無欠のルシウス~聖剣の少年魔法剣士、海辺の僻地ギルドで無双する

「臨時料理人のケン氏に、調理スキルがないですって?」
「そ。ついでにいえばあの男、町の食堂の料理人だっていうのも嘘みたいだよ」

 本人の来歴までは、今のルシウスの人物鑑定スキルの習熟度では読み取れなかった。
 だが、より高度な鑑定ができる上級や特級ランクの持ち主や、専用の鑑定用魔導具があれば看破は可能なはずだ。

「しかし、採用時にギルドの魔導具で鑑定して、身元確認はしっかり取れてるはずです」
「経歴が見えなかったから、何か隠蔽スキルか、隠蔽機能のある魔導具を持ってるんじゃないかな。それにあの男、今のギルマスたち三人が来る前からいた人なんでしょ? 調べたほうがいいよ」

 そう、ギルマスのカラドンとサブギルマスのシルヴィス、受付嬢のクレアは同時期に前任者たちと入れ替わりでココ村支部に赴任してきている。
 飯マズ料理人は、それより前からココ村支部で週一で食堂の厨房に入っていた。



「確かに、料理人でありながら、あの飯マズや手際の悪さはおかしいと思ってました」

 あの飯マズ料理人、週にたった一日しかシフトがないのに、ものすごく厨房を汚すのだ。
 鍋やフライパン、まな板なども汚れが落ちきっていないし、翌日いつもの料理人のオヤジさんが洗い直していることをシルヴィスは知っていた。

 一度それとなく注意したことはあるのだが、目に見える汚れならちゃんと洗い落としているのに、なぜ文句を言われるのかわからないという反応をされている。
 鍋やフライパンに残った油分などもきっちり洗い落とさねばならないはずだが、どうも理解していないようだった。

 言われてみれば、調理スキルとプラス持ちでありながら、後片付けもまともにできないのはおかしなことだ。
 衛生的にも問題がある。

 ただ、彼がシフトに入るのは週に一度だけだし、これまで食中毒などの問題も起こしていなかったから、日々の忙しさにかまけて対応をついつい後回しにしてしまっていた。



「その“飯マズ”なんだけどね。調理スキルがないのに調理の仕事してることのペナルティみたいだよ」

 本来、調理の仕事は調理スキルに「プラス」のオプションが付いたものでなければ、できない。
 そういう決まりのある職業スキルなのだ。

「彼が来るのはまた来週です。それまでに、ギルドマスターと対策を練ることにします」
「それがいいね。あの様子だとそう遠くないうちにボロを出してくると思うけどね」

 ちょうど今、ここココ村支部にはルシウスのステータスの詳細鑑定のために、ハイヒューマン用の超高性能な鑑定用魔導具がある。
 本部に返却するのを少し先延ばしして、飯マズ料理人を鑑定し直すべきだろう。

飯マズ料理人のステータス擬装

 食堂に移動して、ルシウスは持っていた蓮茶を、シルヴィスはスッキリするミントティーを入れて、少し飯マズ料理人対策を話し合うことにした。

「ああいうタイプ、僕の故郷にも何人かいたよ。少し煽って突っつけば、勝手に自滅しそうな気もするんだよね」
「私の故郷にもいましたね……どこにも似たような者はいるのでしょう」

 対策とはいえ、要するに相手が何かボロを出すよう仕向ければいいだけだ。
 今のところ、相手はルシウスだけに態度が悪く異常な反応を見せている。
 だから、ルシウスが食堂にいるときはできるだけ、シルヴィスたちギルド側の人間も同じ場所にいるようにして、飯マズ料理人の言動を注視していればいい。

『ココ村支部 雇用者名簿』で例の飯マズ料理人の雇用者情報のページを確認する。
 雇用時に、ギルド側の鑑定用魔導具で、ステータス鑑定した内容を写し取ったものだ。


名前 ケン
所属(出自) ゼクセリア共和国ヒヨリ町 第二商店街◯◯食堂
称号 料理人
スキル 調理スキル初級プラス


「僕の人物鑑定スキルで見たあの男のスキルはこうだよ」

 シルヴィスに許可を貰い、赤ペンで書類の上から訂正を入れていく。


名前 ケン
所属(出自) ミルズ王国 ××× ××××
称号 ××××
スキル ××× ×××× ××× ××××
ペナルティ 飯マズ

特記事項
《飯マズ》調理スキル未保持にも関わらず保持者と偽って調理の仕事をしていることのペナルティ。
就労国の調理師ギルドに自己申告もしくは職場の管理者を通して申告し、反省文の提出と所定の違約金を支払うことで解除可能。


「このバッテン×のところが見えなかった。何か隠蔽スキルか、隠蔽機能のある魔導具を持ってるはず。僕の今の人物鑑定スキルは中級ぐらいみたいだね」
「ステータスの隠蔽看破は上級ランクからでしたか。惜しいですね」

 だがルシウスは自分の体質に適合するスキルを自動的にどんどん覚えてしまうレアスキルの“無欠”持ちだ。
 そのうち、更にランクアップしていくだろうことは間違いない。

 この世界では、鑑定スキルは珍しい貴重スキルのひとつだ。
 上級や、最上級ランクの特級ともなれば各国に一人いるかどうか。その上、初級だからといって数が多いわけでもない。
 学んだからといって習得できるとも限らない難しいスキルだった。

 実際、ここココ村支部にもすべての鑑定スキル持ちが揃っていない。
 通いの売店の定員が物品鑑定スキル、このサブギルマスのシルヴィスも物品鑑定スキルのみを保持している。
 他の魔力鑑定や、人物鑑定に関しては専用の鑑定用魔導具に頼りきりだった。

