次の日の朝、ジュードは荷物を持って小屋を出た。数日間過ごした村を眺め大きく深呼吸をする。

「これで、本当に旅は終わったんだな」
「旅は家に着くまでが旅だよっ」

 後から出てきたエイラがジュードの横に並び、顔を見上げる。

「私はもう帰って来てるけど、ジュードは王都までまだ少しかかるからね。気をつけて帰ってね」
「ああ、ありがとう」

 隣に並ぶエイラを見ると、いつも無造作な髪をしているエイラが珍しく纏めている。

「エイラ、それ……」

 エイラが髪を纏めているのは以前ジュードが贈ったバレッタだった。

「どう? 似合ってる?」
「ああ。着けてくれたんだ」

 エイラは旅が終わったら着けると言っていた。村へ帰って来てからいつ着けてくれるのだろうと密かに気になっていたジュードは実際に着けてくれている姿を見て自然と顔を緩ませる。

「旅が終わったら着けるって言ったでしょ。それに、離れてても近くにいるような気がするかなって……」

 笑っているエイラだが、その顔は少し物憂気な表情だ。

「エイラ、やっぱり寂しいのか?」

 昨日は大丈夫だと言っていてエイラだったが、いざジュードが王都へ帰ってしまうとなるとやはり寂しいと感じてしまう。

「まぁ、ね。私、ジュードが側に居てくれるのが当たり前になっちゃったみたい」
「またすぐに会いに来るよ」
「そんな事言って、ジュードは王都に帰れば忙しいでしょ?」
「でも、俺が会いたいから……」

 エイラは分かっていた。ジュードにはやるべき事があること。それでもルルを取り戻す旅に付いてきてくれた。もし自分が王都へ行けばきっと自分の存在がジュードの妨げになってしまう。だから、王都では暮らせないと思った。

「私が、時々会いに行くよ。ジュードと違って暇だしね」

 エイラはジュードの背中をポンッと押す。一歩前に出たジュードは振り返ると、自分の顔を見上げながら必死に笑顔を向けるエイラに、このまま連れ去ってしまいたい衝動を抑え優しく頭を撫でる。

「何かあったらエマに頼んですぐ知らせろよ」
「うん。ジュード、本当にありがとう」
「俺の方こそありがとう。エイラに出会えて良かった」
「うん。じゃあ、気をつけて帰ってね」

 エイラは胸の前で小さく手を振る。ジュードは頷くとエイラに背を向け歩き出した。

 だが、少し歩いたところでエイラはジュードを呼び止めた。

「ジュード!」

 ジュードは振り返るとその場で返事をする。

「何? どうかした?」

「私、ジュードのこと好きだよ!」

「えっ……」

 少し離れた場所からエイラはへらりと笑い今度は大きく手を振る。

「エイラ、俺……」

 ジュードがエイラの元へ戻ろうと足を前に出した時、急に目の前にルルが姿を現す。

「うわっ!」

「僕も、ジュードのこと好きだよ」
「あら、私も好きよ」

 鼻先が振れそうな程近くにいるルルの横にエマも現れ、二人が邪魔をして前に進めない。

「僕も、ジュードのこと大好きだよ」

 その上フィブまで参戦し、ジュードは戻るのを諦めた。

「ここで戻ったら、王都に帰れなくなっちゃうよ」

 ルルがジュードの耳元で呟く。ジュードは小さく息を吐くとエイラに手を振り返した。
 ジュードはまたエイラに背を向けると、エイラがずっと手を振っているのを感じながらも振り返ることはせず、進んで行った。


――――――――――

 ジュードは王都へ着くとエイラから預かったフィオナへの手紙を出し、真っ直ぐ自分の家へと帰った。

「ただいま」
「ジュード……お帰りなさい」

 屋敷へ入るとそのまま母のところへ行き声をかる。母は一瞬驚いた顔をしたが、直ぐに顔を綻ばせ優しく出迎えた。

 ジュードの母は今、当主不在のモラレス公爵家をなんとか維持しようと領地経営を一人でこなしている。ヘンリーがいない今、ジュードは自分がこの家を守らければいけないと思っている。

「母上、俺もちゃんと勉強して公爵家を継ぐよ」

 ジュードの父は領地経営の勉強もしていたが、実際は全てヘンリーに任せ、騎士団の仕事を主にしていた。それはきっとヘンリーの居場所を奪わないようにと父なりの気遣いだったのだと今なら分かる。
 だが、ヘンリーからすれば領地経営など公爵家の仕事は自分がしているのに当主が妹の夫で平民出身の騎士だなんて納得がいかなかっただろう。
 そして、それほどまでに精霊賢者という存在は世間から特別扱いされていたということだ。
 
