冴えない社内SE女子が異世界皇帝になる話

 道中、すでに避難誘導を終えつつあったクゥン君を拾い上げ、最大戦速で領都フォートロンブルグへ向かった。
 未だ地龍襲来の事実を知らず、平和を享受している領民たちを驚かせながらも、鉄神で領都の大通りを駆け抜け、辺境伯の屋敷に至る。
 門をくぐったとき、私は目の前が真っ暗になるほどの絶望を感じた。

「急ぎなさい! そこ、もっと丁寧に運びなさい! もたもたするな、もっと早く!」

 辺境伯が、中庭で奥さんたちに指示を飛ばしながら、家財道具をまとめていたからだ。
 逃げる準備を、していたからだ。
 ……こいつ、正気か? と思った。
 バルルワ温泉郷はもちろんのこと、フォートロンブルグの人々――自分が守るべき領民すら見捨てて、自分だけ逃げるつもりなのか? と。
 前世時代から分かっていたけれど、コイツには人の心がない。
 コイツに助力を乞うのは、時間の無駄以外の何ものでもないかも知れない。

「旦那様!」

 だが、カナリア君に任せてここまで来たからには、何が何でも成果をつかみとらなければ。

「旦那様、お願いがございます!」

 私は鉄神から飛び降りて、辺境伯の元に駆け寄る。
 私の顔を見るなり、辺境伯は露骨に嫌そうな顔をした。

「見てのとおり、私は忙しいのですが」

「お願いです、領軍と奥様たちのお力をお貸しください! 現在、地龍はカナリア殿下がただお一人で食い止めていらっしゃいます。それを突破されてしまえば、地龍はきっとここにまでやって来ますでしょう。閣下の大切な領都フォートロンブルグを守るためにも、何卒ご助力を!」

「忙しいと言っているでしょう」

「か、カナリア殿下を助けることができれば、きっと国王陛下から恩賞が――」

「私は、忙しい」

「あ……」

 取り付く島もない。
 どうしよう……どうしようどうしようどうしよう。
 ぐるぐる、ぐるぐる。
 私の思考が空回りする。

 ここは諦めて、バルルワ温泉郷に戻る?
 カナリア君にたった一人で戦わせてまで、時間を作って来たのに?
 何の成果の得ることなく、とんぼ返りするのか?
 帰って、どうする?
 ほんのひと当たりしただけで、鉄神1号は半壊寸前のありさまだ。
 無為無策のまま戻って、カナリアくんと仲良く心中でもするつもり?

 どうしよう、どうすれば。
 ぐるぐる、ぐるぐる。
 私の思考が限界を迎えつつあった、そのとき。

「条件がある」辺境伯が、口を開いた。

「えっ!?」

 私は思わず、ぱっと微笑んでしまった。
 我知らず。
 辺境伯が、愛沢部長が助け舟を出してくれたことが、泣きたくなるほど嬉しくて。
 だが、

「脱げ」

 その感動は、次の瞬間、打ち砕かれた。

「…………え?」

「脱ぎなさい、エクセルシア。幸い、ここにはベッドもある」

 奥さんたちに運び出させた天蓋付きベッドが、中庭に鎮座している。

「私は、妻でもない女に助力する気はありません」

「あ……」

 見れば、クゥン君も、他の奥さんたちも、凍りついたように私と辺境伯を見ていた。

 ぐるぐる、ぐるぐる。
 私の思考が限界を迎えている。
 やりたいこと、守りたいモノ。
 やるべきこと、守るべきモノ。
 十代前半の若々しいエクセルシアの肉体と、前世の成熟した前世の私の思考が混ざっていく。

「分かり……ました」

 震える声で、私は言った。
 胸元のボタンに手をかける。

「……ど、どうか、旦那様のお慈悲を賜りたく」

 だって、そうじゃない。
 ここで私が拒めば、バルルワ温泉郷は滅ぶ。
 カナリア君も、死ぬ。
 そりゃ、嫌だよ。
 嫌だけど……でも、私は大人だ。
 たとえ感情を殺してでも、守るべきモノがある。あるのだ。

「女神様……」

 ふと、呆然とした表情のクゥン君の顔が、視界に入った。
 ごめんね、ごめん。
 できれば、この体の初めてはキミにあげたかったけど。
 辺境伯が、下着姿になった私をベッドの上に乱暴に放り投げる。
 そうして、覆いかぶさってきた。
 乱暴に口付けされそうになる――。

「エクセルシア!!」

 クゥン君が、叫んだ。
 呼んだ。私を。初めて、名前で!

 次の瞬間、辺境伯が殴り飛ばされていた。
 クゥン君の拳によって。

「うげっ」辺境伯が中庭に転がる。「き、貴様、領主に手を上げたな!? は、はは、ひゃはははは! これで獣人どもは終わりだ。バルルワ村は取り潰す。獣人は女子供老人もろとも全員徴兵し、地龍の前に並べて立たせてやる! すぐに暴力に訴えかけ、肉壁になるしか能のないお前たちは、ミンチ肉になるのがお似合いだ!」

「ふーっ、ふーっ、ぐるるるる」クゥン君が顔を真っ赤にさせて、怒り狂っている。「うがーっ」

 クゥン君が再び辺境伯に殴りかかろうとした、その瞬間。

「【奴隷召喚】!」辺境伯が、左手の指輪を掲げた。「【クローネ】!」

 辺りがぱっと輝いたかと思うと、何もない空間からクローネさんが現れた。

「えっ!? ここは!?」

 バルルワ温泉郷で避難の手伝いをしていた様子のクローネさんが、戸惑う。

「何をしている、クローネ!」辺境伯がわめき散らす。「早く私を回復しなさい!」

「あ……」クローネさんが半裸の私を見て、それから辺境伯を見て、呆然としている。「あ、その、旦那様、わたくし今、魔力が枯渇していて」

「本当に使えない女だな、お前は。【フォートロン辺境伯にしてフォートロン家の家父長権たるコボル = フォン = フォートロンが所有物に命ず――隷属せよ】」

 とたん、クローネさんの体がびくりと震え、

「分カリマシタ」意思を奪われた人形のような虚ろな表情で、魔法を唱えはじめた。「【小麦色の風・清き水をたたえし水筒・その名はラファエル――ヒール】。――うっ」

 避難誘導の際に怪我をした人たちのために、魔力を使い切ってしまっていたのだろう……魔力不足時に無理やり魔法を使った代償として、クローネさんが鼻血を流しながらしゃがみこんだ。

「何をしている、ちっとも痛みが引いてないじゃないか! もっとだ、もっとしろ! 【隷属】!」

「……エクセルシア、行きましょう」私の肩に服を着せながら、クゥン君が耳打ちしてきた。「聞いたことがあります。あの指輪は、辺境伯が処女を奪った相手を一方的に従えることができる黒魔法なのだと」

「なっ――」言葉を失う。

 見れば、周囲にはたくさんの奥さんたちがいて、クローネさんと同様に虚ろな顔つきで働かされている。

「そんな、ヴァルキリエさんまで……!」

 これは、もう、ダメだ。
 ここで辺境伯に処女を捧げたとしても、騙されて【隷属】される未来しか見えない。

「……ごめん、クローネさん。巻き込んでしまった」

 私は手早くドレスを着込み、鉄神に乗り込む。

「女神様。オレ、気付いたことがあるんです」

「名前」

「え?」

「名前で呼んで。さっきは呼んでくれたでしょ?」

「そ、そう、ですね。え、エクセルシア」

「うん。ありがとう、クゥン君」

「それで、気付いたことなんですが。もしかすると、地龍をワナにはめることができるかもしれません。バルルワ温泉郷の手前で、地龍を食い止めることができるかも」




   ◇   ◆   ◇   ◆




【Side クローネ】


 うつむいて、うつむいて、うつむき続けて生きてきた。
 貧乏騎士爵家の三女として生まれ、華やかな貴族社会とは縁遠く、領民たちと一緒に一生畑仕事をしながら人生を終えるのだろうと思っていた幼少期。
 回復魔法の才能に開花し、フォートロン辺境伯から側室として声を掛けられたときには、ついに我が世の春が訪れたのかと喜んだものだった。
 …………勘違いもはなはだしかったわけだが。

「どうした、何をしている! 早く私を回復しろ、クローネ! 【隷属】!」

 がんがん、
   がんがん、
     がんがん、
       がんがん。

 ハンマーで殴られているみたいに、頭が痛む。
 辺境伯が使う黒魔法【隷属】の副作用だ。
 魔力切れによる吐き気と倦怠感も合わさって、今にも死んでしまいそうなほど気分が悪い。
 これ以上、無理に魔法を使わされたら、本当に死にかねない。
 だが、

「【小麦色の風】――」

 私の意思とは無関係に、私の口が詠唱を始める。
 あいまいな視界の端に、鉄神に乗り込もうとしているエクセルシアさんの姿が見えた。

 エクセルシアさん。
 私の可愛い後輩。
 凶暴で残忍だとウワサされていた獣人たちをあっという間に懐柔し、女神と崇め奉られる才女。
 バルルワ温泉郷をあっという間に大きくし、莫大な利益を上げつつある女傑。
 常に最前線で戦い、ゴブリンの軍勢、Bランクモンスター、Aランクモンスターはもちろん、あの地龍シャイターンにすら挑む英雄。
 なのにその本質は、心優しくて、ちょっぴりポンコツなところがある可愛い少女。
 彼女のようになりたい……そう思って温泉郷に通い詰め、彼女のそばで彼女を観察し、勇気を出して魔の森での狩りに参加したりもした。
 ……けど、私は依然として、弱いままだ。

「【清き水をたたえし水筒】――げぇっ、げほっげほっ」口の中に、血の味。

「……魔力切れか。本当に使えん。もういい。お前は私の足でも舐めていろ」

「ハイ、旦那サマ」

 エクセルシアさんは虐げられている妻たちや獣人たちを見かねて、待遇改善のために必死に頑張っている。
 辺境伯に目を付けられ、自身の友愛ポイントを下げられながらも、限られた条件の中で上手く立ち回り、出来ることを精一杯がんばっている。

 ひるがえって、私はどうだ?
 保身に走り、友愛ポイントを下げられたくない一心で、辺境伯に罵倒されても殴られても、うつむいて、うつむいて、うつむいてばかり。

 なんだ、これは。
 これが、私の人生か?
 こんな薄汚い靴を舐めるために、私は生きているのか?
 辺境伯が死ぬまで道具として使い潰され、いざ辺境伯が死んで解放されたとき、私はもうオバサンかお婆さんだ。
 こんなやつのために、私の人生は消費されるのか?

 必死に、【隷属】に抗う。
 辺境伯の靴を舐めるその舌が、止まった。

「どうした、何をしている。止めて良いと、いつ私が命じた?」

 ……怖い。
 とてつもない恐怖が私を縛り、私の舌を再び動かそうとする。

「こ、こんな……このくらい」

「なんだ、喋って良いと、私がいつ命令した?」

「このくらい、怖くなんかない……! ビッグボアを間近で見たことはある? ブラックベアが大木をへし折る音を聴いたことは? オーガ・ジェネラルの凍りつくような殺気に当てられたことは? ゴブリン・メイジの炎魔法で体を消し炭に変えられかけたことは? 地龍シャイターンの、あの、死にたくなるほど恐ろしいシャウトを浴びせられたことは!?」

「な、なんだ、何を言っている?」

「お前、なんかっ」

 私は顔を上げ、力の限り叫んだ。




「お前なんか、怖くないッ!!」




 次の瞬間、私の頭をずっと覆っていたどす黒い霧が、ぱぁっと晴れた。

「なっ……なぁっ!? 【隷属】を破っただと!?」

 私は辺境伯の左手指から隷属の指輪を剥ぎ取り、遠くへ投げ飛ばす。
 とたん、奥さんたちが自由意志を取り戻しはじめた。

「あーっはっはっはっ!」自由を取り戻し、荷物を投げ捨てたヴァルキリエさんが、楽しそうに笑った。「まさか、最も気が弱いと思っていたキミが、自力で【隷属】を打ち破るとはね! さぁ、行こう。地龍退治の始まりだ!」




   ◇   ◆   ◇   ◆




「カナリア君!」

『お姉ちゃん!?』

 再び、最大戦速で魔の森まで至る。
 地龍シャイターンは森を出る寸前のところまで迫っていたが、幸い、本当に幸いなこととして、カナリア君と鉄神2号は辛うじて生きていた。

「ごめん、本当にごめん! 援軍は来ない! けど、作戦があるの。そのための準備があるから、もうしばらくの間、時間を稼いでくれる!?」

『分かった!』

 なぜ、今の今まで沈黙を保ち続けてきた地龍シャイターンが、急に姿を現したのか。
 何か、変化があったからではないだろうか。
 地龍シャイターンは闇雲に動き回っているのではなく、明確な目的地があって、そこに向かって突き進んでいるのではないだろうか。

 クゥン君が聞かせてくれた、仮説。
 その仮説を聴いたとき、私は腑に落ちた。
 いろいろな疑問に、辻褄が合ったからだ。
 その仮説というのは――
 その仮説というのは――

「温泉」

 そう、温泉。
 魔の森周辺、バルルワ村周辺で最近起こった一番大きな出来事って、何?
 温泉でしょう、やっぱり。

『魔物が多いから魔力で満ちているのか、魔力が多いから魔物で満ちているのか。詳細は不明なままなんだけど、とにかくこの地は空気中の魔力濃度が高い』

 ヴァルキリエさんの言葉だ。
 どうも、魔物というのは魔力を好むらしい。
 そして、バルルワ村で湧き出した温泉は、多量の魔力を含む。

『お姉ちゃんの仮説は正しいかも』

 カナリア君からの通信。
 カナリア君は今、風魔法を操って縦横無尽に空を飛びながら、地龍シャイターン相手にヒット・アンド・アウェイを繰り返している。
 その映像が、カナリア君が操る鉄神2号のカメラを通して私のサブモニタに映っている。

『コイツ、どれだけボクが攻撃しても、絶対に進路を変えないんだ』

 そう。
 さっき、死にかけた私をカナリア君が救い出してくれたときも。
 2人して悠長にお喋りしていたにもかかわらず、私たちを追撃するでもなく、ひたすら前進し続けていた。
 ある一点――ステレジアさんが出した温泉宿、その中にある温泉郷最大の温泉に向かって!

