無欠のルシウス~聖剣の少年魔法剣士、海辺の僻地ギルドで無双する


 ところで、タイアド王国には廃嫡された元王太子を含め三人の王子がいた。
 第一王子が廃嫡され廃太子にもなったため、第二王子が繰り上がりで新たな王太子となることが発表された。

 が、ここでまたタイアド王国はやらかした。

 もうすっかり各国の主要新聞はタイアドの話で持ちきりだ。
 この一ヶ月ほどの間だけでもほとんど毎日、常連ネタになっている。

 冒険者ギルドのココ村支部内でも、娯楽が少ないから職員も冒険者たちも、顔を合わせればタイアド王国の話ばかりしている。



 王太子の婚約破棄から続く一連のタイアド王国の醜聞にとどめを指すようなこの出来事を、記者は淡々と記事にまとめ上げていた。

 ここ数代、問題行動の多い王族が続いていた中で、良識のある王子として知られていた第二王子には年上の恋人がいた。

 剣聖サイネリア。

 王子より年上。
 平民出身だが幼い頃に剣の才能を見出されて後に騎士団長の養女となったことが縁で、第二王子の剣の指南役となった女性だ。
 凛とした美しい女性と伝わっている。

 二人は幼馴染みでやがて恋に落ちたのだが、ここに来て第二王子が王太子となってしまった。
 元から、王子と平民出身の貴族の養女の関係では結婚は難しいだろうと言われていた。
 ましてや王子が王太子という次期国王が確定した身となってしまっては、尚更だった。

 新たな王太子には、その立場に相応しい他国の姫君が婚約者として決定されることとなった。
 そう、第二王子は近年のタイアド王族として珍しく良識ある人物だったから、その人柄を買われて他国の姫君との縁談を結べたわけだ。



 だが、しかし。

 ここで新たな王太子となった、『良識ある人物』のはずだった第二王子は、恋人の剣聖サイネリアに対して、とても不誠実で愚かなことを仕出かした。

 自分と他国の姫君との婚約発表の場で、自分の恋人である剣聖サイネリアを、側近に下げ渡すことを宣言したのだ。

 己の恋人を、下賜すると。

 剣聖サイネリアはその命令を断った。
 元平民の自分と結婚できないのは仕方がない。いつでも別れる覚悟はできていた。
 だが、だからといって剣聖の自分を“キープ”するためだけに、勝手に身柄を他の男に下げ渡されるなど真っ平だと。

 本来なら、彼女がただの平民でも、また現在の騎士団長の養女の身分であったとしても王族の命令には逆らえないはずだった。

 ただ、彼女はタイアド王国の国民ではあったが、剣聖の称号持ちだった。
 聖なる魔力を使う者には、称号に“聖”の文字が入る。
 代表的なものは聖者や聖女だが、剣聖は剣技をもって聖なる魔力を使う魔力使いの術者なのだ。

 聖なる魔力持ちは、国家権力の支配を受けない。たとえ特定の国に所属していたとしても、命令を拒否する権利がある。
 円環大陸の国際法でそう定められている。
 例外は、建国期から現在まで自国民出身の聖者や聖女を擁するカーナ王国ぐらいのものだ。
 それがこの円環大陸における決まりである。

 これまでは騎士団長の養女として、また第二王子の恋人だから、彼らのいるタイアド王国に尽くして来た。

 だが、本人の了承も取らずに勝手に恋人を側近に下賜するような男の命令など、剣聖サイネリアは受け入れる気はなかった。



 命令を拒絶されたことで面子を潰された新王太子は、怒って剣聖サイネリアをタイアド王国から追放した。

 聖なる魔力持ちは数が少ない。
 その貴重なひとりである剣聖サイネリアを追放した。

 新聞では、彼女が当該記事の執筆時点で既にタイアド国内から出奔していることが綴られている。

 この出来事によって、ただでさえ前王太子による醜聞で失墜していたタイアド王家の名声は、地の底まで落ちることになった。

 一連の経緯を見る限り、『良識ある人物』としての新王太子の第二王子の評判とは、剣聖サイネリアの内助の功だったのだろう。
 記者はそう記事を締め括っている。



「タイアド、もう長くないね。もしかしたら、僕たちが生きてる間に崩れるかも」

 恐らく、アケロニア王国からクラウディア王女を娶った頃には既に崩壊の兆しが出ていたのだろう。
 タイアド王国も、始祖の建国王は偉大な戦士だったと伝わっている。
 このような愚かな子孫によって幕を下ろすことになるとは、建国の祖も報われないだろうと思う。

「剣聖サイネリアの件は全冒険者ギルドにも通達が出たぞ。冒険者登録に来たら上に報告上げろって」
「冒険者登録させないってこと?」
「まさか。その逆だ。いざってとき居場所を把握しておきたいだけさ。聖なる魔力持ちだから魔物退治にゃ打ってつけの人物だし」

 髭面ギルドマスターのカラドンによれば、むしろギルドとしては剣聖サイネリアをフォローする側に回るだろうとのことだった。

「……そういえばルシウス君も聖剣持ちでしたね。将来的に剣聖になる可能性があるのでしょうか」
「どうだろ。ステータスには『魔法剣士(聖剣)』としか表示されないんだよね」

 探るように灰色の瞳で問いかけてくるサブギルマスのシルヴィスに、ルシウスはわからないと両腕を広げて「お手上げ」ポーズを取った。
 周りが自分に対して、剣聖に進化することを期待しているのは知っていたけれども。

「でも、聖なる魔力を持つ者は皆、世界のために活躍しているでしょう? 君も聖剣持ちとして、将来は教会や神殿に所属するのでは?」
「ううん。僕はアケロニア王国の貴族だし、帰国したらまた学生に戻って卒業したら兄さんたちと同じ魔道騎士団に入るよ」

 ルシウスの話に出てくるのは、大好きなお兄ちゃんやパパ、仲の良いアケロニア王族の皆さん、それにおうちの家人や学校で仲が良かった友達の話など、ごく近い人間関係のことばかりだ。
 最近はギルドの人々や親しい冒険者たちのことも口にするようになった。

 このお子様、人当たりは良いが、人そのものの好き嫌いはかなり激しいと見た。



「おう、ルシウス。冒険者ランクがSSまで上がると、各国上層部からの指名依頼の請負い義務が発生するぜ。国の軍属になるならその間、冒険者証は休眠状態になるぞ」
「えええ。じゃあSランクまでで止めておく」

