『そもそもなんで筆談なんですか?』
 とはいえ、会話が噛み合ってないような気はするが、筆談はいちいち面倒くさい。
『図書室は沈黙が暗黙のルール』
 イケメンではなく真面目くんか。理論上は合っているけれど、今図書室には私達以外誰もいないし堂々と声出して話してもいいじゃないか。誰にも迷惑なんてかけないし、人だって昼休みにならない限りは来ないはず。
『声出せないんですか?私の声が聞こえないならそのヘッドフォン外してください』
『俺は静かな場所が好きだ』
『じゃあ、これ以上話しかけてこないでください』
 そして二度と私の目を引き寄せようとするまねをしないで。
『破棄するの?せっかく了承したのに、もったいない。筆談でも話はできる』
 なんか色々と言いくるめられている気がする。ここはその場に任せるしかないのかもしれない。
 心の中で大きくため息をつく。それから借りたペンを走らせた。
『なんて呼べばいんですか?』
『椋翔と呼べ。あとタメ口で話せ』 
 首をぶんぶんと激しく横に振る。無理だ。例え命令されても初対面の人を呼び捨てにするなんて。口に出すにしても文字にするにしても相手が異性だからか羞恥心を覚える。
『は?俺は姉貴って呼んでるぞ!なのにさん付けとか敬語とか不自然』
 確かに違和感がある。血縁関係ではないけれど、偽りの姉と弟を演じるんだから仕方ない。でも恥ずかしい。姉貴って呼ばれるのも慣れない。本当に弟が産まれていたなら必然的なことなのだけれど。
『そもそもなんで姉貴なんですか?』
『じゃあ、お姉ちゃん?お姉さん?ふざけてんのか?姉貴が1番しっくりくる』
 もうこいつと話していると調子が狂う。
『椋翔くん』
 ペンを持つ手が震える。文字に表すのって口に出すより恥ずかしい気がする。途中まで呼び捨てで書こうとしたのに、羞恥心が勝ってくんづけにしてしまった。
『仕方ねぇな、まぁいい。よろしくな、姉貴』
 イケメン改め椋翔くんはそう言ってさっと隣の席に座ってきた。かといって、何かメモ帳に書いて筆談するわけでもなく、ノートを開いてなにかに操られているかのようにペンを走らせ始めた。 なんだ。仲良くしろとか言ってきたくせに話をしてこようともしないなんて。
 冷たい言葉達は私の心を次々と矢で突き刺してくるみたいだし。ムカつく。絶対に仲良くなんてしてやるものか。
 とはいえ、これでやっと読書に集中できる。
「はーっ」
 盛大なため息が自然と口をついて出た。緊張が一気に解けたせいで、全身から力が抜けていくような感覚に襲われる。 
 それから、机の上に置いてあった本を手に取り、ゆっくりとページをめくった。本の内容に集中しようとしたが、頭の中には先ほどの筆談や椋翔くんのペンの音がちらついて、なかなか文字が頭に入ってこない。
 記憶は頭の中で何回もリピートされ、同じビデオを繰り返し見させられているような気分になる。
「どうしてこんなに気持ちになるんだろう……」
 自問自答してみるが、答えは出ない。心の中の感情が少しずつ膨れ上がるのを感じる。こんな時こそ本の世界に逃げ込みたいのに、今日はそれができず、もどかしい。
 力なく本を閉じる。それからただ、机に突っ伏してため息をまたひとつ。やがて深い眠りに吸い込まれるようにして意識が途切れた。