「つまりこの騒ぎは、私の所為で発生したってことか」

『お姉ちゃんのお陰で、ボクは元気になれた』

「そう、だよね。うん!」

 私は、ただひたすら1つのコマンドを使い続ける。
 手足を大きく損傷させ、今やまともに戦うこともできなくなった鉄神1号の中で。
 とある場所に潜り込んで、ただひたすら、同じコマンドを使い続ける。
 戦闘機動ができなくなっても、使えるコマンド。
『労働一一型』である、この子の本懐。

 ひたすら、ひたすら、ただひたすら。
 同じコマンドを使い続ける。
 潜る潜る。
 私はどんどん潜っていく。

 黙々と作業しながらも、私は気が気でない。
 サブモニタの中で、カナリア君が闘っているからだ。
 風魔術を駆使して、地龍相手にヒット・アンド・アウェイを繰り返すカナリア君。
 だが、さしもの天才パイロットにも、限界が訪れたようだった。

 ――オォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!

 シャウトの直撃を受けたカナリア君の機体が、空中で硬直。
 そのまま、地龍の巨大な尾によって叩き落された。

『ぎゃっ』

 鉄神2号が見上げる視界の中、あまりにも巨大な前足が、カナリア君を踏みつぶそうと――

「カナリア君!」

 あぁ、あぁぁ……!
 誰か助けて!
 カナリア君を助けて!!

『放て!』

 凛々しい声。
 ヴァルキリエさんの声だ。
 鉄神2号のマイク越しに、ヴァルキリエさんの声が聞こえた。
 とたん、

『ゴォァアアァアアアアアアアッ!!』

 地龍の苦し気な声!
 鉄神2号のカメラには、背中を燃え上がらせ、もがき苦しむ地龍の姿が映し出されている。
 鉄神2号の視界が振り向くと、

『第二射構え。――放て!』

 ――ビュゥゥウウウウ!!

 百騎はいるであろう騎兵たちによる、火矢の一斉射。
 地龍の背中が燃え上がる!
 地龍がもがき苦しんでいる。
 効いてる!
 だが、地龍の前進は止まらない。

 まずいまずいまずい!
 こっちの準備には、まだまだ時間がかかるんだ。
 少なくとも、あと数十分は時間を稼いでもらわないと、作戦が失敗してしまう!

 そのとき、

『『『『『ウガァァァアアァアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』』』』』

 鎧姿の獣人数十名による、一斉シャウト!
 あれは、領軍に徴兵されたバルルワ村の若者たち!?
 地龍が、進む速度を緩めた。
 効いている!
 だがそれでもなお、地龍は進むのを止めない。

 そのとき、

『オレたちの村を! 女神様が豊かにしてくださった、この村を!』

 クゥン君とバルルワ村の人たちが、バルルワ兵たちの隣に並んだ。

『オレたちが守るんだ!』

 それから、獣人全員による壮絶なシャウト!
 突風が巻き起こり、ついに地龍が動きを止めた。
 村人たちの中には、私に対して懐疑的だった男性たちの姿もある。

 そうか。
 彼らと私は今、真の意味で一つになれたんだ。

『女神様が地龍討伐の準備を続けていらっしゃる! オレたちで時間を稼ぐんだ!』

 百名近くの獣人による一斉シャウト。
 さらには、何度も何度も射かけられる火矢。

『治癒なら任せてください!』戦場を、温泉をがぶ飲みしながらクローネさんが走り回っている。『シャウトで喉を傷めた方も!』

『人間なんかの治癒魔法なんて――』

『獣人だからって差別したりはしませんから! そんなことを言っている場合ではないって、アナタ方が一番良く分かっているでしょう!?』

 思わず、目頭が熱くなる。
 みんな、必死に戦ってくれている。
 私は、私にできることを全力でしなければ。

 背中を燃え上がらせ、絶え間なくシャウトをあびせかけられながら、それでも地龍は少しずつ前進し続けている。
 今や地龍シャイターンは、魔の森から完全に姿を現した。
 バルルワ温泉郷は、目と鼻の先だ。

『お姉ちゃん、まだ!?』

「……間に合った!」

『えっ!?』

「準備完了! カナリア君、全員に退避するように伝えて!」

 カナリア君からヴァルキリエさん、クゥン君に話が伝わり、

『聞いたな!?』ヴァルキリエさんの声。『非戦闘員を担いで、全員退避! 獣人だからといって差別するなよ!?』

『オレたちも退避だ!』クゥン君の声。『怪我人は担いで運ぶように! 獣人も人間も分け隔てなくだ!』

 そうして、全ての準備を終えた私は、『地上』に出る。
 今や私は、カナリア君越しの視界ではなく、私――鉄神1号のカメラで、地龍を見上げる。

「やぁ、地龍シャイターンさん。ごきげんよう」

 >mag /windcutter

 挑発代わりのかまいたち。

「悪いけど、ここを通すわけにはいかないの。これでも私、領主なんでね」

 地龍が前足を大きく振り上げ、私目がけて振り下ろしてきた!
 私は鉄神の最後の力を振り絞って、後退。
 間一髪、地龍の前足を避けることができた。

 地龍の前足が大地を打つ。
 と同時に、大地が崩壊した。




   ◇   ◆   ◇   ◆




「――――はっ!?」

 いかんいかん。
 一瞬、気絶していたらしい。

 >nightscope

 暗視モード、オン。
 私を乗せた鉄神は今、私が『dig』コマンドを駆使して掘り抜いた巨大な落とし穴を落下中だ。
 眼前には、地龍もいる。
 地龍は手足をばたつかせながらも、なすすべもなく落下している。

 >mag /windcushion

 風のクッションを下方向へ叩きつける。
 一瞬だけ落下速度が和らいだが、焼け石に水。
 だが、地龍の方が私よりも先に穴の底に到達した。
 私は再度、風のクッションを穴の底に叩きつけようと――

 ――ベキベキベキドゴォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアガラガラガラッ!!

「えええええ!?」

 さらに地面が崩れ、巨大な穴が現れた!
 ちょちょちょっ、これは予想外!
 地龍と私は、更に深い深い穴の底へと落下していく。

 ……これ、私、死ぬんじゃ?

 と底知れぬ不安に駆られ始めた、そのとき。

 ――ざぁっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぱ~~~~ん!!

 地龍と鉄神が着水した!

 地下水脈!?
 いや、視界が曇っている。
 これは――

「温泉、か」

『魔力出力極大』
『魔力出力極大』
『魔力出力極大』

 魔力の満ちた温泉に浸かったことで、鉄神が使用可能な魔法の幅が一気に広がる。
 初級・中級・上級のさらに上。
 究極の、『地獄級』魔法がメインモニタに表示される。




『極大風魔法【第二地獄暴風(ミーノース)】』
『極大炎魔法【第七地獄火炎(プレゲトン)】』
『極大氷魔法【第九氷地獄(コキュートス)】』
『極大土魔法【第三地獄貪食(ケルベロス)】』




 私は【ミーノース】をタップする。
 冗談みたいな巨大なサイクロンが巻き起こり、地龍の巨体を軽々と浮き上がらせた。
 吹き飛ばされた地龍が、背中を壁にしたたかに打ちつける。

 私は【プレゲトン】をタップする。
 視界が真っ白になる。
 私は暗視モードを切る。
 すると今度は、視界が赤で染まった。
 視界全体を覆い尽くす巨大な爆炎が、未だ落下の最中だった地龍に襲いかかり、地龍の全身を炭化させてしまった。

 私は【コキュートス】をタップする。
 視界を覆っていた湯気があっという間に消え去り、気がつけば温泉が凍りついている。
 地龍は凍りついた温泉の中に埋まり、動けない。
 いや、すでに死んでいるのかもしれない。

 ダメ押しに、私は【ケルベロス】をタップする。
 が、反応がない。

 …………いや。

 鉄神のモニタが全て消えてしまった。
 キーボードをいくら叩いても、反応がない。
 コンソール画面も真っ暗だ。
 駆動音もしない。

「……そっか」

 私は苦労して手動でハッチを開き、鉄神の外に出る。
 鉄神の頭部を撫でる。

「鉄神。キミは、役目を終えたんだね。ありがとう」

 凍りついた地面に降り立つ。
 見上げると、空は遠く遠く豆粒ほどになっていて、魔法無しで登るのは不可能に思われた。

 地龍の方を見る。
 全身を炭化させ、温泉で氷漬けになった地龍は、もう動かない。
 さすがに死んだのだろう。

「さて、どうしよっかな」

 救助を待つか。
 救助、来るよね?
 死んだと思われて、そのまま放置とかされないよね?

「だ、大丈夫!」

 きっと、カナリア君が鉄神でここまで来てくれるはず。

「――へっくち!」

 ううっ。寒いな、ここ。
 見渡す限り氷の地面なんだから、当然か。
 どこか、休める場所はないだろうか。

 見渡すと、そこは洞窟になっていて、何やら先に進めそうである。

「……って、ええっ!?」

 少し歩いて、私はビビった。
 なぜって、洞窟の壁の間に、鉄製の扉を見つけたからだ。

「どう見ても人工物」

 潜水艦の隔壁扉についているみたいな、円形のハンドル式ドアノブを苦労して開き、中に入ってみる。

「……こ、これは!?」

 鉄扉の中は、格納庫になっていた――――……山盛りの兵器の!
 鉄神や自動車、戦車まである。
 翼の生えたこれは……もしや飛行機!?

 数百メートル四方ほどの空間に、ゲルマニウム王国を焦土にするには十分すぎるほどの量の兵器が、所狭しと並べられている。
 私が歩みを進めるにつれて、天井の照明が順に点いていく。

「は、ははは……マジで滅亡寸前だったのね、王国」

 始皇帝ことソラ = ト = ブ = モンティ・パイソン皇帝が死んでいなければ。
 寿命か病気かは知らないが、ソラ皇帝があと1年か1ヵ月か1週間でも長く生きていれば、この大量の鉄神、戦車、飛行機がゲルマニウム王国を蹂躙していたはずだ。

「カナリア君、早く来ないかな」

 鉄神2号のデバッグモードで、こいつらを動かせるかもしれない。
 もし動かせたら、バルルワ温泉郷伯領の守りは『完璧』という表現すら生ぬるいほどの鉄壁になるだろう。




 ――ぞわり




 そのとき、心臓を鷲づかみにするような、例の恐怖が私を襲った。

 ――ズン、ズン、ズゥゥゥン……

 背後から、重々しい音と振動。

「ま、まさか……まさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさか!!」

 振り向いた。
 ドアから内側を覗く地龍シャイターンと、目が合った。

「い、嫌……」

 ――メキメキメキ……バガァアアアアアン!!

 地龍の突進で、壁が砕け散る。
 全身を炭化させながら、なおも生きている地龍シャイターンが、格納庫の中に入ってきた。
 その目を、私に対する怒りでらんらんと輝かせながら!

