ルシウスの故郷、アケロニア王国の主だった貴族家には、家ごとに領地の名産品を使った名物料理がある。
 普段の食事は料理人が担当する貴族でも、この名物料理だけは当主とその夫人が手作りする家が多かった。

 貴族たちの元締めともいえる王家には、ドラゴン肉をローストビーフのように仕上げたローストドラゴンが伝わっている。
 ガーリックをきかせた秘伝のソースでいただく。
 これはグレイシア王女様の好物だ。
 ただし、ドラゴンはめちゃ強で、並の騎士や冒険者では歯が立たない。
 滅多に手に入らない希少食材なのが難だった。

「我がリースト伯爵家は、領地で獲れる鮭を使ったサーモンパイが名物なのだよ。ブリジット、お前も将来のリースト伯爵夫人として作れるようになっておくれ」
「はいっ、お義父様!」

「それはいいんだけどさ……まだ夜明けの鶏も鳴いてない時刻から何で調理……?」

 リースト伯爵家、王都本邸の厨房で早朝からリースト伯爵メガエリス、その息子カイルとお嫁さんブリジットが集合していた。
 全員、エプロン装備はバッチリだ。
 カイルだけが眠そうに欠伸していて、父親メガエリスと同じ青銀の髪の端っこが寝癖で跳ねている。
 あとでこっそり直して差し上げなければ、と侍女たちが目ざとくチェックを入れている。

「ルシウスが意地悪されてお腹を空かせてると思ったら、寝てなどいられなかったのだ!」
「そうですかー。オレはグッスリ寝てましたよー」

 お嫁さんと。ひとつの寝台で。

「朝イチで送れば飛竜便なら明日には届く。焼くぞ! パイを! サーモンパイだ!」
「飛竜便て。あの送料バカ高いやつ……?」

 それ確か軍用じゃなかったっけ?

 と寝ぼけた頭でカイルはパイ生地に練り込むバターをカットしていった。大量に。
 隣ではメガエリスがボウルで小麦粉に冷水を入れて、スケッパーで混ぜ混ぜしていた。これまた大量に。
 ルシウスは十四歳、育ち盛り。たくさん焼いて送らねば。

「あの子がココ村の冒険者ギルドにいる間だけの約束で、優先的に一路線押さえておる。だって手紙のやりとりに片道一週間とか無理。寂しくて泣いてしまう」
「まあ。ルシウス君もまだ子供ですものね」
「いや、私が泣く。飛竜便なら一日で届くのだ」
「あらー」

 そう、ココ村支部で次男ルシウスが確保して魔法樹脂で封入したお魚さんモンスターや、昨晩食べたワッフルなども、大体一日くらいで現地から直送だった。
 飛竜便は、飛竜の自重と同じぐらいの重量なら運べるので配送に便利だ。
 ただし、飛竜自体が貴重な魔物で飼い慣らしに手間がかかるため、一般化はされていない。どこの国も専ら軍専用になっている。
 民間人が使う場合、利用料が高額だが、メガエリスの言い分だと王家と交渉して使わせてもらっているのだろう。



「サーモンパイ、中身は鮭だけなんですの?」
「基本はね。ディナーのメイン料理にする場合は、生の鮭に塩胡椒したものを入れて焼くだけ。食べるときに赤ワインソースを添える」

 ただ、今回ルシウスは現地で少々困難な状況にあるようなので、食べやすく工夫したもののほうが良さそうだ。

「父様、今回はスモークサーモンで作ってやりましょう。適当に野菜も入れて」
「じゃあクリームチーズも入れてみるか。ハーブは?」
「やっぱりディルじゃないですかね?」

 テキパキと男ふたりが手際よくパイを作っていく様子に、ブリジットは手持ち無沙汰だった。
 やることがないので、厨房の料理人たちが下拵えしてくれていた材料などを、夫と義父に手渡す係になった。

(すごいわー。これがリースト伯爵家なのね!)

