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いつからだったっけ。いじめられるようになったのは。
私は幼い頃から背が低く、並べばいつも先頭だった。そのため「ちっちゃくてかわいいー!」と小学校ではよく言われた。あと「レインボウ」なんてあだ名をつけられていたっけ。
漆黒のおさげに細眉の顔の設計間違えられたようなブサイクな顔。だからかわいいなんて低身長なところだけ。
母さんがまだおたふくを発症する前である小4の頃。私はふと聞いてみた。自分の名前の意味を。
その話によると私が産まれた日が7月2日だったことから、名前に『な』と『に』を入れることは決めていたらしい。
でもひらがなとか数字にするにはつまらないと思いながら窓の外を眺めてみたら、運良く虹がかかっていたという。
よく見るのは消えかけのように儚い虹。だが、その時の虹は一味違ったそうだ。
虹が2重にかかっていて、内側の虹が濃くて外側の虹が薄かったんだとか。
幻想的で、あとから父さんに調べてもらったらダブルレインボウってでてきたらしい。幸運のきざしとして知られている。
母さんは私にラッキーなことが訪れますように。あの虹のようにキレイな人に育ちますように。なんて願いを込めて「虹七」という名前をつけたんだそう。ちなみに『に』にはダブルという意味も込めているらしい。
その深い意味には時折、感動を覚える。けれどそれと同時に自分には到底似合わない名前だと感じた。完全に名前負けしている。なぜなら私は虹のように輝いていた瞬間なんてなかった気がするから。
小5の頃から母さんは自分のことをよく責める回数が増えた。
「無事に産めなくてごめんね」
「おたふくだったんだから仕方ないじゃないか」
父さんが励まそうと頑張っていたが、母さんは耳を貸そうともしなくて私はその姿を見ているだけでもつらかった。
少しでも嬉しい顔をしてほしくてテストで100点をとったり、マラソン大会で1位をとったり子どもながらに勉強も運動も頑張った。 でも母さんの状態は明るくなるどころか、悪化していく一方であった。ご飯もろくに食べず部屋にこもりっきり。父さんは家事や私の育児がままならなくなり、一時期おばあちゃんの家に預けられたことがある。
弟の流産を知らなくて、母さんがどうしてこんなに病んでいるのかもわけがわからなかった。
そしていつの間にか心にぽっかりと穴が開いていた。
おばあちゃんは優しくて強い人で私に簡単な料理を教えてくれた。いろんなところに連れていてくれたりもしたっけ。
時々父さんは様子を見に来てくれて泊まったりもした。でも死んだ顔をしていた。ぐったりしていて生き疲れた人間そのものであった。
母さんは知らないうちに亡くなり、涙のダムが溢れてやまなかった。「葬式行くよ」とおばあちゃんに手を引かれても「やだやだ!」って小6なのに小さな子どもみたいに反抗していた。
いつからだったっけ。いじめられるようになったのは。
私は幼い頃から背が低く、並べばいつも先頭だった。そのため「ちっちゃくてかわいいー!」と小学校ではよく言われた。あと「レインボウ」なんてあだ名をつけられていたっけ。
漆黒のおさげに細眉の顔の設計間違えられたようなブサイクな顔。だからかわいいなんて低身長なところだけ。
母さんがまだおたふくを発症する前である小4の頃。私はふと聞いてみた。自分の名前の意味を。
その話によると私が産まれた日が7月2日だったことから、名前に『な』と『に』を入れることは決めていたらしい。
でもひらがなとか数字にするにはつまらないと思いながら窓の外を眺めてみたら、運良く虹がかかっていたという。
よく見るのは消えかけのように儚い虹。だが、その時の虹は一味違ったそうだ。
虹が2重にかかっていて、内側の虹が濃くて外側の虹が薄かったんだとか。
幻想的で、あとから父さんに調べてもらったらダブルレインボウってでてきたらしい。幸運のきざしとして知られている。
母さんは私にラッキーなことが訪れますように。あの虹のようにキレイな人に育ちますように。なんて願いを込めて「虹七」という名前をつけたんだそう。ちなみに『に』にはダブルという意味も込めているらしい。
その深い意味には時折、感動を覚える。けれどそれと同時に自分には到底似合わない名前だと感じた。完全に名前負けしている。なぜなら私は虹のように輝いていた瞬間なんてなかった気がするから。
小5の頃から母さんは自分のことをよく責める回数が増えた。
「無事に産めなくてごめんね」
「おたふくだったんだから仕方ないじゃないか」
父さんが励まそうと頑張っていたが、母さんは耳を貸そうともしなくて私はその姿を見ているだけでもつらかった。
少しでも嬉しい顔をしてほしくてテストで100点をとったり、マラソン大会で1位をとったり子どもながらに勉強も運動も頑張った。 でも母さんの状態は明るくなるどころか、悪化していく一方であった。ご飯もろくに食べず部屋にこもりっきり。父さんは家事や私の育児がままならなくなり、一時期おばあちゃんの家に預けられたことがある。
弟の流産を知らなくて、母さんがどうしてこんなに病んでいるのかもわけがわからなかった。
そしていつの間にか心にぽっかりと穴が開いていた。
おばあちゃんは優しくて強い人で私に簡単な料理を教えてくれた。いろんなところに連れていてくれたりもしたっけ。
時々父さんは様子を見に来てくれて泊まったりもした。でも死んだ顔をしていた。ぐったりしていて生き疲れた人間そのものであった。
母さんは知らないうちに亡くなり、涙のダムが溢れてやまなかった。「葬式行くよ」とおばあちゃんに手を引かれても「やだやだ!」って小6なのに小さな子どもみたいに反抗していた。