「どう思う? あの飯マズ男」
「……他国の諜報員の可能性がありますね。ですがミルズ王国の出身者なら、難民の可能性もあるので。あそこは内情が不安定で他国に民が流出しています。隣国のここゼクセリア共和国に流れ着いていたとしても不思議ではない」
「でも、なら何でステータスを偽ってるんだろね?」
「現状だと何を言っても推測にしかなりませんね。……参ったな、ただでさえ人手不足なのに更に問題か」

 シルヴィスがこめかみを軽く指先で押し揉みしている。頭が痛い。


「そういえばさ。シルヴィスさんて、何でおじさんって言われるのイヤなの? そんなの気にするタイプじゃないでしょ」

 今のところ、明日にギルドマスターのカラドンに報告して判断を任せるまで、ルシウスもシルヴィスにもできることがない。
 あとは何となくお茶を飲み終わるまで雑談していた。

 それでふと、それまで気になっていたことを良い機会だからと訊ねてみた。

 シルヴィスは灰色の髪と瞳の、いつも穏やかで落ち着いた男性だが、若手の冒険者たちなどから“おじさん”や“おっさん”呼ばわりされると、有無を言わせない圧のある笑顔で「お兄さんです」と訂正をかけてくるのだ。
 実際、ルシウスもここココ村支部に来た最初の頃に食らっている。

 年齢はまだ32歳。確かに、おじさん呼ばわりされるには少し早いかもしれないけれど。

「ああ、それは……まあくだらない理由なんですけどね」

 過去を思い出すような目で、シルヴィスが苦笑している。



 何でも、故郷で遠縁の少女に告白されたとき、「こんなおじさんじゃなくて、歳の近い子にしておきなさい」と断ったことがあるらしい。
 当時まだ18歳くらいの頃のことで、相手の少女とは8歳ほどの年齢差があった。

「『シルヴィスならおじさんになっても素敵だと思うわ』と言ってくれたのが存外に嬉しかったんですよねえ」

 それで余計な矜持と自分でもわかっているのだが、いつまでも若々しい「お兄さん」でいることに今でもこだわっているとのこと。

「シルヴィスさんはカレイド王国の出身だって聞いたよ。帰ってその女の子と一緒になったりしないの?」
「私が故郷を出奔したのは、王位継承争いに巻き込まれるのが嫌だったからなんだ。その女の子というのが今の女王でね。あのまま国に残っていたら、本当に私と結婚させられてしまっていたから」

 貴族出身とは聞いていたが、王位継承争い云々というならば、故国では相当に身分の高い貴族だったようだ。

「? その女の子に告白されてたんでしょ? 相手からしたら望むところじゃなかったの?」
「彼女には同い年の幼馴染みがいて、本当に好きだったのはその男の子だったんですよ」
「当て馬にされたくなかったんだね……」
「大人しく身を引いてあげたと言ってください」

 カレイド王国もいろいろあったようだ。

「あと、私は魔族の末裔でね。カレイド王国は多種族国家だけど、魔族は魔物の仲間だという迷信で迫害されることがあって。故郷にいたときは神殿に所属してたから安穏と暮らしていられたけど、さすがに女王の伴侶候補にされたら詳しい身上調査が入るから……」
「あはは、僕の“魔人族”も似たような感じ。僕が生まれた頃には迫害が始まってて、ついには勇者とガチンコバトルだよ。偏見ってひどいよね」

 邪悪な存在というわけではないのに、“魔”が付くという理由だけで、勝手に周囲が邪推して迫害してくる。
 この円環大陸の古代の歴史の暗い部分のひとつだ。

 今では魔族も魔人族も、種族の上位種ハイヒューマンたちは世界中から姿を消して、大陸の中央にある神秘の国、永遠の国と呼ばれるところに少数が集まっているとされる。

 永遠の国は小さな小島のような国だが、周囲を湖に囲まれていて人力では簡単に辿り着けない。
 案外、隔絶された場所でハイヒューマンたちは自分たちの身を守っているのかも知れなかった。
 一般には、各種ギルドや神殿、教会の本部がある、真の円環大陸の支配者たちの国として知られているのだが。



「あれ? 今のカレイド王国の女王様って……あ、グレイシア王女様のマブダチだ!」
「そう、幼い頃からアケロニア王国の王女様とよく文通してましたね。マーゴット女王陛下です」

 確か、同い年で次期女王という立場も共通なことから、とても仲が良いと聞いたことがある。

「何年か前、その女王様の即位式に参列するのにプンプンしながらヴァシレウス様と出立して、やっぱりプンプンしながら帰ってきたよ」
「ああ、ならまだ喧嘩続行中かもしれません」

 そう、少し仲違いをしてしまっていて、そのせいでアケロニア王国とカレイド王国は関係が微妙になっている。

「もっと前には、アケロニア王国に短期留学していたこともあるはずです。ルシウス君はお会いしたことは?」
「あるある。ビックリするぐらい綺麗な赤毛のお姉さんだったよね」

 パパにくっついて王宮まで遊びに行ったとき、グレイシア王女様から親友だと言って紹介された覚えがある。

「そう。本当に燃える炎の色のおぐしと、ネオングリーンの瞳で。あの色はカレイド王国の始祖のハイエルフと、中興の祖の勇者が持っていた色なんですよ」

 受け継いだ血、あるいは因子が濃いほど、同じ色を持って生まれる。
 その辺りはルシウスのリースト伯爵家や、それこそアケロニア王族の皆さんも同じだ。



「そのうち、またカレイド王国に帰ったりするの?」
「そうですね……。ここココ村支部を立て直して、その業績が認められれば希望して、カレイド王国の支部に移動できるかもしれません」

