それからも、ココ村の冒険者ギルドのルシウスからはたびたび、お魚さんモンスターや、現地の飯ウマ料理人の作ったという料理が届いた。
中にはルシウス自ら作った料理が入っていることもある。
それらはすべて、ルシウスの実家のリースト伯爵家に送られてくるのだが、父親のメガエリスは息子自慢を兼ねて必ず半分、王家に献上しに来るのだ。
「父上、お祖父様。ルシウスが送ってきたものを食すと具合が良くなります。これはやはり……」
午後、タイミングが合って父親や祖父とお茶を一緒にできたとき、グレイシアは念のため彼らに確認しておくことにした。
料理の封入された魔法樹脂のブロックをひとつ用意して、ドーンとテーブルの上に置いて指先で透明な樹脂の表面を突っついた。
すると、ほわん、とネオンブルーの魔力が立ち昇る。ルシウスの持つ魔力の色だ。
うむ、と先王のヴァシレウスが頷いた。
「聖なる魔力の効果だろうな。私もだいぶ不調が改善されてきた。テオドロス、お前は?」
「若い頃に作った古傷の痛みが、いつの間にか消えてましたね。そういえば父上、おぐしや髭の白髪が減りましたねえ」
そんなことを、現国王の息子テオドロスと話していた。
アケロニア王族は皆、黒髪黒目が特徴だが、今年79歳のヴァシレウスは髪や髭の三分の一ほどは白髪になって色が抜けていた。
数年前に大病して以来、一気に増えていたのだが、言われてみればその白髪の量が最近になって劇的に減っている。
「剣聖なら、聖なる魔力の行使は剣を振るうときだけですよね。ルシウスは扱う魔法や行動のすべてに聖なる魔力が絡む」
「明らかに、ココ村の冒険者ギルドに行く前と後とでは、魔力の質にも大きな違いがある。“英雄カラドン”の指導の賜物か?」
「あるいは、大量の魔物を討伐してスキルアップしたかですね」
「両方かな」
そう、ココ村支部のギルドマスターのカラドンは、SSランク冒険者の大剣の剣士で、英雄の称号持ち。
逸話に事欠かない豪快な上位冒険者のひとりである。
だが、そろそろ現役を引退して後進を育てたいと言い出した彼のために冒険者ギルドの本部が用意したのが、環境が良く、出没モンスターの数も少ないココ村海岸の支部長の椅子だった。
ところが実際、彼が自分のパーティーメンバーの一部を連れてココ村支部に赴任してみれば、そこはとんでもない過疎ギルド。
その上、それまでいないはずだった、見たこともない巨大な脚の生えたお魚さんモンスターの襲来。
それでも赴任から半年は数少ないスタッフとともにお魚さんモンスターに対応していたのだが、慣れない新米ギルドマスター業と並行しての魔物退治はやはり相当に厳しかったらしい。
もう支部壊滅寸前です、ヘルプ! と片っ端から知り合いに救援要請を出した先のひとつが、ここアケロニア王国の王家だった。
冒険者ギルド、ココ村支部のギルドマスター、カラドンからの救援要請について。
「王女でさえなければ、わたくしが行きたかったですね。カラドン殿がいなければ、わたくしは産まれてなかったかもですし」
「それを言うなら、国王でさえなければ、私が行きたかったというやつだ。カラドン君は亡き妃とお前の命の恩人だからなあ」
グレイシア王女様とテオドロス国王様、二人がしみじみ頷き合っている。
高ランク冒険者のカラドンは、二十数年前はアケロニア王国内の冒険者ギルドを拠点にして、ダンジョン探索を請け負っていた時期がある。
その頃、ちょうど旅行中だった当時まだ王太子だった現国王のテオドロスと妃が、別荘地に出没した魔物に襲われかける事件が起こった。
そのとき、負傷してしまった護衛騎士たちに代わってテオドロスたちを助けてくれた冒険者の一人が、まだ若かった頃のカラドンなのである。
王都に帰還して少し経つと、妃の懐妊が判明した。そう、旅行中の懐妊だ。
あのときカラドンがいなかったら、アケロニア王家は未来の王妃と、王女を失っていたかもしれない。
この恩はいつか必ず返す、と思って二十数年。
この間にテオドロスの正妃は亡くなってしまったが、恩を忘れることはなかった。
そのカラドン本人からの救援要請に何としてでも応えたいと強く思ってはいても、間の悪いことに敵性国家タイアド王国との戦争間近の大トラブル発生時期と重なってしまった。
そのタイアド王国との戦争は回避できたものの、いくつか問題が残っている。
アケロニア王国は魔法と魔術の大国と呼ばれているが、実のところ円環大陸全体においては、魔力使いの数は年々減少傾向にあり、アケロニア王国も例外ではなかった。
それでもまだまだ、優秀な魔法使いや魔術師を擁しているからこそ、下手に他国へ出したくないというジレンマがある。
他国が、一介の冒険者ギルドに支援しても良いものか? の問題もあった。