 現在、ルシウスの冒険者ランクはBランク。
 特例措置によるハイスピードなランクアップはここまでだ。以降は討伐実績の積み重ねで、冒険者ギルド所定のポイントが貯まるたびにランクアップしていくことになる。

 もっとも、ここココ村支部で討伐するお魚さんモンスターたちはDからSランクまで、下位ランクから高位ランクまで満遍なく魔物が出る。

 ココ村支部に常駐する期間が長くなればなるほど、ルシウスも自動的にランクは上がっていくことだろう。

 そろそろAランクに上がる頃だった。



 その日は早朝にお魚さんモンスターが現れたので、朝食後はもう暇なココ村支部だった。
 第二弾が来ることもあるが、今日は他の冒険者たちもいるので余裕がある。

「買い出しに行きます! ルシウス君、一緒にどう?」
「行きます! 初めての外出は逃せない!」

 ルシウスがココ村支部に送り込まれてきたのは6月。もう翌月の7月、すっかり夏だった。
 そしてこの間、ルシウスは一度もココ村支部とココ村海岸から外に出ていない。
 お魚さんモンスター退治のために派遣されているので、頑張っているうちに外に出る機会を逃しっぱなしだったのだ。



 というわけで、受付嬢クレアと、荷物持ちに手伝うという女魔法使いハスミンに連れられてお出かけである。

 ギルドのあるココ村は、大した設備もなく冒険者ギルドや灯台のためだけの小村だ。
 必要な物資は徒歩数十分かかる内陸の町まで出なければならない。
 配達を頼めれば良いのだが、不気味なお魚さんモンスターが出没するココ村支部まで来たがる配達員は少ない。
 足りない分はこうして受付嬢クレアが冒険者たちに荷物持ちの依頼を出して買い出しに出ている。

「食料も海産物は豊富だけど、やっぱりお肉や卵も食べたいですしねー。お菓子や果物、お茶やお菓子なんかも」
「お菓子お菓子!」

 一番近い町、ヒヨリもそう規模の大きな町ではない。
 だがこちらにも冒険者ギルドや商業ギルド、教会、商店街など必要なものは揃っている。
 町の外に魔物が出ることと、少し離れた山の中にダンジョンがあるため、そちら攻略のために発展してきた町だった。



「うふ。紳士様、エスコートしてくださる?」

 人通りの多い商店街に入る前に、ハスミンが白くたおやかな手をルシウスに差し出してきた。

「喜んで、ハスミンさん!」
「あー! ずるい、私も私も、ルシウス君!」
「じゃあクレアさんも!」

 右手にハスミン、左手にクレアと両手に花になった。

「あれ?」

 女性二人に挟まれて、この状況にルシウスはふと首を傾げた。
 ハスミンは成人女性として華奢だが背丈は標準だ。
 クレアはそれよりちょっとだけ小柄。
 二人とも、まだ子供のルシウスよりは背が高い。

「ンフフ。これで迷子になる心配なし!」
「ここ、はぐれると合流するの大変ですからねー」

「!?」

 これエスコートじゃない。
 迷子防止措置だ!

「やー! 迷子になるほど僕、子供じゃないもん!」
「んまあ。誤解よルシウス君。あたしたちが迷子にならないためよお」
「そうそう。私とハスミンさんのお手手を離しちゃダメですよー?」
「やー!」

「「離さないもーん」」

 女性といえど二人とも冒険者。ルシウスが必死に手を振り解こうとしてもまったく外れてくれない。

「ルシウス君のお父様から、人の多いところに行くときはちゃんと手を繋いで離さないようにって注意を貰っているんです」
「おうちの人とお出かけするときも、お兄ちゃんたちとお手手繋いでたんでしょ? それと同じよう」

 ルシウスのパパ、メガエリスからの手紙には、好奇心旺盛な子供なので目を話すとあっという間に見失ってしまいます、と書かれていた。

「お手手繋いでくれないなら、次からはギルマスに抱っこされて持ち運ばれますからね?」
「ひえっ」

 ギルマスのカラドンは大剣使いだけあって腕も太腿も丸太のように太い。ルシウスぐらいなら小脇に抱えて平気で運ぶだろう。

「お手手つなぎます……」

 おんなのひとこわい。つよい。

 そう呟きながら、左右のお手手をつないでお買い物に付き合うルシウス少年だった。

 とりあえず、日用雑貨の類から。
 清掃用品やアメニティグッズなどは専門の清掃員が掃除に来てくれるときに補充してくれているので不要だ。
 クレアたちは、ココ村支部に常駐する職員の日用品をいくつか頼まれている。

 あとはやはり一番の大物は食料品だ。
 これも配達を頼んではいるのだが、ココ村支部を利用する冒険者は数が少ないため発注の品数も多くない。
 少量を頻繁に注文して配達させるには問題のある場所にあるのがココ村支部。
 仕方ないから職員自ら買い出しに来るしかないという悪循環がここにも。

「ハスミンさん、お願いしまーす」
「おっけー」

 次々にメモに記入していた物品や食料品をクレアが買い込み、精算を済ませた端からハスミンが荷物に触れていく。
 そして買い物が消える。

「あれ、それって……」

 ハスミンの黒い魔法使いのローブの腰まわりに光の帯状の円環(リング)が出現している。

「ハスミンさん、(リンク)使いだったの?」
「そうなのよう。本当は冒険者じゃなくて、占い師が本職なんだけどね」

 この世界、魔力使いには2種類あって、旧世代と新世代に分かれている。
 旧世代は、ルシウスのような魔法剣士や一般的に魔法使いや魔術師といって誰もが想像するものだ。それぞれ固有の魔力の使い方をする術者たちの総称である。
 大きな特徴は、自分自身が持つ魔力の総量によって実力、つまり使える術の威力が決まることだろう。
 この辺はわかりやすい。魔力の多い者ほど強いということなので。

 新世代はハスミンのような、(リンク)と呼ばれる光のリングを身体の周りに出して、魔力を使うコントロールパネルとして使う。
 こちらは(リンク)を通じて、自分が持つ魔力以外に他者や外界から魔力を調達できるところに特徴がある。
 上手くいくと、自分の実力以上の術の発動も可能になる。
 ただ、旧世代と比べると強い術者があまりおらず、積極的に戦うよりバフ担当などサポート役が多いと言われている。

「でもハスミンさん、結構強いよね」
「あらそう? 魔法使いの修行して使えるようになったの、本当にここ最近なんだけどね」

 そんな話をしているうちに、買った品物をすべて収納し終わった。

「アイテムボックスのスキル持ちは(リンク)使いだけですからねえ。ハスミンさんは容量多い方だから助かります」
「木箱五箱分ぐらいだけどね。残り一箱とちょっと。買う量に気をつけて」
「はい!」



