元々、“料理人のオヤジさん”としてココ村支部の食堂で冒険者から慕われていた彼、ゲンジは臨時料理人の飯マズ男のことを疑っていた。
いつも彼がシフトに入った翌朝は、汚れがちゃんと落とされていない皿やまな板、包丁などの洗い直しから始まるのだ。
いくら何でもおかしいレベルで汚れが残っている。
それに、翌朝はありえないほど厨房の残飯が多い。
前日のうちに準備していた材料がほとんどそのままゴミ箱行きになったかの如き量だ。
ただ、違和感は多かったが料理人にも様々なタイプがいるわけで。
雇われ料理人如きの自分が口を出すのも憚られていたからこれまでは黙っていたに過ぎなかった。
「あれっ、オヤジさん、今日休みなんじゃなかったの?」
午前中、9時半頃に食堂に行くと、ギルマスのカラドンや、最近やってきた有名魔力使いのフリーダヤらと談笑していたルシウス少年が駆け寄ってきた。
「最後に一度、彼の料理を食べてみようと思ってね。今日は一般の利用客として来たんだよ」
「そっか。上手くいけば今日でもう機会がなくなるもんね。食べるほどの価値ないけどね、あんなゴミ飯」
ゲンジは、ケンという飯マズ男との面識はない。
それから10時近くになると、厨房の裏口から飯マズ男が入ってきた。
食堂の緊張感は高まりつつある。
『いいか、お前ら。事前の打ち合わせ通り、できるだけ途切れることなくケンに注文を出せ。厨房から移動させないように』
『ラジャー、ギルマス!』
注文はルシウス少年と一緒に出すことにした。
だが、ゲンジの注文品はすぐ出してきたが、ルシウスの注文した定食が出てきたのはそれから何と30分後。
基本、どの料理もいつもゲンジのオヤジさんが前日に5分以内に温め直しだけで提供できるようにしているはずなのに、である。
「これは聞きしに勝るとんでもなさだね」
ゲンジが注文したのはアジの焼き魚定食だった。
前日のうちに彼自身が干物にしてあらかじめ焼いておき、注文が入ったら温め直して皿に盛り付けるだけで良いようにしてあったものだ。
小鉢の漬物やサラダ、スープ、米飯などと合わせた定食セットになっている。
「………………」
温め直すはずの焼き魚は、魔導具の冷蔵庫内から取り出したものが、皿も焼き魚も冷たいままで出てきた。
温め直しすらしていない。
表面には軽く塩が振られているが、それだけだ。
それでもゲンジは箸で焼き魚の身をほぐし、一口、二口食したのだが。
「……う」
不毛な味わいが舌を麻痺させていくようだった。
さすがに飲み込めず、慌ててテーブル上の紙ナプキンに焼き魚を吐き出し、水を一気飲みして何とか息をつくことができた。
一緒に注文したはずのルシウスの料理はまだ来ない。
ゲンジと同じテーブル席で、厳しい表情で厨房を見つめている。
「おい、クソガキ! 持ってけ!」
厨房から飯マズ男がルシウスに怒鳴る。
ルシウスは無言で立ち上がり、厨房のカウンターへ向かった。
だが、男が差し出してきた煮魚定食のトレーを湖面の水色の瞳で一瞥すると、
「あ、その食事、僕は結構ですから。他人に回すこともしないほうがいいですね。捨ててください」
ルシウスの変声期前の高い声が響いた。
食堂内に緊張が走る。
「貴重な食料を無駄にしようっていうのか! このクソガキめ!」
「その『貴重な食料』に唾を入れるあなたほどじゃありませんよ」
「!?」
食堂内が一気に騒然となった。
『唾を入れた』とは何だ!?