カラドンのいるココ村支部のゼクセリア共和国は民主主義国家だからうるさく言わないと信じたいところだが、これが相手先の国が王政国家なら内政干渉を疑われて現地入りするのも一苦労だったはずだ。
そういった種々の問題をどうクリアすべきか、と王族三人が頭を悩ませているところに華麗に登場したのが、大好きなお兄ちゃんの新婚旅行について行けずに不貞腐れていた、リースト伯爵家の次男、魔法剣士のルシウスであった。
王族の彼らがルシウスの派遣を決めた理由は、まずタイミングが良かったから。
鴨がリーキを背負ってやってきたかの如く。
それに、近頃はリースト伯爵家の兄弟仲が微妙で、特に兄のカイルのほうが弟ルシウスの存在のプレッシャーに押し潰されそうになっていたことを、皆が心配していた。
ココ村支部のあるゼクセリア共和国は馬車で一週間以上かかる遠方の国だ。
一時的にふたりを離して、少しカイルを落ち着かせる必要があった。
ちょうど本人は結婚したところだし、嫁と熱々の新婚期間を過ごさせてやろうという配慮もあった。
あとは、ルシウス本人が人類の古代種で、日頃から元気を有り余らせていて発散させる場所がほとんどないことが挙げられる。
ルシウス自身は別に乱暴者ではないし、主に亡き母親の躾の甲斐あって、アケロニアの男子らしい立派な少年に育っている。
それでも、国内環境では全力で力を振るえる環境がなく、学園での授業にも身が入らずサボり気味との報告が上がっていた。
それを考えると、今こうしてココ村支部で毎日お魚さんモンスターを倒しまくる日々は、適度に魔力を発散できて都合が良い。
「カラドン殿からの報告書を見る限り、まあまあ上手くやってるようじゃないか」
「本人、ココ村支部での生活が楽しくて、最近ではホームシックも起こすことがないようです」
リースト伯爵家には、飛竜便を貸し出している。
一日と空けず手紙や物資のやり取りが可能なので、案外寂しさを感じずに済んでいるというところか。
「あとはココ村支部周辺の異常を解明できれば言うことなし、か」
そう、人間の脚が生えた大量のお魚さんモンスター出没の件だ。
「そういう解析は、ルシウスには荷が重いですよねえ」
国王のテオドロスも苦笑している。
ルシウスは確かに、あの年で完成された魔法剣士だが、研究者や分析家ではない。まだ学生で知識や経験も足りなかった。
「やはり、追加の人員を派遣せねばならぬでしょう」
かといって、誰を送り込めば良いものやら。
アケロニア王国の貴族や優秀な平民はすべて国の軍属だし、それ以外となると国内で活動している冒険者に依頼を出すことになる。
そう考えると、まだ学生で家以外に属さないルシウスの存在は実に都合が良かった。
まだしばらく、王族の皆さんが頭を悩ませる状態は続きそうである。
夜、ギルド寮内の部屋の窓、カーテンの隙間からハスミンは海岸を見下ろしていた。
ぼやーんとネオンブルーに光る砂のお魚さんオブジェたちが夜の闇の中に浮かび上がっている。
「ンッフフフ……今度はちゃーんと結界になるよう配置して作らせたから、バッチリ!」
ハスミンの水色の瞳は、闇に紛れてお魚さんオブジェに近づく男の姿を捉えている。
男は何か隠蔽スキルを使っているようだが、ルシウスの作ったオブジェに近づくとスキルの効果が薄れるようで、その姿がハッキリと見える。
そう、例の飯マズ料理人だ。
男はオブジェを、手に持った棒で叩き割ろうとしているが、念には念を入れてルシウスが魔法樹脂で固めたオブジェだ。
ダメージを与えられていない。
ハスミンはネグリジェ姿の自分の腰回りに環を出した。
利き手とは逆の左手の指先で環に触れながら、右手で魔導写真機を構える。
「ピント調節」
そしてカーテンの隙間からパシャリパシャリと何枚も撮影した。
すぐ室内の机に用意してあった専用の光沢紙に転写する。
鮮明な映像だったが対象者が小さかったので、別の光沢紙に拡大して転写し直した。
「よし。顔も、お魚さんオブジェを壊そうとしてるところもバーッチリ撮れた!」
あとはこの写真をギルマスに提出すれば良いだけだ。
翌日、昨晩撮影した写真を持ってハスミンはギルマスの執務室を訪れた。
情報共有のため、サブギルマスのシルヴィス、受付嬢のクレア、そして常駐冒険者のルシウスも集まっている。
「ルシウス君が作って固めた砂のお魚さんたちのことなんだけど。ルシウス君の聖なる魔力を発生する装置になってて、海岸を少しずつ浄化してることに気づいてたの。それを壊そうとしてたってことは……」
「ケンが、ココ村海岸の異常に何かしら関わってるってことか……」
「可能性は高いわね」
机の上に広げられた写真数枚を前に、髭面ギルマスのカラドンが、喉の奥から唸るような溜め息を吐いている。
「僕はあの飯マズ男、突っかかって来るからウザいって思って警戒してたけど。ハスミンさんはどの辺りであの男がおかしいって気づいたの?」
「それはね……」