 またお手手を繋いで次の店だ。

「ルシウス君、(リンク)に興味ある?」
「ううん、ないよ。僕より強い(リンク)使い、見たことないし」

 メリットを感じない。
 (リンク)使いはココ村支部を利用する冒険者たちの中にも一定数いたが、ランクはどちらかといえば低めの者が多かった。
 ハスミンはBランクだからその中では高いほうだ。

「まあそうね。……でもアイテムボックスとか使ってみたくない?」

 断られたが、ハスミンが食い下がった。

「んー。僕、必要な道具なら魔法樹脂で作れるし、あんまり必要性を感じないかなあ」
「そっかあ……」

 それ以上はハスミンも食い下がらなかった。
 しつこく迫ることはせず、商店街の屋台を指差して話題を切り替えた。

「あっ、ワッフル! ふたりとも、ちょっと休憩、甘いもの食べましょ!」
「「賛成です!」」

 女の人ならお店で落ち着いて食事したいのではないか、とルシウスが素朴な疑問を抱くと、

「「ここの屋台は別格!」」

 とのこと。
 二人のオススメのワッフルの屋台は若い女の子中心に行列ができている。
 せっかくなので三人で並んで順番を待ちながら、おしゃべりしていた。



「バターのいい匂い。これ、持ち帰れるかな?」
「ああ……明日は食堂、いつものオヤジさんいない日かあ」

 週に一度か二度だけの臨時料理人は何かとルシウスに突っかかってきてウザい。
 作る料理も飯マズなので、彼の当番の日は食堂に近づかないルシウスだ。

「クレアさんとハスミンさんは、あの飯マズをどうやって乗り切ってるの?」
「んん……それはね……」
「おいしくないなりに、まあ……やり方があるんですよ……」

 両隣で二人が顔を逸らした。

 そうこう言っている間に順番が回ってきた。
 プレーンが一番美味しいとのことなので、食べ歩き用に三人分三枚と、ルシウスの明日のおやつ用に二枚。更にギルドの皆へのお土産を箱に詰めてもらった。

 近くにベンチがあるというので、そこに向かう途中、グレアが人数分のアイスティーを買ってくれてワッフルと一緒にいただくことにした。

「さくふわあ〜!」

 クレアとハスミン、二人のオススメというワッフルはこの辺の名物らしい。
 材料はすべてゼクセリア共和国産。
 小麦粉のしっかりどっしりしたパン生地に、たっぷりのバターと大きめの砂糖の粒がたくさん入っている。
 それを格子状の鉄板で上下から生地に押し付けて、薄く一個ずつ手のひらサイズに表面をカリッと香ばしく焼き上げてあった。

 かぶりつくと、溶けたバターのコクのあるミルキーさと、小麦の風味がすごい。
 そこにさくっと噛み締めると崩れていくパールシュガーの食感が楽しい。

「これ、兄さんの好きな味だ。たくさん買っておうちに送ります!」
「あら、お魚さんじゃなくていいの?」
「そろそろ食いきれなくなってきたから、たまには別なもの送れって言ってたって、兄さんのお嫁様から手紙来た」
「ココ村海岸のお魚さんモンスター、巨大ですもんね……」

 しばし三人とも無言で熱々の焼きたてワッフル攻略に夢中になった。

「ふう。美味しかった! ……プレーン以外にオススメってある?」
「あたしはチョコレートがけが好き」
「チーズ入りも美味しいですよー。ピンクペッパーが粒ごと入ってて、ピリッとしてて美味しいんです」

「ふむふむ」

「日替わりもあるから、来るたび試してもいいかも」
「紅茶入りも美味しいの〜♪」

「わかった! ちょっと注文してくるね!」

 クレアたちから食べ終わった後の包み紙を受け取って、屋台まで駆けていくルシウス。



「ふふ。かーわいい。うちの子にもあんな頃があったなあ」
「あれ、ハスミンさんってご結婚されてましたっけ?」
「昔ね。もう旦那も子供たちもいないんだけどね」
「そうでしたか……」

 力のある魔力使いは、見た目通りの年齢ではないことが多い。
 聖剣使いのルシウスも実年齢は十四歳だが、実質10歳ほどにしか見えないし、同じようにハスミンも二十代前半の外見だが実年齢はかなり上だ。

 クレアは受付嬢としてハスミンの実年齢を知っている。
 ちょっと信じられないような生まれ年だったが、こういう事例は魔力使いには時々あるものだ。
 この世界、長生きしている者の中には800歳なんて者もいるぐらい。



「注文してきたよ! クレアさん、焼き上がったらお会計お願いします!」
「はいはーい、了解です!」

 まだ子供のルシウスの討伐報酬はギルド側が預かっている。
 今日も、ルシウスに必要な日用品や欲しいものなどはクレアが支払って、後から精算することになる。

「ルシウス君、明日丸一日、ワッフルだけじゃお腹いっぱいにならないでしょ?」
「でも、あの料理人の作ったもの食べるの、ぼくいやだよ。顔も合わせたくない」
「うーん……」

 二人ともルシウスから、飯マズの臨時料理人が彼に対して注文を後回しにされたり、わざと冷めた料理を出されたりすることを聞いていた。
 数回そんなことを繰り返されたので、嫌気がさしたルシウスは、臨時料理人が当番の日は売店の携帯食だけで食事を済ませているのである。

 とはいえ、あの臨時料理人が手を加えていない常備のパンや軽食なら、食堂の冷蔵魔導庫内に入っている。
 せめてそれだけでも取りに行ければ随分楽になるだろうに。



「ああいう手合いは、周囲が注意すると悪化するのよね……」

 ちなみにギルマスたちギルドの者は、臨時料理人のルシウスへの態度をしっかりチェックしている。
 かといってすぐ解雇にできないのは、いつもの料理人のオヤジさん非番の日にココ村支部まで来てくれる代わりを見つけるのが難しいからだった。
 あんな態度の悪い飯マズ料理人でも、僻地のココ村支部の貴重なメンバーだった。

