「い、たたたた……」

 地べたに寝ていたエイラは体が痛くて目が覚めた。ゆっくり体を起こすとジュードのローブが掛けられてることに気が付いたが、ジュードは見当たらない。

「ジュード?」

 エイラがローブを抱え川の方へ向かうとジュードは顔を洗っていた。

「ジュード、おはよう。ローブ掛けてくれたんだね。ありがとう」
「いいよ」

 ジュードはエイラが抱えているローブの裾で顔を拭いた。

「えっ、これで拭くの」
「だって他に拭くものないし」

 ジュードは顔を拭くとそのままローブを受け取る。

「エイラも顔洗う?」
「うん。そうする」

 エイラはジュードに促され、しゃがみ込む。髪を耳にかけ顔を洗おうとするが、俯くと耳にかけた髪がパラパラと落ちてきてなかなか洗えない。

「ねえ、ジュード。ちょっと持っててくれない?」
 
 エイラは両手で髪を後ろにまとめると、まとめた髪を持つようにジュードにお願いした。

「えっ?」
「は、や、く」

 エイラに急かされ咄嗟に両手で髪をそっと掴んだ。

「、、、、」

 掴んだ両手が、露になったエイラのうなじに触れている。ジュードは顔が火照るのを感じ目を反らした。その間エイラはバシャバシャと顔を洗う。

「あー、さっぱりした! ジュードありがとう」

 洗い終えたエイラは襟元で顔を拭く。

「そんなとこで顔拭くなよ!」
「だって他に拭くものないし?」

 ジュードは自分の真似をするエイラに呆れたようにため息をついた。

「それにしても久しぶりに川で顔洗った! すっごく気持ちいいね」

 まだ少し水の滴るエイラの顔に見とれてしまったジュードは誤魔化すように持っているローブでエイラの顔をごしごしと拭く。

「ちょっと、雑に拭かないでよ!」

 そう言いながらも、されるがまま拭かれているエイラの前にどこからともなくひょこっとルルが現れた。

(朝から僕をのけ者にして二人でイチャイチャしないでよぉ)

「もう、そんなんじゃないって」
「ルル?」
「うん」

――ピュッ

「うわっ」

 ルルは見えていないジュードに挨拶代わりに水を吹き掛けた。

「ルル! いちいち水かけてくるのいいから」

 ジュードは顔を袖で拭きながらルルが居る方とは反対を向いて抗議している。

「ねぇルル、ジュードに姿見せてあげたら? じじ様には見せてたじゃない。もうすぐ幻妖の森に着くし、何かあった時のためにも。ね?」
(そう? エイラがそこまで言うなら仕方ないなぁ)

 するとジュードの目の前が小さく光りルルが姿を現した。

「うわっ」

 ルルは鼻先が触れるほど近くで羽をヒラヒラさせている。

「近いよ!」
「だってジュードのびっくりする顔が面白いんだもん」

 ルルはケタケタ笑いながらジュードの回りを飛んだ。

「ねぇ、二人とも、この山を下ったら幻妖の森だよ」
「そうだな。行くか」
「レッツゴー!」

 三人は焚き火をした場所に置いていた荷物を持ち、山を下った。

――――――――――

「ここが、幻妖の森……」
「先が全然見えないね」

 山を下った草原の先にある、霧で覆われたこの場所が幻妖の森だ。

「この森の外側は霧で囲まれているけど、中は澄んだ綺麗な森だって俺の師匠が言ってた」
「ジュードの師匠?」
「俺に剣術や魔法を使った戦法を教えてくれた人だよ」

 視界が悪く不安になりながらも霧の中をしばらく進むと、まるで空間を区切るように突如開けた森が広がった。

「うわぁ……」

 エイラは霧を抜けた途端、視界には澄んだ森に溢れんばかりの妖精たちが飛び回っていることに驚いた。

「ルル、すごいね」
「ここは魔力を持つ生命が生まれる場所だからね」

 ジュードも他の妖精は見えていないが、この森の美しさに目を凝らす。

「こんな場所に魔物がいるの?」
「森の奥に行けば行くほど魔物が現れるって言ってた。たぶんもう少し進めば西側から入ってくる冒険者たちにも会うと思う」

 エイラとジュードが入って来たのは森の南側だ。西側には冒険者たちが多く住む街があり、森へ入ってくる者は大抵西側から入ってくる。北へ進むほど森の奥へと入って行くことになるのだ。

 森の中へ進んで行くジュードの少し後ろでエイラは近くに居る妖精にこっそり声をかけた。

「ねえ、この森にユグドラシルはある?」
(ユグドラシル? 今はないよ)
(もう少し早く来たらあったのにね)
「少し前にはあったの?」
(そうだよ!)
(この前まであったよね)