ルシウス少年の疑問に、ハスミンは当時を思い返していた。
ハスミンがココ村支部に出入りするようになったのは、今年の初め頃に、つるんでいた友人の魔女が行方不明になってからのことだ。
最初は移動に便利な内陸のヒヨリ町に宿を取って友人を探していたが、ルシウスがココ村支部に来てからは、彼に興味を持ってハスミンもココ村支部に常駐するようになった。
今は8月だが、当時はまだ6月のこと。
「ほら、あたしがお部屋借りてる寮の建物から、ギルドに向かう連絡通路の出口付近にお手洗いあるじゃない? 暑くなり始めた頃だったから、男子トイレのドアが換気のためなのか開けっぱなしになってたのよね」
そこで偶然、中で小用を足している飯マズ男の後ろ姿を見たのだという。
そのときハスミンは何となく視界に入れてそのまま通り過ぎようとしたのだが。
その前に男の方が男子トイレから出てきて、ハスミンに気づかず歩いて行った。
「あの男、用足しした後、手も洗わずそのままおトイレを出て厨房に入って行ったのよ。もうー無理、私の中であの男は最警戒人物よ、ありえないー!!!」
「ひいいいいっ!」
ハスミンが自分の華奢な身体を自分で抱き締めて震えている。
その話を聞いた受付嬢のクレアも背筋が凍るような表情で悲鳴をあげていた。
カラドン、シルヴィス、ルシウスの男三人も苦虫を噛み潰したような顔になっている。
「きもちわるー」
ルシウスがげんなりしながら言った。
そんなの、普通の人がやってもドン引きなのに、料理人としては失格レベルの行為だ。
「ハスミンさん、そういうことは教えておいてください、ケンさんの料理これまでどれだけ食べたと思ってるんですが、うえええ……っ」
「そりゃあたしだって言いたかったけど! でもその前に、あの男がルシウス君に絡むようになっていたからさあ」
発端はそれだったが、ルシウスへの態度を見てからは、慎重に相手を観察していたのだという。
「ああいう、過剰で異常な反応を見せる人間には要注意なのよねえ」
関わるだけで破滅的な悪影響がある。
それ以降、ハスミンもあの男が厨房に入る日は料理を注文しないようにしている。
ルシウスと一緒に、一日、携帯食やパンを齧って凌いでいた。
「で、どうするの? 始末する?」
澄みきった曇りのない湖面の水色の瞳でルシウスが訊いてくる。
「接触回数を増やして、相手の反応を引き出せば尻尾を出しそうですね」
「え、それって」
皆の視線がルシウスに集中する。
今のところ、例の飯マズ男が過剰反応を見せているのはルシウスだけだ。
「僕にあの男に近づけっていうの!?」
「接触できる機会が週一しかねえんだ。あいつが厨房のシフトに入る日、できるだけ料理注文すれば何かしら反応見せるだろ」
一日三食利用するなら、少なくとも三回は接触可能ということになる。
「……あんなゴミみたいな飯マズ飯、僕もう絶対食べるのヤ!」
「小さいゴミ袋を用意します。食べる振りしてその中に捨てればいいですよ」
準備は任せてくれと、受付嬢のクレアがビシッと親指を立てて良い笑顔だ。
違う、そういうことじゃない、と訴えても、この流れだと逆らえそうになかった。
冒険者ギルド、ココ村支部に常駐している冒険者は、現在のところアケロニア王国から派遣されている魔法剣士のルシウスと、女魔法使いのハスミンのみ。
他はぽつぽつと、ギルドマスターのカラドンを慕って他国からやってくる冒険者たちや、ココ村海岸のお魚さんモンスターの評判を聞いて腕試しにやってくる冒険者がソロ、あるいはパーティーでやってきて、数日から一週間単位で現地滞在といったところだ。
宿泊は、ソロ冒険者ならギルド職員用の寮の部屋を貸し出したり、人数のいるパーティーの場合は最寄りのヒヨリという内陸の町の宿を利用している。
その日、8月の夏で気温がぐっと上がる昼時の少し前にココ村支部にやってきたのは、若い男女二人組だった。
男のほうは年は二十代半ばくらいだろうか。
薄緑色の長い髪を、後頭部で紐で無造作に括ったひょろっとした優男風の印象で、白く長いローブ姿だ。魔法使いか魔術師だろう。
女のほうはまだ二十歳そこそこに見える。
ラベンダー色のセミロングの髪と、薄い褐色の肌が神秘的な印象の美女だ。
素朴な綿のワンピースとサンダル姿で冒険者には見えなかったが、魔力使いは武装しなくても戦えるものだ。
雰囲気からして、男の単なる付き添いというわけでもなさそうだった。
ちょうど例の飯マズ料理人の当番の日にやってくるとは、何とも運のない冒険者たちだった。
彼らは受付で滞在手続きを取った後、食堂で昼食を取っていた。
そう、飯マズ料理人のマズ飯を。
「うわー。兄ちゃんたち気の毒すぎるわ」
冒険者たちは気の毒そうに二人連れを見守っている。
男女は牛のステーキ定食を頼んでいたが、一口二口食べて撃沈していた。