「ルシウス君。何かあったのかい?」
ここ最近、調査で昼間留守にすることの多かったサブギルマスのシルヴィスが、しれっとした表情でルシウスのところへやってくる。
何か騒ぎが起こるなら、一方的に敵視されているルシウスのときだとわかっていた。
「この人、何をするかわからないじゃない。料理に物品鑑定スキルを使ったら唾が入ってたから食べなかったんだ」
「彼が食事にそんなことを!?」
さも驚きました、という派手なリアクションでシルヴィスはカウンターに置かれたままの料理を見る。
シルヴィスはギルドの副責任者で物品鑑定スキルを持っている。
実際に鑑定してみると、ルシウスが言う通り、男の唾が入っていたことが確認できた。
「うえっ。俺、あいつと口喧嘩したことあるんだけど。その後あいつが運んできた料理ってもしかしたら!?」
「ただでさえ不味い飯に何つうことを……」
食堂内で他の冒険者たちが、ルシウスたちに聞こえるようにヒソヒソ話をし始めている。
「何だ、なにがあったんだー?」
とそこへ、大根役者っぽくギルマスのカラドンの登場だ。
彼は演技が上手くないので、トラブルが起こったらすぐ食堂出入口向かいの事務所まで他の冒険者が呼びに行くことになっていた。
「ギルドマスター。実は……」
シルヴィスから話を聞いたカラドンは難しい顔になっている。
何だ何だ、と冒険者たちも集まってくる。
「ケン。さすがにこれは見過ごせねえ。仮にも厨房を預かるものがやっていいことじゃない。わかるな?」
「ぎ、ギルマス、これは……っ」
威圧を滲ませながら渋い顔をしている飯マズ男が、せわしなくカラドンやルシウス、周りのギャラリーたちに目線を動かしながら、しどろもどろになっている。
(あっ! こいつ、ポケットから海の中にあったのと同じ色の魔石を……)
厨房用の白い前掛けの横の隙間から、ズボンのポケットの中で何やら男が操作している。
指の隙間から、平たい鶏卵大の大きさの黒い魔石を握っているのをルシウスは見た。
「悪いが、今日で辞めてもらえるか。今日の分の日当は事務所で受け取りを……」
今、事務室には魔術師のフリーダヤと聖女のロータスが向かって、尋問の準備を整えて待っている。
「チッ、金なんか要らねえ! くそ、このガキが余計なことさえ言わなけりゃ!」
ギロっと音がしそうなほど睨まれたが、逆恨みもいいところだ。
「おい、あんた。料理への異物混入は調理師スキル剥奪レベルのペナルティだぞ! いったい何をやってるんだ!」
「オヤジさん、来ないで危ない!」
一言、言ってやらないと気が済まなかったオヤジさんまで厨房に来た。
だが、それを隙と見た飯マズ男が手元の壺から塩を掴んで、思いっきりルシウスたちのほうへ投げつけてきた。
「!? オヤジさん、ぼくのうしろへ!」
咄嗟にルシウスは小さな身体でオヤジさんを後ろへ突き飛ばし、庇った。
ルシウスの全身からネオンブルーに輝く魔力の奔流が溢れ出す。
瞬時に腕の中に出現させた聖剣と相俟って、投げられた塩の塊は魔力に弾かれてルシウスたちにかかることはなかった。
「いい加減にしろよ! お前が諸々の黒幕だってのはもうわかっているんだぞ!」
聖剣を構え直し、少しずつ男に迫っていく。
だが、しかし。
「魚だ! お魚さんモンスター来ちゃいました!」
「くそ、やはりバッティングか!」
「あっ、逃すな!」
海岸の見張りがお魚さんモンスター来襲を告げたときの一瞬の隙を突いて、飯マズ男が厨房の裏口から逃走した。
いつも彼がシフトに入った翌朝は、汚れがちゃんと落とされていない皿やまな板、包丁などの洗い直しから始まるのだ。
いくら何でもおかしいレベルで汚れが残っている。
それに、翌朝はありえないほど厨房の残飯が多い。
前日のうちに準備していた材料がほとんどそのままゴミ箱行きになったかの如き量だ。
ただ、違和感は多かったが料理人にも様々なタイプがいるわけで。
雇われ料理人如きの自分が口を出すのも憚られていたからこれまでは黙っていたに過ぎなかった。
「あれっ、オヤジさん、今日休みなんじゃなかったの?」
午前中、9時半頃に食堂に行くと、ギルマスのカラドンや、最近やってきた有名魔力使いのフリーダヤらと談笑していたルシウス少年が駆け寄ってきた。
「最後に一度、彼の料理を食べてみようと思ってね。今日は一般の利用客として来たんだよ」
「そっか。上手くいけば今日でもう機会がなくなるもんね。食べるほどの価値ないけどね、あんなゴミ飯」
ゲンジは、ケンという飯マズ男との面識はない。
それから10時近くになると、厨房の裏口から飯マズ男が入ってきた。
食堂の緊張感は高まりつつある。
『いいか、お前ら。事前の打ち合わせ通り、できるだけ途切れることなくケンに注文を出せ。厨房から移動させないように』
『ラジャー、ギルマス!』
注文はルシウス少年と一緒に出すことにした。
だが、ゲンジの注文品はすぐ出してきたが、ルシウスの注文した定食が出てきたのはそれから何と30分後。
基本、どの料理もいつもゲンジのオヤジさんが前日に5分以内に温め直しだけで提供できるようにしているはずなのに、である。
「これは聞きしに勝るとんでもなさだね」
ゲンジが注文したのはアジの焼き魚定食だった。
前日のうちに彼自身が干物にしてあらかじめ焼いておき、注文が入ったら温め直して皿に盛り付けるだけで良いようにしてあったものだ。
小鉢の漬物やサラダ、スープ、米飯などと合わせた定食セットになっている。
「………………」
温め直すはずの焼き魚は、魔導具の冷蔵庫内から取り出したものが、皿も焼き魚も冷たいままで出てきた。
温め直しすらしていない。
表面には軽く塩が振られているが、それだけだ。
それでもゲンジは箸で焼き魚の身をほぐし、一口、二口食したのだが。
「……う」
不毛な味わいが舌を麻痺させていくようだった。
さすがに飲み込めず、慌ててテーブル上の紙ナプキンに焼き魚を吐き出し、水を一気飲みして何とか息をつくことができた。
一緒に注文したはずのルシウスの料理はまだ来ない。
ゲンジと同じテーブル席で、厳しい表情で厨房を見つめている。
「おい、クソガキ! 持ってけ!」
厨房から飯マズ男がルシウスに怒鳴る。
ルシウスは無言で立ち上がり、厨房のカウンターへ向かった。
だが、男が差し出してきた煮魚定食のトレーを湖面の水色の瞳で一瞥すると、
「あ、その食事、僕は結構ですから。他人に回すこともしないほうがいいですね。捨ててください」
ルシウスの変声期前の高い声が響いた。
食堂内に緊張が走る。
「貴重な食料を無駄にしようっていうのか! このクソガキめ!」
「その『貴重な食料』に唾を入れるあなたほどじゃありませんよ」
「!?」
食堂内が一気に騒然となった。
『唾を入れた』とは何だ!?