「あの手のタイプは権威に弱いって相場が決まってるわ。あの料理人がいるとき食堂に入るなら、ココ村支部で一番の上司と一緒がいいわね」
「いちばん……ギルマス?」

 いいえ、とハスミンは細くたおやかな指先でルシウスの唇の端にくっついていたパールシュガーの欠片を取ってやった。
 ひょいっとそれを自分の口に放り込みながら、

「ココ村支部で一番の支配者って誰だと思う? ねえクレアちゃん」
「あー、そうですね。ギルマスじゃないです、はい」
「えっ、誰々!?」

「「サブギルマスのシルヴィスさんよ」」

「そうだったの!?」

 灰色の髪と目の穏やかだが、策士ふうの雰囲気を漂わせているお兄さんだ。おじさんと呼ぶと怒るので注意が必要な人だ。

 冒険者ランクはAランクのシルヴィスよりSSランクのカラドンのほうが上なのだが、いざというときの立場はシルヴィスのほうが強いらしい。

「ええ、シルヴィスさんは元々、カレイド王国の貴族の方なんです。だからゼクセリア共和国の首脳部との交渉を担当してくれているんですよ」

 カレイド王国は円環大陸の北部にある国で、なかなか歴史のある国だった。

 もっとも、そんな彼でもココ村支部の維持費を捻出させるのが精々で苦労している。
 ゼクセリア共和国自体がまだ共和国になって新しい国なので豊かではないためだ。無い袖は振れない。

「だからね、もしあの臨時料理人と関わらなきゃならなくなったら、ギルマスよりシルヴィスさんを巻き込みなさい。彼もさすがにシルヴィスさんの前じゃあなたに無体なことは言えないし、できないはずよ」
「……僕だって他国の貴族なのに。なにこの違い?」
「あの人、最初にルシウス君をただの下働きだって勘違いしてましたからね。その最初の印象のせいで舐められてるのかも」
「むう……」

 何とも気分の悪い話だった。
 だが、そういう話ならば遠慮なくサブギルマスを利用させてもらおう。
 携帯食でも腹は膨れるが、あの飯マズ料理人がいる日は食堂でジュースもお茶も飲みたくないから、飲み物は水しかなくて味気なかったのだ。

「わかった。アドバイス通りにしてみるね!」
「うんうん」

 いいこいいこ、とハスミンに青銀の髪の頭をナデナデされるルシウスだった。



「うちの可愛いルシウスに意地悪する料理人、だと……? おのれ、我がリースト伯爵家の総力をもって、いざぶっ潰さん!」

 次男ルシウスから届いたお手紙をぐしゃりと握り潰したパパこと、麗しの髭ジジ、リースト伯爵メガエリス。

「父様、落ち着いて。ちょっと手紙見せて」

 夕食後、家族用のリビングでルシウスが魔法樹脂に封入して送ってきた焼き菓子を、紅茶と一緒に楽しんでいたリースト伯爵家だ。

 ルシウスのお兄ちゃんカイルは、バターの香り豊かなワッフルを幸せそうに食べているお嫁さんブリジットをこれまた至福と言わんばかりに見つめながら、父親の手から手紙を引っこ抜いた。
 ざっと、父と弟と同じ湖面の水色の瞳で手紙を読んでいく。

「ふうん。下働きと勘違いされて、平民の料理人風情に見下されたわけか。幼稚な嫌がらせまでされて。……まあ、あいつにしては我慢してるほうじゃないの」
「あらー。ルシウス君、可哀想ですわ。あなた、何か私たちにできることはないのかしら?」

 食後だったが、ルシウスの送ってきてくれたワッフルなる焼き菓子の美味なことといったら。
 いつもの王宮用とは別に、おうち用にも何十枚も送ってくれていた。
 なお王宮用には明日、義父のメガエリスがまた献上しに行くとのこと。

 ブリジットがちら、と給仕に目をやると、心得たというように二枚目をさりげなく皿の上に追加してくれた。よし。

「あいつはこんなことぐらいで潰れるタマじゃないよ、ブリジット。オレはむしろ相手の料理人のほうが心配だけどね」
「あらー、そうなんですか?」
「そりゃそうだよ。リースト伯爵家の男は甘くないからね。ルシウスだってまだ子供とはいえその辺はしっかりしてるさ。ね、父様」
「そうかもしれんが、私の気が済まーん!」

 もう行っちゃおうかな、ゼクセリア共和国のココ村行っちゃおうかな、とワッフルに次々かぶりついている。



「……ものすごく美味いな、これ」

 カイルもチョコレートがけのワッフルを口に運んで驚いている。
 チョコレートは市販の甘いスイートチョコレートだが、ワッフルのバターの豊かな風味とパールシュガーの食感が面白い。
 すべて渾然となって口の中が幸せだった。

 しかもルシウスが焼きたてをそのまま、時間経過のない魔法樹脂に封入して送ってきてくれたものだ。
 チョコレートがけのものはさすがに溶けないようワッフル本体は冷めていたが、出来たてには違いない。小麦もバターもフレッシュで味が良い。

 カイルのいつものクールで無表情ぎみの口元が綻んでいた。
 今回は皿の上でナイフとフォークでそのまま食しているが、アイスクリームやホイップした生クリーム、フルーツなどを足しても美味な感じだ。

「美味しかったよって、ルシウス君にお返事書かなきゃですね、あなた」
「うん……。ついでに、料理人の件はお前もリースト伯爵家の男なら毅然と狡猾に処理せよって書いておいて」

 狡猾? とブリジットはやや疑問に思ったが、あまり突っ込まないほうが良い気がしたのであえてスルーした。
 それより気になることがある。
「兄のあなたがお返事書いたほうが、ルシウス君も喜ぶんじゃありませんか?」

 毎回、ルシウス側からの手紙は半分がお兄ちゃんのことを心配し尋ねているものなのだ。
 しかし、いまだにカイルは弟に返信を一度も書いていない。

「オレはあの脚の生えた魚の解析で忙しいんだよ。……まったく、通常業務の他に余計な仕事増やされて大変なんだ」
「あなた……」

 それでもワッフル一枚をしっかり食べ終えて、カイルは自室へと戻っていくのだった。



「男兄弟って難しいですねえ、お義父様」

 長男カイルのお嫁さん、ブリジットは緩い茶色の癖毛に灰色の瞳の、ややぽっちゃり体型でおっとりした女性だ。
 細かいことを気にしない性格が長所で、いつも大らかな彼女がしょんぼりしていると、愛らしい仔犬が落ち込んでいるようで心が痛む。

「……相性ばかりは、どうにもならんからのう」
「あらー……」

 のんびりした彼女の口癖を聞いていると和むのだが、そんな彼女も最近ちょっと沈みがちだ。
 夫カイルとその弟ルシウスの間を何とか取り持とうとしてくれているのだが、あのカイルの様子だとやはり難しいのだろう。