「あれ、新人さんー?」
ちょうどお魚さんモンスターを倒した後のこと。
海岸からギルドに戻ってきていたルシウスが入り口近くのテーブル席で待機していようと思ったところ、いつも使う場所に見慣れぬ先客を見つけた。
定食の前で悶えている若い男女ふたりを見て、首を傾げる。
「うう、くっそマズ……。ねえ、そこの君。ここってさあ、もっと美味い飯はないの?」
「ああ、それは工夫すると美味くなりますよ」
男女の前に食べかけの定食のトレーがあるのを見て、即座に状況を察した。
飯マズの洗礼を受けてしまったのだ。
ルシウスは、以前ギルマスのカラドンから教わった、飯マズ料理の食べ方を指南することにした。
壁際に飯マズ料理人の担当日だけ置いてある、小麦の皮トルティーヤとソースやドレッシング類を持って、また男女のテーブルまで戻った。
「ちょっとフォークとナイフ借りますねー」
皿の上の肉の塊を細かく切って、野菜と一緒にトルティーヤにのっけていく。
「辛いソース、大丈夫な人たち?」
「大丈夫」
「私も」
頷いて、チリソースで味付けしてくるくるつわと端から巻いて、ふたりに次々と手渡していった。
「え、うま……これ、ほんとにあのクソマズだった肉!?」
「この辛いソース、私好きかも」
せっかくなので、同じテーブルで自分も(嫌々、飯マズ料理人の調理した定食を持ってきて)食事する振りをしながら話を聞いてみることにした。
「私は魔術師のフリーダヤ。そっちの彼女は聖女のロータスだ」
「それ、超有名人じゃない。同じ名前の人?」
「本人だよー」
この、よくわからない取り合わせの男女が本当に名乗った通りの人物なら、魔力使いの世界を旧世代と新世代に分断した張本人たちだ。
どちらも800年近く、あるいはそれ以上生き続けていると言われる、世界屈指の魔力使いである。
特に魔術師フリーダヤというのは、女魔法使いのハスミンも使っている光の環を開発した術者として知られている。
「えっと」
誰か事情通はいないかなと食堂内を見回すと、ちょうど入口から受付嬢のクレアが入ってくるところだった。
(この人たち、本物?)
身振り手振りで男女を示すと、クレアはにっこり笑って両腕で大きく丸を作り、頷いて見せるのだった。
(えと、えと、……リースト伯爵家は魔法の大家だけど、もう何代も前に環は術式として取り扱わないって決めたはず……)
ルシウスは優れた魔力使いを排出するリースト伯爵家の魔法剣士だ。
魔力使いは現状、新世代と旧世代に分かれていて、環を使わないリースト伯爵家の者たちは旧世代になる。
新世代たちが使う光の円環、環のことはもちろん知っていた。
ここココ村支部では女魔法使いのハスミンが使っている。
貴重なアイテムボックス機能を持つことや、血筋や本人の魔力使いの適性と無関係に魔法魔術が使えるようになる術式であることなど、その発現条件についてもある程度、把握していた。
ただ、この環という術式には少々警戒が必要な面があって、ルシウスの故郷アケロニア王国の貴族で使っている者はほとんどいないのが実情だった。
「あのね、この不味いごはんはあの料理人がいる週一だけだから、覚えておくといいですよ。それじゃ僕はこれで」
失礼します、とほとんど手を付けていない自分の定食のトレーを持って席を立とうとしたところ。
「!?」
ルシウスのすぐ側に、聖女だというロータスが立っていて、ビクッとした。
「ごはんをおいしくしてくれて、ありがとう。これ、お礼ね」
ラベンダー色の髪の女のほうが席を立ち、テーブル脇に立ってトルティーヤを巻いてくれたルシウスの前で中腰に屈み込んだ。
驚いたが、ただお礼を言うためだけだったようだ。
「?」
頭でも撫でてくれるのかな、と待ちの姿勢になったルシウスは、あることに気づいた。
女の目は開いていたが、水色の瞳が薄っすら白く濁っている。盲目なのだ。
だが、そんな不自由さを感じさせることなく、アルカイックな笑みを浮かべて指先をルシウスの額に伸ばし、トン、と突いた。
「………………!?」
直後、頭蓋の中身が揺れ動くような衝撃が来て、ルシウスは目を回してしまった。
咄嗟にしゃがみ込んで目眩を堪えようとしたが、平衡感覚が保てず身体が傾いでいく。
床に倒れ込むところを、背中から支えてくれる腕の感触がある。
あ、もうダメだ、と仰け反ったルシウスの湖面の水色の瞳が最後に映したのは、厨房のほうから鋭く睨みつけてくる飯マズ男の姿だった。
目は合ったか、合わなかったか。
そんなことを認識する間も無く、意識が落ちた。
人の話し声が聞こえる。
「いきなり倒れさせるとか、ほんとやめてほしいんだけど!? この子の怖い親父さんが飛んで来ちまったらどうすんだ、俺だけの責任じゃ済まなくなるんだぞ!?」
これはギルマスのカラドンの声だ。
何だか涙声だけど平気なのだろうか?