 話には聞いていたが、すごい。
 リースト伯爵家はアケロニア王国では魔法の大家のひとつだ。
 魔法樹脂という、魔力で創り出す透明な樹脂で魔法剣を生み出し、戦う魔法剣士の家でもある。
 創るのは魔法剣だけかと思いきや、パイ生地を捏ねるボウルも、掻き混ぜるスケッパーも、ついでにいえば大理石の作業台でその生地やバターを伸ばす麺棒も魔法樹脂でその場でさささっと形成して調理に使っている。
 使い終わった後は魔力に戻してしまえば、汚れ物も出ない。何とも合理的な使い道だった。

 パイ生地はバターを練り込んだ後、一度冷やして生地を安定させる工程がある。
 ところが、氷の魔石や冷蔵機能のある魔導具の保冷庫に入れるかと思いきや、魔法樹脂に低温の性質付与の術をかけて、調理しながら冷やす工程を省いていた。

「やはりお魚さんの形に作ってやるのが良いだろう。喜ぶぞーう」
「父様、待った! あいつ今、冒険者やってるんでしょ? 食いやすく一食分ずつ焼いてやったほうがいい」
「えええ。つまらんなあ」

 ヘラの形に形成した魔法樹脂で、パイ生地をお魚さんの形に切り抜こうとしたメガエリスを、カイルが慌てて止めている。
 代わりに、長方形に伸ばしたパイ生地を7センチ四方くらいにカットしていく。
 切らずにそのまま手掴みでも食せるよう、包みパイで作るということらしい。

 これまた大量に作って、中にスモークサーモンとブロッコリーなど温野菜を刻んだものやクリームチーズなどを詰めて綴じて、をひたすら繰り返すリースト伯爵家の父と息子。



「あら、マッシュルームがありますね。茸を入れたものはどうでしょう?」
「いいね、ブリジット。なら数ミリ幅でカットしてもらえる?」
「はーい、これもたくさん入れて焼きましょう!」

 実はブリジットの実家の子爵家の名物料理が、茸入りのパイなのである。
 リースト伯爵家のように領地があるわけでもない、王都だけに屋敷のある低位貴族だが、郊外に小山を持っている。
 そこで採れた茸を入れた料理は野趣に富むと、なかなかの評判なのだった。



「あなたもお義父様も、お料理のできる方だったんですね」
「うん、まあ……。うちは大事な客人が来たときは当主夫妻がサーモンパイを焼いて饗するのが伝統でね」

 オーブンでの焼き上がりは料理人が見てくれるというので、三人は着替えてから一足先に食堂で出来上がりを待つことにした。
 パイが焼けたら大半はルシウス宛に送るが、自分たちも一部をそのまま朝食に流用だ。

「王族の皆様も我が家のサーモンパイを気に入ってくださっておる。おお、そうだ、ブリジットのことも近いうちに紹介せねばな!」
「あらー。王族の方々だなんて、緊張してしまいますわー」

 それにしても、メガエリスもカイルもとても手際が良かった。
 やはり子供の頃から調理していたのかと聞くと、メガエリスのほうはそうだという答え。

「オレは学園の高等部に進学してから覚えたよ。調理スキルが生えたのはルシウスのほうが早かったんじゃないかな」

 カイルの場合、弟のルシウスが物心つく頃に母親が亡くなっていたことがまずひとつ。
 それに自分が幼かった頃は国内外の情勢が悪く、まだ現役の魔導騎士団長だったメガエリスも不在がちだったせいで、調理技術を習うのが遅れていたという。

「あらー。なら、ルシウス君はどこで調理スキルを身につけたんですの?」
「それはね……」

 もう何年前のことになるだろうか。
 以前、王都を大地震が襲ったことがあり、ここリースト伯爵家のタウンハウスが半壊する出来事が起こったことがある。
 その時期のことだ。