 ルシウスの故郷、アケロニア王国の主だった貴族家には、家ごとに領地の名産品を使った名物料理がある。
 普段の食事は料理人が担当する貴族でも、この名物料理だけは当主とその夫人が手作りする家が多かった。

 貴族たちの元締めともいえる王家には、ドラゴン肉をローストビーフのように仕上げたローストドラゴンが伝わっている。
 ガーリックをきかせた秘伝のソースでいただく。
 これはグレイシア王女様の好物だ。
 ただし、ドラゴンはめちゃ強で、並の騎士や冒険者では歯が立たない。
 滅多に手に入らない希少食材なのが難だった。

「我がリースト伯爵家は、領地で獲れる鮭を使ったサーモンパイが名物なのだよ。ブリジット、お前も将来のリースト伯爵夫人として作れるようになっておくれ」
「はいっ、お義父様!」

「それはいいんだけどさ……まだ夜明けの鶏も鳴いてない時刻から何で調理……?」

 リースト伯爵家、王都本邸の厨房で早朝からリースト伯爵メガエリス、その息子カイルとお嫁さんブリジットが集合していた。
 全員、エプロン装備はバッチリだ。
 カイルだけが眠そうに欠伸していて、父親メガエリスと同じ青銀の髪の端っこが寝癖で跳ねている。
 あとでこっそり直して差し上げなければ、と侍女たちが目ざとくチェックを入れている。

「ルシウスが意地悪されてお腹を空かせてると思ったら、寝てなどいられなかったのだ!」
「そうですかー。オレはグッスリ寝てましたよー」

 お嫁さんと。ひとつの寝台で。

「朝イチで送れば飛竜便なら明日には届く。焼くぞ! パイを! サーモンパイだ!」
「飛竜便て。あの送料バカ高いやつ……?」

 それ確か軍用じゃなかったっけ?

 と寝ぼけた頭でカイルはパイ生地に練り込むバターをカットしていった。大量に。
 隣ではメガエリスがボウルで小麦粉に冷水を入れて、スケッパーで混ぜ混ぜしていた。これまた大量に。
 ルシウスは十四歳、育ち盛り。たくさん焼いて送らねば。

「あの子がココ村の冒険者ギルドにいる間だけの約束で、優先的に一路線押さえておる。だって手紙のやりとりに片道一週間とか無理。寂しくて泣いてしまう」
「まあ。ルシウス君もまだ子供ですものね」
「いや、私が泣く。飛竜便なら一日で届くのだ」
「あらー」

 そう、ココ村支部で次男ルシウスが確保して魔法樹脂で封入したお魚さんモンスターや、昨晩食べたワッフルなども、大体一日くらいで現地から直送だった。
 飛竜便は、飛竜の自重と同じぐらいの重量なら運べるので配送に便利だ。
 ただし、飛竜自体が貴重な魔物で飼い慣らしに手間がかかるため、一般化はされていない。どこの国も専ら軍専用になっている。
 民間人が使う場合、利用料が高額だが、メガエリスの言い分だと王家と交渉して使わせてもらっているのだろう。



「サーモンパイ、中身は鮭だけなんですの?」
「基本はね。ディナーのメイン料理にする場合は、生の鮭に塩胡椒したものを入れて焼くだけ。食べるときに赤ワインソースを添える」

 ただ、今回ルシウスは現地で少々困難な状況にあるようなので、食べやすく工夫したもののほうが良さそうだ。

「父様、今回はスモークサーモンで作ってやりましょう。適当に野菜も入れて」
「じゃあクリームチーズも入れてみるか。ハーブは?」
「やっぱりディルじゃないですかね?」

 テキパキと男ふたりが手際よくパイを作っていく様子に、ブリジットは手持ち無沙汰だった。
 やることがないので、厨房の料理人たちが下拵えしてくれていた材料などを、夫と義父に手渡す係になった。

(すごいわー。これがリースト伯爵家なのね!)

 話には聞いていたが、すごい。
 リースト伯爵家はアケロニア王国では魔法の大家のひとつだ。
 魔法樹脂という、魔力で創り出す透明な樹脂で魔法剣を生み出し、戦う魔法剣士の家でもある。
 創るのは魔法剣だけかと思いきや、パイ生地を捏ねるボウルも、掻き混ぜるスケッパーも、ついでにいえば大理石の作業台でその生地やバターを伸ばす麺棒も魔法樹脂でその場でさささっと形成して調理に使っている。
 使い終わった後は魔力に戻してしまえば、汚れ物も出ない。何とも合理的な使い道だった。

 パイ生地はバターを練り込んだ後、一度冷やして生地を安定させる工程がある。
 ところが、氷の魔石や冷蔵機能のある魔導具の保冷庫に入れるかと思いきや、魔法樹脂に低温の性質付与の術をかけて、調理しながら冷やす工程を省いていた。

「やはりお魚さんの形に作ってやるのが良いだろう。喜ぶぞーう」
「父様、待った! あいつ今、冒険者やってるんでしょ? 食いやすく一食分ずつ焼いてやったほうがいい」
「えええ。つまらんなあ」

 ヘラの形に形成した魔法樹脂で、パイ生地をお魚さんの形に切り抜こうとしたメガエリスを、カイルが慌てて止めている。
 代わりに、長方形に伸ばしたパイ生地を7センチ四方くらいにカットしていく。
 切らずにそのまま手掴みでも食せるよう、包みパイで作るということらしい。

 これまた大量に作って、中にスモークサーモンとブロッコリーなど温野菜を刻んだものやクリームチーズなどを詰めて綴じて、をひたすら繰り返すリースト伯爵家の父と息子。



「あら、マッシュルームがありますね。茸を入れたものはどうでしょう?」
「いいね、ブリジット。なら数ミリ幅でカットしてもらえる?」
「はーい、これもたくさん入れて焼きましょう!」

 実はブリジットの実家の子爵家の名物料理が、茸入りのパイなのである。
 リースト伯爵家のように領地があるわけでもない、王都だけに屋敷のある低位貴族だが、郊外に小山を持っている。
 そこで採れた茸を入れた料理は野趣に富むと、なかなかの評判なのだった。



「あなたもお義父様も、お料理のできる方だったんですね」
「うん、まあ……。うちは大事な客人が来たときは当主夫妻がサーモンパイを焼いて饗するのが伝統でね」

 オーブンでの焼き上がりは料理人が見てくれるというので、三人は着替えてから一足先に食堂で出来上がりを待つことにした。
 パイが焼けたら大半はルシウス宛に送るが、自分たちも一部をそのまま朝食に流用だ。