 ――オォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!

 地龍のシャウト!
 突風が巻き起こり、自動車が浮き上がる。

「嫌ぁっ!」

 私は逃げ惑う。
 何度も何度も転び、全身ボロボロになりながら、それでも逃げ惑う。
 戦車の陰に隠れても、地龍の腕の一振りで戦車が吹き飛ぶ。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!

 戦車か鉄神に搭乗して、動くかどうか試してみる?
 そんなヒマがどこにある!?
 のんびりと鉄神に乗り込んだが最後、鉄神ごと地龍に踏みつぶされるだろう。

 ――オォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!

 また、シャウト。
 猛烈な風が、魔力が私の全身を打つ。

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 ………………………………

 ……………………………………

 …………………………………………











































 怖い。




 今、ここには、私しかいない。
 誰も助けてはくれない。
 鉄神は、もう動かない。

 死ぬ。
 死ぬしかないのだ。
 いや、違う。

 あはは、そうだよ。

 私、すでに死んでるんだった。
 あの夜。
 おばあちゃんが死んだあの夜に。
 トラックに轢かれて。

 私はあの、暗く冷たい夜を思い出す。

 トラックに轢かれ、
 自分の血の中に沈みながら、
 じょじょに体温を失っていったあの夜を、
 震えながら母に謝り続けたあの夜を、思い出す。

 ……………………ごめんね、お母さん。
 おばあちゃんの死に目に間に合わなくてごめんなさい。
 悪い娘で、バカな娘でごめんなさい。

 そうだ。
 私はあの日、あの夜に死んだのだ。
 この1週間はきっと、死にゆく私が見た最期の夢。
 幸せが少なかった私のために、神様がくれた最後の幸福。
 あは、あははは。
 楽しかったなぁ。
 鉄神に乗ってさ。
 女神だなんだともてやはしてもらって。
 私ががんばったら、その分、バルルワ村の人たちが笑顔になって。
 クゥン君やカナリア君みたいな、超私好みのショタっ子ともお友達になれて。

 幸せだった。
 とてもとても、幸せだったんだ。
 ――なのに。

 ――オォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!

 また、突風。
 私の体は軽々と吹き飛ばされる。

「ぎゃっ!」

 強く背中を打ちつけた。
 呆然と、見上げる。
 そこに、鉄神によく似た二足歩行の自動人形が立っていた。

 既視感。
 あの、ホブゴブリンに殺されかけた夜の――鉄神と出会った夜の再現のようだ。

 だが、目の前のロボットは鉄神の倍以上大きくて、ハッチにはとても手が届かない。
 そもそも今の私は地龍のシャウト攻撃で全身が金縛りのようになっていて、指先一つ、満足に動かせない。
 それに、もう――。

「ゴァアアアアアアッ!!」

 地龍の巨体が、すぐ目の前に立っている。
 地龍の前足の、鋭い爪が目前に迫っている――。
『お姉ちゃん!!』

 目の前に、鉄神2号が滑り込んできた!

 ――ガギャァアーーーーンッ!

 激しい金属音とともに、鉄神2号が地龍の爪を受け止めた。
 圧倒的体格差を物ともせず、巧みな操作で爪を押し返す。

「……カナリア君?」

 来て、くれたの?

「女神様!」

「クゥン君も!」

「さ、つかまってください」

 クゥン君が私を抱き上げ、ぴょんぴょんとロボットの上に上っていく。

「さぁ、女神様」

 クゥン君が、私を操縦席にそっと座らせてくれた。
 そのころには、私の手指も多少は動くようになっていた。

 鉄神の倍――10メートル以上はありそうなロボット。
 その中は、おおむね鉄神と同じ構造をしていた。
 私はキーボードを引き寄せ、震える指で、

『r』
『u』
『n』

 エンター。

 コンソール画面に、ずらずらっと無数の文字列が表示されていく。
 外からは、カナリア君が地龍と戦う激しい音が聞こえてくる。
 早く動いて! お願い!

『All ready.』
『陸戦四二型 S/N:M4-2G0001起動』
『IFF起動。戦闘起動中のL1-1G0002を友軍機と認めます』
『本機及び友軍機を攻撃中の敵性生物の排除について許可を求めます。是(y) / 非(n)』

 私は『y』と入力してエンター。
 とたん、左腰辺りから『がちゃり』と音がして、ロボット――『陸戦四二型:M4』が右手でナイフを取り出す。

「カナリア君、離れて!」

 私の言葉と同時、カナリア君が地龍から離れる。
 とたん、ナイフがチェーンソーのように激しく回転を始めた。
 ロボットが跳躍し、ナイフを地龍の額に突き刺した!

 いや、地龍が発生させた光の盾――防御結界によって阻まれる。
 が、ナイフの柄に魔法陣が生じた。その魔法陣が光の盾を包み込む。
 光の盾が消失し、ナイフが地龍の額に潜り込んだ!

 いや、間一髪で地龍が首をひねった。
 ナイフは地龍の右目に深く深く潜り込んでいく。

『グギャァアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 地龍の、苦悶の叫び。

 今度はロボットの右腰辺りから『がちゃり』という音。
 ナイフで地龍を固定したまま、ロボットが取り出したのは――

「拳銃!?」

 ロボットが、苦悶の叫びを上げ続ける地龍の口内に拳銃を突っ込んだ。

 ――ズガンッ!

 地龍がびくりと震えた後、動かなくなった。

 ――ズガンッ!
   ――ズガンッ!

 ロボットが、さらに頭部へダメ押しの2発。

『対象の絶命を確認。自動戦闘モードを終了します』

 たった10秒ほどの出来事だった。
 私たちは、生き残ったのだ。
 私は、震えながら振り向く。

「女神様!」

 クゥン君が晴れやかに微笑んでいる。
 私はクゥン君を抱きしめる。
 体の震えが止まらない。

「女神様、よくぞご無事で」

「お姉ちゃん!」

 ハッチを開くと、カナリア君が転がり込んできた。
 私は、カナリア君も抱きしめる。
 あ、あはは……両手に花だ。
 ショタっ子サイコー!\\٩( 'ω' )و ////

「お姉ちゃん? どこか痛いの?」

「そんなんじゃないよ」

「じゃあ、何で泣いてるの?」

「嬉しいからだよ。カナリア君が、クゥン君が、村の人たちが、私が。みんなが生きているのが嬉しいから、泣いているんだ」

「そっか」カナリア君が微笑む。

「女神様」クゥン君が、恐る恐る私の頭を撫でてきた。「こんな言い方は不遜かもしれませんが……お疲れさまでした。後のことはオレたちにお任せください」

 私は目を閉じる。
 そこから先の記憶はない。




   ◇   ◆   ◇   ◆




 数日後。

「可憐にして勇猛なるドラゴンスレイヤー! エクセルシア = ビジュアルベーシック = フォン = バルルワ = フォートロンよ!」

 なぜか私は、辺境伯領都フォートロンブルグの中央広場で、国王陛下の前でひざまずいている。
 国王陛下が、抜身の剣を私の肩に当てて、

「そなたを、バルルワ = フォートロン辺境伯に封ず!」

「「「「「わぁあ~~~~っ!!」」」」」

 広場からは、割れんばかりの歓声。
 人間、獣人を問わず、領都に住むありとあらゆる老若男女が、私を賞賛する。

「地龍殺しの英雄様~!」
「女神様ぁ~!」
「温泉神様!」
「エクセル神様~!」
「鉄神の主様!」

 そうして広間の片隅では、私から爵位と領土を奪われ、今や領地無し男爵にまで落ちぶれてしまったクーソクソクソ愛沢部長もといコボル男爵が、私を射殺しそうな目で睨みつけている。

 どうしてこうなった!?




   ◇   ◆   ◇   ◆




 さかのぼること、数日前。
 私たちが地龍シャイターンを討伐した、その翌日のこと。

「そなたの褒美の話だ」

 自室で目を覚ました私の元に国王陛下が訪れ、開口一番そう言った。

「あ、あの、王太子殿下は大丈夫ですか?」

「あやつの体のことなら大丈夫だ。ただ、いつまで経ってもそなたが目を覚まさぬことを心配しておったがな」

 窓の外、太陽の位置は高い。丸一日、私は寝っていたらしい。

「あっ、大変失礼を。陛下のお話を遮るだなんて」

「よいよい。それで、地龍シャイターン討伐の褒美として、何が欲しい?」

「そんな、急にそのようなことを仰られましても」

「こちらで用意した案としては、
 1、カナリアの正室
 2、ゲルマニウム王国の将軍職
 3、フォートロン辺境伯の領地と爵位
 4、一生遊んで暮らせるだけの報奨金
 5、上記全部」

「ぶっふぉ」

「まぁ4番については、余が下賜せずとも、そなたはもはや王国一の金持ちだがな」

「ど、どどどどういうことですか!?」

「そなた、Sランクモンスター・ミニドラゴンのウロコ1枚が、どのくらいの価格で取り引きされているのか知らぬのか?」

「寡聞にして……すみません」

「1000ゴールドだ」

「せんっ!?」

 1000ゴールドといえば、世界観や物価の違いを無視して無理やり現代の日本円に換算すれば、およそ10万円。ウロコ1枚で、10万円。

「全国で、探せばそれなりに見つけられるミニドラゴンで、その価格。ならば、世界に4柱しかいないと言われている伝説の龍のウロコは? 爪は? 牙は? 血は? 肉は?」

「地龍シャイターン、私がいただいてしまってもよろしいのですか?」

「そなたが討伐したのだからな」

「いや……あれは私というより、王太子殿下やヴァルキリエさんや、領軍や村人さんたちが倒したようなものでして。私は穴掘ってただけですから」

「はっはっはっ。ヴァルキリエから聞いておったが、ずいぶんと謙虚な英雄だ。だが、そんなそなたのもとにカナリアが、ヴァルキリエが、領軍が、バルルワ村の者たちが集い、力を合わせて地龍を倒したのだろう? ならばやはり、シャイターンを討伐したのはそなただな」

「そういうものですか」

「そういうものだ。それで、余からの提案については考えてくれるかな?」

「ええと、今お返事しなきゃいけませんでしょうか?」

「この国の、明日からの形を決める重要事項だからな。王都では、大臣どもが首を長くして待っておる。早々に方針を決めて、持ち帰ってやりたいのだ」

 ……ふむ、そうか。
 考えてもみれば、『伝説のSSSランクモンスター』だとか『国を平らげる災厄』だとか言われていた存在を、私は――というか私が搭乗した鉄神M4は瞬殺してしまったのだ。
 そんな超やばい級存在となってしまった私をどのようにコントロールするのか、というのが、今のゲルマニウム王国にとっては真っ先に議論すべき事項なのだろう。

「それでは……1つ目、王太子殿下の正室というのは大変な名誉であり、私個人としてもとても嬉しいのですが、少しお時間をください」

 相手はまだ5歳。
 5歳で将来の相手を決められちゃうのは酷じゃない?
 それも、10歳近く年上の女が相手だなんて。
 もう少し、カナリアくんといろんなことをお喋りしたい。
 喋ったうえで、それでもカナリア君が私のことを好いてくれているなら、このお話、前向きに考えたい。
 貴族家令嬢としては贅沢な考えなのかもしれないけど……。

 それに。
 それにだ。
 本当に私がカナリア君とお付き合いして、結婚して、こっ、子作りする関係になった場合、やっぱりカナリア君には『例のこと』を正直に話しておきたい。
 そう。

『転生者が、転生の事実を周囲の人に告白するべきかどうか問題』

 というやつだ。
 さすがに20歳も年上のオバサンだと知ったら、カナリア君も私に幻滅してしまうのではないだろうか……それが、怖い。
 だから私は、この件を先送りにしたい。

「2つ目の将軍職は、申し訳ありません、ご勘弁ください」

「むぅ。この国にそなた以上の強者などおらんのだが」

「軍を率いるなんて私には無理すぎます。それに、強いのは私ではなくてM4ちゃんです」

「えむふぉー?」

「地龍シャイターンを瞬殺した、陸戦タイプの鉄神のことです。あと、鉄神の操縦って意外と簡単なんですよ」

「む、そうなのか?」

「カナリア君――失礼しました。王太子殿下が私よりも上手に操縦なさっておいででしょう?」

「ふむ。それもそうか」

「あの地下にはまだたくさんの鉄神や戦車が置いてありましたから、王都に持っていって国軍に操縦を学んでいただいてはいかがでしょうか」

「貸してもらえるのか?」

「え、私の物なんですか?」

「そりゃあ、そなたの領地から発掘されたものなのだから」

「そういうものですか。それで、3番目ですが――」

 3、フォートロン辺境伯の領地と爵位

「願ってもいないお話ですが、可能なのですか?」

「可能だ。もし彼奴めが抵抗するようならば……ごにょごにょ」

「おおおっ!? ならばこういうのは……ごにょごにょ」

「あっはっはっ! そなたもワルよのう!」
「可憐にして勇猛なるドラゴンスレイヤー! エクセルシア = ビジュアルベーシック = フォン = バルルワ = フォートロンよ! そなたを、バルルワ = フォートロン辺境伯に封ず!」