「ルシウス君。何かあったのかい?」
ここ最近、調査で昼間留守にすることの多かったサブギルマスのシルヴィスが、しれっとした表情でルシウスのところへやってくる。
何か騒ぎが起こるなら、一方的に敵視されているルシウスのときだとわかっていた。
「この人、何をするかわからないじゃない。料理に物品鑑定スキルを使ったら唾が入ってたから食べなかったんだ」
「彼が食事にそんなことを!?」
さも驚きました、という派手なリアクションでシルヴィスはカウンターに置かれたままの料理を見る。
シルヴィスはギルドの副責任者で物品鑑定スキルを持っている。
実際に鑑定してみると、ルシウスが言う通り、男の唾が入っていたことが確認できた。
「うえっ。俺、あいつと口喧嘩したことあるんだけど。その後あいつが運んできた料理ってもしかしたら!?」
「ただでさえ不味い飯に何つうことを……」
食堂内で他の冒険者たちが、ルシウスたちに聞こえるようにヒソヒソ話をし始めている。
「何だ、なにがあったんだー?」
とそこへ、大根役者っぽくギルマスのカラドンの登場だ。
彼は演技が上手くないので、トラブルが起こったらすぐ食堂出入口向かいの事務所まで他の冒険者が呼びに行くことになっていた。
「ギルドマスター。実は……」
シルヴィスから話を聞いたカラドンは難しい顔になっている。
何だ何だ、と冒険者たちも集まってくる。
「ケン。さすがにこれは見過ごせねえ。仮にも厨房を預かるものがやっていいことじゃない。わかるな?」
「ぎ、ギルマス、これは……っ」
威圧を滲ませながら渋い顔をしている飯マズ男が、せわしなくカラドンやルシウス、周りのギャラリーたちに目線を動かしながら、しどろもどろになっている。
(あっ! こいつ、ポケットから海の中にあったのと同じ色の魔石を……)
厨房用の白い前掛けの横の隙間から、ズボンのポケットの中で何やら男が操作している。
指の隙間から、平たい鶏卵大の大きさの黒い魔石を握っているのをルシウスは見た。
「悪いが、今日で辞めてもらえるか。今日の分の日当は事務所で受け取りを……」
今、事務室には魔術師のフリーダヤと聖女のロータスが向かって、尋問の準備を整えて待っている。
「チッ、金なんか要らねえ! くそ、このガキが余計なことさえ言わなけりゃ!」
ギロっと音がしそうなほど睨まれたが、逆恨みもいいところだ。
「おい、あんた。料理への異物混入は調理師スキル剥奪レベルのペナルティだぞ! いったい何をやってるんだ!」
「オヤジさん、来ないで危ない!」
一言、言ってやらないと気が済まなかったオヤジさんまで厨房に来た。
だが、それを隙と見た飯マズ男が手元の壺から塩を掴んで、思いっきりルシウスたちのほうへ投げつけてきた。
「!? オヤジさん、ぼくのうしろへ!」
咄嗟にルシウスは小さな身体でオヤジさんを後ろへ突き飛ばし、庇った。
ルシウスの全身からネオンブルーに輝く魔力の奔流が溢れ出す。
瞬時に腕の中に出現させた聖剣と相俟って、投げられた塩の塊は魔力に弾かれてルシウスたちにかかることはなかった。
「いい加減にしろよ! お前が諸々の黒幕だってのはもうわかっているんだぞ!」
聖剣を構え直し、少しずつ男に迫っていく。
だが、しかし。
「魚だ! お魚さんモンスター来ちゃいました!」
「くそ、やはりバッティングか!」
「あっ、逃すな!」
海岸の見張りがお魚さんモンスター来襲を告げたときの一瞬の隙を突いて、飯マズ男が厨房の裏口から逃走した。