「大丈夫、大丈夫。この子、アケロニア王国の子なんだって? あそこの王族とは知らない仲じゃない。何かあったら取りなしてあげるから」
「いやだから、そういう問題じゃねえんだって!」
ギルマスは若い男と何やら言い合っている。
どうも自分のことを話し合っているようだった。
気づくとルシウスは冒険者ギルドの2階、宿泊していた宿直室のベッドに寝かされていた。
そこで何やらギルドマスターが、今日来たばかりの冒険者、魔術師フリーダヤと小難しい話をしていた。
聖女だというロータスは、部屋の端に簡易ソファーを引っ張り出してきたようで、裸足で寝転んでうたた寝をしている。
(頭がボーッとする。この状況、何なんだろ)
「ヤバい連中に目をつけられちまったな、ルシウス。……おいフリーダヤ。それでこのルシウス坊主は何に覚醒したんだ?」
髭面で強面の大男のギルドマスターカラドンを宥めつつ、フリーダヤがじっとルシウスを見つめてきた。
他者の魔力が、ルシウスの全身をスキャンしていく。
鑑定スキルを使われているとき特有の感覚だ。
「“聖者”だ。聖者ルシウス・リースト」
「え? 僕は魔法剣士ですよ? 聖者なんかじゃありません」
きょとん、とした顔になったルシウスだ。
リースト伯爵家の者は血筋に代々、金剛石ダイヤモンドの魔法剣を受け継いでいて、少しでも魔力を持つ者なら皆、自動的に魔法剣士の称号と関連するスキルが発現する。
ルシウスも一本だけ強力な魔法剣を持っていて、それを使ってここココ村支部で冒険者として活躍していた。
「間違いなく聖者だ。というか君、元々が聖剣持ちの魔法剣士じゃないか」
「はあ、まあ確かに聖剣持ってますけど」
しかし、ルシウスにとっては、だから何だという話だ。
初めてこの聖剣を生み出したときの兄カイルの引きつった顔は忘れることができない。
思えばあのときから、大好きだったお兄ちゃんが少しずつ自分と距離を置くようになってしまった。
自分はこんなものより、兄と同じ何十本もの自在に宙に浮かせて操れる魔法剣が欲しかったのだ。
(たった一本なんてショボすぎる!)
と実際、故郷でも口に出して顰蹙を買ってしまっている。
でも、だって、本当に自分が欲しかったのは兄とお揃いのものだけだったのだ。
ルシウスの持つ聖剣はたった一本のみだし、形も両刃で細部を変えられない。
兄カイルは本数はたくさん持っているし、形状も大きさも自由自在。実に羨ましい。
だが、「僕は兄さんが羨ましい」と言うと兄は悲しそうな顔で、無理やり作った微笑みを浮かべてルシウスの頭をぽんぽんと優しく叩いてくれるだけなのだった。
「珍しくロータスが動いたから驚いたけど、聖女から新たな聖者への“伝授”というわけだったか。そういうわけで、聖者覚醒だ。おめでとう」
「???」
薄緑の髪と瞳の魔術師フリーダヤはそう言うが、何やら展開が唐突すぎてよくわからない。
ところが、ベッドの上に身を起こしてみると、ルシウスの腰回りに光り輝く帯状のリングがある。
強く白色に白光する帯状のリングに、ルシウス本来のネオンブルーの魔力が絡みついて光っていた。
「あれ、これって……」
「環だよ。君も聞いたことぐらいあるんじゃないの?」
ここココ村支部の冒険者の中には魔力使いも多くいて、その中にはこの光のリングを駆使する術者も若干いた。
代表は、ルシウスと同じく常駐している女魔法使いのハスミンだろう。
環は新世代の魔力使いたちが使う、魔力操作のためのコントロールパネルの術式だ。
旧世代が自分の持つ魔力だけで魔法魔術を使うのに対し、新世代はこの環を用いることで、自分だけでなく他者や環境といった世界からの魔力調達が可能になる。
現在、魔力使いたちの世界は、旧世代から新世代に移り変わる過渡期にあると言われていた。
ただ、環使いはルシウスの知る限りあまり強い者がおらず、回復やバフ役が大半なので自分とは関係のないものだと思っていた。
ハスミンも冒険者ランクはB止まりの中堅に留まっているし、雷魔法を使うものの、戦闘中は他の冒険者たちのバフ支援に回っていることが多かった。
ルシウスは魔法剣士として、徹底的な特攻タイプの戦闘スタイルだ。
そういう後方支援タイプとは相入れない。
「まだ安定はしてないけど、これだけ輝く環の持ち主はそうはいない。久し振りに大物を当てたみたいだねえ」
「だが、聖者ってマジで? 剣聖じゃなくて?」
ハッとルシウスは我を取り戻した。
「僕が聖者だなんて有り得ない。“聖者”も“聖女”も僕にとっては敵なんだからね!」
「あっ、ルシウス!?」
魔術師フリーダヤもギルマスも、端っこで寝ている聖女ロータスもキッと強く睨みつけて、ルシウスはそのまま宿直室を飛び出したのだった。
(信じられない。聖者とかほんと有り得ないんだから!)