 そうして、話は戻ってくる。
 熱狂する人たち――いや、今や私の子供となった、約1万人の領民たち。
 そして、広場の片隅で、私を射殺さんばかりの目で睨みつけているクーソクソクソ愛沢部長。

「でたらめだ、こんなもの!」愛沢部長、もといコボル男爵がわめき散らす。「この叙勲には根拠がない!」

「根拠?」

 国王陛下が首をかしげた。
 今日の陛下は『ナゾのお忍び紳士様』ではなく、正式に国王としてここに立っている。
 王冠を被り、深紅のマントを羽織り、王笏を携える姿は、輝いている。
 温泉宿や女神邸で優し気にカナリア君の頭を撫でている彼とは似ても似つかない、カリスマ性というのか、圧力のようなものを感じさせる姿。
 そう、威厳にあふれているのだ。

「そなた、フォートロン辺境伯家の根拠――存在意義とは何だと心得る?」

「王国の盾としての役目を果たすことです!」

「そうだ。そのとおりだ。分かっておるではないか。それで」

 陛下は、笑顔だ。
 底冷えしそうなほどの、笑顔。

「地龍シャイターンが現れたとき、そなたはどうした?」

「挙領一致で地龍を迎え撃つべく、領都に全軍を結集させました」

「余がヴァルキリエから聞いた話とは違うなぁ。『領都に全軍を結集』、なるほど。だがそもそも、フォートロン辺境伯領の軍は常に領都内で保全されておったそうではないか。魔の森やモンティ・パイソン帝国を偵察し、能動的な備えに使うべき軍を、ただただ領都の――もっと言えば、そなたの邸宅の防備のためだけに使っておった、と」

「っ。領都は、この城壁はフォートロン辺境伯領の最重要都市でございますれば」

「それに、挙領一致と言ったがそなた、領民に地龍出現のことを伝えなかったそうだな? それで、避難が間に合わないところまで地龍が接近してしまってから、女子供にまで武器を取らせて捨て駒にするつもりだったそうではないか?」

 話を聞いた領民たちによる大ブーイング。

「王国のために、辺境伯領の全てを投じて地龍を止めるつもりだったのです!」

「よく回る舌だ」陛下のため息。

「くそっ、くそくそくそっ、こんなやり方が通用してなるものか!」コボル男爵が頭を掻きむしる。「こんなめちゃくちゃなやり方で辺境伯家ほどの家を取り潰していては、他の上位貴族家が黙っておりませんぞ! 王家とて、上位貴族たちが団結すれば――」

「それで、その逆賊どもの棟梁に自分がなろうと? 権謀術数の好きなそなたらしいやり方じゃな。……ふぅ、分かった。此度の叙勲はいったん取り止めよう。悪例として後世に残すのも良くないからな」

「では!」

 ぱっと微笑むコボル男爵――いや、辺境伯に戻ったのかな?

「フォートロン辺境伯よ」陛下が微笑む。「そなた、バルルワ温泉郷伯と決闘せよ」

「…………はい?」

「そなたが言ったことではないか。辺境伯家の存在理由は、王国の盾としての役割を果たすことだ、と。辺境伯家当主に求められるのは、強さだ。バルルワ温泉郷伯とそなたが決闘し、勝った方を辺境伯とする」




   ◇   ◆   ◇   ◆




 翌日、昼下がり。
 フォートロンブルクの郊外、だだっ広い平野で両軍が睨み合う。

 西・フォートロン辺境伯領軍。
 重装歩兵1500
 軽装歩兵50(獣人部隊)
 騎兵400(内、弓100、槍300)
 魔法兵50
 奥さん665
 総勢2665名

 領都人口約1万人、辺境伯領全体で数万人であることを思えば、非常に強大な軍勢だ。
 領の主力産業が軍事という、辺境伯領ならではの軍勢。
 軍事メインの領なのにこんなもん? と思うかもしれないけど、ハーバー・ボッシュ法の発見で人口爆発する前の世界なんてこんなもの。
 あの織田信長だって、初期のころは数千人で戦ってたんだし。

 で、対する東・バルルワ温泉郷伯領軍はと言えば――

 私 in 陸戦ロボットM4
 総勢1名

 だって、バルルワ村から徴兵された人たちは依然としてフォートロン辺境伯領軍属のままだし。

「では、両軍構え!」風魔法で拡声された陛下の声が、戦場に響き渡る。「くれぐれも死人は出さぬように。――始め!」

「獣人部隊、突撃!」

 ヴァルキリエさんの指揮で、

「「「「「うぉぉおおおおおおおおお!!」」」」」

 約50人の獣人部隊が突撃してくる。
 彼らが構えているのは、刃先をつぶした訓練用の片手剣だ。
 それにしても、開幕から無策な突撃に使われるとは……分かってちゃいたけど、獣人の扱い、ひどくない?
 完全に捨て駒扱いだよね。

「「「「「うぉぉおおおおおおおおお!!」」」」」

 で、その獣人さんたちは私に突撃してきて――

「「「「「うぉぉおおおおおおおおお!!」」」」」

 そのまま私の横を通り過ぎ、私の後方数十メートル先で止まる。

「…………はっ!? えっ!?」戸惑う辺境伯。拡声魔法によって、「貴様ら、何をしている!?」

「オレたちは」獣人部隊の先頭、クゥン君が拡声魔法で返す。「たった今、バルルワ温泉郷伯領軍属になりました」

「何を勝手なことを――」

「何も勝手なことはしておりません。もとよりオレたちはバルルワ村の住人――バルルワ温泉郷伯領民なので。先ほどまでは、引き継ぎ期間中だったからそちらにいただけです」

 ぶっふぉ。
 クゥン君、言いよる。

 >telescope

 あははは! 辺境伯、顔を真っ赤にしてら。

「くっ! 全軍、突撃しろ! あの裏切りどもを皆殺しにしてやれ!」

「おいおい、殺しはダメだと言ったであろう」

 国王陛下のツッコミを無視して、辺境伯が残りの領軍(奥さんは除く)を動かす。
 1950人の軍勢が動くことで、大地が鳴動する。
 一糸乱れず前進してくる重装歩兵と、側面を守る騎兵。
 そして後方から重装歩兵にバフ系の魔法をかける魔法兵。
 いやぁお見事。

「ふはっ、ふははははは! どうですか、エクセルシアさん? 今ここで命乞いをするのなら、許して差し上げましょう!」

 辺境伯がラスボスみたいなこと言ってる。
 いやまぁ、事実私としてはアイツがラスボスなんだけどさ。

「ほらほら、謝るならもう今しかありま……せん……よ? なっ、ななな――」

 辺境伯が、あんぐりと口を開けている。
 それはそうだろう。
 なぜって、1950の軍勢全員が、私の横を通り過ぎていったのだから。

「我々は」騎兵隊長を務める男性が、拡声魔法で辺境伯に告げる。「たった今から、バルルワ温泉郷伯領民となりました。このとおり、移籍のための国王陛下からのお許しも頂いております」

 騎兵隊長さんが掲げる証書は、この数日のうちに国王陛下がご用意くださったものだ。
 ちゃんと国璽も押印してある。
 人口が、それも大金食らいの常備軍が一気に2000人も増えて、予算は大丈夫なのかって?
 大丈夫さ。
 そのための地龍シャイターン素材。

「ば、バカな……バカなバカなバカな!」辺境伯が頭を掻きむしる。「もういい! お前たち、行け! フォートロン家十傑の力を見せてやれ!」

 言って妻たちを前に出す辺境伯。

 説明しよう!
『フォートロン家十傑』とは、665人いる妻たちの中でも、特に能力に秀でた1等級(一部2等級)奥様たちのことである!
 第一席・無限大容量【アイテムボックス】使い、『海飲み』ステレジア奥様!
 第二席・領軍トップにして一騎当千の剣の使い手、『ソードダンサー』ヴァルキリエ奥様!
 第三席――

 あっ、説明し切る前に、向こう側で動きがあったようだ。

「旦那様、悪いですけれど……」

 拡声されたステレジアさんの声が聞こえてくる。

「男爵と伯爵家では、家格が釣り合いませんわ。私がアナタと結婚したのは、アナタが辺境伯だったからです。それに」

 望遠されたモニタの中で、ステレジアさんが辺境伯を見下ろす。
 ぞっとするほど冷たい目だ。

「地龍襲来の知らせを受けてから、指揮も取らずに逃げる準備をするような殿方はちょっと、ね」

 ステレジアさんが紙を取り出した。
 私は、あの紙が何なのかを知っている。
 なぜって、666枚分のあの紙を手配したのが、他ならぬ私だからだ。
 国教会の印が入った、『フォートロン辺境伯家との結婚は無効である』ことを証明する証書だ。

 この国では、離婚はひどく外聞が悪い。
 だから離婚したいときには、『この結婚はそもそも成立していない』ことを国教会に証明してもらうのである。
 まぁ、この短時間で666枚もの証書を揃えるにはめちゃくちゃお金がかかった。
 あれ1枚で数万ゴールドするんだよ!?
 数百万円だよ!? ぼったくりかよ。
 普通だったら、絶対に支払えなかった。
 地龍シャイターン様々だね。

 665人全員から順繰りに三くだり半を叩きつけられる辺境伯。
 みな口々に、これまでさんざん辺境伯から受けてきたパワハラ・モラハラ・純粋な暴力・悪逆非道の数々に対する積年の恨みの言葉を投げかけている。
 うむ。これぞ清く正しいざまぁ展開だ。
 私も列に加わって、辺境伯の額に三くだり半を叩きつけてやった。

 最後の1人、ヴァルキリエさんが辺境伯に丁寧に三くだり半を手渡した。
 ヴァルキリエさんがお気に入りのはずの曲刀を抜き放ち、選別とばかりに地面に突き立てた。

 こうして666人の元・奥さんたちが、清々した顔でバルルワ温泉郷伯領軍側の方に入っていく。
 最後にはただ、辺境伯だけが残された。

「どうする? 降伏するか?」陛下の声。「だが、戦わずして降伏したそなたを、もはや誰も辺境伯とは認めないだろうが」

「う、う、う、ううぅぅうぅうううう!!」

 辺境伯は頭を掻きむしっていたが、やがてヴァルキリエさんが残した剣をつかんだ。
 剣を抜こうとして、上手く抜けずにもがいてる。
 ……最後まで無様な人だな。
 あ、抜けた。

「うわあああああああああああああああああ!!」

 めちゃくちゃに剣を振り回しながら、鉄神M4に向かって走ってくる辺境伯。

 >manualbattle

 私は拳銃を取り出す。
 慎重に狙いを定め、

 ――ズガンッ!

 辺境伯の足元に当たった100ミリ徹甲弾が、辺境伯の足元の土を『どっぱぁああああん』とめくり上げる。
 辺境伯の体が、まるでおもちゃのように宙に舞い上がる。
 私は鉄神M4の体を慎重に操作して、くるくると舞い上がる辺境伯の胴体をがしっとつかんだ。
 あ、辺境伯ったら気絶してる。

「あらあらあら」

 しかも、おもらししてる。
 こんなヤツのために、私の人生は狂わされたのか。
 なんだかなー。

「勝者、バルルワ温泉郷伯!」陛下の声。「これにより、バルルワ温泉郷伯を正式にフォートロン辺境伯と認める! バルルワ = フォートロン辺境伯家の誕生だ!」

「「「「「うわぁああああああああああああ!!」」」」」

 鉄神M4のマイクが、大歓声を拾う。
 こうして私の復讐劇は、幕を閉じたのだった。
 勝ったッ! 第1部完!




