イセカイ・カイゴッ!

 5

 翌日。俺たちは朝から準備に追われていた。ガークは送迎係として、再びジェインズへ向かってもらった。ガークの背中にヴェルチンシアを背負うのではなく、アヴァリュートの小屋を作ったときの廃材でこしらえた特製の背負い籠を持っていってもらった。ヴェルチンシアのような高齢者を、直に背負うのはリスクがあるからだ。
 俺とカクスケは、こもれびの杜のレイアウト変更を行った。
 「カクスケ、そっちのテーブルをもっと窓際に寄せてくれ」
 「はいっ!」
 カクスケは軽々と長机を持ち上げ、指示通りの場所へ移動させる。
 俺の作戦はこうだ。
 こもれびの杜のメインスペースを、緩やかに二つのゾーンに分ける。
 入口に近い「アクティブエリア」と、奥の静かな「リラックスエリア」。
 そのあいだには、ホライゾンで注文した観葉植物や、背の高い棚を置いて、視線を遮るようにする。カクスケには裏方の準備を担当してもらう。
 ヴェルチンシアたちには「リラックスエリア」で過ごしてもらう。完全に隔離するわけではないが、物理的な距離と視線の遮断を作ることで、オフィリアの警戒心を解くのが狙いだ。
 「コタロー殿、これでよろしいでしょうか」
 額に汗を浮かべたカクスケが戻ってきた。
 「ああ、バッチリだ。……カクスケ、今日は窮屈な思いをさせるかもしれないが、頼むな」
 「滅相もございません! コタロー殿に拙者がここに居ても良いと仰っていただけるだけで、充分であります!」
 カクスケは、昨日の夜よりも少しだけ、表情が明るくなったような気がした。
 やがてガークが戻ってきた。
 「戻ったぞ、コタロー!」
 ガークの大声が聞こえて、俺は慌てて外に出た。ガークが背負った籠の中から、不安そうな顔をしたオフィリアが顔を出した。そしてその隣には、きょとんとした表情のヴェルチンシアが座っている。
 「ようこそ、こもれびの杜へ」
 俺は笑顔で、つとめて明るく出迎えた。オフィリアは籠から降りると、すぐにヴェルチンシアの手を取り、周囲を警戒するように見回した。
 「……貴方の使い魔は、どこに?」
 第一声がそれか。やはり警戒心はマックスだ。
 「彼は今、裏で作業をしています。皆様とは別の場所で過ごすように手配していますから、ご安心ください」
 俺の言葉に、オフィリアさんは少しだけ肩の力を抜いたようだった。
 「そうですか。……無理を言って申し訳ありません。ですが、ヴェルチンシア様の精神衛生を考えますと、どうしても……」
 「分かっています。さあ、中へどうぞ」
 俺は二人を、準備しておいた「リラックスエリア」へと案内した。
 日当たりの良い窓辺。座り心地の良い椅子。テーブルには、筒原さんが用意してくれたハーブティーが湯気を立てている。
 「まあ、素敵なお部屋ねえ」
 ヴェルチンシアは、純粋に新しい環境を楽しんでいるようだった。
 「ここはどこだい? オフィリア」
 「ここは、コタロー様のお屋敷ですわ。今日はお茶会に招かれたのです」
 オフィリアは慣れた様子で嘘をつく。俺もそれに乗っかる。
 「ええ、ゆっくりしていってください」
 今のところ、順調だ。カクスケは裏口から給湯室に忍び込み、お茶のお代わりや茶菓子の準備をしてくれているが、決してリラックスエリアには顔を出さない。俺や筒原さんが中継役となって、物資を運んでいる。これならいけるかもしれない。そう思った矢先だった。

 「あら、あそこではなにをしているのかしら?」
 ヴェルチンシアが、窓の外を指差した。その指の先——庭の畑で、ばあちゃんが農作業をしているのが見えた。そして、その横で重い肥料袋を運んでいる、赤いふんどし姿の少年が見えた。——カクスケだ。
