イセカイ・カイゴッ!

 7

 「やあコタロー、このあいだはオケがお世話になったね」
 ばあちゃんと一緒に畑仕事をしていると、サンスケが現れた。彼は開口一番にそう言ったものだから、俺は一瞬なんのことか分からなかった。
 ジェインズに行った日に、そういえばオケをこもれびの杜で預かっていたなと思い出して、「あ、ああ」と曖昧に頷いた。
 「コタローくんは、あの日ぼ木を置いて、ガークくんたちとどこかに行ってしまいましたでぃすよ」
 オケは大量のココナッツを桶の中に入れている。重くないのだろうか。
 「だからぼ木はコタローくんの世話にはなってないでぃす!」
 きっとオケは、あの日一緒に連れていかなかったことを根に持っているにちがいない。俺はサンスケと目が合って苦笑した。
 「オケ、こういうときは、たとえコタローに直接世話になっていなくても、ここで過ごさせてもらったんだから、世話になったと礼を言っておくものなんだ」
 「わかったでぃす」
 「なあサンスケ、オケはなんであんなにココナッツを持ってるんだ?」
 「このあいだ飲ませてやったのがきっかけで、やたら気に入ったらしくてね。あと、せっかく獲ったココナッツを、やつがれが勝手に飲まないようにって、常に離そうとしないんだ」
 俺が耐えかねてゲラゲラ笑うと、オケは怒り出した。
 「みんなで飲もうと思ってもってきたのに、そんなに笑うなんてひどいでぃす! コタローくんにはあげませんでぃすよ!」
 俺はココナッツミルクなんて飲み慣れてないから、別に飲まなくても困らないのだが、それを口にすると、オケが噴火してしまうかもしれないから、ごめんごめんと宥めておいた。

 「サンスケ、聞いてもいいか?」
 ガークとウェイドが広場で鍛錬をしている様子に興味を示したオケが、俺たちの元を離れたから、サンスケと二人きりになった。彼はそばに置いてある切り株の椅子に腰掛けて、「なんだい?」と目を丸くした。
 「お前はどうして本名を名乗ることを、そんなに敬遠しているんだ」
 イルムという名を持ちながら、なぜ使い魔のフリをしているのだという疑問を暗に込めた。
 「コタローは、そんなにやつがれのことが気になるのかい?」
 サンスケはそう言って、クスクスと笑った。俺の返事を待たずに、「いいだろう。コタローには普段から世話になっているし、少しだけやつがれのことを教えてあげるよ」と、真剣な表情になって言った。

