『なりたいけど』

 その時の椋翔くんの字は震えていた。今までみたいな小学生生が力まかせに書いた汚い字とは違った。ふなふなと字が頼りない。

 顔を覗き込もうとしても、彼は俯いてこちらを向こうともしない。

 なりたいなら見せろ。けどってなんだ。

『椋翔くんはどうして小説を書いているの?』

 作品を一緒につくっている人がいる。その人にも見せないのは最低だ。どうかしている。
 
 そういえば、椋翔くんには耳が聞こえすぎているという足枷(あしかせ)みたいなものがある。筆談を交わしてる理由も彼が頭にヘッドフォンのようなものをつけてる理由もそのせいなのだろう。
 
 具体的にどういう風に聞こえてるかはわからない。まだ誰にも聞けてないから。知らないから。もちろんどんなに大変なことか、何が原因でそうなってしまったのかもわからない。それでもこんなに集中して書く理由を私は知りたい。

『それも聞くな』

 でも椋翔くんは答えようとしてくれない。どうしよう。これは高くて厚すぎる壁だ。

 コンクリートと鉄を使って作られたような軽く5メートル以上の厚さ。しかも並到底の人間では超えられないような、3メートル以上の高さ。
 そんな壁が私と椋翔くんの間にはあるんだ。つらい、つらいよ。私こんなに聞こうとしているのに。

 誠意を伝えるために席を立ち、奥の手で土下座をかましてみる。こんなこと自分からは初めてで額を床に激しく打ち付けてしまう。丘先生や柚香ちゃんと同じじゃないか。恥ずかしい。でも大抵の人はこれで折れるはず。

『土下座なんかすんな。俺は何されても見せねぇし、理由も話さねぇから』

 しかし、椋翔くんは答えてくれなかった。

 諦めを促す言葉しかくれなかった。

 もはやこれではどうしたら良いのであろうか。頭をフル回転してもその答えは一向に見つからなかった。