 しまった。中での動線は完璧にしていたが、外の景色までは遮断できていなかった。 「あ、あれは……!」
 オフィリアが立ち上がる。
 「見ないでください、ヴェルチンシア様! あのような汚らわしい……コタロー様……何の真似ですか、これは」
 キッと俺を視線で射抜いたオフィリアの声は、怒りを通り越して、まるで氷のような冷たさを帯びていた。彼女はヴェルチンシアを自分の背に隠すように抱き寄せ、汚物を見るような目でカクスケを見た。
 「本来ならば使い魔などという穢らわしい生き物がいる場所に、高貴なヴェルチンシア様をお連れするわけにはいかないというわたくしの想いが、コタロー様、どうやら貴方には伝わらなかったようですね」
 「待ってくださいオフィリアさん、彼はうちのスタッフで……」
 「黙りなさい!」
 俺の言葉を、彼女は金切り声で遮った。「……ロイメンの皆様は、家畜と御自身の区別もつかないのですか? あそこの薄汚い獣を見てごらんなさい。あんな卑しい格好で、平然と顔を晒すなど……恥を知りなさい!」
 罵倒は止まらない。俺が口を挟む隙もないほど、オフィリアはカクスケのことを罵り続けた。
 「汚らわしい」「そこにいるだけで空気が腐る」「視界に入れるのもおぞましい」。
 その言葉のひとつひとつが、礫のようにカクスケに投げつけられる。俺は拳を握りしめ、言い返そうと一歩踏み出した。だが、それを止めたのは、こちらの不穏な様子を察して姿を見せたカクスケだった。
 「申し訳、ございませぬ……」
 カクスケはその場に膝をつき、地面に額を擦り付けるようにして平伏した。
 「拙者のような下賤な者が、高貴なエルフの皆様の視界に入ってしまい、万死に値しまする。……どうか、お許しください」
 その声には、悔しさも怒りもなかった。ただ、事実を淡々と受け入れ、嵐が過ぎ去るのを待つ石のような意思だけが垣間見えた。それが、俺には何よりも辛かった。カクスケは認めているのだ。自分の存在がエルフにとっては汚物であり穢らわしいものであることを。
 「わかっているなら、さっさと消えなさい。森の奥へなり土の中へなり、わたくしたちの目の届かないところへ這いつくばっていきなさい」
 オフィリアは冷酷に言い放つ。
 「はっ……ただちに」
 カクスケは土下座をしたまま、さらに深く頭を下げ、それから這うようにして後ずさった。
 「待て、カクスケ!」
 俺は叫んだ。
 「お前が消える必要なんてない! ここは俺たちの場所だぞ!」
 カクスケはチラリと顔を上げ、困ったような、それでいてどこか諦めに満ちた笑みを俺に向けた。
 「コタロー殿。……お招きしたお客人を不快にさせる道具は、片付けるのが道理で御座います」
 そう言い残し、彼は逃げるようにこもれびの杜の裏手へと姿を消した。
 あとに残されたのは、最悪の空気だった。
 「……さあ、ヴェルチンシア様。悪い虫は追い払いました。参りましょう」
 オフィリアは何事もなかったかのように、ヴェルチンシアの手を取って歩き出した。俺の横を通り過ぎる際、彼女は吐き捨てるように言った。
 「あのような獣を飼い慣らしているとは……貴方の品性も知れますわね」
 俺たちが用意した「リラックスエリア」に座っても、オフィリアは常に周囲を警戒し、カクスケが隠れているであろう裏口の方を睨みつけている。
 お茶を出しても、俺や筒原さんが運んだものにすら、「あの使い魔が触れたのではないか」と疑いの目を向け、口をつけようとしない。
 「……あの、お菓子だけでも召し上がりませんか」
 筒原さんが気を使って羊羹を勧めたが、オフィリアさんは手でそれを遮った。