 「やつがれは、王都ボルトアレイの出身でね。コタローも知ってのとおり、イルムという本当の名前を持っている」
 ボルトアレイというのは、ここからずっと遠く離れた場所にあるウダイ国最大の都市だという。
 「やつがれの家系に産まれる男たちは、代々王家直属の廷臣や護衛兵として仕えてきたんだ」
 だが、サンスケことイルムは、長兄でありながらその立場を放棄したそうだ。
 「放棄……というよりは、家のやり方に反発して、家出をしたというほうが正しいかな。たしかに王家直属……という立場は、平民と比べれば華やかで裕福な暮らしが保障されている。だからやつがれの家族や親族たちは、その立場に胡座をかき、ときに傲慢な態度で他人と接することもあったんだ」
 自分で物事を考えられるようになり、また自身の立場がこの国においてどんなものなのかを理解し始めたイルムは、家族を反面教師として、同じ道は踏まないと深く決断したらしい。
 サンスケは足元の土を爪先で小突きながら、自嘲気味に笑った。
 「やつがれの父親は、それはそれは立派な護衛兵長だったよ。分厚い鎧を着込み、煌びやかな勲章をぶら下げ、数多の部下を顎で使う。屋敷に来る客人は皆、父の前に跪き、父もそれが当然だという顔をしていた。『我々は選ばれた種族なのだ』と、毎日のように食卓で聞かされたものさ」
 サンスケの視線が、遠い記憶をなぞるように宙を彷徨う。
 「ある日のことだ。戦場から戻った父が、湯浴みをするというので、幼かったやつがれが背中を流すことになった。……風呂場に入って、鎧を脱ぎ、豪奢な衣服を脱ぎ捨てた父の背中を見たとき、やつがれは言葉を失ったんだ」
 「……なにか、あったのか?」
 俺が尋ねると、サンスケは首を横に振った。
 「いいや、逆だ。なにもなかったんだよ」
 サンスケは静かに言った。
 「あの日、風呂場で父の鎧を外したとき……やつがれが最初に感じたのは、失望でも恐怖でもない。……言いようのない違和感だった」
 「違和感?」
 「ああ。鎧を外した父の体は、凄まじかったよ。丸太のように太い腕、岩盤のように隆起した胸板、全身に張り巡らされた鋼鉄のような筋肉。……物理的には、そこらの若造が束になっても敵わないような、完璧な強者の肉体だ」
 サンスケは自分の腕を抱くようにして、身震いをした。
 「けれど、やつがれの目には、その巨体がどうしようもなく弱々しく見えたんだ。その筋肉は、生き生きとした躍動感を失っていた。重たい鎧の形に合わせて無理やり圧縮され、押し固められたような、不自然な形をしていたからだ。皮膚は血の気を失って青白く、まるで精巧に作られた人形のようだった」
 風が凪ぎ、森の音が止んだ気がした。サンスケの声だけが響く。
 「湯に浸かった父は、その屈強な膝を抱えて、小さく丸まった。……するとどうだ。あの鋼鉄のような筋肉の塊が、途端に重たい荷物に見えてきたんだ。父は、自分の肉体という重さに耐えかねて、今にも潰れてしまいそうに震えていた」
 サンスケは拳を握りしめた。
 「中身は未熟な若いの頃ままなのに、外側だけが怪物のように肥大化してしまった……そんな歪さを感じたよ。あんなに強い体を持っているのに、裸になった父は、生まれたばかりの赤子のように、脆く見えた。……その『強さ』こそが、父を蝕む呪いそのものだったんだ」
 「……強さという、呪いか」
 「そうだ。周りの連中は、父を見て『さすが英雄だ』と称える。だが、その内面は、一人の男の魂が窒息しそうになっていることに、誰も気づこうとしなかった。……そして、やつがれもまた、その次代の『人形』として育てられていたんだ。自分を殺し、肉体を改造し、死ぬまで英雄を演じ続ける……そんな未来が、吐き気がするほど恐ろしかった」
 サンスケは、苦笑いを浮かべたが、その瞳の奥には、深い悲哀の色が滲んでいるようにみえた。
 「そのとき、やつがれの中でなにかが崩れ落ちたんだ。……偉さなんてものは、しょせん身に纏っている仮面でしかないんだってね。魔銀の鎧、高価な衣服、将軍という肩書き、魔族という種族の名前……。そんなものを一枚ずつ剥ぎ取ってしまえば、王様も、英雄も、使い魔も、ただの肉塊に過ぎない。それからのやつがれは、屋敷にいるのが息苦しくてたまらなくなった。父が威厳たっぷりに振る舞えば振る舞うほど、あの風呂場での裸の背中が脳裏にチラついて、滑稽で、そして哀れで仕方がなかった。……やつがれは、あんなふうにはなりたくなかった。鎧という名の虚飾で自分を大きく見せ、その重さに押しつぶされて震えるような生き方は、御免だったんだ」
 「……だから、全てを捨てたのか」
 「ああ。地位も、名誉も、鍛え上げられた肉体も……全部、人を窒息させるおもりでしかない。やつがれは、そんな見せかけの強さより、もっと確かな温もりが欲しかった。だから家を出た。地位も名誉も捨てて、ただひとりの生きものとして生きてみたかった。けれど、この世界じゃ種族や家柄のレッテルはどこまでもついてまわる。『貴族のイルム様』としてしか見てもらえない。……だから、やつがれはあえて、一番身分が低いとされている『使い魔』のふりをすることにしたんだ。雄の使い魔の名前には『スケ』がつく。だから、サンスケ。安直だろ」
 サンスケは肩をすくめておどけてみせた。
 「……なるほどな。お前の考えはわかったよ。でも、どうして仕事が『三助』なんだ? 自由になりたいなら、冒険者にでもなればよかっただろうに」
 「コタロー、先ほどの話の続きだよ。風呂場では、みんなはどんな格好をする?」
 「どんな格好って……そりゃあ、裸になるけど」
 「ご名答!」
 サンスケはパチンと指を鳴らした。その音が、森の静寂に小気味よく響く。
 「風呂場じゃあ、誰もが平等だ。種族間の対立も、貧富の差も、湯気の中じゃ関係ない。湯に浸かれば、誰もがただの命に戻る。身につけた豪華な衣装も、帯刀した武器も、いつの間にか心に積み重なっている重たい矜恃も、全部脱衣所に置いていくんだ」
 サンスケは空を見上げた。
 「やつがれはね、その瞬間がたまらなく好きなんだ。湯の中で、『あぁ、いい湯だ』と漏らす吐息に、貴族も平民もない。やつがれが体の垢を擦り落としてやれば、どんな偉そうなやつだって、気持ちよさそうに赤子のような無防備な顔をする」
 彼は俺の方を向き、ニッと笑った。その笑顔は、いつもの飄々としたものとはちがって、彼の本心が垣間見えるような気がした。
 「垢と一緒に、その人にこびりついた虚栄心や、種族という呪いまで洗い流してやる。湯から上がったときは、誰もがさっぱりとした、ただのひとりの生き物に戻っているだろう? ……やつがれにとって、三助という仕事は、誰とも対等に向き合える、最高に誇り高い仕事なんだよ」
 いきものは例外なく老いる。
 かつては凛としていたばあちゃんの背中がいつの間にか小さくなり、さっき言ったことすら忘れてしまう。それは『壊れていく』ことではなく、長い年月をかけて魂が純化し、いつか来る終わりに向けて、無駄なものが削ぎ落とされていく過程なのかもしれない。
 二千年生きたエルフも、数百年を戦場に捧げた竜も、最後にはばあちゃんのように、ただ誰かと笑って安寧に過ごす。重い鎧を脱ぎ捨て、地位も魔法も関係なくなった場所で、ただひとつのいきものの命として誰かに肯定されたいと、そう願っているのではないか。
 その当たり前の願いを守るために、俺はこの世界に連れてこられたのかもしれない。
 「三助も介護も、根っこは同じなのかもしれないな」
 俺が小さく呟くと、サンスケは不思議そうに目を丸くした。俺たちの仕事は、誰かが脱ぎ捨てた鎧のあとに残る、震えるほど無防備な背中を支えることだ。カクスケに泥をかぶらせてしまった後悔も、エルフの里での挫折も、全部飲み込んで。俺は、この世界で一番優しい「砦」になりたいと思った。