とりあえず靴箱に行き、そもそもこの学校内にいるのかどうかを確認する。外を探すとなると範囲が広すぎて途方に暮れるからだ。
 でもいざ探そうと根本的なミスに気づく。椋翔くんのクラスを知らないのだ。1年ということは知っている。だから端から端まで探してみる。
 幸い靴箱のところには1人それぞれの名前が書いてあったのでなんとか見つけ出すことができた。そしてそこに上履きはなかった。外履きだけが置かれている。つまり、この学校内にいるという証である。
 そこから1階を見落としがないように探し回りいないことを確認してから上に登っていく。
「あっ、大丈夫!?どう、いた?」
 途中で丘先生と鉢合わせ、状況を聞かれた。首を横に振ると、丘先生の顔は一瞬で青ざめた。口元に手を当てて、何か嫌な予感でも察したみたいだ。
「先生もう学校のすべてを探し尽くしたの。それでもいないってことは……もしかしたら、屋上の鍵壊れてるかも」 
「ということは……」
 椋翔くんは自殺しようとしている?
 そう直感し、すぐに松葉杖を動かし始めた。今いるのは3階だ。ひとつ上に上がれば最上階である。
 ただ景色を眺めに出ただけかもしれない。しかし、屋上はかつて多くの生徒が次々と飛び降り自殺したために閉鎖された場所だ。それにも関わらず、あえてそこにいくというのは自殺しようとしてるとしか考えられなかった。
 最上階につき、目と鼻の先にある屋上への扉を開ける。それは重たい鉄でできているのか、ギーッと音がした。
「椋翔くん!」
 叫びながら辺りを見渡すと彼は今まさに飛び降りようとしている数秒前であった。でも気づく素振りも見せずに行こうとしている。
 もう目すら合わせたくないのかもしれない。庇った人の名前を知らずにいたという事実に怒ってるのかもしれない。それでもまた私の前から消えようとしている。
 そして彼の名前を私はまだ一度も呼び捨てで呼んでいない。偽りの姉と弟関係を結んでいたはずなのに。羞恥心が勝って、呼ぼうともしていなかった。今こそそのくん付けを卒業するべきだ。そう覚悟した途端、声をあげた。
「椋翔!!」
 松葉杖をその場に捨て駆けつけようとする。大嫌いな気持ちもまだあるけれど、父さんや櫂冬くんや柚香ちゃんの話を聞いて、錦奈さんの事情や椋翔くんの耳のことも知って、それでも頑張って小説を書いている彼を助けたくなったのだ。
 でも松葉杖を手放した途端、体は痛みのせいか思うように動かない。1歩2歩と千鳥足のようによたよたしていて、3歩目でバランスを崩し、視界が90度回転する。そして屋上の床に倒れ込んだ。
「痛っ……!」
 傷口がジリジリとえぐられるように痛む。どうしてこんな時に私の足は機能を失ったみたいに動かないんだ。椋翔くんを止めたいのに。
「行かないで!!」
 そう叫びながら前を見据える。すると、椋翔くんは防音イヤーマフを両手で押さえながらも、こちらを振り向き口を開いた。
「……あ、姉貴のアホ!」
 震えるような叫び声が灰色の空に吸い込まれていく。それが私が聞いた、初めての彼の声だった。
 椋翔が防音イヤーマフから手を離しながらこちらに駆け寄り、倒れ込んでいる私の横に座り込む。彼の濃い琥珀色の目はゆらゆらと揺れていて、表情全体と動きからも相当慌てふためいているのがわかった。
「こ、声……」
 出るの?
 おかしすぎて笑うというよりも、椋翔が声を出したことへの驚きの方が大きかった。
「……キズが深くなるだろうが。安静に……しとけアホ。声くらい……普通にでるから心配すんな」
 椋翔の低い声が途切れ途切れに聞こえてくる。それは優しさと呆れが混ざっていた。
「ごめん……無理しちゃって。でもそれで椋翔の自殺を止めれるのなら、やってやろうと思って」 
「松葉杖捨てる姉貴も……自殺行為してるようなもんだろ。それないと……まともに歩けねぇんだから」
 椋翔くんはそう言って大きくため息をついた。