生まれて半年ほどしか一緒にいられなかったが、約一万年前、母親の胎内にいたときからの記憶があるルシウスはすべてを覚えている。
当時、強い魔力を持つことから魔人族と呼ばれていたハイヒューマンの一族がルシウスの出身だった。
そんな魔人族に対して、滅びの道を歩みたくなければ魔力を抑制するよう迫ってきたのが、当時近隣にいた聖者たちだった。
本当にもう余計なお世話で、最初は一族皆で無視していたのだが、この聖者たちがとにかくしつこかった。
幾度目かの聖者たちとの争いを経て、その余波で土地をいくつも潰した頃。
一族は自分たちの力が世界を破壊するものと認めて、ステータスの一部を抑制することにした。
ステータスは「体力、魔力、知力、人間性、人間関係、幸運」の主に六つ。
元々、魔人族はほとんどの項目が平均より上だった。
意図的に抑制できたのは幸運値のみ。
それが現在までリースト伯爵家の者たちの幸運値の低さに繋がっている。
そして、莫大な魔力だけは抑制できなかったので、武器に変換していくことになった。
一本一本、まずは自分の魔力を魔法樹脂という透明な樹脂で好きな武器の形に成形する。
その後に魔法樹脂を性質転換していく。
様々な金属や鉱物への性質転換を試していった結果、金剛石ダイヤモンドが最も安定して魔力から転換できることを発見した。
だが、当時生まれたばかりだったルシウスはそんな一族の行為に抵抗した。
生まれ持った莫大な魔力は自分を守る武器であり、盾でもある。そんな大事なものを本来のポテンシャルに反した形で損なうなど、とんでもないことだ。
魔力を武器に変換するごとに、本来持っていた魔力値は下がり続けるのだから。
自分の力は愛する両親から受け継いだものだ。それをわざわざ手放すなんて嫌だった。
だが、ここでまた余計な口を聖者たちが挟んできた。
「家族すら傷つける子供は、いずれ一族の衰運をもたらす」と。
これに考え込んでしまったのが、ルシウスの家族だった父母と姉だ。
ルシウスは産まれるときに強すぎる魔力で母胎の母親を傷つけ、宥めようとした父親の力量をも凌駕してダメージを負わせていた。
当時のルシウスは人の言葉を既に理解していた。
だが、まだ生まれたばかりの赤ん坊では、さすがに自分の持つ力の制御はできなかった。
父も母も、そして姉も必死で末の弟に語りかけていたが、できない。
強大な力はルシウスが泣けば大地を揺るがし、嵐や雷を引き起こし、そして火山を刺激して土地を荒らし引っ繰り返した。
そんなことが起こるたびに、例の聖者どもが「その赤ん坊を始末しろ」と迫ってくる。
しまいには姉に尻を叩かれるわ、頬を叩かれるわで散々な目に遭った。
そして生まれてから半年と経たず、母親の跡を継いで魔王となった姉が、ルシウスの封印を決めた。
生まれ持った魔力が強すぎて、このままでは一族もろとも破滅してしまうからということで、ルシウスは両親と一族の者たちに封印されることになった。
一族の秘術、透明な魔法樹脂の中へと。
その際、自力ですぐ魔法樹脂を壊して出てきてしまわないように、聖剣使いの協力を得て、一族総出で聖剣を一族が扱う金剛石の魔法剣に転換してから体内に封印されることになった。
聖剣使い、即ち、言いがかりをつけてきた聖者たちの一味だ。
敵対者の武器を埋め込まれるなど、屈辱以外の何ものでもない。
だが、過剰な魔力を振り回して暴れ回る赤ん坊の弱体化には有効だった。
今もルシウスの脳裏には、最後に見た家族の姿が鮮明に焼き付いていて、想起できる。
長い青銀の髪を乱して、姉の魔王が怒りと悲しみの混ざった顔で涙を流しながら、泣き疲れてもう声も出ない赤ん坊に向けて聖剣を上段に構えている。
『お前は我が一族の最高傑作だ。だが、もはや世界が“最強の生物”を求めていない』
(なんで。パパとママがぼくをこうつくったのに。しんでんにきがんして、まりょくをたくさんもったつよいこになりますようにって)
神殿で両親が祈願した内容に世界が応えた結果、ルシウスは比類なき魔力の持ち主として形作られ、この世に生を受けたというのに。
『お前が唯一無二の存在を見つけて落ち着くまで、我らはもう待てない。わかるな?』
頬や尻を真っ赤に腫らし、自分の指をしゃぶって蹲っていたルシウスは顔を上げた。
身体の腫れは、ほとんど、この姉に殴られ叩かれたものだ。
ハイヒューマンのルシウスは負傷してもすぐ治る。まだ幼くて魔力の制御ができなくても、力いっぱい殴られるとその衝撃がある間は魔力の放出が止まった。
(もういたいのはいや。ねえさまがいたいのもいや)
まだ赤ん坊で頭を思うように動かせないが、それでも同じ湖面の水色の瞳を姉と合わせた。
嗚咽しながら振り下ろされた聖剣は、そのまま再び蹲ったルシウスの背中側から心臓に向けて突き刺さった。
聖剣はそのまま赤ん坊の体内へと消えていく。
小さな身体から台風のように吹き荒れていた魔力が止まった瞬間を狙って、両親や他の一族が力を合わせてルシウスを魔法樹脂の中へと封印した。