「王族の皆様も我が家のサーモンパイを気に入ってくださっておる。おお、そうだ、ブリジットのことも近いうちに紹介せねばな!」
「あらー。王族の方々だなんて、緊張してしまいますわー」

 それにしても、メガエリスもカイルもとても手際が良かった。
 やはり子供の頃から調理していたのかと聞くと、メガエリスのほうはそうだという答え。

「オレは学園の高等部に進学してから覚えたよ。調理スキルが生えたのはルシウスのほうが早かったんじゃないかな」

 カイルの場合、弟のルシウスが物心つく頃に母親が亡くなっていたことがまずひとつ。
 それに自分が幼かった頃は国内外の情勢が悪く、まだ現役の魔導騎士団長だったメガエリスも不在がちだったせいで、調理技術を習うのが遅れていたという。

「あらー。なら、ルシウス君はどこで調理スキルを身につけたんですの?」
「それはね……」

 もう何年前のことになるだろうか。
 以前、王都を大地震が襲ったことがあり、ここリースト伯爵家のタウンハウスが半壊する出来事が起こったことがある。
 その時期のことだ。


 その日、夕方前におうちから、魔法樹脂に封入された大量のパイが届いたと聞いて、ルシウスは飛び上がって喜んだ。

「サーモンパイだ! 父様の手作り!」

 ヒャッホーウ! と大喜びしてるルシウスと、アケロニア王国のリースト伯爵家、つまりルシウスの実家からの手紙にサブギルマスのシルヴィスが目を通している。

「ルシウス君。君のパパとお兄さん、あとご夫人の三人で作ってくれたようですよ」
「兄さんとお嫁様も!?」

 パパの手作りも嬉しい。
 大好きなお兄ちゃんのなら更に嬉しい。
 もう嬉しいが止まらない。
 お外に出て海岸をぐるっと全力疾走してきたくなったが、そろそろ日も暮れる。
 夜の間は大人と一緒じゃないと建物の外に出てはいけないと注意されていたから、そこは踏みとどまった。

 受付嬢のクレアや女魔法使いのハスミンからいろいろアドバイスは貰っていたが、結局のところ、飯マズ料理人が来る日は食堂に近づかないルシウスだった。
 また一日、携帯食だけの侘しい食事で耐えたと思ったら、翌日に届いたおうちのサーモンパイ。

「父様だいすき。兄さんもお嫁様も大好き!」

 これは今晩はじっくりお礼のお手紙を書かねばならない!
 分厚めに! 分厚めに!



 おうちからのサーモンパイは、ルシウス用のものは真四角で一食ずつ紙で包まれたものが更に魔法樹脂の中に封入されて、バスケットにふたつ分。
 その倍量が別にあり、『ギルドの皆さんもどうぞ』とルシウスの父親からの差し入れとなっていた。
 ギルドへの差し入れ分は何とパイが大きなお魚さんの形をしている。一匹がパーティー用の大皿いっぱいの大きさだ。
 それがざっと五匹ほど魔法樹脂の中に封入されて届いていた。
 しかも、そのうちの一匹、一番手前にあったお魚さんサーモンパイにはパイ生地で作られた脚が二本付いていた。小憎らしい演出である。

「あっ。僕も今日はそっち食べたい、頭のとこ!」
「じゃあ今晩はルシウスのおうちのサーモンパイ祭りやろうぜー!」

 と髭面ギルマスのカラドンが宣言してくれたので、夕飯は一同サーモンパイで盛り上がった。



「ルシウス君のパパは伯爵様ですよね? 男の貴族の方で調理するって珍しいのでは?」

 サブギルマスのシルヴィスが、お魚さんの形に焼き上げられたサーモンパイを見て、首を傾げている。
 受付嬢クレアと女魔法使いハスミン情報では、彼も他国の貴族出身とのこと。彼の場合は自宅で調理などしそうもないタイプだ。

「うちの国、領地持ちの貴族はそれぞれの領地を代表する名物料理があるんだよ。僕んちのリースト伯爵家は川で獲れる鮭を使ったサーモンパイ。海に面してるホーライル侯爵領は海産物の炊き込みご飯だし、シルドット侯爵家は卵の塩味タルトが有名だよ」

 この三家の名物料理は味の良いことでも知られている。
 海産物の炊き込みご飯はパエリヤ、卵の塩味タルトはキッシュのことだ。

 貴族家が他家と何か共同事業を行うときは、それぞれの領地の名産品を掛け合わせた料理を作ることも多いらしい。

「当主と奥さんは、他の料理は作れなくても家の名物料理だけは作れる人が多いね。昔は毒による暗殺防止を兼ねて、家族の料理を作ってたからって習ったよ」

 ざくうっ

 料理人のオヤジさんが、テーブルにまな板を持ってきて、その場でお魚さんのサーモンパイを切り分けてくれた。
 パイを包丁で切るその音だけでもう美味しい。
 そして切られたパイの間からは小麦とバターの香ばしくほんのり甘い香りが広がってくる。



「すごっ、焼き立てじゃない! アイテムボックス以外で時間経過ゼロ状態を作れるって、魔法樹脂だけなのよねえ」

 まだ解凍していないサーモンパイ入りの魔法樹脂の透明な表面を、女魔法使いのハスミンが突っついている。
 まずは一匹分、食べる分だけルシウスが解凍したものをオヤジさんが切り分けてくれていた。

「おうちの味だあ……」

 じーんと、ルシウスが一口食べて感動に震えている。
 ギルマスを始めとした一同も震えた。いや悶えた。

「う、美味い……」
「前に食べたデビルズサーモンとは比べ物にならん!」
「す、すご、こんなにたくさんスモークサーモン詰まってる!?」

 海岸沿いにあるココ村支部では、シーフードは慣れていた。
 様々な高級なお魚さんも日常的に食べることができる。
 しかし、それでもこのサーモンパイの中身のスモークサーモンは格が違った。
 心底お高い味がする!!!



