その日、どれだけ夜遅くになっても帰ってこない次男ルシウスに、父メガエリスは大狂乱だった。

「る、ルシウス……おお、ルシウス、我が愛しの息子よ! 夜遊びするような悪い子ではないはず……ま、まさか誘拐か!?」
「旦那様! 旦那様、落ち着いて! ルシウス坊っちゃまを誘拐できる猛者などこの世におりませぬ!」

 何世代か前には、美しすぎて奴隷商人に誘拐された者も出てしまっているルシウス少年のおうち、リースト伯爵家。

 その反省を踏まえて、対策は魔法も魔術も魔導具も、本人たちの研鑽もバッチリなのをメガエリスは忘れていた。

 肉体には負担にならない程度の防御魔法と魔術を。
 十本の指の爪には、家伝の秘術を。
 耳たぶにも小さな魔石付きのピアスを装着させて、本人に危機が迫るとすべての魔法と魔術が連動して発動し、本人を守るようになっている。

 ついでにいえば、まだ子供なのに一族の誰より強いのもすっかり頭から吹き飛んでいた。



(ついこの間まで、這い這いをしていた赤子だったのだぞ!? やはり侍従や護衛を付けておくべきだった!)

 ついこの間。そう、ほんの十四年前までは。

 本人、あまりにもアクティヴ過ぎて、並の者ではルシウスについて行けないからと、門限だけ守らせて放任していたのが仇となってしまったのか。

 いや、父メガエリスとて息子を放任などしたくなかった。
 いつでもどこにでも持ち歩きたいぐらい可愛がっている息子なのだが、元気いっぱいの息子に、68歳の高齢の自分の体力が追いつかないのである。

(せめてあと20年若かったなら。私とて建物の壁を駆け上がるお前を追いかけて行けたのだが)

 身体強化と重力操作の術を上手く使い分けて、屋敷の壁を垂直に上へ全速力で駆けてしまう息子、ルシウス。

 なぜ壁を上がるのだと問い正すと「そこに壁があるからだもん」と一端の登山家のようなことを言う。

 やんちゃすぎるのも困りものだった。



「旦那様、王宮からお手紙が!」
「何だと!? 今はそれどころではない!」

「すぐ開封してそのまま王宮へお越し下さいとのことです!」
「後回しにせよ!」

「ルシウス坊っちゃまのことも、王宮で説明いただけるとのこと!」
「それを早く言わんかい!」

 執事から王印入りの手紙を受け取り、苛立たしい気持ちを抑え、慎重に開封する。

「なん……だと……」

 よろめくメガエリス。
 その手から手紙が落ちそうになるのを、執事が慌てて受け止めている。

「だ、旦那様。何が書かれてあったのですか?」
「る、ルシウスが……ルシウスがゼクセリア共和国の冒険者ギルドに派遣されたと……」
「えええ!?」

 ざわめく家人たち。

「ま、まだルシウス坊っちゃまは学生の身ではありませんか! しかも中等部の!」
「兄の、……カイルの代わりに派遣の打診をしたところ、本人が快く引き受けたとある」

「そんな! こちらのお屋敷に何の連絡もなかったというのに!」
「必要最低限の身の回りの荷物をまとめて王宮に持ってこいとのことだ。王家の方でルシウスに送ってくれるそうだ」

 もう現地に向けて、騎士団の馬車と護衛付きで出発してしまったとのこと。



「か、かしこまりました! それで、その……荷物にお入れするぬいぐるみはどれに致しましょう?」

 ルシウスの部屋に飾ったり、ベッドのお眠のお供になったりしているやつだ。

 お小さい頃は片手にお兄様のおてて、もう片手に必ずぬいぐるみを引きずっていたものだった。

 領地の特産品の鮭か。
 同じく特産品の鶏……の子ども、ひよこか。
 たまに人里に降りてくる熊さんか。

「我ら家族を模した、ちっこい人形があったろう。それを入れてやれ」
「は、ではただちに準備致します!」

 息子の部屋へ侍女と一緒に向かう執事。



 メガエリスは深い溜め息をついた。

「こんな夜遅くに連絡してくるということは、ルシウスが出立したのはもっと早い時刻か。……どれ、言い訳を聞きに行ってやるとするか」

 本当なら、今頃は大好きな兄が新婚旅行に行ってしまってショボくれているルシウスを慰め、膨れっ面になるのを慰めてヨシヨシしてやっていたはずなのに。

 何をするにも兄最優先の次男と、短い間だけでも親子ふたりっきりで水入らずだとワクワクしていたのに。