   ◇   ◆   ◇   ◆




 1週間後――。
 女神邸ことバルルワ = フォートロン辺境伯邸で、カナリア君を膝に乗せながら執務をしていると、

「た、たたた大変だ!」

 血相を変えたヴァルキリエさん(我が家の将軍)が部屋に飛び込んできた。

「どうしました、ヴァルキリエさん?」

「モンティ・パイソン帝国が攻めてきた!!」

「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!?」




 ――第1部、完。
 話は再びさかのぼる。
 私がクーソクソクソ愛沢部長ことコボル男爵に清く正しいざまぁをしてやった、その数日後にまで。

 私が、バルルワ村の女神邸ことバルルワ = フォートロン辺境伯邸で、カナリア君を膝に乗せながら執務をしていると、

「領主様!」飛び込んできたのは、我が領の財務大臣を務める元奥様。「取り急ぎ、今月分の予算案をまとめました。至急、ご裁可を」

「ありがとうございます!」

 どんっ、と執務机に積まれる書類。

「エクセルシアさん!」さらに飛び込んできたのは、我が領の国土交通大臣を務める元奥様。「畑の拡張がすでに始まっております! 川の延伸のための予算と人員をください!」

「ちょっと待ってくださいね! 今確認しますので!」

 どどんっ、と積まれる書類。

「女神様!」続いて飛び込んできたのは、我が領の経済産業大臣を務める元奥様。「地龍素材の卸し先について、貴族間で揉めております! 子爵位までなら何とかなりますが、伯爵級以上が相手だとどうにもなりません!」

 どどどんっ、と積まれる書類。

「そこは、外務大臣とすり合わせて何とか頑張ってもらえませんか!?」

「エクセル神様!」さらに飛び込んできたのが、外務大臣を務める元奥様。「途中から聞こえておりましたが、伯爵家出身のわたくしに伯爵以上の相手は無理です! どうか頭出しだけでもお願いします!」

「ぐおお、今手が離せなくて……ちょうどここに王太子殿下がいるから、名代に使って!」

「みょーだいってなぁに、お姉ちゃん?」

「……言ってみただけ。何でもないよ、カナリア君」

 私はカナリア君を抱きしめる。

「エクセルちゃ~ん」

 続いてのほほんと部屋に入ってきたのは、ある意味で我が領最強の人物・無限大の容量を誇る【収納空間(アイテムボックス)】使いのステレジアさん。

「温泉郷拡大計画を作ってみたのだけれど。某辺境伯家が手放した巨大なお屋敷を持ってきたわよ。温泉宿として使いましょう」

「をををを!? 超聞きたいですけど、すみません、午後からでもいいですか?」

 っていうか某辺境伯が手放した屋敷って、十中八九ウチ(フォートロン辺境伯家)の領都の屋敷だろ。

「女神様!」続いて飛び込んできたのは、バルルワ村の村長さん。「また、順番抜かし争いです! それも伯爵級同士でして……ご仲裁をお願いできませんか!?」

「あーもう」

「エクセルシア嬢!」さらに飛び込んできたのは、ヴァルキリエさん。「中規模スタンピードの発生だ! ミニドラゴンも1体確認! 今すぐ出るぞ!」

 私は頭を抱え、

「これじゃ社畜時代と同じだよ"ぉ"ぉ"ぉ"お"!!」

「【リラクセーション】。まったく、どこから声を出しているんだか」

「失礼、取り乱しました。被害状況は?」

「軽微。損害無し」

「状況は?」

「魔の森近縁で抑え込めている状況。だが、ミニドラゴンが強い。鉄神M4がなければ危険かな」

「了!」

 私とカナリア君、そしてヴァルキリエさんと、いつの間にかついてきていたクローネさんが出撃する。

 陸戦タイプの鉄神『M4』にはカナリア君が、
 労働タイプの鉄神『2号』には私が搭乗する。
 そうなのだ。
 もうすでに、カナリア君の方が私より操縦が上手いのである。

 村の中央、教会の隣に吶喊で作った格納庫の扉が開き、M4が1歩、2歩と外に出る。
 3歩目で、大きく跳躍。
 たったそれだけのことで、何百メートルもある村を飛び越え、村の外へ出てしまった。
 一方の私・2号はドッスンドッスンと村中央の道路を走り、城壁を飛び越えて外へ。

「どれどれ、ミニドラゴンとやらの姿を拝ませてもらおうかな――って、でっっっっっっっっか!?」

 いやいやいや、いったいぜんたい、どこが『ミニ』なのか。
 体高10メートルはあろうかという巨大なドラゴンを見上げて、私は度肝を抜かれる。
 と同時に、そのドラゴンがM4のチェーンソーナイフによってあっさりと首を落とされたことに、さらにおったまげる。
 カナリア君、強すぎ!

 シャウト、弓、魔法、盾。
 それぞれの得意分野で魔物の大軍を押し留めていたバルルワ = フォートロン辺境伯領軍が一斉に退却する。
 と同時に、

 ――ジャコンッ

 カナリア君が操るM4が、背中からアサルトライフルを取り出した。
 腰だめに構えて、

 ――パララッ
   ――パララッ
     ――パララッ

 正確無比なバースト射撃によって、波のようにすら見えていた魔物の大軍が、あっという間に倒れていく。

 戦闘という名の一方的な蹂躙は、10分ほどで終了した。




   ◇   ◆   ◇   ◆




「グッジョブ、カナリア君!」

 私が鉄神2号から降りると、M4がゆっくりとひざまずいた。
 背中のハッチが開き、

「お姉ちゃ~~~~ん!」

 喜色満面のカナリア君が飛び降りてきた!

「うわああああああああっ!?」

 間一髪、カナリア君を抱き留めるが、背中から倒れそうになる。

「わぷっ」

 と思ったが、いつの間に控えていたのやら、私の万能護衛騎士・クゥン君が支えてくれた。

「あ、あああああ危ないでしょカナリア君!」

「えへへ、お姉ちゃん。ぐっじょぶ? ボク、ぐっじょぶ?」

 若い、というより幼いカナリア君は、私が使う異世界語を渇いたスポンジのように貪欲に吸収していく。

「うんうん。見事な仕事だったよ~。カナリア君最強! でも生身のキミはそこまで頑丈じゃないんだから、こんな高さから飛び降りるのはもうやめなさい」

「分かった~」

「エクセルシアさんこそ」クローネさんが話しかけてきた。「どこか、体を打ったりはしていませんか? 貴女という子は、目を離すとすぐに生傷を作ってくるんですから」

「えへへ、大丈夫です。カナリア君も痛いとこない?」

「うん!」

 クローネさんが、すっかり『ツンデレ風世話焼き幼な妻』ポジションに収まっている。
 年下の世話焼き幼な妻とか最高かよ。

 戻ってきた領軍の皆さんが、食える肉・食えない肉、使える素材・使えないゴミに分類し、要るものは村に運び入れ、要らないものは炎魔法で焼却していく。
 私たちは鉄神でミニドラゴンを引きずり、村へ凱旋。

「「「「「女神様~!」」」」」

「今夜はドラゴン肉ステーキだぁ!」
「腕が鳴るぜ」
「素材! ドラゴン素材を!」

 村の調理係さんや、
 解体係さん、
 そして買いつけに来ている行商人さんたちが大興奮。

 今日も、バルルワ = フォートロン辺境伯領は賑やかだ。




   ◇   ◆   ◇   ◆




「めがみさま、ほんじつの、おめしものを、おもちしました」

 朝、ノックとともに私の寝室に入ってきたのは、犬耳メイド服のショタ。

「めがみさま、おはようございます!」

 着替えて廊下に出てみれば、窓を拭いているのもまた、犬耳メイド服のショタ。
 さらに、窓の外で庭を掃除しているのも犬耳メイドショタだ。
 このお屋敷では、包丁と火を使わない仕事――私のお世話や掃除洗濯は、ショタっ子たちが担当している。
 5歳~10歳のバルルワ村の男児たちが、メイド服を着て、ここで働いているのである!
 あぁ、素晴らしきかな私のぷにショタランド。
 犬耳男の娘とか最高かよ。

 児童を働かせるんじゃないよ、って?
 ざーんねん。
 中世ヨーロッパ風なこの世界に、『児童』とか『児童労働』という概念はないのだ。

 働かせるなら女児も取り入れろって?
 そこはねー……女児はまだ大丈夫なんだけど、この年頃の男児って、放っておいたら農耕だの建築だの魔の森での狩り(!?)だのと、めっちゃ過酷で危険な仕事に平気で駆り出されちゃうんだよね。
 だからこうして、『女神様のお世話』という名目で私が雇ってる。
 重労働の方は自動人形たちにやらせればいいし。

 私は悪徳領主ではない。
 この処置は止むにやまれずやっていること!
 私がやっているのは、ショタっ子たちの『保護』なのである!

 まぁ、メイド服着せてるのは私の趣味だけどね。
 女装の意味を理解しておらず、屈託のない笑顔を私に向けてくれるショタっ子、最高に可愛い。
 一方、やや年齢が上の子たちは女装が恥ずかしいことだとちゃんと理解していて、それでも私の命令だから恥じらいながらも着てくれている。
 そそる。
 たまらん。
 ぐへへへへ……。

「エクセルシア」万能護衛兼執事と化しつつあるクゥン君が、ハンカチを差し出してくれた。「漏れてますよ、よだれ」

「あらやだ、ありがとう」




   ◇   ◆   ◇   ◆




「「「「「いただきま~す!」」」」」

 私が取り入れた『いただきます』のあと、ショタっ子たちが元気に食べ始める。
 食堂の長机は人口過密状態だ。
 お誕生日席の私。
 その両サイドにカナリア君とクゥン君、次いでヴァルキリエさん、クローネさん、ステレジアさん、この屋敷で働くことを選択した元奥さん方、そしてショタっ子たちが座る。
 ショタっ子たちの数は日によって変わるが、だいたい、食卓には数十人が座る。

「ここで女神クイズです! ででん!」

「「「「「くいず~!」」」」」

「リンゴが5つ、ミカンが5つありました。
 ミニドラゴンがやってきて、果物を3つ食べてしまいました。
 ミニドラゴンが去った後にリンゴを数えると、4つありました。
 さぁ、ミカンはいくつ?」

 ショタっ子たちがパンを頬張りながら、あーでもないこーでもない、とうなっている。
 私の隣では、クゥン君も指を折りながらうなっている。
 一方のカナリア君は、

「ねっ、ねっ、お姉ちゃん、素数って面白いね! ボク最近気づいたんだけど、Fって孤独な数字だよね! BとDも孤独だよね」

 を、ををを……何やら全てがFになった天才科学者みたいなことを言っている。
 ショタっ子たちに読み書き算数を教える傍ら、カナリア君にもいろいろと教え込んでいるんだけど、やっぱりこの子の頭脳、チートレベルでヤバい。
 将来が楽しみだわぁ。

「女神様の教え方って」財務大臣の元奥様が微笑む。「とっても分かりやすいですし、何よりワクワクしますよね。子供の内からこうやって学ばせてやれば、平民でも算術ができるようになるのでしょうか」

「なってもらわないと困ります」私はニヤリと微笑む。「でないと財務大臣さんが一向に楽になりませんよ?」

「そっ、それは困りますね!」

「遠からず、小学校を建てるつもりでいます。算術その他学問にお詳しい方が知り合いでいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください」

「イエス・マイロード」




   ◇   ◆   ◇   ◆




 居間でお茶を飲んでいると、

「ねーねー、お姉ちゃん」カナリア君がやってきて、私の膝によじ登ってきた。「この、ぱいそん? っていう古代語の、再帰呼び出し処理について教えてほしいの。かていきょーしの人たちみんな、分かんないって言うんだもん」

「ぶっふぉ」

 思わずお茶を吹き出す私。
 すかさず、背後に立っていたクゥン君が拭いてくれる。

「きっ、キミは何者なんだよカナリア君。プログラミングの再帰呼び出しについて学びたがる5歳児って」

 見れば部屋の隅で、王都から呼び出されたカナリア君の家庭教師団が青い顔をしている。
 家庭教師団の団長さんが、ぺこぺこ頭を下げながら、顔で『お休み中のところスミマセン』と語っている。

 そうそう。
 カナリア君、本格的にここに住むことになった。
 なので国王陛下が、カナリア君のお世話係をここに派遣したのである。

 何しろここはカナリア君にとっては空気が良い(魔力濃度が高いという意味で)し、徒歩1分で温泉に入れる。
 王都と違って暗殺の心配はないし、魔物肉は美味しいしで良いことづくめ。
 まぁ、魔の森も徒歩10分というのが玉に瑕だが、陸戦鉄神M4の中以上に安全な場所など、恐らくこの国にはないだろう。

 私は団長さんに目礼を返してから、

「じゃあ、お姉ちゃんが教えてあげよっか」

「やったー! 教えて教えて!」

 久しぶりのプログラミングだ。
 正直、アガる。

「再帰関数はねぇ」

 私は、壁に侍っていた自動人形を手招きする。やってきた自動人形の首筋にノートパソコン(遺跡で見つけた)をUSB接続し、

「こうやって、まず最初に関数を作って」

 人形が指先を動かすだけの、簡単な関数プログラム『draw』を作成し、実行。
 自動人形が指先で四角を描いた。

「その関数の中で自分自身を呼び出させればいいんだよ」

 さらに、関数『draw』を『draw』自身の中で呼び出す。
 自動人形が四角を描き続けるようになった。

「わーっ、やっぱり! 同じ動作を繰り返し繰り返しやらせたかったんだけど、どーしても上手くいかなくって」

「単に繰り返させたいだけならforループでいいんじゃない?」

「forループはねぇー」

 不満顔のカナリア君。
 ほっぺをつついてみると、『ぷすーっ』と唇から空気が漏れた。
 ぐおおおおっ、可愛すぎる!