これが、ルシウスが魔人族のハイヒューマンとして生まれながら、一万年近く魔法樹脂に封印されることになった経緯である。
つまり本来、ルシウスは聖剣使いでもなければ、聖者でもない。
長い年月、聖剣とともに封印され続けたことで、聖なる魔力が心身に馴染んでしまっただけの忌み子だった。
今の父、リースト伯爵メガエリスにルシウスが初めて会ったのは、父がまだ幼い頃のことだった。
両親に連れられて王都本邸の地下で初めて、魔法樹脂に封印されていた赤ん坊の、まだルシウスという名前のなかったルシウスと顔を合わせた。
とはいえ、魔法樹脂の中のルシウスは蹲って目も瞑ったままだったので、目が合うこともなかったのだけれど。
それでもハイヒューマンとして知覚が発達したルシウスには超知覚による心眼がある。
鮮明な映像としては見えなかったけれど、目の前にいる5歳前後の子供がショートボブの青銀の髪を持っていて、魔人族の末裔らしい湖面の水色の瞳を持った、とても愛らしい少女のような少年であることは見えていた。
それからメガエリスは王都の本邸にいる間は特別な用事がない限り、必ず毎日地下に降りて、最も古い時代のご先祖様であるルシウスや、他の同族たちに挨拶する習慣を持つようになった。
親しい友人がおらず、本やおもちゃを持って地下に来ては、物言わぬ魔法樹脂の中の人々に囲まれて、あれこれ独り言を言っている子供だった。
「僕は本家の嫡男なのに、魔法剣はたったの8本だけ。ここからどうやって頭角を現したらいいんだろう?」
当時も今も、一族で魔力が強い者は皆、金剛石ダイヤモンドの魔法剣を数十本単位で生み出し創り上げることができた。
なのにメガエリスは自分は8本しか創れなかった、と言ってよくしょんぼりしていた。
『じゅんすいに、けんのわざをみがいたらいいよ』
当時まだルシウスという名前のなかったルシウスは、魔法樹脂の中からそう、姉の子孫の子供に語りかけた。
メガエリスにルシウスの声なき声を知覚する能力はなかったが、ルシウスに悩みを打ち明けた後は何となく直観的に得るものがあると理解しているようだった。
そうしてルシウスがメガエリスの悩みに対して助言すると、数日来なくなったと思ったら、血筋に受け継いでいる魔法剣ではない生身の細い剣を持ってきて、
「居合いを習うことにしたんだ。一族の魔法剣士にはいないから、差別化になるかなって」
そして目の前で、居合い抜きを実演して見せてくれた。
凛とした背筋の伸びた美しい少年に育っていたメガエリスに、その鋭い動きはよく似合っていた。
『すごい。きみはぜったい、ひとかどのけんしになるよ』
後にメガエリスはアケロニア王国の魔道騎士団の団長にまで上り詰めた。
この国で騎士団長は将軍、事実上、軍のトップ将校のひとりだ。
文字通りテッペンを取ったメガエリスは、その後、長いこと居合い名人の魔法剣士として魔道騎士団に君臨した。
いつも自信なさげに悲しそうな顔をしていた少年は、成長してやがて学園に入学し、今度は女の子たちに追いかけ回されることに悩むようになった。
「男まで迫ってくるの、本当に何とかしてほしい。今日なんて、友人だと思ってた奴が勝手にファンクラブなんてもの作ってたんだ。僕はファンなんて欲しくない。一緒に切磋琢磨できる友が欲しいのに」
『くすくす。いちぞくのおとこのこはみんなそう。だからこそ、したしくなれるひととはいっしょうおつきあいがつづくんだよ』
メガエリスは学園に入学してから、宰相を輩出する侯爵家の子息と仲良くなったのだが、学年が上がるにつれて相手のほうが変に拗らせてメガエリスを崇拝するようになったという。
「……気がつくと、僕の顔をボーッとしながら見ててさ。最近何だか話もまともに合わなくなってきてて」
『そういうこたちは、うまくりようするのがいいって、ねえさまがいってた。きみもいちぞくのこだから、できるようになるよ』
メガエリスはクールで孤高の少年に育ったが、そんな彼を心配して一回り年上の王子様が何かと気にかけてくれるようになったらしい。
その王子様に連れ回される中で、良い人脈も広まっていったようだ。
ちなみにその王子様というのが、後のアケロニア王国が誇るヴァシレウス大王である。
たまには恋愛の悩みを呟くこともあった。
「周りは皆、恋人を作ったり紹介し合ったりしてるのに、僕ときたら……」
離れた場所から麗しの容貌を鑑賞されるばかりで、積極的に付き合おうとまでしてくれる女子がいなかった。
メガエリスが声をかけようとしても、嬌声をあげて逃げていく子たちばかり。
『それはしかたがない。メガエリスはおんなのこたちよりかわいいもの』
「かといって、男もいやだ……」
アケロニア王国では同性愛もそれなりに広まっていた。
メガエリスのような麗しい容貌で肉体的にも体格に恵まれ鍛えられた者は、男女問わずモテる。