 この感じなら、望郷の念はそれなりにあるようだ。

「アケロニア王国の僕んちの領地にも冒険者ギルド、あるよ。気が向いたらこっちにも来てね」
「ええ。アケロニア王国内の支部は人気ですから、機会があれば一度は赴任してみたいと思ってました」
「でしょ?」

 これで本当に何年か後に再会できたら面白そうだ。

 ちょうどお互いお茶も飲み終わったところで、おやすみを言い合って解散することにした。

 飯マズ料理人が厨房に入らなかった日から一週間は、ギルドの面々の調子が良かった。

「あのクソ不味い飯ってさ、ストレスだったんだなー」
「わかる。あの突き抜けるような不毛な味わい。食後はしばらく自我が吹っ飛ぶもんな……」

 などと冒険者の男二人が食堂で駄弁っている早朝。
 いつもの料理人のオヤジさんは朝の7時から出勤なので、美味しい朝食が食べられるまではまだ時間がある。
 仕方ないからと、冒険者たちはまた補充されるようになったワンコインの惣菜パンや菓子パンなどを齧って、オヤジさんが来るまでの時間を潰していた。

「おはようございます! あっパン! 僕も食べる!」

 今日も朝から元気いっぱいのルシウス少年だ。
 壁際の専用コーナーに直行して、分厚めの食パン一枚をチョイスした。
 バターやジャムは不要。
 そのまま食パンを持って厨房へ。

 何だ何だと冒険者たちが付いていくと、まな板の上で食パンの中を四角く切り抜いていた。
 フライパンにオリーブオイル少々を垂らして加熱し、食パンの枠を投入。
 真ん中に四角く空けたところに、卵を一個イン。
 その上から切り抜いた四角部分のパンをそーっと乗せて穴を塞いで、フライパンに蓋をした。
 あとは弱火でじっくりと。
 その後、食パンをフライ返しで引っ繰り返すと、パンにも卵にも良い感じの焼き色がついている。
 裏面も同じように焼いたらお皿に移して、ほそーくマヨネーズを格子状にかけて、お塩少々ぱらり、黒胡椒をミルでガリゴリ削って出来上がり。

「美味しそうにできました!」

 満足げにルシウスが頷いている。
 窓開きトースト(ウインドウトースト)
 つまりトーストの中で目玉焼きを焼いたやつだ。

「美味そおおお! ルシウス、俺も、俺たちもそれ食いたい! 作ってくれ!」
「いいけど、もうそろそろオヤジさん来ると思うよ?」
「「今はそれが食いたい!」」
「そっか〜」

 幸いフライパンは大きめのものがあるので、一気に複数枚を焼ける。
 男たちに新しい食パンを持ってきてもらって、一人一枚ずつ同じ手順でウインドウトーストを作っていった。

 男たちの分は、大人だからちょっとだけ黒胡椒を多めに。

 数分後、それぞれウインドウトーストの載ったお皿を持ってテーブルへと移動した。



「うま……朝からいいもん食えたわ……」
「さくふわとろお……幸せがこの一枚に詰まってら……」

 オリーブオイルで焼いたパンの耳の部分がさくっ。
 フライパンで焼いたパンの中はふわっ。
 窓の部分の目玉焼きの黄身は絶妙な半熟。
 マヨネーズと塩胡椒が、とろっとした黄身と絡んでとても美味しい。

 ルシウスが飯ウマオプション持ちの調理スキル保持者とは聞いていたが、まさかこんな単純な料理がここまで美味いとは。

「食パンと卵とマヨネーズ塩胡椒だけじゃん……これが……飯ウマの力……」
「オリーブオイルで焼くのがコツなんだよ。バター使うと焦げちゃうからね」

 男たちは正直ルシウスを舐めていた。ごめんなさい。



「これ、僕の父様の得意料理なんだよ。独身のとき、騎士団の寮で作ってよく食べてたんだって」

 簡単だし、厚切りの食パンで作れば腹に溜まるから一枚でも満足感がある。
 材料もシンプルで安い。
 使うのは包丁やナイフ、フライパンだけ。
 数分で作れる。
 朝食には最適の簡単メニューだ。

「こんなん、ささっと作れちまうのか、ルシウスのパパさん」
「意識高い系過ぎだろ……」
「話聞いてるだけでモテ男のオーラ漂ってくるな……」

 そのモテオーラにあやかろう、と男たちが神妙そうな顔つきでウインドウトーストに囓りついている。
 そしてすぐに、顔面の筋肉がゆるゆるに蕩けて笑顔になる。

「父様が結婚してハネムーン先で、母様に最初に作ってあげた料理でもあるんだって」
「くっ。追加エピソードまでモテ男のできる男エピソードか!」
「惚れるわ……新婚早々に朝これを作ってくれる旦那とか惚れ直すしかない……」
「フフフ」

 おうちでは、たまにパパのメガエリスがこれを作ってくれるたび、ルシウスもお兄ちゃんのカイルもパパが大好きになったものだ。
 元から好きだけどもっと大好き。

 感謝の言葉とともに大好きと伝えると、食卓でパパの青銀のお髭のお顔が、半熟の黄身よりゆるんゆるんに蕩けて、目元をピンクに染めていたものである。

 ルシウスのおうちは伯爵の位を持つ貴族の家だから当然料理人がいるわけで、パパが料理することは名物料理のサーモンパイを客人に饗するとき以外は滅多にない。
 レアだからこそ、たまに作ってくれるこういうシンプルな料理に特別感があってルシウスは好きだった。