 妖精たちは口々にユグドラシルのことを教えてくれるが、わかったのはこの森には今はないということだった。

「エイラ、少し前まであったってことはしばらくはたぶんこの森に姿は現さないよ」

 ルルは残念そうに首を横に振りながらエイラに耳打ちする。

「そっか……もう少し早く来てれば……」

 エイラはタイミングの悪さに肩を落としたが、どんどん前に進んで行くジュードの背中を見て気を取り直す。

「でも、まだ旅は始まったばっかりだもんね! ルル、行こう!」
「うん!」

 エイラとルルはジュードを追いかけ横に並ぶ。

「ねぇジュード、精霊の源が見つからなかったらどうするの?」
「違う場所を探しに行くよ」

 ジュードは前を向いたまま当たり前のことのように呟く。

「どこにもなかったら? いつまで探すの?」
「いつまででも探す。探すのを辞めるのは新しい精霊賢者が現れた時か、俺が死ぬ時だよ」
「ジュード……」

 精霊の源は自分が宿している。どんなに探しても見つかることはない。
 ジュードの精霊の源に対する強い思いに、本当のことを言えないエイラは胸が締め付けられた。

――――――――――

――ガサガサッ

 「っ!!」

 そのまま会話もなく進んでいた時、エイラの斜め前方から小さな魔物が飛び出してきた。

「ルル、お願い!」
「はーい」

――ポワンッ

 ルルは水の球で魔物を覆う。水の中で小さな魔物は息が出来ず、しばらくもがいた後意識を失くした。

「角兎だな」

 ジュードがしゃがみ込み横たわった魔物を覗き込む。

「大きな魔物じゃなくて良かったね」
「僕、上級の魔物だったらせいぜい顔を覆うくらしか出来ないよ」

 エイラとルルも角兎を覗き込みながらほっと肩を撫で下ろした。そんな二人の様子にジュードは顔をしかめる。

「エイラ、戦えるんじゃないのかよ」
「えっ? えぇ……と窒息させる技を使える……かな?」

 妖精は自身の属性の物質を出したり増幅させることは出来るが、それ以上のことは出来ない。人間と共鳴することで人間のイメージと創造で魔法や技を使えるようになる。エイラとルルは今まで戦ったこともなければ訓練を受けたこともない。

「ええ?! それでよく一人で幻妖の森に来ようとしたな」

 本当はユグドラシルがないとわかった時点で幻妖の森を出るつもりだった。
 危険なことは出来るだけ避けたいと思っていたが今更引き返すなんて言えない。

「でも、今はジュードがいるし! 一緒に戦えば大丈夫だよ!」
「いや、大丈夫かよ……」

 ジュードが不安そうにぶつぶつ呟いているとルルが魔物の気配を感じ声を上げた。

「エイラ、ジュード! 大きいのが来るよ!」

 二人がルルの視線の先を見ると茂みから大きな魔物が咆哮をあげ姿を現した。

「キメラだ!」

 複数の獣が合わさった姿のその魔物はジュードの背の倍以上ある。

「ルル!」

 ルルがキメラの頭部を水で覆った。キメラは息が出来ずもがき出したが暴れながら攻撃しようとしてくる。ジュードは剣で戦い、キメラの体に傷をつけているが、とどめを刺すことは出来ない。

「エイラ、他の妖精にも力を借りようよ! こんなにたくさん居るんだから」

 ルルがエイラの耳元で呟いているがエイラは首を横に振る。

「ジュードの前で他の力は使えないよ」

 そうしているうちに、もがき暴れ回るキメラはエイラめがけて飛びかかってくる。

――シュッ、カンッカンッ

「エイラ、下がって」
「ごめんっ」

 エイラは何も出来ずジュードの後ろに下がった。ルルは一生懸命キメラを水で覆っている。だんだんと弱ってきているものの、窒息で仕留めるには時間がかかる。ジュードもフィブがいなくなってから戦うのは初めてだった。

――シュルシュルシュルシュルッ

 その時突如、木の蔓がキメラの体を絞め付けた。

「ジュード! とどめを刺せ!」

 どこからか聞こえた声にジュードは、体中を絞められ動けずもがいているキメラの心臓をひと突きした。

 心臓を突かれたキメラはその場に倒れ、ルルの水球と木の蔓も消えていく。

 キメラが息絶えたことを確認するとジュードは振り返り先ほどの声の主のところへ駆け寄る。

「ゲイルさんっ!」

 ゲイルと呼ばれた男性の横には木の妖精が居り、ジュードは幼い子どものような表情を向けた。

「ジュード、久しぶりだな。まさかこんなところで会うなんて思ってなかったぜ!」

 ゲイルはジュードの頭をわしゃわしゃと撫でている。ジュードは珍しく嫌がる様子は見せていない。

「ジュード? その人は?」

 状況がよくわからないエイラもジュードとゲイルのところへ駆け寄った。

「ああ、この人は父上の元同僚でゲイルさんだよ。今は冒険者をしてる、俺の師匠なんだ」

 ゲイルはジュードの父と同じ騎士団に所属していたが、数年前に騎士団を辞め今は冒険者として各地を旅している。

「あなたがジュードの師匠……あ、はじめまして、エイラです。なんだか助けて頂いてありがとうございます」

 エイラはゲイルに深く頭を下げた。

「ゲイルだ。よろしくエイラちゃん」

 ゲイルは手を差し出すとエイラも手を取り握手を交わした。