「俺、やりたいことがあるんだ。そのためにはもっと沢山のことを知らなければいけない。母上にはまだ苦労かけるかもしれないけど」

 母はいつも通りの穏やかな顔で「私のことは気にしないで、あなたの好きにしなさい」そう言って久しぶりの我が子をそっと抱きしめた。

「母上、ありがとう」

 ジュードは、ペレス村を地図に載せたいと考えていた。きっと今まで地図に載っていなかったのはあの村はどこの貴族領でもないからだ。それならばモラレス領にして村を再建したいと思った。もちろん、エイラに許可を貰えればの話だ。
 エイラに話しをするまでにまずは領地経営を学び、領地を増やすための手続きの準備をしなければならない。他の領地から農業に詳しい人員を随時派遣し、村の豊潤な土地を利用して農業の村にできれば以前のような活気を取り戻せるのではないかと。

 そしてジュードには他にもするべきことがある。

――――――――――

「ジュードが私を訪ねてくるなんて珍しいじゃない」

 ジュードは王宮にいるマリアンヌのところへ来ていた。

「マリアンヌ、例の恋人とはどうなってるんだ?」
「あら、ジュードってば私の色恋のことが気になるの?」
「そういうのいいから……」

 マリアンヌはふふ、と笑いテーブルに用意されてある紅茶を手に取り一口飲むとゆっくりカップを置く。

「彼ね、もうすぐ宰相補佐官になるのよ」
「宰相補佐官? 確か司書だったよな?」
「そうよ。凄く努力したの。勉強も沢山したわ。ちゃんと私もサポートしたのよ」

 落ち着いた所作ながらも上機嫌で話をするマリアンヌにジュードは以前エイラが言っていたことを思い出す。

「やっぱり、愛し合ってるんだな」
「え、何よ。今日ちょっと気持ち悪いわよ」
「っな! 違う! 愛し合ってるはエイラが言ったんだ」

 マリアンヌの前で柄にもないことを言ってしまったと、急いで自分の発言ではないと主張した。

「そういうあなたたちは、愛し合ってるの?」

「…………」

「また無視なの?」
「好き、だとは言われた」
「その好きって……」
「言わないくていいから。まだ、いいんだ」

 村を出る時エイラは確かにジュードのことを好きだと言った。その好きがどういう意味なのかは分からない。けれど、『好き』その言葉だけで今は十分だった。

「そう。まぁそのうちこちらから婚約破棄の申し出をすることになると思うわ。もちろん、モラレス家には損のないようにするから」
「そうしてくれると助かる」

 そうは言っても婚約破棄が成立し、マリアンヌが恋人と一緒になるにはまだ時間がかかるだろう。
 
 ジュードはそれから猛勉強を始めた。農業が盛んな領地への視察も行き、農業についても学んだ。エイラに言われた通り忙しい日々を送っていた。

――――――――――

 その日、ジュードは王立研究所へ行っていた。持ち帰った精霊の源の欠片を知り合いの研究員に渡して暫く経っていた。
 呼び出されたのは精霊の源の器であるその欠片は既存の物質で同じものはないという報告だった。

「結局、何で作られているかは分からないか……」

 その後も解析は続けてもらえるらしいが、あまり期待しない方がいいかもしれない。
 そんなことを考えながら屋敷までの道を歩いていると突然後ろから誰かにぶつかられる。と思えばお腹に手を回されぎゅっと抱きつかれた。
 自身の背中にうずまったその顔を確認することは出来ないがその大切な人を間違うはずがない。

「エイラ……」


「来ちゃった」
「なかなか会いに行けなくてごめん」
「ううん。私が会いに行くって言ったでしょ」
「うん。来てくれてありがとう。会いたかった」

 ジュードはお腹に回された腕をそっと解くとゆっくりとエイラと向かい合う。

「ねえ聞いて! エマの魔法を使ったらね、一日でここまで着いたんだよ!」
「今日、村を出たのか?」
「そうだよ。まさか一日で着くなんて思ってなかった」

 嬉しそうにジュードの顔を見上げるエイラの手を取ると屋敷へ向かって歩き出す。

「うちに、泊まるだろ?」
「いいの?」
「もちろん」
「やった。ありがとう」

 笑い合いながらもエイラは人目が気になりはじめそっと手を離した。ジュードは離された手をぎゅっと握りしめる。

「エイラに、話したいことがあるんだ」
「話したいこと?」
「ああ。大事な話」
「そっか。私もね、ジュードに話したいこと沢山あるよ」

 二人は並んで歩いて行った。


 ルルは幸せそうなエイラの背中を満足そうに眺める。幼い頃からずっと一緒にいた大切な人のその背中にはもうなにも背負っていない。
 ルルはその、まっさらな背中に手をかざす。これから先、力の代償によって失われることのない命に添い遂げると決めて。