その日の夜。家に帰ると、壁に手をつけながらもバタバタと走り勢いよく電気をつける。
「どうした?あまり見ない顔だな」
 父さんは相変わらずソファの上で膝を抱えていた。
「父さん、私図書室登校やめる。ちゃんと教室行く。椋翔の心も開けたから父さんはいい加減、前向いて!」
 そのやつれた顔をまっすぐ見て宣言してやる。そしたら父さんはニヤリと笑って立ち上がり、こっちにきて私の頭をくしゃくしゃにしてきた。
「……何するのよっ!」
「よくやった。虹七は父さんの自慢の娘だ」
 私が戸惑っていると、父さんはケラケラ笑ってきた。その背後で心温さんの笑い声も聞こえた。
「成長したね、虹七。産まれなかった弟の分まで頑張って生きてほしいって、勝手な言葉押し付けてたけど、虹七は虹七らしく生きていいのよ」
「ありがとう、母さん」
 私はこのとき心温さんのことを初めて母さんと呼んだ。後を振り向くと心温さんは口元に手を当てて目を見開いている。それからは笑い声が響き渡り、私はちゃんと息をしっかりして生きている感じがした。

「大丈夫?久しぶりの教室だけど」
 翌日。松葉杖を両脇に挟んで約半年ぶりに教室の前に立っていると、柚香ちゃんに気にかけられた。もちろん、かなり緊張はしている。体全体が心臓になったかのようにドクドクといって重たい。冷や汗も頰を伝っている。
 だけど……。
「いじめてきた人はもう、いないんだよね?」
「うん!全員退学処分だって。3人ぐらいいたけど、ざまあみろだよ。あたしも自宅謹慎ぐらいは受けてもよかったんだけど」
 そう言って柚香ちゃんは口をすぼめている。この結果に満足しているのか否か、それすらもわからないぐらいだ。
「柚香ちゃんは充分後悔も反省もしてくれてるからいんだよ!それにここにいるのも柚香ちゃんのおかげだし。今度お墓参りも行くんでしょ?」
「うん!」
 背中を押すように励ますと、柚香ちゃんははじけるような笑みを見せてくれた。それから意を決して教室の引き戸を開ける。
「……お、おはよう」
 それは思いの外勢いよく引いていたらしく、ガンっと音がする。その音にギョッしたのか、クラスのみんなはいっせいに顔を上げた。会話もピタリとやめて時間すらも止まったみたいだった。
 視線の蜂の巣にされて気まずなりつったっていると、柚香ちゃんが背後から背中を押してくれて。
「おはよー!あれ?みんなどうしたの?」
 明るくからかうように声をかけてくれた。
 その声にはっと我に返ったのか、クラスメイトが近寄ってくる。その中にはいじめられる前に友達だった子達もいた。
「……お、おはよー!」
「久しぶりだね。あれ?なんか顔つき変わった?」
「そのケガ、大丈夫なの?」
「また前みたいに仲良くしよ!今度ショッピングモールとか行こうよ?」
 クラスメイトはにかみながら声をかけてくれて、胸がぽかぽかしてくる。「うん!」
「あたしも一緒にいい?」
「いいよ!」
 大きく頷くと、柚香ちゃんが横からのりだしてくる。そんな急な乱入に友達は臆することもなく了承してくれた。
 そのあと席も教えてくれて、そこは窓側の1番後の席。隣は柚香ちゃんだった。
「これからは一緒に授業受けれるんだ!あたし、嬉しい!わかんないとこあったら、なんでも聞いて?あたし、一応成績学年トップだから」
 柚香ちゃんはガッツポーズをして、教える気満々だ。さっそく鞄から教科書やノートを取り出している。
「ありがとう!じゃあ、わからなくなったら聞くね」
「うん、任せて!どーんときて!」
 本当に頼もしい友人だ。焦げ茶色の目を輝かせていて、まくしたてている。姉御肌でもあるのかもしれない。
 ふたりで笑い合いながら話しているとチャイムが鳴り、教室に入ってきた担任は目を丸くしていた。髪をポニーテールにして太い眉で低身長の体育教師である。私と同じぐらいの背で仲間だー!と心の中で喜んでいる自分がいた。
「お、おはようございます!え、えっと……それじゃあ、授業を始めましょうか。学級委員、号令!」
 その先生はおどおどと慌てふためきながらも、指示を出した。それに対し、柚香ちゃんが「起立、令!」と声をかけた。
 肩がピクリと跳ねて、学級委員でもあったのかとびっくり仰天する。一緒にいることが多かったのに、今更だった。
 私はケガをしていたので立つのも一苦労で結局腰を少し浮かして、頭を下げることしかできなかった。
 その日の授業は当てられることもあったけど、柚香ちゃんがすぐに答えを書いたメモを渡してくれたおかげで間違えることはなかった。