「この上にスモークサーモンとかのっけても美味しいよ」
「更に幸福の上乗せきた!」

「もちろん、カリカリに焼いたベーコンなんかも」
「「間違いないやつ!」」



 食後はありがとうの言葉とともに、男たちがルシウスにミルクたっぷりのカフェオレを入れてくれた。

 さあ、今日はどんなお魚さんモンスターがやってくるものやら。


 飯マズ料理人を調査するといっても、現状だと隠密行動が取れるスキル持ちはサブギルマスのシルヴィスしかいない。
 本当に他国の諜報員や工作員だったら大問題だ。

 ギルドマスターのカラドンに報告し話し合った結果、飯マズ料理人を雇用した前任者たちにも確認を取り合うなど、通常業務そっちのけで取り掛かることになった。

 まず行ったのは、最寄りの内陸の町、ヒヨリ町に出て、履歴書やステータス鑑定書通りの食堂勤めしているかの調査だ。
 結果、該当する人物は就業していない。就業していた過去もない。

 また、ギルド周辺を地道に調査してみると、シフト日以外にも、あの飯マズ料理人はココ村海岸の周辺で姿が時折目撃されていた。
 そのときギルド職員や冒険者たちと交流することはなく、地元民に混ざって別の仕事をしている様子もなかったという。

 いよいよキナ臭くなってきた。

 そして相変わらず、週一シフトの男の料理は飯マズで、食堂の利用者たちを撃沈させている。

 気づけばもう8月に入っていた。
 ルシウスが6月にココ村支部にやってきてから二ヶ月弱だ。



「ケンはなあ……。あいつは週一しかココ村支部の厨房に入らないし、ギルド職員や冒険者たちとも交流しないからよ。これまで怪しいなんて思ったことなかったよな」

 髭面ギルマスのカラドンが、3階の執務室でご自慢の髭をいじりつつ呟いた。
 集まったのはサブギルマスのシルヴィス、受付嬢のクレア、そして数少ない常駐組の魔法剣士のルシウスと女魔法使いのハスミンだ。

「作る料理が不味いっていう苦情はありましたけども。でも調理スキル持ちの中にも飯マズの人はいるものですし、やっぱり週一ですからねえ」

 とは受付嬢のクレア。

「他国の工作員だったとしたら、ここココ村海岸のお魚さんモンスターの急激な大発生を引き起こした元凶の可能性もあるってこと?」
「現段階ではそこまで判断できねえな」

 そう、決定的な証拠がまだない。

「特にここ二ヶ月ほどは、お魚さんモンスターの数も減ってますしね」

 シルヴィスの指摘に、一同の視線がルシウスに向く。
 このお子さんの持つ聖なる魔力の影響があると見た。



「サイズも少しずつ小型化……したと思ったらまた大きくなってきちゃってるけど」

 今日も午前中、ココ村海岸の砂浜に大挙してきたお魚さんモンスター。
 今回は主に(ファイア)シュリンプだった。
 火の魔法を使う海老さんの魔物で、ルアーロブスターと同じように巨大で、たくさんの人間の脚が生えてて素早いやつだった。

 ポイズンオイスターと同じで、たくさんの普通の海老が集合合体して巨大化していたモンスターだったので、倒した後は食用の海老を大量ゲットである。
 今頃は厨房でいつもの料理人のオヤジさんが昼食用や夕食用の下拵えをしてくれているはずだ。



「悪いが、ケンが尻尾出すまでは臨時料理人は続行させる。皆、フォロー頼むぜ」

「「「「了解です」」」」

 飯マズに対応するため、日持ちする携帯食や袋入りの市販のパンや菓子類も仕入れる数を増やしている。
 飯マズ料理人に見つからない程度に、ルシウスも調理した料理を魔法樹脂に入れて、こっそり別の部屋にストックしておくようにした。

 他の冒険者たちや職員にはまだ隠している。
 いつもの料理人のオヤジさんにも内緒だが、彼の場合は元が気遣いの人なので何かしら微妙な空気を察知している様子を見せていた。



 さて最近、ココ村支部や周辺で、他に変化があったものといえば。

 ルシウスがココ村海岸の砂浜で作っていた砂のオブジェが次々と崩れて消滅していた。
 確かに時間経過で少しずつ崩れるように魔法樹脂で緩く固めているだけのものだったのだが、あまりにも早すぎる。

「やああ……僕のお魚さんとお城があ……っ」

 ぐしぐしっと泣きながら、ルシウスがまた新たに砂でオブジェを作っている。

 早朝、まだ日差しが柔らかく比較的涼しい時刻のこと。
 早起きして食堂でお茶を飲もうとしたら、ばったり女魔法使いのハスミンと出くわした。

 さすがにまだ誰もいない早朝で、ハスミンもいつもの真っ黒な先折れ帽子や長いローブ姿ではなかった。
 両肩を出した涼しそうな白いワンピース姿で、いつも巻き毛をポニーテールにしている純金色の髪は緩く三つ編みにして胸元に垂らしている。

 そのまま彼女に誘われて海岸に朝のお散歩に出て、無残なオブジェの跡を見つけてしまったのだ。



「ルシウスくーん。あたし、魔導写真機持ってるのよーん。写真撮っておうちに送ってあげるから、立派なの、また作って見せてよ」
「ほんと!? ハスミンさん!」
「ほんとほんと♪」

 ハスミンの白いワンピースの腰の辺りに、例の新世代魔力使い特有の光の円環、(リンク)が浮かんでいる。
 可憐なお人形さんのような容姿の彼女が朝陽の照らす中、光の円環の中にいる姿は、まるで天の御使いかと見紛うような光景だ。

 ボーっとルシウスが砂地にしゃがみ込んでその綺麗な光景に見惚れていると、ハスミンは(リンク)に指先をそっと差し入れて、中からカードサイズの薄い板を取り出した。
 中央に魔石のレンズが嵌まっているそれが、魔導写真機という、実物そのままに絵姿を写し取るための魔導具である。