 「結構です。使い魔の臭いが染み付いたものなど、喉を通りません」
 徹底していた。彼女にとってカクスケは、病原菌かなにかと同じ扱いなのだ。
 裏口の方から、物音がした。カクスケが、裏庭で薪を割っている音だ。彼は俺たちに気を使って、姿を見せないようにしながらも、自分の仕事をこなそうとしている。その音が聞こえるたびに、オフィリアさんは不快そうに眉をひそめた。
 「……耳障りですね。あの音を止めさせてくださいませんか?」
 「あいつは仕事をしてるんです」
 俺は低い声で言った。「うちの生活に必要な仕事です。それくらいは許容してもらえませんか」
 「生活? ああ、そうでしたわね。使い魔は本来、そのような汚れ仕事をするために存在する消耗品でしたわね」
 オフィリアは冷笑した。
 「ですが、主の来客中に音を立てるなど、しつけがなっていない証拠ですわ。……まあ、知能の低い獣にそこまで求めるのは酷かもしれませんが」
 消耗品。獣。彼女の口から出る言葉は、カクスケの尊厳をことごとく踏みにじっていく。悲しいのは、どうやらカクスケ自身がその扱いを甘んじて受け入れていることだ。
 俺がいくら「仲間だ」と言ったところで、あいつにとっての現実はこっちなのだ。数百年の歴史の中で刻み込まれた差別という烙印は、俺の薄っぺらい正義感ごときでは消せない。
 「……あら?」
 そのとき、沈黙を守っていたヴェルチンシアが、ふと声を上げた。
 「裏に、誰かいるのかい?」
 彼女は窓の方へと歩み寄る。オフィリアが慌てて止めようとしたが、ヴェルチンシアはすでに窓から外を覗き込んでいた。
 そこには、黙々と薪を割り続けるカクスケの姿があった。汗と土にまみれたその背中は、高貴なエルフにとってはたしかに見栄えの良いものではないかもしれない。
 「……ああ、なんてこと」
 ヴェルチンシアが口元を覆った。
 「ヴェルチンシア様、ご覧になってはいけません! 目が腐ります!」
 オフィリアがカーテンを引こうとする。だが、ヴェルチンシアはそれを制して、呟いた。
 「哀れな奴隷だこと」
 その言葉に、俺は息を呑んだ。たとえば認知症によって、それまで持っていた先入観というフィルターが外れ、カクスケのことを使い魔として認識せず、無邪気に「可愛い子供」と言って慈しむ——そんな淡い期待は、打ち砕かれた。
 ヴェルチンシアの目には、カクスケは奴隷として映ったのだ。それは差別意識からくるものではなく、彼女が生きてきた時代の常識がそのまま反映されたものだったのかもしれない。彼女が若かった頃、使い魔はもっと過酷な労働を強いられる、文字通りの奴隷階級だったのだろうか。
 「見てごらん、オフィリア。あんなに小さな体で、重労働をさせられているよ」
 ヴェルチンシアの声には、同情の色があった。だがそれは、人間が傷ついた野良犬に向けるような、上位者からの憐れみだった。
 「可哀想に。……ここの主人は、随分と使い魔の使い方が荒いようね」
 彼女は俺の方を振り向き、咎めるような目をした。
 「ロイメンさん。道具は手入れをしてこそ長く使えるものですよ。あんなに酷使しては、すぐに壊れてしまうんじゃありませんか」
 壊れる。その言葉が、オフィリアの罵倒以上に、俺の胸を抉った。この人たちにとって、カクスケはやっぱり「モノ」なのだ。嫌悪する対象か、憐れむ対象か。その違いはあれど、対等な命としては見られていない。
 窓の外で、カクスケがふと手を止め、こちらを見た。ヴェルチンシアと目が合う。カクスケはすぐに視線を逸らし、深く頭を下げた。それは、叱られた犬のような、卑屈な仕草だった。
 俺は唇を噛み締めた。悔しい。オフィリアに言い返せない自分が悔しい。ヴェルチンシアの無自覚な差別に反論できない自分が悔しい。
