翌日。車で送ってもらい、父さんに担がれ保健室へ。誰もいない中、骨が折れたんじゃないんかと思うぐらいの痛みに悶える。
 一応本は近くにある。けれど「安静にしててね」と丘先生には言われた。だから普通に眠るのが1番いいのだろう。
 そうとわかっていても、眠気は都合よく襲ってきてくれたりしない。かといって何かをする気力もない。ぼんやりと白い天井を眺めるしかなかった。
 ガラッ。
 そこへ引き戸が開く音がする。丘先生だろうか。でも私に声をかけてくることはない。
無言なまま足音だけは近づいてきて、仕切りにしていたカーテンが少しめくられる。そこから顔を出したのは椋翔くんであった。
「図書室、いたんじゃないの?」
 いつも通り小説を書いていたんじゃないの?
 椋翔くんは側にあった丸イスに腰掛け、メモ帳を開いて書き付ける。
『姉貴が隣にいないと集中できねぇ』
 戸惑っていた私の心を見透かしてきたような、その言葉に心臓が早鐘を打った。
 わがままか。まるで私が好きとかって告白してきてるようじゃないか。
 いや、そんなことあるわけない。私なんかに椋翔くんはおろか、誰も惚れたりするわけない。告白なんてされたこともないし。椋翔くんとはただの偽りの姉と弟。それ以上でも、以下でもない。
『ほっとけるわけねぇだろ。姉貴がなんでこんな目に合わなきゃいけないんだ。僕許せねぇよ。いじめてきたやつらのこと』
 椋翔くんは私の困惑なんておかまいなしにメモ帳を突きつけてくる。
 まるで本当に血が繋がっている家族のように。
 瞳を見れば、自動的に吸い寄せられる。濃い琥珀色のビー玉みたいなそれは三角になっていて、怒りが伝わってくる。
 気圧されたのか、気づけば私は口を開いていた。
「私ね、知らない美女を庇ったの……」
 大嫌いな椋翔くんに過去を明かす。
 声は潜めていることができているのだろうか。彼は途中で止めようとペンを動かすわけでもなく、ヘッドフォンを押さえる仕草もせず、ただ聴いてくれていた。無言で側に寄り添うかのように。
 話しているうちに涙が出てきて、それは絶え間なく頬を伝った。何度拭おうとしても出てきて、涙腺がバグってるとしか思えなかった。
 やがてすべて話し終わると、椋翔くんはカーテンをめくり、ティッシュを箱ごと持ってきてくれた。
 私の涙が途絶えるまで手を繋いでくれて、それは冷たかった。きっと真冬なら驚いてすぐ手を離すのだろう。それぐらい、氷みたいにひんやりとしていた。
 どこかで聞いたことがある。優しい人ほど手は冷たいって。
 もしかしたら、椋翔くんは本当は優しい人なのかもしれない。よくわからなくて、どうかしているとこもあるけれど。
 そんな予感が頭をよぎった、瞬間だった。
『長所がひとつもない人なんていると思うか?』
 椋翔くんの目は真剣そのものだった。
「いる」
 ここに。私がそう。
『いない、どこにも。姉貴は自分でそれに気づけてないだけだ。どれだけ避けられてる人もいじめられてる人にも嫌われてる人にも』
「そうなの?」
 反射的に問いかける。信じられなくて勝手に体が動いて起き上がっていた。
 椋翔くんはそれに臆することなくペンを動かす。
『必ずあるって俺は信じてる。だから自分にはなにもないとか卑下する必要はねぇ。姉貴にしかできねぇことが姉貴にはあるんだよ。話はそれだけだ』
 椋翔くんは立ち上がり、カーテンを閉じて保健室を出ていく。私はただその姿を呆然と見送ることしかできなかった。これから起こる、最悪な現実を予期する。なんてことはもちろん、ないままに。