 この魔導具については、リースト伯爵家という魔法の大家のおうち出身のルシウスも知っていた。
 パパにおねだりしたら、「お前に渡すとすぐ壊しそうだからパパが買ってパパが管理します!」と言われてしまったやつだ。
 かなりお高くて、大金貨(一枚約20万円)数枚分する。



 というわけで、ルシウスは涙を拭って発奮した。
 散歩に出ていた早朝のうちに、まず2体を一気に作り上げた。

 一匹目はデビルズサーモン、二匹目は吸血オクトパスだ。
 作り上げたものはハスミンの勧めで、魔法樹脂でガチッと固めて容易には崩れないようにした。
 そしてそのまま、砂のお魚さんモンスターと記念撮影だ。

「はーい、ルシウス君笑ってー。こっちに大好きなお兄ちゃんとお父様がいると思ってー」

 そんな掛け声の結果、それはもう大変素晴らしい笑顔の写真が撮れた。
 魔導写真機で撮影した映像は、専用の表面がつるっとした光沢紙に記録映像を魔力で焼き付けることで、写真という実物そのままの絵が出力できる。



 二匹目を作り終えた時点で朝食の時間になったのでギルドの建物に戻った。

 モーニングはいつもの定番ワカメスープと、海老のサラダ、メインは各自好きなものを焼いたり煮付けにしたり自由にオーダーできる。
 ルシウスは安定のデビルズサーモンをソテーしてもらって、ハーブのディル多めのオランデーズソースを。
 オヤジさんには大きめの切り身でお願いして、パンやご飯は断った。
 昼間、炭水化物を摂りすぎると午後眠くなることがあるので。
 今日はオブジェ作りに気合いを入れたいのだ。



 そして午後までお勉強をして、途中襲来してきたお魚さんモンスターを討伐。
 夕方また陽が落ちてきて昼間より気温が下がった頃を見計らい、砂浜に出て三匹目を作った。

 その三匹目は今日倒した……というより自重で勝手に自滅したマンボウを作った。

 マンボウにも脚は生えていたのだが、本体の魚自体が紙防御だったので、襲ってきたところをサッと横に避けたら、勝手に転んで勝手にお陀仏になってしまった。
 そして勝手に魔石に変わってしまった。

 謹んで『お魚さんモンスター最弱』の称号を進呈した。それがマンボウというお魚さんであった。

 張り切ったルシウスが作り直した砂のオブジェは三体分。
 どれも実物大で。
 そろそろ陽が暮れるという頃になって完成した三体目を前に記念撮影をパシャリ。

「フフフ。随分と格好良く作ったものねえ。これ、ココ村海岸の名物にしましょうよ。ルシウス君、魔法樹脂でしっかり固めて崩れないようにしてね」
「いいのかな? 邪魔にならない?」
「平気よう。砂の下の岩盤までずーっと固定して、満ち潮でも流されないようにしてね?」

 それとなーくハスミンはルシウスを誘導して、バッチリ砂のお魚さんオブジェを固めさせたのだった。

 計画通り!


 ここしばらく、襲来するお魚さんモンスターの中には、(ファイア)シュリンプが混ざっていることが多かった。

 ポイズンオイスターと同じで、通常サイズの海老が何らかの魔力が原因で集合合体して魔物化したものだ。
 火の魔法を放つ魔物で、それなりに強い。
 倒した後、魔石に変えなければ本来の小型の海老に戻る。大量の。



 というわけで、(ファイア)シュリンプがやってきた日は海老祭りである。

 お酒を飲む大人たちはビールやワイン片手に、料理人のオヤジさんが茹でて尻尾以外の殻を剥いてくれたカクテルシュリンプを肴にしていた。
 たくさん添えられたレモンをキュッと絞って、そのままでも、塩やお好みのソースなどでも、それぞれ自由にいただく。

「坊主、チリソースで腹壊しちまったんだって? 連中が食ってるシュリンプカクテルのソースもチリソースだから気をつけてな」

 とオヤジさんが別添えでルシウス用に手作りマヨネーズとケチャップ、ワインビネガーを混ぜたシンプルなカクテルソースを渡してくれた。
 使っているマヨネーズは卵黄だけで作った濃厚なやつだ。野菜スティックに絡めてもいける。

 他にはコンソメスープで海老のゼリー寄せ、シュリンプケーキなど。
 シュリンプケーキはフィッシュケーキの一種で、玉ねぎなどの野菜のみじん切りと、これも細かく刻んだ海老の剥き身を混ぜてフライパンで焼き上げた、いわばハンバーグのシーフード版のような料理である。
 卵を繋ぎに使うこともあるが、オヤジさんは卵抜きで海老の身の粘りを上手く利用したものを作ってくれる。
 海老たくさんで美味しいのだ。
 これはそのままでも、あるいは塩だけでシンプルに食べてもいいし、焼きたて熱々のところにケチャップで食べると本当に絶品である。



 そしてオヤジさん渾身の海老ピラフきた。

「……茹で卵がのってる?」

 丸皿に盛られた海老ピラフは、玉ねぎやニンジンのみじん切り、パプリカなどと一緒に米を炒めて炊き上げた本格派だ。
 くるっと加熱されて丸まった海老が可愛くあちこちで自己主張している。
 仕上げの生パセリのみじん切りの緑が鮮やかだ。

 そのピラフの上、ど真ん中にどーんと茹で卵が一個、殻を剥かれたものがそのまま乗っていた。

「目玉焼きやオムレツにしてもいいんだけど、たまには違うものもいいかと思ってさ」
「そうなの?」

 まずは海老をのっけてピラフを一口。
 バターのきいた、海鮮だしで炊き上げたお米は、もうそれだけで美味しい。
 頬っぺたが落ちそう。実際には頬が薔薇色に紅潮しただけだったけれども。