 そしてなにより、あんな顔をして頭を下げるカクスケを見ていることしかできない自分が、どうしようもなく情けなかった。
 俺は絞り出すように言った。
 「カクスケに、休憩を取らせます。だから……」
 だから、もうあいつをそんな目で見ないでくれ。言葉にならなかった叫びを飲み込み、俺は窓を閉めた。閉ざされた窓の向こうで、カクスケが再び斧を振り上げる音が聞こえた。その音は、俺の心臓を叩くように、重く、鈍く響き続けた。

 エルフたちは怒り心頭のまま、ガークの背負う籠に乗って森の奥へと消えていった。
 彼女たちの気配が完全に消えるまで、カクスケは決して姿を見せようとしなかった。
 森には、ヒグラシに似た虫の声だけが虚しく響いている。
 「……もう、出てきていいぞ、カクスケ」
 俺の声は、自分でも驚くほど乾いていて、震えていた。現れたカクスケは、跪き、地面に頭を擦りつけたあと、俺の顔を見上げた。その額には、砂利に押し付けられた跡が赤く残り、全身は泥と埃で汚れていた。
 「……申し訳、ございませぬ」
 立ち上がりもせず、カクスケはそう言った。「拙者が、もっと気配を消していれば……。薪を割る音など立てず、石のように静かにしていれば、あの方々の気分を害することもなかったものを……。コタロー殿の面目を、潰してしまいました」
 違う。お前が謝る必要なんて、どこにもないんだ。悪いのは、使い魔という存在を一括りにして、あんな理不尽な差別をする連中だ。そしてなにより——。
 「謝るなよ……」
 俺は呻くように言った。「頼むから、謝らないでくれ」
 「しかし、事実として……」
 「やめろッ!」
 俺の怒声に、カクスケが身をすくませる。俺は、カクスケに怒っているわけじゃなかった。自分自身に腹が立って、どうしようもなかったのだ。
 俺は、何をしていたんだ? 仲間だなんて、耳触りのいい言葉を並べて、結局のところ、俺はカクスケを見えない場所に押し込め、エルフたちの機嫌を取るために、カクスケの存在などないものとして振る舞うことを強要しただけじゃないか。
 ヴェルチンシアがカクスケを奴隷と呼んだとき、反論できなかった。オフィリアがカクスケを獣と罵ったとき、それを止めることができなかった。ただ突っ立って、唇を噛んで、カクスケが頭を下げる姿を見ているだけだった。
 それが、俺のやりたかったことなのか? 利用者の世界を尊重する? 違う。俺はただ、ここで波風を立てたくなかっただけだ。
 カクスケの犠牲の上に成り立つ平穏を成功だと勘違いして、そして結局、無様に失敗したのだ。
 「……コタロー殿?」
 カクスケが、不安そうに俺の顔を覗き込む。その瞳には、俺に対する恨みなど微塵もない。あるのは、主人を気遣う従順な光だけだ。それが、いまの俺には耐えられなかった。  
 たとえばいっそのこと、感情のままに殴ってくれればいいのに。
 「お前のせいで惨めな思いをした」と、罵ってくれればいいのに。そうすれば、俺も少しは楽になれるのに。
 「……今日はもう、休んでくれ」
 俺はカクスケの顔を見ることができず、目を背けた。
 「し、しかし拙者にはまだ……」
 「いいから! ……頼むから、俺の前から消えてくれ」
 言ってしまったあとで、最悪の言葉選びだったと気付いた。まるで、オフィリアたちと同じように、彼を拒絶するかのような言葉。カクスケは一瞬、傷ついたような顔をしたが、すぐに表情を取り繕って深く一礼した。
 「……承知いたしました。失礼仕ります」
 カクスケの背中が、こもれびの杜の裏手へと消えていく。その背中は、今までの姿よりもずっと小さく、頼りなく見えた。