『あせらなくたっていいんだよ。ぼくたちはきまったひとしかあいせないんだから。そういういきものなの』
ルシウスの両親や姉、他の一族も、最愛を見つけるまで何百年もかけることはザラだった。
今のメガエリスたちはハイヒューマンの血が薄れているからそんなに長くは生きられないし、時間をかけられないだろうけれど、自分の気持ちが動かない相手と番うことは不幸にしかならない。
『きみがさいあいをみつけられるように、ぼくもいのっているね』
ルシウスを封印して以降、魔人族、そして今のリースト伯爵家に至る一族は幸運値が落ちている。
ステータスの幸運値は、文字通りの幸運というよりは外運を示す数値だ。
ここが低い場合、自然と外界から幸運がやってくることは少ないので、自ら積極的に動くことで運気を掴んでいく必要がある。
『たくさんのひととあえるように、たくさんおでかけしてね。メガエリス』
そしてそのお話をまた聞かせてね、と声なき声で一族の子供に語りかけるルシウスなのだった。
そうしてメガエリス少年は成人し、二十代になり、三十代になり、いい加減に結婚しろと家族からも、今は王様となった黒髪の元王子様からもせっつかれるようになった。
「なあ。君、そろそろ魔法樹脂の中でお眠するのは飽きたのではないか? 君が私の息子になってくれるなら、私は面倒な結婚なんてしないで済むのだが」
『きみのむすこに? かぞく?』
ルシウスは、いつの間にやら自分を“僕”から“私”と呼ぶようになった、一族の子供メガエリスを超知覚で捉えた。
もう立派な大人だ。魔法剣が8本しか使えないとベソをかいていた子供の面影は、もうどこにもない。
『きみのことはすきだから、でられるようにがんばってみるね』
そこから更に十数年たって、何と四十代に入ってからメガエリスがお嫁さんを連れてきた。
元修道女だというお嫁さんと一緒に挨拶に来てくれたときは、嬉しさと祝福の気持ちと、ちょっぴりの寂しさを覚えたルシウスだった。
お嫁さんが来てくれたなら、そのうち子供もできるだろう。
もうルシウスは必要ない。
『すてきなおよめさまと、おしあわせにね。メガエリス』
自分を封印する魔法樹脂から出ることを諦めて、眠りにつくこと10年弱。
「お前、何か悪戯でもしたんでしょ。そんなにお尻ぶたれるまで何やったの?」
子供の男の子の声がする。
揶揄うような声音だ。
沈み込んでいたルシウスの意識が浮上する。
あれ、と思った。
自分のこの腫れた頬や尻は、どれだけ言い聞かせても魔力を抑制できないルシウスに焦れた、姉を始めとした家族からのお仕置きだった。
けれど、何千年も経つにつれて、ルシウスのこの赤く腫れた顔や身体を見て、「この子供は虐待されているところを保護されたのだろう」と言われるようになっていた。
『ちがうもん。ちがうけど……』
末の息子や弟を諦めたくなかった両親や姉の愛だ。
けれど今のルシウスにそれを伝える術はない。
幸いなことに、ルシウスが封入された魔法樹脂の塊は、同じ一族の本家筋に代々受け継がれてきた。
彼らはほとんどが、ルシウスの姉の子孫だ。
大抵の場合、彼らは魔法樹脂の中のルシウスを見て、それぞれ受け取った印象で好き勝手なことを言う。
虐待されたのではないか等もそう。
中には、蹲るルシウスを持ち上げて下から覗き込んで「あら、男の子」なんて言う、淑女の慎みのないサバサバした女の子もいた。
そろそろルシウスが封印されて一万年だ。
初めてだった。
自分を見て、正しく状態を看破した者は。
「可愛い顔してるのに馬鹿な子だね」
この子、何なんだろう。
ちょっと捻くれたような物言い。
感じる魔力は間違いない。リースト一族のものだ。
この強さなら、本家筋の子だ。
超知覚で捉えた子供は、6歳、いや7歳ぐらいだろうか。
魔力の感じからすると、今もほぼ毎日ルシウスに会いに来てくれるメガエリスと似ている。
そうか、あのお嫁さんとの子供なのだ。
『きみのこえ、もっとききたいな』
『きみのおかお、ちかくでみたい』
ほわーんと、胸の辺りが柔らかで温かな魔力で満たされてくるのがわかった。
そうだ。自分は唯一を見つけたのだ。
『あれ。まりょくがうまくねれない』
長年、魔法樹脂の中に封印されていたせいで、今度は外に出るための力が足りなかった。
ルシウスが安置されていた地下室には、他に魔力の素材となるようなものがなかった。
あるのは、ルシウスと同じように封入された同族やそれ以外の者たちだけ。
『ごめんね。きみのまりょく、ちょっとだけもらうね』
目の前にいた少年に超知覚の見えない触覚を伸ばして、ほんのちょっとだけ足りなかった分の魔力を失敬した。
そのとき、慣れない魔力操作を行ったせいで、少年の魂まで千切り取ってしまったことに、ルシウスも少年も気がつけなかった。
千切ってしまった魂は、ほんの一滴分ほど。
その一滴だけの魂の欠片は、ルシウスには喜びを、奪われた少年には苦悩をもたらすことになる。