 次にナイフとフォークで茹で卵を切り分けようとしたら、中からとろお〜と半熟の黄身が溢れてきた。

「あれ?」
「それそれ、半熟の黄身と一緒にピラフを食ってみな?」

 すぐスプーンに持ち換えて、オヤジさんに言われるままに茹で卵の半熟の黄身をピラフに絡めて口に運んだ。

「!!?」

 茹で卵はただの茹で卵じゃなかった。
 オヤジさんが良く使う、醤油、みりんなどの調味液に漬け込まれた味付け卵だった。
 それが中の半熟の黄身まで染み染み。
 別々に食べても美味しいものなのに、炊き立てのピラフとあえて合わせるこのセンス。

 だばー、とルシウスの大きな湖面の水色の瞳から滝のような涙が溢れていく。

「おいしいものをたべるとひとはなける」

 それだけ言って語彙を消失したルシウスと、先にピラフを食べ始めていた面々と泣きながら米粒ひとつ残さず海老ピラフを食べきった。



「お代わりお願いします! あとこのピラフと味の付いた茹で卵、おうちに送りたいのでたくさん注文したいです!」

 美味に泣かされた目元を拭い、キリッと顔を引き締めてルシウスはオヤジさんと対峙した。

「こんなに美味しいもの、兄さんたちにも食べてもらわなきゃ!」

 これは絶対、大事な人たちに食べさせてあげたいやつだ。

 ついでだから、王族の皆さんにも送ろう。
 あの人たちは王族だけあって美味に慣れているが、それは伯爵令息のルシウスだって同じだ。
 そのルシウスが感動したのだから、彼らだって喜んでくれるはず!

「たくさんって、どのくらいだい?」
「おうちと王宮への献上用に、ピラフは炊飯器一台分ずつ。味付き卵はうーんと……100個ずつくらい?」
「茹で卵の殻剥きを手伝ってくれるなら引き受けるよ。数が多いと大変なんだ」
「喜んでー!」



 そんなわけで、次にルシウスの故郷アケロニア王国から飛竜便が来るスケジュールに合わせて、大量の海老ピラフと味付け卵を作ることになるのである。

 魔導具の炊飯器は一台で最大、米を五キロまで炊ける。それを二台分。
 炊き上がったピラフはルシウスが魔法樹脂で作った容器に五人前ぐらいずつ分けて封入した。
 分けておけば、少しずつ現地で解凍もとい解術して食べてくれるはず。

 そして卵はといえば。
 他の皆も味付け卵をもっと食べたいと言い出したので、ざっと300個ほど茹で卵を剥き剥きすることになった。

 中身が半熟の茹で卵を大量に茹でて、さあ殻剥きだ。

「坊主なら俺より上手くできるんじゃないか? ほら、卵本体と殻と、薄皮の間に魔力を通して……」

 オヤジさんが見本を見せてくれる。
 すると、衣服を脱ぐように茹で卵からするするっと殻が剥けていく。

「わあ、たのしい!」
「ふつうは新鮮な卵だと、殻が引っ付いて剥きにくいんだけどね。この手法が開発されてからは随分楽になったよ」

 なお、この殻剥き技術が使えるのは、魔力持ちの料理人限定である。

 剥いた茹で卵は、醤油やみりんを合わせた調味液に漬け込んで冷蔵庫へ。
 何分大量なので持ち運ぶのも大変だ。
 あとは半日寝かせて味を染み込ませれば良い。



 そして本命の海老ピラフ。

 こちらも、料理自体はとてもシンプルだ。

 玉ねぎやニンジン、パプリカなどをみじん切りにして先に油で炒めておく。
 火が通って玉ねぎが透き通ってきたら、バターを足して米を炒め、全体を馴染ませたら炊飯器へ。
 殻を剥いて下処理した海老、冷ましておいた海老の殻や香味野菜の端切れでだしを取ったスープ、塩と胡椒少々を加えて魔導具の炊飯器のスイッチオン。



 炊き上がるまでの間に、ルシウスは厨房でせっせと出来上がった料理を封入するための魔法樹脂の容器を作っていた。

 味付け卵用には長方形のバット型の容器を20個ぐらいずつ調味液ごと入るサイズで。

 ピラフ用には、五人前ずつ詰められる、これも深い長方形のバット型で。解凍した後はそのまま食卓に置いて取り分けられるように。

 料理を入れたら蓋をする代わりに、そのまま容器を個別に魔法樹脂でブロックに封入して、あとは積み重ねて飛竜便のコンテナに詰めていけば良い。
 重量が重くなり過ぎないよう、できるだけ魔法樹脂のブロック部分の体積を減らして成形するのがコツだ。

「皆、喜んでくれるといいなあ」

 今から、家族たちのお返事が楽しみなルシウスだ。
 もちろん、今日はこの後、自分もお手紙をたっぷり書き連ねるつもりでいる。

 そんなニコニコしながら準備しているルシウスを、料理人のオヤジさんは横目に見て微笑みながら調理を進めていくのだった。

「妊娠舐めてた。こんなに辛いとは」

 真夏の8月の夏バテに加え、妊娠初期のつわりで、アケロニア王国のグレイシア王女様は執務室で机に突っ伏して、ぐったりしていた。
 もう仕事どころではない。

 ちょうど、妊娠して3ヶ月弱。医師からは来月辺りからつわりも落ち着いてくると言われていたものの、今が辛い。
 イライラと頭痛、あとは吐き気とそれに伴う食欲不振。
 ここ数日は果汁を薄めたジュースを飲むのがやっとだった。

 こういうときに限って、伴侶が外交で留守にしていて頼れない。
 グレイシアが学生時代に自分が選んだ夫クロレオとは、学園を卒業してすぐ結婚していたが、なかなか子供ができなかった。

