冒険者ギルドの建物の、食堂横の出入口から出るとそこには日除けのサンシェード付きのテラス席がある。

 夏の外でも海辺なので、日陰だと風が通ってそこそこ涼しく過ごしやすい。

 ラベンダー色の髪と薄い褐色肌の聖女ロータスは、朝食後、雨でなければ午前中はこのテラス席に座って海のほうを盲目の瞳で眺めていることが多かった。



「ロータスさん。これ」

 ルシウスは早起きして海辺のヤシの木から取ってきたココナッツの実にストローを刺したものを、聖女のロータスに渡した。

 聖女や聖者への捧げ物に適すものは、新鮮な果物や甘い菓子、油で揚げた浄性の高い菓子を中心に、彼らの好むものや、捧げる側の誠意を込めた手作りのものなどがある。
 ルシウスの故郷のアケロニア王国に聖女聖者はいないが、聖なるものを祀る神殿はあるので有力貴族家の出身であるルシウスも基本的な作法は心得ている。

「ありがとう。あなたも飲む?」

 ロータスがココナッツを受け取るや否や、目の前でココナッツが2つに増殖した。

 ストローの刺さったココナッツを思わず受け取ってしまったが、手の中のココナッツと目の前の聖女様を何度も見てしまったルシウスだ。

「ろ、ロータスさんを鑑定して見てもいい?」
「どうぞ?」

 ちょっと動揺しながらも許可だけは取った。

 人物鑑定スキルの発動。
 聖女ロータス。
 何とスキル欄に『物質化』がある。
 ココナッツは物質化スキルで増やしたらしい。

「お隣いいですか?」

 返事はない。さっそくココナッツジュースを啜っている。
 聞くまでもないのだろう。
 遠慮なく隣の席に座らせてもらった。

「あのね。綿毛竜(コットンドラゴン)の子供のこと、助けてくれたのにまだお礼を言ってなかったから」
「あら、義理堅いのね」
「お世話になった人にはちゃんとありがとうって言いたいです。……ありがとうございました」
「………………」

 軽く座ったまま頭を下げると、隣からわしわしと青銀の髪の頭を掻き回すように撫でられた。
 よくできました、ということらしい。



「いつも、ここで何を見てたんですか?」
「あれよ。カーナ王国」

 ロータスが指差すココ村海岸の対岸には、隣国の小国カーナ王国がある。

「カーナ王国は知ってる?」
「地図で名前だけなら」
「あそこは円環大陸で唯一、自国の聖女や聖者が帰属している国でね。国の下に邪気が溜まっていて、そのせいで魔物や魔獣の害が常にある。その一部がここ、ココ村海岸にも来ているわけ」

 そういえば、ココ村支部に来たばかりのとき、そんな話を聞いたような、聞かなかったような。

「辛うじて聖女たちの力で退けることができているけれど、さすがにそろそろ限界みたいね」
「ロータスさんが対処にしに行くの?」
「行けるなら行ってやりたいものだけど、生憎あの国に私の(リンク)は動かなくてね」
「ふうん」

 ルシウスもココナッツジュースを飲みながら話を聞いていた。
 ほんのり甘いココナッツジュースは夏の水分補給に最適だ。



「そういえば、仔竜の治療と引き換えに(リンク)の修行しろって言ってましたよね。僕は何をすればいいんですか?」

 これが話の本題だ。

「しばらくは、安定して出せるようになるのが最優先ね」

 ロータスがおもむろにルシウスの顔に手を伸ばしてくる。

「あれ?」

 この聖女は最初に会った日以来、顔を合わせればこうしてルシウスの額を突いてくる。
 今回でもう何度目になるだろうか?
 ロータスの甘い蓮の花の芳香がふわっと鼻腔をくすぐったかと思えば、トン、と眉間近くを突かれる。

 ふと、ルシウスは己の頭の中がやけに静かなことに気づいた。
 自分の中に何もない。
 それまであったはずの堤防が決壊したかのように、思考が止まっていた。

 自分の身体を見下ろすと、腰回りに例の(リンク)が光って出現している。


「魚だ! 魚が来たぞー!」


 ハッと我に返った。今日のお魚さんモンスター来襲だ。
 (リンク)もすぐに消えてしまった。

「僕、先に行きますね! ロータスさんは?」
「すぐ行くわ」

 たたたっと足早に海辺へ駆けていく小柄な後ろ姿を、ロータスは盲目の瞳で見つめている。



「……あの子、何でこんなに(リンク)が馴染まないのかしら?」

 比類なき最強の聖女ロータスの魔力伝授を何度授けても、すぐに元に戻ってしまう。
 パートナーのフリーダヤにも確認したら、(リンク)開発者の彼が行っても同じだそうだ。

「そんなに強い執着を持ってる子には見えないけど」

 むしろ、とても素直で明るく気質の良い子供なのだが、人は見かけによらないということなのだろうか。