「わ、私の弟になってくれませんか?」
 気づけば口に出していた。自分でも思いもよらない言葉を。知らず知らずのうちに心のどこかで弟が欲しいと思っていた自分がいたのだろうか。
 イケメンはまた肩をピクリと震わせて、それからペンを差し出してきた。そのメモ帳に書けと言っているらしい。口があるのになぜ一言も喋ろうとしないのだろう。
 とはいえ、こんな恥ずかしい発言を文字にできるわけがない。初対面の人に弟になってと頼むなんて、私の口はどうかしている。聞こえてないのかどうかはわからないけど、彼の目に動揺は見られない。不幸中の幸いだ。
 でもどうやってごまかそう。たとえ聞こえていなくても口が動いているのだから、なんて喋ったか一文字ぐらいはわかってしまうかもしれない。
 しばらく逡巡しても言い逃れは少しも思いつかず、諦めて息を吐く。それから言葉を文字にした。
 メモ帳を差し出すと、イケメンは目を見開いた。灰色に透き通ったそれはゆらゆらと揺れ、混乱してるのが目に見えてわかる。
 そりゃそうだ。私だって戸惑っている。この発言に。なんかもっと他にかける言葉はなかったのだろうか。例えばなぜ筆談なんですかとか。穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。
 イケメンは返す言葉が見つかったのか、声は発さずに手を差し出してきた。ペンを返せと言いたげに。私は持っていたペンを返し、彼がペンをメモ帳へと走らせる姿を見つめた。
 やがてイケメンは手を止め、またそれを差し出してきた。
『まず、名前を聞いていいですか?』 
 その一言はまさに冷静であった。順序よく状況を理解したいらしい。私が手を差し出すと、イケメンはペンを渡してくれた。
『2年生の紫花虹七(しばなにじな)です』
 メモ帳とペンを返すとイケメンは唇をわなわなと震わせた。思いがけない現実に出くわしたみたいだ。手もガクガクと震えていて、恐怖を覚えているように窺える。
『わかった、姉貴』
「どうして……?」
 まさか、了承してくれるなんて思ってもみなかった。夢でも見ているような感覚に襲われ、目を疑う。しかもしれっとタメ口で接してきたし。
 疑問を抱いていると、イケメンは黙ったままペンを動かし、メモ帳を再度見せてくれる。
『今は言えない』
『じゃあ、話すことはありません』
 筆談はいちいち書くの面倒くさいし、絶対に仲良くなんてしてやるものか。
『あれ、さっき弟になってと頼んだよな?』
 たかをくくっていると、イケメンは曇り空に覆われた冬みたいな冷たい瞳で睨んできた。長い前髪をかきあげて左目でも睨んでくる仕草は責められてるみたいで身の毛がよだつ。
 そして幾度となく自然に目は引き寄せられてしまうし、煩わしい。もうちょっと顔がブサイクとかだったらいいのに。
 ぽっと火が出て顔が熱い気がする。胸の鼓動は速さを増しているし、なんなの今日は。
 確かに頼んだ。けれど口が勝手に動いただけ。その理由を書いても納得してくれない気がする。
 お願いの内容的にそれ相当の理由がないとおかしいし、せっかく了承してくれたのに断るのも変だ。
 そもそも弟ってなんだろう。下の子や上の子がいるってどんな感じなのだろう。憧れたこともないし、ひとりっ子の私には到底理解不能な問題だ。
『嘘つき。せっかくだから仲良くしろ。今、俺運命的なものを感じてるから』
 黙っていると、イケメンは栗色透き通った目で私の顔を覗き込んできた。ずるい。こんなことされたら断りにくいではないか。