「forだといつか終わっちゃうでしょ?」

「うん。変数iが終端に来ると終わるね。でもiの上限値を1万とか10万にしておけば一生終わらないよ?」

 私は、この世界に来たばかりのことを思い出す。
 数百体の自動人形を目覚めさせ、奥様たちを重労働から解放したあの日のことを。

 for i in range(9999):
   #朝の起動確認
   ■■■■■■■■■■■■■■
   ■■■■■■■■■■■
   ■■■■■
   ■■■■■■■■■■■■■
   ■■■■■■■
   ■■■■■■■■■■■■■■
      ・
      ・
      ・

 朝イチで起動チェックを行うようにプログラミングされていた自動人形たちは、その処理をfor文で回していた。9999回まで。
 なので、自動人形たちは起動から27年と少し経つと、ループから抜けてしまって起動しない、という不具合(仕様?)に陥っていた。

「でもねー」

 うんうんとうなっていたカナリア君が、衝撃的な一言を口にした。

「それだと、美しくない」

「をををををっ!?」

 私、大興奮。
 思わず、ソファから立ち上がってしまった。

「そう、そうなの! そうなんだよカナリア君! 私から提案しておいたことだけれど、ループの終端回数を9999とか10万とかみたいに、適当な数字にしてしまうのは美しくない(・・・・・)!」

 プログラムとは、作る意味が、作る目的があるから作るのだ。
 なのに、『ループ回数はとりあえず9999回でいっか。知らんけど』というのでは意味がない!
 意味のない作り方は美しくない!

「だから、ループの終端には『24』とか『365』とか『〇〇が〇〇するまで』みたいに明確な意味を持った数字・条件を割り当てるべきなの」

 カナリア君は、5歳にしてこのセンスを会得している!
 素晴らしい!

「ふぉっふぉっふぉっ、さすがは女神様」

 家庭教師団の団長――好々爺といった様子のご老人が朗らかに笑った。

「儂らでは殿下の仰っておられることの半分も理解できなかったというのに、あっという間に理解なさり、殿下の上を行くご提案までなさるとは」

「いやぁ、恐縮です」

 などと社交辞令をやりあっていると、

「だめー!」カナリア君が私を団長さんから引き剥がした。「お姉ちゃんはボクとお喋りするの!」

 おやおやカナリア君。
 一人前に嫉妬ですかな?
 お姉ちゃん、嬉しくなっちゃう。

「ふぉっふぉっふぉっ、これは失礼を」

 フェードアウトする団長さん。

「なるほどね」私はカナリア君のふわふわな髪の毛を撫でる。「それで、再帰関数というわけなんだね。いやぁ、カナリア君マジ天才。さらに、自動人形のステータスを引数として渡して、処理を分岐させてやれば?」

 自動人形が、右手で四角、左手で三角を描き始める。

「わーっ、すごいすごい! これなら1体の自動人形にいろんな役割をさせることができる! 自動人形のステータス? で処理を分岐させるには、この……ifっていうのを使えばいいの?」

「そうそう! if分岐っていうの」

「じゃあじゃあ」

 私の膝の上に乗ったカナリア君が、パチパチとタイピングを始める。

「こうやって、分岐ごとに処理を書いていけばいいってこと!?」

「及第点だけど、惜しいなぁ」

「もっとすごい方法があるの!?」

「カナリア君が書いてくれたこの処理、イニシャライズもばっちり書けてて完璧なんだけど、最後の処理――指先が描く図形が『四角』か『三角』か、以外は全部同じ内容でしょう?」

「うん」

「もし、一部にバグ――書いた内容に誤りが見つかったら、2ヵ所とも直さないといけないでしょ?」

「2ヵ所とも直せばいい――あっ! これが10ヵ所とか100ヵ所とかあったら大変だ!」

「そのとおり!」

 本当、頭の回転が早い子だなぁ。

「どうすれば!?」

「オブジェクト指向を使います」

「おぶじぇくとしこう?」

「こうやってclassを作って、コアな処理部分をカプセル化しちゃうの。それで、唯一異なる部分である『四角』と『三角』を変数としてclassに渡してあげるの。classというのは設計図だ。classから実際に動く実体を生成することを、インスタンス化と言う」

「いんすたんす化!」

 あぁ、あぁ、楽しいなぁ!
 カナリア君は、一度話したことは全部全部ぜーーーーんぶ覚えて吸収してくれる。
 こんな子供、欲しかった。

「――はっ!?」

 そのとき、エクセルシアに電流走る!

「カナリア君! 私の子供にならない!?」

「いやー!」ぶんぶんと首を振るカナリア君。「お姉ちゃんが、ボクのお嫁さんになるの!」

 あぁ。
 あぁああああああああああ!
 最高だよカナリア君!

 私たちが甘々お勉強デートをしていると、

 ――ヴゥゥゥウウウウウゥゥウウウウウウウウウッ!!

 警報音!
 長い! これは魔物警報だ!

「カナリア君、出撃するよ!」

「うん!」

 今日も、のんびりとはさせてもらえないらしい。
「はぁあ”あ” あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ” あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”~~~~ん」

 モンスターハントの後、クローネさん、ヴァルキリエさんと一緒に温泉の女神シークレット風呂に入る。
 どっぷりと湯に浸かると、疲労が洗い流されてゆく。

「あーっはっはっはっ! 相変わらず、淑女らしからぬ声だな」

「まったくです。エクセルシアさんはまだ乙女なのですから、恥じらいというものをですね」

 大きな湯船の中で、クローネさんが体を寄せてきた。
 今日は女性陣だけなので、裸だ。
 クローネさん、やたらと私になついているというか、肌の付き合いをしたがるんだよね。
 金髪碧眼。
 温泉効果で目の下のクマがすっかり消えたクローネさんは、問答無用で美少女。
 年齢は、私の1個下の13歳!
 異世界だからセーフだけど、日本じゃ犯罪だよ辺境伯。

「それにしても、どうしたものですかねぇ」

 湯気が漂う天井を見上げながら、私はつぶやく。

「何の話だい?」

「私は誰と結婚すべきか問題、ですよ」

「ほほう。王太子殿下一択だと思っていたが、他に思い人でもいるのかな?」

「……実は、はい」

 ヴァルキリエさんは、とっても頼りになるイケメンお姉さん。
 そんなお姉さんに聞かれてしまっては、私も正直に答えざるを得ない。

「えええええっ!?」なぜかクローネさんが悲鳴を上げた。「エクセルシアさんはわたくしと結婚するのではなかったのですか!?」

「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!?」

 私、おったまげる。

「いや、なんでそうなるんですか!?」

「だって、一緒にお風呂に入ってくれているではないですか!」

「???」

「あー……エクセルシア嬢は詳しくないのかもしれないが、この地方では、3回以上風呂同衾した相手を内縁と認める風習があるんだ」

「風呂同衾!? 何そのパワーワード! っていうか内縁ですって!?」

「はい」クローネさんがもじもじしている。「今日で3回目なのです。だからついに、エクセルシアさんがわたくしの愛を受け止めてくれたんだなって」

「い、いやいやいやいや! ノーカン! ノーカンです! 私はその風習について知らなかったんですから、ノーカンでお願いします!」

「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」

「っていうか女ですよ私!? 女でいいんですか!?」

「エクセルシアさんほどの上玉なら、もう性別なんて関係ないです」

「いやいやあるでしょう」

「それに……」一転して暗い表情になるクローネさん。「男はもう、こりごりで」

「あー……辺境伯ってやっぱり、ひどかったんですか?」

「……………………初夜に」

「は、はい」

「手足を縛りあげられて無理やり――」

「あーーーーっ! いいです! 思い出さなくて」

 最っっっっっっっっ低!
 何なのあの男!?
 もう本っっっっ当に死んでほしい。
 っていうか■したい。

 実は辺境伯――今はコボル男爵だったか――は、私が清く正しいざまぁをやったあの日に、姿を消した。
 私はあの程度のざまぁでクーソクソクソ愛沢部長を許す気なんて全然ないから、とっ捕まえてあの手この手で罪状を作り上げ、処刑台に送ってやるつもりたっだのだ。
 そんな私の思惑を察知したのかしてないのか、ともかく愛沢部長は姿を消した。

 自分の子供たちを見捨てて。

 そう。
 辺境伯には15名の子供がいた。
 下は赤子、上は三十台前半まで。
 ちなみに、その三十台の長男を生んだ奥さんは、5等級落ちしてやせ細りながら床掃除してたってんだからもう、愛沢部長には人の心がない。

 ちなみにその奥さんは今、湯治しつつ女神邸の料理長を務めている。
 たくさんのショタに囲まれて楽しそうだ。

 話を戻そう。
 辺境伯の子供たちの内、長男を含む10名は自立したり嫁いだり、人質代わりに他領に『留学』していたりでフォートロン辺境伯邸にはいなかった。
 で、残り5名は屋敷で養われていた。

 つまり私にとっては、辺境伯に対する人質ということになる。
 赤ん坊すらいるんだぞ?
 この子たちを押さえていたら、いくら自分本位で他人のことを全員ゴミだと思っている辺境伯でも、逃げるとは思わないじゃない?
 それを、それを。

 あの最低男、自分の子供たちを、あっさりと見捨てやがったんだ。

「クーソクソクソ辺境伯のことはもう忘れましょう!」私は無理やり話題を変える。「新しい恋を見つけましょうよ、クローネさん」

「だからわたくしはエクセルシアさんと――」

「そ、その話はなかったことに! ほ、ほら、今、全国の貴族家からお見合いが殺到してるじゃないですか私。その中からいくつか見繕ってみてはどうでしょう? 今やクローネさんは我が家の特別顧問。『新進気鋭な貴族家の重鎮』ともなれば、きっとお見合い話が殺到しますよ。選びたい放題ですよクローネさん!」

「むぅぅ~~~~! ごまかさないでください!」

「クローネ嬢がだめなら」ヴァルキリエさんが、凶器みたいにでっかい胸を張って、「私ならどうかな?」

「えっ!? マ!?」

「あーっ、ダメですよヴァルキリエさん!」

 クローネさんとヴァルキリエさんがじゃれあっている。
 何だこの空間は。
 これはまさか――百合の波動!?
 つまり私は、百合の間に挟まる百合!?

「とまぁ冗談はこのくらいにして。真面目な話、誰なんだい? キミの想い人というのは」

「言わなきゃダメですか?」

「ダメ。キミは今や、王国でもっとも勢いのある貴族家の当主だ。そんな女当主がどこの馬の骨とも分からない輩と結婚してしまっては、この家はあっという間に崩壊してしまう。この家の軍を預かる責任者として、見過ごせないな」

「うー……分かりました。実は――」




   ◇   ◆   ◇   ◆




「エクセルシア」

 お風呂上りに居間のソファでくつろいでいると、私の執事となりつつあるクゥン君がやってきた。

「おくつろぎのところ、すみません。明日の予定を確認させていただきます」

「うん。ありがとうクゥン君」

『ありがとう』だけで済まさず、私は彼の名を呼ぶ。
 彼が、名を呼ばれると喜ぶのを知っているからだ。

「はい! まず午前中に■■■■伯爵家ご当主様並びにご令息様とのご面会。次に■■■■子爵家ご当主様並びにご令息様とのご面会。午後には■■■■伯爵家ご当主様とのご面会。次に■■■■男爵家ご当主様並びにご令息様とのご面会」

「うひー……全部お見合いか。」

「最後に」

「まだあるの!?」

「これはお見合いではないのですが……変わった相手からの面会依頼です」

「変わった相手?」




   ◇   ◆   ◇   ◆




 お見合いバトル、ファイ!