 グレイシア王女は今年24歳になる。
 そろそろ本気で子作りしなきゃなあと考えていたが、まさか夫が留守のこの時期に妊娠が判明するとは思わなかった。

 速攻で夫に連絡を入れると、慌ててすぐ帰国すると返事が返ってきたが、外交を優先させろと命じて、経過連絡だけ定期的に行なっている。



「グレイシア様、夏バテと伺いましたがお加減如何ですかな?」
「あとつわりな。もう無理、何も食えん」

 執務室に現れたのはリースト伯爵メガエリスだ。
 麗しの髭イケジジは、見た目だけならその青銀の髪や白い肌、ネイビーのライン入りの白い夏用の軍服などと相まって、とても涼しげな存在だ。

「おやまあ。ではお腹の御子は優れた資質を持ってお生まれになられますな」
「? そういうものなのか?」
「この国の統計上、母親の妊娠中、つわりが酷かった子供はステータスが高くなる傾向にあるそうで。我が息子カイルもそうでしたし、もう少ししたら嫁のブリジットもつわりで苦しむやもしれませぬ」

 リースト伯爵家は特に魔力値の高い血筋の家として知られている。
 アケロニア王家も、平均値以上になるステータスがいくつかある。

 母体と胎児、双方の魔力値などステータス値に差があるとき、母親につわりが出やすいと言われていた。
 そして、そうした子供は両親より何かしら上回るステータスを持つことが多い。



「妊娠中の過ごし方が、御子の気質を決めるそうですな。お心穏やかにお過ごしになられますよう」

 というわけで、メガエリスは小脇に抱えていた包みをグレイシア王女の机の上に置いた。

 ぺらっと風呂敷包みを開いてみると。
 出たきたのは、魔法樹脂の中に封入されていた海老入りのピラフと、調味液に漬け込まれた茹で卵だった。

「ん? 何だこれは、……ライス……と卵か?」
「冒険者ギルドのココ村支部に派遣中のルシウスから、『もう最高オブ最高の絶品料理です!』との手紙とともに届きまして。王家にも献上しに参ったところ、ヴァシレウス様がグレイシア様にも分けてやれと仰せで」
「あーそうか、もう昼か……」

 今日は朝から吐き気と目眩で、朝食の席にも顔を出していなかった。
 昼も、身体が怠くて食堂まで移動する気力がない。

 室内の執事を見ると、心得たように続きの間のほうに食器など食事の準備を侍女に用意させていた。

「うーん……食えなかったら申し訳ないのだが」
「ははは、まあ物は試しです、試し!」



 結果からいえば、グレイシア王女様は海老ピラフも味付け卵もモリモリ食した。

「ああ、グレイシア様、そんな一気に掻っ込んでしまわれては」
「食える。普通に食える、ていうか美味いなこれ!?」

 一人前をぺろりと平らげ、海老ピラフ2人前と味付け卵3個を食べ終えた時点で、執事からストップが入り、残念そうにスプーンを置いた。
 残りのまだ手を付けていなかった分は、メガエリスが再び魔法樹脂に封入し直した。
 これで出来立ての風味も保存ばっちりである。



「ああ、食った食った。助かったぞ、メガエリス。危うく妊婦用ポーションだけで食い繋がねばならぬところだった」
「息子の料理、なかなかのものでしょう?」
「うむ。褒めてつかわす! ……何か褒美にわたくしからも送ってやるか、ココ村支部へ」

 お小遣いは自分で冒険者活動で大金を稼いでいるようだし、お気に入りの菓子店から冷菓の詰め合わせでも送ろうと思う。


 それからも、ココ村の冒険者ギルドのルシウスからはたびたび、お魚さんモンスターや、現地の飯ウマ料理人の作ったという料理が届いた。

 中にはルシウス自ら作った料理が入っていることもある。

 それらはすべて、ルシウスの実家のリースト伯爵家に送られてくるのだが、父親のメガエリスは息子自慢を兼ねて必ず半分、王家に献上しに来るのだ。



「父上、お祖父様。ルシウスが送ってきたものを食すと具合が良くなります。これはやはり……」

 午後、タイミングが合って父親や祖父とお茶を一緒にできたとき、グレイシアは念のため彼らに確認しておくことにした。

 料理の封入された魔法樹脂のブロックをひとつ用意して、ドーンとテーブルの上に置いて指先で透明な樹脂の表面を突っついた。
 すると、ほわん、とネオンブルーの魔力が立ち昇る。ルシウスの持つ魔力の色だ。

 うむ、と先王のヴァシレウスが頷いた。

「聖なる魔力の効果だろうな。私もだいぶ不調が改善されてきた。テオドロス、お前は?」
「若い頃に作った古傷の痛みが、いつの間にか消えてましたね。そういえば父上、おぐしや髭の白髪が減りましたねえ」

 そんなことを、現国王の息子テオドロスと話していた。

 アケロニア王族は皆、黒髪黒目が特徴だが、今年79歳のヴァシレウスは髪や髭の三分の一ほどは白髪になって色が抜けていた。
 数年前に大病して以来、一気に増えていたのだが、言われてみればその白髪の量が最近になって劇的に減っている。



「剣聖なら、聖なる魔力の行使は剣を振るうときだけですよね。ルシウスは扱う魔法や行動のすべてに聖なる魔力が絡む」
「明らかに、ココ村の冒険者ギルドに行く前と後とでは、魔力の質にも大きな違いがある。“英雄カラドン”の指導の賜物か?」
「あるいは、大量の魔物を討伐してスキルアップしたかですね」
「両方かな」

 そう、ココ村支部のギルドマスターのカラドンは、SSランク冒険者の大剣の剣士で、英雄の称号持ち。
 逸話に事欠かない豪快な上位冒険者のひとりである。

 だが、そろそろ現役を引退して後進を育てたいと言い出した彼のために冒険者ギルドの本部が用意したのが、環境が良く、出没モンスターの数も少ないココ村海岸の支部長の椅子だった。

