翌日も私は保健室で漠然と過ごしていた。昼休みまで誰も訪れることはなく、ただひとりぼっちで。
 ガラガラッ!
 その静寂を忽然と断ち切るように引き戸の音が勢いよく鳴った。凄まじく速い足音が、一瞬にして緊迫とした空間を作り出す。
「何をしたの?」
 カーテンがバサッと激しく開けられ、責めたてるような言葉が胸を突き刺した。
 目の前にいたのは険しい顔をした、柚香ちゃんだった。その後には櫂冬くんと丘先生も立っている。ふたりとも蔑むような目で睨んできていた。
「えっと……どういうこと?」
 よくわからない。現状が掴めなくて。
 ただ何かが壊れるような音が遠くから聞こえた気がした。
「しらばくれないで!」
 柚香ちゃんはそう怒鳴って私の頰をバシン!と叩いてきた。頭から冷水を浴びせられたような衝撃に襲われる。
「やめて、一応ケガ人よ」
 丘先生は両腕を組んでご機嫌斜めであった。庇われているのか否か、それすらもよくわからない。
「だって許せませんよ!絶対に」
 柚香ちゃんは強く拳を握りしめている。爪が皮膚に食い込みそうなくらいに。
「そうね、先生も気に入らないわ」
「僕も裏切られた気分だ!」
 チンプンカンプンな中、冷徹な言葉が次々と心を刺していく。
「あたしはせっかくプロットを書いたのに、椋翔くんは来てなかった!」
 たぶん、図書室にいなかったのだろう。いや、そんなわけない。椋翔くんは最初から静かな場所を好んでいる感じがあったし。そこでずっと小説を書いていたし。
「それで家に電話したの。母親が出たの。『もう誰とも筆談すらしたくない』と椋翔くんがメモ帳に書いてたって言ってきたの」
 あの椋翔くんが?あんなに私に優してくれたのに。でも彼らしい気もする。『静かにしないと追い出す』なんて筆談で柚香ちゃんと櫂冬くんを突き放したことがあったからから。
 椋翔くんは自分から筆談してきた。いつだって私に対してはそうだった。運命的なものを感じたのは嘘だったのだろうか。
「椋翔が1番関わっていたのは虹七さんだ。だから虹七さんが何かしたに違いないんだよ!」
 3人の声が私を矢継ぎ早に責めたてる。頭には無数のクエスチョンマークが浮かび、困難なラビリンスを彷徨い、やがてショートした。
 私はただ過去を打ち明けただけ。椋翔くんは優しく受け止めてくれた気がした。だから何も悪くないはず。こんなこと、ありえないはず。
 原因を教えてよ、顔だけイケメンのクズ野郎!大嫌いだ。椋翔くんなんか。
「最低!もう、絶交だよ!虹七ちゃん、大嫌い!」
「僕も絶交だ!仲良くなれると思うなんて信じて任せたのに、こんなことになるなんて」 
 そう吐き捨て、踵を返し振り向くことなく出ていく柚香ちゃんと櫂冬くん。ふたりの背中は動けない私に追えるわけがなく、激しい足音が壁越しに響くだけであった。「一生のお願いって、頼んだ先生も悪かったと思う。でもこれだけは言っとく」
 あからさまにため息をつきながら丘先生は前置きした。
「あなたのお父さん、精神科医でしょ?先生は高校の同級生で仲良くしてた。今でも連絡を取り合っている仲よ。結婚も付き合いもしてない、親友。その娘が虹七ちゃんだからもしかしたら椋翔くんを助けられるかもって思ったの」
「えっと……話が全然わかんないです」
 父さんはいつも死んでいるような顔をしていた。なのに親友がいたなんて話は初耳だ。でも、そうか。だから父さんは私を迎えにきたとき目を見開いてたんだと点と点が繋がったような感覚がする。
 問題はそのあとだ。その娘が私だから椋翔くんを助けられる?そんなの無理に決まっている。だって、私と椋翔くんの間には高くて分厚い壁が立ちはだかっているから。血が繋がっているからって、当てつけみたいにしやがって。
「先生はあくまで保健室の先生。だから一人の生徒の詳しい説明はできないの。プライバシーは守らなきゃだし。そういうことで、図書室登校をすすめたのも後悔している」
 苦虫を噛み潰すみたいに歯をくいしばって丘先生は吐き捨てた。
「私が……何をしたって、言うんですか?」
「それぐらい、自分の記憶に聞きなさい」
 心も友人関係も先生との信頼関係も一気に狂った。スクランブルエッグみたいに黄身とか白身とか関係ないくらいにぐちゃぐちゃになった。
 そのあとはもう、ただひたすら泣くしかなかった。もどかしくて、どうしようもない気持ちが頭の中でぐるぐると渦を巻いていた。