「これはこれは、ウワサ以上にお美しいお嬢さんだ。こんなにも若くお美しいのに、王国で一、二を争う広さの領地と領民を持ち、武勇にも優れておられるというのだから、天は人に二物も三物もあたえるものなのですな。わっはっはっ」

 開幕から褒め殺ししてくるナントカ伯爵様。
 ここは女神邸の応接室。
 上座に座るのは私。私の方が爵位が上なので。
 で、対面に座るのが三十台半ばくらいの男性――ナントカ伯爵様。
 んで、その隣でガチガチに緊張したご様子のショタボーイがご長男だろう。

「いえいえそんな。ウチはこのとおり歴史が浅いので、長い歴史を誇る伯爵様のことが羨ましいですわ」

 嫌味でも何でもなく、本心だ。
 保守的な性格の者が多い貴族社会では、長い歴史を持つ家ほど他家から認めてもらいやすい。
 逆に新興の家は軽んじられやすい。
 まぁ王侯貴族なんて封建的で保守的な存在の権化みたいなものだから、その考え方は何も間違ってはいないのだけれど。

「それはそれは、光栄ですな。どうです? 閣下も我が家系図に名を連ねてみるというのは」

 ををを、ど真ん中ストレートで来たな!
 ならばこちらも全力で打ち返してやろう。

「お気持ちは嬉しいのですが……」私は、さっきからずーーーーっと膝の上に座っているカナリア君の肩に手を置いて、「このとおり、私にはすでに家族がおりまして」

「…………え?」辺境伯様、額からだらだらと汗を流して、「あのぅ、その子供はどなたですかな?」

「私の、家族です」

「き、聞いていない! 聞いておりませんぞ!? エクセルシア嬢に子供がいただなんて!?」

 頭を掻きむしる伯爵様。
 その隣では、伯爵様の息子さんが白目を剥いて泡を食っていた。




   ◇   ◆   ◇   ◆




 という具合に、4件のお見合いをぶった斬っていった。

「カナリア君、ありがとー!」

 私がカナリア君をぎゅーっとすると、カナリア君が私の手を払った。

「えっ?」

「……お姉ちゃん」

 カナリア君が私の膝から降りる。
 振り向いた彼は、暗い顔をしている。

「ボクのこと、家族だ、家族だって言うけどさ。いったいいつになったら、ボクのぷろぽーずを受け入れてくれるの?」

「うっ……」

 それは、そのとおりだ。
 カナリア君のことを便利に使っておきながら、私の心はカナリア君と、想い人との間で行ったり来たりしている。

「エクセルシア」

 か、か、カナリア君が、私の顎をついっと持ち上げた!

「ボクは、都合のいい男なの?」

「そ、そそそそんな言葉どこで覚えてきたの!?」

「女神としょかん」

 ぐおおっ、後で精査せねば!

「――エクセルシア」

 私の背後に侍っていたクゥン君が、話しかけてきた。

「そろそろ、最後のお客様です」

「あぁ……来たか、このときが。じゃあカナリア君、悪いけどお願いね」

「もう! お姉ちゃんってばボクのこと便利に使いすぎ」

「本当にごめん。遠からず結論出すから許して」

「うん!」

 カナリア君が部屋を出ていく。
 それと入れ違いになるようにして、数名の男女が応接室に入ってきた。
 先頭に立つのは――

「ゾルゲ = フォートロンである」

 三十半ばの、バッハみたいな大げさなカツラを被った男性。
 いかにも貴族って感じの、金糸マシマシでテカテカしたコートに身を包んでいる。
 頬はこけ、目は猜疑心に満ちている。

「違うでしょう」私は速攻で反論する。「貴方はもう、無名のゾルゲさんだ」

 そう。
 この男こそ、クーソクソクソ辺境伯の長男。
 劇場作家として名を馳せ、獣人を『無知で野蛮で不潔なケモノ』として扱う歌劇を無数に書き上げ、獣人差別を助長させてきた張本人だ。

「小娘が、なんと無礼な!」

 ゾルゲ氏に続いて中に入ってきた女性――辺境伯の長女が、金切り声を上げる。

「私たちの父は、ここの領主なのよ!?」

 そうだそうだ! と辺境伯の子息子女たちが大合唱。
 彼らの中では、フォートロン辺境伯家は未だ健在なわけだ。

「だいたい」ゾルゲ氏が吐き捨てるように言った。「ケモノと同じ部屋にいさせるとは、なんと非常識な。病気が移ってしまうではないか」

「っ――訂正してください!」

 立ち上がろうとする私の肩を、クゥン君がつかんだ。

「オレは大丈夫ですから」

「くっ……」

 そうして、世にも不毛な会談が始まる。

『ここバルルワ温泉郷は父の土地なのだから、お前は出ていけ』とゾルゲ氏。
『私は王命によってここを任されているのだから、それはできない』と私。

『領都フォートロンブルクの盟主には自分がなるべきだ』とゾルゲ氏。
『そもそもフォートロン家はお取り潰しになったのだから、そんな話が通るわけがない』と私。

『不衛生な獣人なんてものを多数起用して、領内に病気が蔓延したらどう責任を取るんだ』とゾルゲ氏。
『なぜ、獣人は不衛生だと決めつけるのか。根拠は? 実際に彼らと会い、交流したのか?』と私。

 わーわー、ぎゃーぎゃー。
 答えは出ない。

『お姉ちゃん』

 と、耳元でカナリア君の声。
 耳にはめた無線スピーカーだ。
 ――よし! 作戦開始!

 ……ズシン
   ……ズシン
     ……ズシン

 重々しい音が近づいてくる。
 応接室が振動で満たされる。

「な、なんだこの音と揺れは!? まさか魔物のスタンピード!? 魔物が獣人の臭いに誘われてやってきたんだ!」

「どんな理屈。ま、スタンピードが多いのは認めますがね」

 私は立ち上がり、窓を開く。
 と同時に、

 ――ズシィイイイイイイイイイインッ!!

「うわぁああああああ!?」
「きゃぁああああああ!?」

 陸戦鉄神M4が空から降ってきた!
 窓を覗き込んでくるM4の威容に、ゾルゲ氏や辺境伯の子息子女たちが腰を抜かす。

 あはは、ゾルゲさんったら震えてる。
 まぁ、こんなでっかいロボットがいきなり現れたら、そりゃビビるよね。
 鉄神に命を救われたバルルワ村や温泉郷の人たちならいざ知らず、領都で生活していた彼らからすれば、鉄神の方こそがバケモノに見えることだろう。

「質問です。辺境伯と鉄神、どっちの方が怖いですか?」

「な、何を突然――」

「どっちが怖いですか?」

「こんな鉄クズ、フォートロン家の威光に比べれば――」

 ――ドッパーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!

 M4が、空に向けてショットガンをぶっ放した。

「うわぁああああああ!?」
「きゃぁああああああ!?」

「怖いですよね。びっくりしますよね。でも、安心してください。この子は味方です。地龍シャイターンすら倒すことができる、最強の味方」

 私の言葉に、少しずつ、ゾルゲさんたちが落ち着きを取り戻していく。
 実は、ドアの向こうからヴァルキリエさんが【リラクセーション】をかけているというのはナイショの話。

「そして、安心してください。辺境伯は、もういません。私が、この子の力を使って倒しちゃいましたから。だから、もう怯えなくていいんです」

「な、何を言っているのだ? 父上が……もう……いない?」

 戸惑っていたゾルゲさんだったが、やがて、

「あぁ……あぁぁ……」

 はらはらと、涙を流し始める。

 思ったとおりだった。
 ゾルゲさんの、ストレスで瘦せこけた顔を見た瞬間、私が準備したこの策は正しかったと確信した。

「もう……もういいのか? 獣人を貶めるような歌劇を書かなくても。あの、父の笑顔に怯えなくても。もう、いいのか?」

「はい。もう、いいんです」

 ショック療法だ。
 辺境伯は、確かに怖い。
 665人の奥さんたちは『友愛』という言葉に縛りつけられて、辺境伯にすっかり洗脳されてしまっていた。
 奥さんがそうなら、子供たちだってきっとそうだろう。
 ならば今こそ、その洗脳から子供たちを解放してやるべきだ。

「そう、か……」憑き物が落ちたような、安らかな顔をするゾルゲさん。「私は――私たちはようやく、自由になれたのか」

 みんな、泣いている。
 クーソクソクソ辺境伯の長い長い精神支配、洗脳から解放された子息子女たちが、晴れやかに泣いている。




   ◇   ◆   ◇   ◆




 結局、辺境伯の子息子女たちとは和解することができた。
 彼らは平民として生きていくことになる。
 辺境伯が失踪したことで立場を悪くしていた人には、温泉郷での仕事を斡旋してあげた。

 ゾルゲさんは劇作家を辞めた。
 温泉郷の片隅に家を持って、村人――獣人たちと一緒に畑を耕して生きていくんだそうだ。

 …………さて。
 後はお前だけだぞ、愛沢部長。
 絶対に見つけ出して、徹底的に分からせてから、■してやるからな。
 翌日の昼下がり。

「今日もお疲れさまでした」

 今やすっかり、私の執事ポジションに収まったクゥン君が、労働一一型鉄神2号に飛び乗ってタオルを渡してくれた。

「むふーっ、成し遂げたぜ」

 2号の肩に腰掛ける私は、タオルで汗を拭いながら、本日の『成果』を見下ろす。
 鉄神の『dig』コマンドによって北の山から掘って掘って掘り抜いてきた溝――もとい『河』である。
 河の延伸、温泉郷やバルルワ村の開拓、城壁の付け替え――いずれも主力は2号だ。
 2号でざっくりやって、細かい加工を村人や領都から出稼ぎに来ている建築ギルドの人たちにやってもらう。
 この『溝』も、このあと合流する職人さんたちがさらに(なら)し、ローマンコンクリートで舗装してくれる手はずになっている。

 けれど、今は、2人きりだ。

「なんか、クゥン君に出逢ったばかりのころを思い出すね」

「そうですね。エクセルシアはオレをバルルワ村に連れ出してくれて。鉄神でホブゴブリンを撃退して、たった一夜でバルルワ村を立派な堀と土塁で囲ってくださいました」

「あったねぇ、そんなことも」

「あの日、オレは救われました」

「そんな大げさな」

「大げさなんかじゃないんです」

 クゥン君が、じっと私の目を見る。
 私は戸惑う。
 ふわっふわな茶髪、もふもふな犬耳、愛らしい黒い瞳。
 私の好みどストレートの甘ショタ・クゥン君。

「俺はあの日、エクセルシアから全部もらいました。生まれて初めて、人間様から『素敵な耳』だと言ってもらえて。名前を聞いてもらえて。あのとき、オレがどれほど驚いたのか――感動したのか、分かりますか?」

 なんだろう。
 なんだか泣けてきた。




 私は誰と結婚すべきか問題。




 そりゃ、バルルワ = フォートロン辺境伯家のことを考えるならカナリア君一択だ。
 けれど。
 けれど私は、できれば想い人と一緒になりたい。

 私の想い人――クゥン君と、だ。

 そんな、惚れる要素なんてあったか、って?
 あったんだよ。
 出逢ったその瞬間に。
 超弩級の『惚れる要素』が。
 私は、この子に、命を、救われたんだよ!!

 私がエクセルシアとして目覚めて0秒で死にかけて、ゴブリンに殺されるか犯されるか攫われるかしかけて。
 あのときの私の恐怖は、混乱は、実際に同じ経験をした人じゃなきゃ分からないと思う。
『転生キタコレ!』とか『甘ショタキターーーー!』とか言いながら陽気に振舞っていたけれど、私の心はいつも、恐怖におびえていた。

 馬車滑落で死にかけて、
 ゴブリンに馬車を燃やされて死にかけて、
 弓矢で死にかけて、
 極めつけに、ゴブリンに腕を捻り上げられて。

 あまりの恐怖で心を失くしかけたあの瞬間、颯爽と現れたクゥン君の、なんと格好良かったことか!
 あのときの感動は。
 あのとき、私がどれほど救われたのか。
 クゥン君の小さな背中を、どれほど心強く思ったのか。
 私がどれほど強く、クゥン君に夢中になったのか。
 それはきっと、彼自身にだって分からない。
 この体――エクセルシアの初恋の相手は、間違いなくクゥン君だった。

 死ぬかもしれないのに、クゥン君を連れてゴブリンまみれのバルルワ村に飛び込んだり、
 痛む体を押して鉄神でゴブリンたちと戦ったり、
 疲労困憊なのに鉄神で堀と土塁を築いたり。
 我ながらめちゃくちゃ無茶をした。
 あれは全て、惚れた相手にいいところを見せたい一心での行動だった。

 今でこそ、カナリア君やクローネさん、ヴァルキリエさん、バルルワ村と温泉郷のみんな、領民たち――と守るべき相手が増えて、クゥン君のことばかり考えてもいられなくなってしまったけれど、それでも今なお、心の大部分を占めている相手。

「ど、どうされました? オレの顔をじっと見て」

 やばい。
 ちょっと、熱っぽい視線を向けすぎたな。
 いいや。これを機にいっちょ揺さぶりをかけてみよう。

「ねね、クゥン君って好きな人とかいる?」

「エクセルシアです」

「ぶっふぉ」

「エクセルシアは、オレの命の恩人で、村の恩人です。このご恩はオレの一生を、全部をかけてお返しさせていただきます」

「あー……」

 愛はある。
 が、恋ではないなぁ。
 いや、諦めるのはまだ早い。

 クゥン君は自分を律するのが得意なタイプだ。
 そう簡単には本心を明かさないだろう。
 なら、建前が崩れるまで押してみたら?
 押して無理なら押し倒せ、だ!