 ところが実際、彼が自分のパーティーメンバーの一部を連れてココ村支部に赴任してみれば、そこはとんでもない過疎ギルド。
 その上、それまでいないはずだった、見たこともない巨大な脚の生えたお魚さんモンスターの襲来。

 それでも赴任から半年は数少ないスタッフとともにお魚さんモンスターに対応していたのだが、慣れない新米ギルドマスター業と並行しての魔物退治はやはり相当に厳しかったらしい。

 もう支部壊滅寸前です、ヘルプ! と片っ端から知り合いに救援要請を出した先のひとつが、ここアケロニア王国の王家だった。

 冒険者ギルド、ココ村支部のギルドマスター、カラドンからの救援要請について。

「王女でさえなければ、わたくしが行きたかったですね。カラドン殿がいなければ、わたくしは産まれてなかったかもですし」
「それを言うなら、国王でさえなければ、私が行きたかったというやつだ。カラドン君は亡き妃とお前の命の恩人だからなあ」

 グレイシア王女様とテオドロス国王様、二人がしみじみ頷き合っている。

 高ランク冒険者のカラドンは、二十数年前はアケロニア王国内の冒険者ギルドを拠点にして、ダンジョン探索を請け負っていた時期がある。

 その頃、ちょうど旅行中だった当時まだ王太子だった現国王のテオドロスと妃が、別荘地に出没した魔物に襲われかける事件が起こった。

 そのとき、負傷してしまった護衛騎士たちに代わってテオドロスたちを助けてくれた冒険者の一人が、まだ若かった頃のカラドンなのである。

 王都に帰還して少し経つと、妃の懐妊が判明した。そう、旅行中の懐妊だ。
 あのときカラドンがいなかったら、アケロニア王家は未来の王妃と、王女を失っていたかもしれない。

 この恩はいつか必ず返す、と思って二十数年。
 この間にテオドロスの正妃は亡くなってしまったが、恩を忘れることはなかった。

 そのカラドン本人からの救援要請に何としてでも応えたいと強く思ってはいても、間の悪いことに敵性国家タイアド王国との戦争間近の大トラブル発生時期と重なってしまった。



 そのタイアド王国との戦争は回避できたものの、いくつか問題が残っている。

 アケロニア王国は魔法と魔術の大国と呼ばれているが、実のところ円環大陸全体においては、魔力使いの数は年々減少傾向にあり、アケロニア王国も例外ではなかった。

 それでもまだまだ、優秀な魔法使いや魔術師を擁しているからこそ、下手に他国へ出したくないというジレンマがある。

 他国が、一介の冒険者ギルドに支援しても良いものか? の問題もあった。
 カラドンのいるココ村支部のゼクセリア共和国は民主主義国家だからうるさく言わないと信じたいところだが、これが相手先の国が王政国家なら内政干渉を疑われて現地入りするのも一苦労だったはずだ。

 そういった種々の問題をどうクリアすべきか、と王族三人が頭を悩ませているところに華麗に登場したのが、大好きなお兄ちゃんの新婚旅行について行けずに不貞腐れていた、リースト伯爵家の次男、魔法剣士のルシウスであった。

 王族の彼らがルシウスの派遣を決めた理由は、まずタイミングが良かったから。
 鴨がリーキ(ネギ)を背負ってやってきたかの如く。



 それに、近頃はリースト伯爵家の兄弟仲が微妙で、特に兄のカイルのほうが弟ルシウスの存在のプレッシャーに押し潰されそうになっていたことを、皆が心配していた。

 ココ村支部のあるゼクセリア共和国は馬車で一週間以上かかる遠方の国だ。
 一時的にふたりを離して、少しカイルを落ち着かせる必要があった。

 ちょうど本人は結婚したところだし、嫁と熱々の新婚期間を過ごさせてやろうという配慮もあった。



 あとは、ルシウス本人が人類の古代種(ハイヒューマン)で、日頃から元気を有り余らせていて発散させる場所がほとんどないことが挙げられる。

 ルシウス自身は別に乱暴者ではないし、主に亡き母親の躾の甲斐あって、アケロニアの男子らしい立派な少年に育っている。

 それでも、国内環境では全力で力を振るえる環境がなく、学園での授業にも身が入らずサボり気味との報告が上がっていた。

 それを考えると、今こうしてココ村支部で毎日お魚さんモンスターを倒しまくる日々は、適度に魔力を発散できて都合が良い。



「カラドン殿からの報告書を見る限り、まあまあ上手くやってるようじゃないか」
「本人、ココ村支部での生活が楽しくて、最近ではホームシックも起こすことがないようです」

 リースト伯爵家には、飛竜便を貸し出している。
 一日と空けず手紙や物資のやり取りが可能なので、案外寂しさを感じずに済んでいるというところか。

「あとはココ村支部周辺の異常を解明できれば言うことなし、か」

 そう、人間の脚が生えた大量のお魚さんモンスター出没の件だ。

「そういう解析は、ルシウスには荷が重いですよねえ」

 国王のテオドロスも苦笑している。
 ルシウスは確かに、あの年で完成された魔法剣士だが、研究者や分析家ではない。まだ学生で知識や経験も足りなかった。

「やはり、追加の人員を派遣せねばならぬでしょう」

 かといって、誰を送り込めば良いものやら。

 アケロニア王国の貴族や優秀な平民はすべて国の軍属だし、それ以外となると国内で活動している冒険者に依頼を出すことになる。

 そう考えると、まだ学生で家以外に属さないルシウスの存在は実に都合が良かった。



 まだしばらく、王族の皆さんが頭を悩ませる状態は続きそうである。