「……坊主の父ちゃん、飯ウマ属性持ってるな」

 配膳を終えて自分もサーモンパイを口に運んだ料理人のオヤジさんが、ぽつりと呟いた。
 なにそれ!? と食堂内の皆の視線がオヤジさんに集中する。

「調理スキル持ちにたまにいるんだ。スキルのランクとは別に、作る料理の味に“飯ウマ”や“旨マズ”、“飯マズ”の属性オプション持ってる奴がよ」

「飯ウマ……」
「旨マズ……」
「飯マズ……」

「冗談みたいな話だが、本当の話なんだよ。属性オプションがなければ、普通に実力相当の味で仕上げられるんだけどさ」

 言って、またナイフで一口分を切り分けて味を確かめている。

「うん、この感じなら間違いねえ。パイ生地とスモークサーモンの味付け、パイの成形すべてに父ちゃんが関わってるだろ。パイ生地のほうはちょっと違う魔力を感じるから、そっちが兄貴だな」

 多分、嫁さんはほんのお手伝い程度。

 そこまで料理から読めるのか、と一同は尊敬の眼差しで料理人のオヤジさんを見つめた。
 間違いなく“飯ウマ”属性を持っている、いつも美味しいごはんを作ってくれる彼を。

お金がないときもありました

「料理するのはご当主や跡継ぎのお兄さん夫婦だけ?」
「ううん、サーモンパイは一族なら皆作れるように習うよ。美味しいもん」

 ざくー

 一匹めのサーモンパイはあっという間になくなった。中身がスモークサーモンだけのやつだ。
 料理人のオヤジさんが二匹めを切り分けてくれる。
 こちらは同じくスモークサーモン、炊いたピラフ、ブロッコリーやインゲン、ニンジンなどを柔らかく茹でたものに、ハーブのディル入りのクリームチーズが入ったものだった。
 層になっていて、一匹めのものより分厚い。

「えっ。もしやルシウス君も料理男子ですか!?」

 期待の眼差しで受付嬢クレアが見つめてくる。

「うん。サーモンパイと、簡単なものなら。うち、数年前にすごい貧乏になったことがあって。そのとき必要に迫られて覚えたんだよね」

「「「貧乏ってマジで!?」」」

 これにはギルマスたちギルド職員や冒険者たちは皆驚いた。
 そういえば、たまにそんなことを言っていた気がする。

 ルシウス本人を見ていると、このお子さんがとても育ちの良いことがよくわかる。
 家庭環境に恵まれていて、かつ与えられてきた教育の質が良いことも読み取れる。
 それは即ち、それだけ教育費をかけられる裕福な家庭で育ったことを意味する。

 それに、配送費の高額な飛竜便をアケロニア王国の王都と、ここココ村支部を繋ぐ路線として確保しているのが、ルシウスのパパ、リースト伯爵メガエリスだ。
 飛竜便は、飛竜自身の自重と同じぐらいの重量の荷物までなら、腹部に括り付けるコンテナに入れて配送が可能。
 配送費は、この距離なら通常、往復で大金貨一枚(約20万円)が軽く吹っ飛ぶ。

 この飛竜便を使って、ルシウスはおうちの人と週に一度は手紙のやりとりをしている。
 他にはルシウスが討伐して魔法樹脂に封入した食用可能なお魚さんモンスター(生)などを送るのにも使っていた。

「貧乏って、今はそんなことないんだよな……?」

 髭面大男のギルマス、カラドンが恐る恐る尋ねてきた。
 ルシウスのおうちリースト伯爵家というのは、魔法剣士の家であるだけでなく、魔法全般の大家だ。
 領地では魔法薬のポーションなどを製造していて、ルシウスのパパはそれら魔法薬をルシウスがココ村支部に常駐している期間のみという条件付きで、市価の半値で卸してくれていた。
 めちゃ助かっていた。
 もしや、ものすごい負担をかけていたりするのだろうか?

「それは平気。とっくに持ち直してるから。でもあのときは大変だったなー。楽しかったんだけどねー」

 などとルシウスが言うので気になること気になること。
 楽しかったということは、例の大好きなお兄ちゃんネタに違いない。

 美味しいサーモンパイを食べながら、大人たちはビールや赤ワインなどとともに、ルシウスの話を聞くことにした。

「何年か前、王都で大地震が起こったことがあって。全体的に死者や負傷者は少なく済んだんだけど、うちの屋敷は老朽化が進んでるとこ中心に半壊しちゃったんだよね」

 ああ、リーストさんちは幸運値低いですものねえ……とご近所さんからの同情を集めた事件だったとのこと。
 リースト伯爵家の一族は、ステータスの魔力や知力は高めだが、代わりというように幸運値が低めになる傾向があるらしい。

「王都の貴族街、周りどこも被害受けてないのにうちだけ半壊。そのとき、たまたま休日で父様も兄様も家にいたから、お庭で一緒に遊んでた午後に、ドカーンと。目の前でおうちが崩れて僕泣いちゃった」
「庭に出てたから無事だったのか……」

 それは逆に運が良いのでは?

「それでおうちを修復するまで、父様が勤めてた騎士団の寮の部屋に兄さんと二人でしばらく避難してたんだ」
「えっ。領地に戻ったり、親戚を頼ったりはしなかったの?」
「その頃、兄さんが王都の学園の高等部に進学したばかりだったし、僕も兄さんと離れたくなかったんだもん。親戚は……王都にいたけど仲悪かったから」

 屋敷の修復期間中は家人たちの大半に暇を出し、父親のメガエリスも騎士団内に持っていた執務室で寝起きする生活が続いた。

「でね、朝ごはんと夜ごはんは騎士団内の食堂で食べることができたんだけど、お昼は閉まっちゃうから、お外のお店に行くか、寮内の簡易キッチンで自炊するかしかなくて」
「それで自炊するときに覚えたと」
「え、何で年上の兄貴じゃなくてルシウスが?」

 今でもこんなにちまっこい子供なのに、数年前ならもっと小さかったはずだ。
 聞けば、だいたい6年前のことでルシウスは8歳そこそこだったとのこと。
 間違いない。可愛い盛りの幼児だ。
 十四歳の現在でも10歳そこそこにしか育っていないのだから、8歳のときはもっともっと幼かったはず。

「その頃はまだ兄さんもサーモンパイ作れなかったんだよね。数年後に父様が仕事を引退するから、その頃ゆっくり教えるよって話になってて」
「外に食べに行けない理由……あ、そうか、おうちの修復で経済力が低下しちゃったのかあ」

 ハスミンが納得したように苦笑している。

「古い屋敷だったから、半壊を修復とはいえ、新築する並にかかっちゃって。伯爵家の家の格的にもそれなりの屋敷の規模が求められるし。でもうちは父様が魔道騎士団の団長で国に貢献してたし、王族の皆さんとも仲が良かったから、国王陛下が支援してくれるって話が出てたんだよ。それをさ……」

 ぐさっとフォークで、二匹めのサーモンパイも頭の部分を貰っていたルシウスが、目玉の部分にぶっ刺している。
 こわい。めちゃおこだ。
 お行儀悪いですよと突っ込めないくらい怒っている。
 本人の小柄な身体からネオンブルーの魔力が噴き出していて、肌がピリピリする。