「ね、ね、クゥン君」

 私はクゥン君に密着する。

「え、エクセルシア?」

 クゥン君が顔を赤くしている。

 自慢じゃないけど、今世の私は絶世の美少女だ。
 ウェーブがかった長い銀髪、淡い琥珀色の瞳。
 二重まぶたの大きな目。
 ツヤツヤなお肌。
 スタイルはまぁ、ヴァルキリエさんには劣るけれど……それでも14歳基準から見れば育っている方だろう。

「急にどうしたんですかっ? からかわないでください」

 を?
 ををを?
 これ、脈ありなのでは。

「クゥン君。私、実は――」

「おっ、オレ!」クゥン君が、鉄神から飛び降りる。「急用を思い出しました! 失礼いたします!」

 こ、これはフラれたのかなー……。




   ◇   ◆   ◇   ◆




【Side クゥン】


 体が熱い。
 心臓が口から飛び出しそうだ。
 バルルワ村の片隅を走りながら、オレはエクセルシアの表情を思い出す。
 濡れた瞳、はにかむように微笑む口元。
 一度意識してしまえば、もう止まらない。

 今までは、既婚者だから、領主様の奥様だからガマンできていた。
 それが、先日の決闘でエクセルシアは離婚を果たした。
 そう。
 求婚しようと思えば、できるのだ!

「……でも、ダメだ」

 この心臓の高鳴りは、走っているからというわけではない。

「この気持ちは、ダメだ。忘れろ、忘れるんだ、オレ!」

 エクセルシアは、この領の領主様だ。
 バルルワ = フォートロン辺境伯家は今や、王国で一、二位を争う大家と言われている。
 単純なお金だけで言えば、地龍シャイターンの血肉・素材の販売によって王国で一番潤っている。
 エクセルシアは、飄々としながらとんでもない偉業を次々となさってしまうお方だ。
 きっとこの領は、もっともっと大きくなることだろう。

 そんな王国一の領主の夫が、オレのような無名な獣人だったとしたら?

 オレの存在は、絶対にエクセルシアの足を引っ張ることになる。
 領では依然として獣人差別が根強い。
 それに、政治の世界でオレはあまりにも無力だ。

 自惚れでなければ、オレはエクセルシアとよく目が合う。
 求婚すれば、もしかするともしかするかもしれない、とも思っている。
 けど、ダメだ。
 エクセルシアのお相手は、カナリア王太子殿下こそが相応しい。

「キュンキュン、いるか?」

 幼馴染の家のドアをノックすると、

「どうしたの、クゥンにい?」

 幼馴染で妹分のキュンキュンが出てきた。

「珍しいね、こんな時間に。女神様の護衛はいいの?」

「話があるんだ。とても大事な話が」
 クゥン君が、姿を消した。
 今まで、風呂と就寝の時間以外は片時も離れることがなかったクゥン君が、半日もの間、私のそばから離れたのだ。
 こ、これはフラれたのかなー……。




   ◇   ◆   ◇   ◆




「おはようございます、女神様」翌朝、クゥン君は普通に現れた。「昨日は申し訳ございませんでした」

「ダ、ダイジョウブダヨ」

 頭を下げるクゥン君に対し、私はギクシャクしてしまう。

「それで、実は女神様にご報告したいことがございまして」

「ナ、ナニカナ?」

「紹介します」

 クゥン君が、隣に佇む少女――キュンキュンちゃんを示して、

「オレの妻・キュンキュンです」

「……………………………………………………………………………………はい?」

「実は昨晩、式を上げまして。キュンキュンとは婚約関係にあったのですが、これからも女神様の右腕としてお仕えし続けるにあたり、身を固めるべきだと親からも言われていたのです」

 私がこの世界に来た直後の話。
 ゴブリン軍団に襲われているバルルワ村に、加勢に行きたがっていたクゥン君。
 キュンキュンちゃんがゴブリンに襲われているところを見て、我を忘れたクゥン君。

「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!? あれ、伏線だったのぉおおおおおお!?」

 私は卒倒した。




   ◇   ◆   ◇   ◆




【Side キュンキュン】


「本当に良かったの?」

 白目を剥き、泡を食いながらも執務を行っている女神様を眺めながら、私はクゥン(にい)に話しかける。
 違った。クゥン兄はもう、私の旦那さんなんだった。

 ここは、女神様の執務室。
 私たちの結婚報告で卒倒した女神様だったが、卒倒したままむくりと立ち上がり、ものすごい勢いで執務に励みはじめたんだよね。
 正直ちょっと怖いけど、女神様ならまぁ、こういうことも可能なのだろう。

「何がだ?」

 女神様の背後に侍りながら、クゥンが聞き返してくる。

「クゥンってば本当は――」

「昨晩、誓っただろ。オレはお前を幸せにするって」

「っ――うん!」

 私がクゥンの許嫁だったというのは、本当だ。
 この村では、酒の席で自分たちの子供の婚約を決めたりする。
 獣人差別の激しいこの地で、村の子供が人間と結婚することはあり得ないので、村の子供同士で結婚することになる。
 となると、小さなころから、自然と組み合わせが出来上がってくるものなのだ。
 酒での席の婚約は、追認作業のようなもの。

 私は物心ついたころからずっとクゥンに面倒を見てもらってきて、クゥンのことがずっとずっとずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと好きだった。
 だから、クゥンと結婚できたのは嬉しい。
 それがたとえ、クゥンが女神様に対する気持ちを諦めるための手段だったのだとしても。

 いや、違うな。
 女神様のこのご様子を見るに、どうもこの2人、両想いだったっぽい。
 私との結婚は、女神様にクゥンを諦めさせるための手段でもあったわけか。

 自分の結婚を他人の恋の言い訳に使われて、もやもやしないと言えばウソになる。
 けどまぁ、お陰で好きな人と結婚できたんだから良しとしよう。
「……ちゃん……お姉ちゃん……お姉ちゃんってば!」

「――――はっ!?」

 気がつけば、日が暮れていた。
 目の前には、山と積まれた処理済みの仕事たち。
 私、気絶しながら仕事していたのか。
 さすが、社畜歴ゲフンゲフン年ともなれば覚悟が違うな。

「お姉ちゃん?」

 膝の上のカナリア君が、こちらを見上げてきている。

「あ、うん。何かなカナリア君?」

「あぁ、良かった。やっと戻ってきた。ほら、見て見て! コレ、ボクが書いたんだよ」

 そう言ってカナリア君が見せてくれたノートバソコンの中には、世にも美しいコードが!

「う、ウソでしょ……これ、もはや私よりも上手く書けてない? カナリア君、マジもんの天才!」

「えへへ。天才? ボク天才?」

 そう言って屈託のない笑顔を見せてくれるカナリア君は、天使だ。

「やっぱりお姉ちゃんにはカナリア君しかいないよぉ~!!」

 私がカナリア君の体をぎゅっと抱きしめ、温泉の香りがするつむじに顔を埋めると、

「きゃ~っ」

 カナリア君が楽しそうにジタバタする。
 カナリア君の笑い声が、可愛らしいさえずり声が私の脳を満たしていく。
 カナリア君、マジカナリア!

 失恋した直後に別の相手にすがりつくなんて、現金にもほどがある。
 けれど、妻帯者相手に粘着するよりも、よほど健全だろう。
 それに、そうだ!

「カナリア君だって、私の命の恩人だものね」

 そう。
 忘れもしない1週間前、地龍シャイターンに殺されかけていた私を、身を挺して守ってくれた人こそ、このカナリア君なのだ。

「ねぇ、カナリア君」

「なぁに?」

「お姉ちゃんのこと、好き?」

「だから、何度も好きって言ってるでしょー!?」

 カナリア君が怒りだす。
 まぁ、そうだよね。
 出逢った初日からほぼ毎日プロポーズを受け続けてきて、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとのらりくらりと逃げ続けてきたものね、私。

「でも、でもさ、私、10歳も年上だよ? それでも好き?」

「好きだよ。年なんて関係ないよ」

「も、もしも」額に、じっとりとした汗が浮かび始める。「もしも11歳上だったとしても?」

「好きだよ」

「12歳上でも?」

「好き」

「13歳上でも?」

「好きだってば」

 心拍数が上がっていく。

「じゅ、14、15、16――」

 視界が狭まっていく。

「21歳年上でも!?」




「エクセルシア」




 ぎゅっと、手を握られた。痛いほどに。
 それでようやく、いつの間にかカナリア君が膝から降りていたことに気づいた。
 真正面に、カナリア君の顔がある。

「ボクは」カナリア君の小さな手が、震えている。「ボクは――」




   ◇   ◆   ◇   ◆




【Side カナリア】


 物心ついたころからずっと、ボクの意識は暗いモヤの中に閉ざされていた。
 倦怠感。
 絶え間ない頭痛と吐き気。
 ぐるぐると回り続ける視界。
 食べても飲んでも吐いてしまう。
 ただただ不快で、生きているのがしんどかった。

 いろんな人が話しかけてきたけれど、生きているだけで精いっぱいで、相手の顔も満足に見ることができなかった。
 ボクは、絶望していた。
 生まれながらに絶望していた。
 しんどくてしんどくて、ただただしんどくて、早く楽になりたかった。

 そんな地獄の日々は、ある日突然終わりを告げた。




 …………ちゃぽん




 父上が、僕を温かなお湯に漬けた。
 とたん、ボクの世界を覆っていた暗いモヤが、ぱっと消え去った。
 世界が、明るくなった。
 あれほどボクを蝕み続けてきたはずの倦怠感が、きれいさっぱり消え去ったんだ!

「……ちちうえ?」

「カナリア! あぁ、あぁ、カナリア!」

 父上は泣いていた。
 父上って、こんな顔してたんだ。

 そこからは、驚きの連続だった。
 生まれて初めて、自分の足で歩くことができた。
 お風呂上りに飲んだ水が、ぶり返すことなく喉を通った。
 そして――

「あのっ、もし良ければこの子で診断を――」

 生まれて初めて正視した、女性の顔。
 エクセルシアお姉ちゃん。
 女神みたいに可愛らしいその女性に、ボクは夢中になった。
 ボクの体を治してくれて、ボクに人生をくれた人。
 この人のためなら、何でもしてあげたい。
 あとになって、女神図書館の物語本から、この感情が『恋』であることを知った。

 エクセルシアお姉ちゃんは面白い人だ。
 いつも笑顔で自信満々に見せかけて、実は気が弱い。
 魔物が相手だと体がすくんでしまい、鉄神への指示が一瞬遅れる。
 好き勝手やっているように見せかけて、実は周囲の人たちの顔色を窺っている。

 今も、ボクとの年齢差のことで悩んでいる。苦しんでいる。
 僕はちっとも気にしていないのに。
 可愛い人だと思う。
 守ってあげたいと思う。
 だから――

「エクセルシア」

 ボクはお姉ちゃんの手を全力で握りしめる。

「ボクはキミが14歳だから好きなんじゃない。キミがキミだから、好きなんだ。キミが14歳でも、20歳でも、30歳でも40歳でも50歳でも、100歳でも好きだ!!」

「あ……」

 お姉ちゃんが泣いている。

「わ、わた、私なんかが……」

 ぽろぽろ、ぽろぽろと泣いている。

「私なんかが、キミのことを好きになっても、いいの?」

「うん!」

「カナリア君!」

 抱きしめられた。

「私も、私もカナリア君のことが好き! 大好き!」

 それから、お姉ちゃんがボクの口に唇を近づけてくる。
 あ、これ、物語本で読んだ『口づけ』ってやつだ――




 ――ばぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんっ!!




 そのとき、執務室のドアが開いた!
 ボクらは大慌てで飛び退く。

「た、たたた大変だ!」駆け込んできたのはヴァルキリエ。「モンティ・パイソン帝国が攻めてきた!!」

「「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!?」」