「いやいや。カイルのあの繊細さはお前ではないだろ、細君似だろう」
「私にはもったいない、よくできた妻でしたが。まあ確かに神経質なところがありました」

 リースト伯爵メガエリスは、貴族社会ではありえないくらいの晩婚だった男だ。
 四十代に入っても独身のままで、浮いた話ひとつなかった。

 ヴァシレウスが王都の高級娼館に誘っても、護衛としてなら付いてくるが、ヴァシレウスや側近たちが馴染みの娼婦と楽しんでいる間ずっと別室で独り本を読んで時間を潰していたような男である。
 もちろん、娼婦など側にも寄らせない。給仕すら断っていた様子は徹底していた。

 そんなメガエリスは、伯爵家の後継者は一族の子供を引き取ろうと考えていたのだが、王族の護衛で訪れた地方の孤児院併設の修道院で運命に出逢った。

 当時メガエリスは四十数歳、妻となった没落貴族の娘だったスノーフレークは二十代半ば。
 実家の没落で厭世的になっていたスノーフレークのもとに通い続け、一年以上かけてようやく口説き落として還俗させ結婚まで漕ぎ着けた。

 その数年後に長男カイルを儲け、それから七年後にルシウスが魔法樹脂の中から解凍され飛び出してきてからはメガエリスとの次男として届出を出し、夫婦揃ってリースト伯爵家を盛り立ててきた。

 そこから更に数年後、ルシウスに物心がつくかつかないかの頃に、風邪を拗らせて三十代後半で亡くなっている。
 結婚期間は僅か十数年。
 以降、再婚の話が山ほど来たが、すべて丁重に断りを入れている。

「お前にその似合わない髭を生やさせたのは夫人だったな」
「仕方ないのです。似合わない髭でも生やせば、周囲から粉かけられることもなくなるだろうと言われたら、やるしかありませぬ」

 魔力の多い者だと、その魔力の操作で髪の毛や髭、ムダ毛の生え方をある程度コントロールできる。
 リースト伯爵家の者は麗しい容貌の持ち主が多く、素顔が最も美しいため髭を生やす男はそれまでほとんどいなかったから、「モテないように髭を生やして」と言われてメガエリスも驚いた。
 だが受け入れた。愛する妻のためだもの。

 メガエリスも、思春期からずっと生やさぬようにしていた髭を少しずつ生やしては整えて、現在のようなもみあげから頬や口元を覆う、ふわふわの青銀の髭に育て上げてきていた。
 今では息子ルシウスのお気に入りのふわふわ具合に仕上がっている。



「『女なんか気持ち悪い、男なんて論外、結婚とか人生の墓場よく行くわ』と鼻で笑ってた独身貴族のお前が、まさか四十過ぎて結婚相手を見つけてきたときは、さすがの私も驚いたものだ」
「いやーははは! 我ながら痛い発言してましたな、黒歴史ってやつですな!」

 少年時代からモテにモテた麗しのリースト伯爵家のメガエリス君は、女嫌いの男嫌い、要するに人嫌いの偏屈者だった。
 仕える王だった在位中のヴァシレウスや、その後即位したテオドロス、そしてグレイシア王女などは王族だから渋々付き合ってたという感じだった。

 それが唯一の伴侶を見つけた途端に、あっという間に家族大好き愛妻家パパになって、人当たりの良い愉快な男になったのだから、人間が変わるときは本当に一瞬なのだ。

「カイルも妻を得たのだ。良い方向へ変わっていけばよいな」

 旧友の息子の先行きが幸運なものであることを、ヴァシレウスは心から願っていた。



 余談だが、ヴァシレウスはメガエリスが成人した後に冗談で、当時麗しの美青年だった彼を閨に誘ったことがある。
 アケロニア王国は本人同士の同意があれば同性カップルの恋愛も結婚も可能な国なのだ。


『翌日から我がリースト伯爵家の忠誠が王家から離れても良ければ侍りますけど?』


 その湖面の水色の瞳で無表情に言われて撃沈した。
 冗談だったと慌てて弁明したが、それからしばらく二人の仲は微妙だった。

 後から話を聞いた、メガエリスがお気に入りの王妃や側妃たちにも、怒られたり呆れられたりで散々な目に遭ったのだった。