「宰相が難癖つけてきたんだ。『国王陛下が一貴族を贔屓することは好ましくありません』とかなんとか言って。そのくせ、もったいぶって後から自分が支援するとか恩着せがましく言ってきたんだって!」
「てことは、パパさんは断ったんだな?」
「当然だよ! 酷いよね、いくら自分が学生時代に父様にフラれてるからって、おうちが壊れて困ってるところに文句つけてくるなんて!」
「んんん?」

 何やら不穏な内容が混ざっている。

「アケロニア王国の現宰相はグロリオーサ侯爵でしたか。年齢は70近く……」
「学生時代に振られてた……?」
「ヤベエ。なんかすごくヤベエ情報聞いてる気がする」

 大人たちが親世代の愛憎に冷や汗をかいている中、ルシウスの話は続いている。

「父様が頑張ってくれて、一年もかからずおうちには戻れたけど! あの頃、父様のふわふわのお髭が苦労したせいでぺしょってなって、艶がなくなっちゃってたんだからね!」
「お髭のお手入れする余裕もなく、金策に奔走されてたんでしょうねえ……」

 パパの苦労が偲ばれる。

「一応、父様からは生活費もお小遣いも貰ってたんだけど。僕たちも節約しようねって兄さんと話し合って、自分たちのお昼は自炊することにしたの」
「まだ兄弟ふたりとも学生でしょ? 学校の食堂でも良かったんじゃあ?」
「毎日食堂でランチ食べる二人分のお金が、自炊だと三分の一以下で済んだんだよー」

 なるほど、それなら確かに自炊のほうが節約になる。
 最初は寮の簡易キッチンでサンドイッチなど簡単なものから作り始めたとのこと。

「兄さんは進学を控えて、新学期からの授業の準備があったから。僕はまだ小等部で毎日遊んでたし、代わりに頑張りました!」
「ええ話やな……」
「勉学に励む貧乏苦学生の兄と、そんな兄を支える可愛い弟。なるほどねえ〜」

 だが、お兄ちゃんが高等部に進学する頃の年齢というなら、今のルシウスより年上のはずだ。
 経済的に困窮しているなら、それこそ冒険者登録して稼ぎに出ればいいと思うのだが。

「ルシウス君は次男、お兄さんは長男の跡継ぎでしょう。さすがにお父様が許可を出さなかったんじゃないでしょうか」

 自分も貴族出身のサブギルマスのシルヴィスが苦笑している。
 実際、ここココ村支部へもそのお兄ちゃんではなく、ルシウスが派遣されてやってきているわけだし。



 なお、ルシウスの話はまだまだ続いている。

「毎日ランチ作るのは大変でしょって言って、奢ってくれようとする人もいたんだけどね。僕も兄さんも、その見返りにデートしてとか婚約してとか言われるから、自炊は防御策でもあったわけ」
「お前も兄貴も、可愛い女の子から手作りの菓子を山盛り貰えそうだもんな〜」
「そうだよ、下心ある人には注意しなきゃなんだよ。宰相の嫌がらせのせいで、他の貴族家からの支援の申し出にも注意しなくちゃならなくなったし」

 当時を思い出して、ルシウスの眉間に皺が寄っている。

「で、お菓子は貰えたの?」
「……昔から家ぐるみで付き合いがある人以外からは貰ってない。僕、鑑定スキル持ちだから。お菓子に鑑定かけると……」
「ああ……」

 とルシウスと同じ貴族出身のシルヴィスが、苦い顔になった。

「物品鑑定スキル持ちなら、中身がわかっちゃいますよね」
「そう。材料の他に見えちゃうんだよね……髪の毛を燃やした灰とかよくわからないものが入ってるの」
「きついな……」
「きついよ……それで兄さんが一時期、女性不信になっちゃって。以降、差し入れ全部つっ返すようになったらクールなところがイイとか何とかって、余計モテたみたいだけど」

 ルシウスが一緒にくっついていれば、弟が嫌がるのでと言って、プレゼントやデートなどの誘いを断りやすくなる。
 あまり気分は良くなかったけれど、大好きなお兄ちゃんの役に立てることは嬉しかった。

「不自由はあったけど、楽しかったなあ。寮の狭い部屋で兄さんと二人っきり。夜寝るときも一緒だったし、兄さんが机で勉強してるときはベッドに寝っ転がって、兄さんの真剣な顔をずーっと見てられたんだよ」

 本来の屋敷でなら、兄弟それぞれ別の部屋があったから、そのように長い時間ずっと一緒にいられることはなかったという。

「兄さんの先輩たちも、それぞれの領地の食材を差し入れに遊びに来てくれて、賑やかだったっけ。グレイシア王女様が寮まで来たときは騎士団全体が大騒ぎだったけど」

 ルシウスのお兄ちゃんカイルは、アケロニア王国のグレイシア王女様とは学年が二つ下になる。
 王女様は後輩カイルがお気に入りで、よく彼を振り回していたそうだ。

「あの頃、グレイシア様が兄さんのお嫁さんになったらどうしようって、夢でうなされるほど悩んだっけ。無事に同い年の婚約者が決まったって聞いたときには安心したよね……」

 王女様の婚約にも一悶着あったようだが、まだ子供だからとルシウスは詳しくは教えられていなかった。



「ねえ。ルシウス君が料理できるなら、あのおいしくない臨時料理人の代わりに作ってもらうってできないのかしら?」

 せめて一食分だけでも。
 女魔法使いのハスミンが提案すると、料理人のオヤジさんも頷いた。

「坊主、料理できるってことは調理スキル持ってるんだろ? ならプラス持ちの俺の補助でなら……」
「ううん。調理スキルないよ。スキルが生えるほどまだ経験積んでないし、ステータスに表示されることもないと思う」
「へ?」

 どういうこと?

「ルシウス君はステータス表示に謎のバグがあるんですよねえ。名前や出自、魔法剣士と魔法樹脂の使い手とは表示されるけど、その他のスキルや各数値がバグってて読めないって何でかしら?」

 ここココ村支部に来た初日に、鑑定用の魔導具を使ってルシウスを鑑定した受付嬢のクレアも首を傾げている。

「そりゃ、僕は人類の古代種(ハイヒューマン)だもの。普通の人用のステータス鑑定テンプレートじゃ読み取れないよ」
「「「人類の古代種(ハイヒューマン)!???」」」

 ここに来て、特大級の爆弾きた!