクセルシアは、飄々としながらとんでもない偉業を次々となさってしまうお方だ。
 きっとこの領は、もっともっと大きくなることだろう。

 そんな王国一の領主の夫が、オレのような無名な獣人だったとしたら?

 オレの存在は、絶対にエクセルシアの足を引っ張ることになる。
 領では依然として獣人差別が根強い。
 それに、政治の世界でオレはあまりにも無力だ。

 自惚れでなければ、オレはエクセルシアとよく目が合う。
 求婚すれば、もしかするともしかするかもしれない、とも思っている。
 けど、ダメだ。
 エクセルシアのお相手は、カナリア王太子殿下こそが相応しい。

「キュンキュン、いるか?」

 幼馴染の家のドアをノックすると、

「どうしたの、クゥンにい?」

 幼馴染で妹分のキュンキュンが出てきた。

「珍しいね、こんな時間に。女神様の護衛はいいの?」

「話があるんだ。とても大事な話が」