春風が頬を撫でて、またこの季節がやってきたのだと実感した。
 あの春に最愛の人と別れて、十年。二十八歳になった私は、ストリートピアノのコンサート会場へと向かうべく、会場の最寄駅で電車を降りた。

「あっ、すみません」

「いえ」

 白杖を持った私の存在に気づいた人が、改札の前でさっと身を避けてくれた。ピピ、というICカードの電子音を聞きながら、改札の位置を白杖で確かめる。まるで普通に目が見えているみたいに改札を潜るから、周りの人に驚かれることも多い。
 改札は二階に位置していたので、そのまま階段を降りる。手すりを持たなくても降りられるようになったのは最近のことだ。
 階段を下まで降りると、潮の匂いがほのかに漂ってきて、自然と肩の力が抜けた。会場は横浜市にある屈指の観光地、山下公園だ。何度か行ったことはあるが、盲目になってから訪れるのは初めてのことだった。
 一年前、私はすべての光を失った。
 やはり、私の場合進行が早く、病気の進行を抑える薬もあまり効果がなかった。完全に目が見えなくなった時、絶望はした。けれど、いつかこうなるかもしれないという覚悟をしていたので、思ったよりも冷静に受け止めることができている自分がいたのだ。
 それに、私にはピアノがある。
 大学時代、必死にピアノの腕を磨き、SNSを駆使して世の中に自分の演奏を発信し続けた。私があえて挑戦したのはストリートピアノ。街に置いてあるピアノで突如演奏をするというものだ。傍にはいつも白杖を置いているので、興味を持った聴衆がどんどん集まってくれた。

「あの子、目が見えないの?」

「すごい。見えなくてもあんに弾けるんだね」

 演奏中に聞こえてくる感嘆の声を真摯に受け止めた。ここまで来るのは、本当に大変だった。目が見えないことが、演奏にどれだけハンデを生むか。それでも私は弾き続けた。だって、私に叶えられる夢はこれしかないと思ったから。
 彼と、お互いに夢を追うことを約束したから。
 私のストリートピアノの動画は「盲目のエンタテイナー」としてみるみるうちに拡散されていった。実際全盲になったのは去年だが、白杖を持っているというだけで、ほとんどの人は私が完全に目が見えないと思い込んでいた。それを逆手に取り、ストリートピアニストとして活動をしてきた。
 今日の山下公園での演奏も、仕事の一環だ。
 イベント会社からお声かけいただき、私は演奏をしに来た。外でピアノを弾くのは慣れているのだけれど、今日の演奏には普段とは違う、特別な意味があった。
 彼が、帰国したのだ。
 この十年間、彼は一度も日本に帰ってくることなく、フランスで修行を続けていた。それぐらい覚悟を持って夢に邁進していたのだ。
 そして去年、彼はフランスで行われるパティシエたちの国際大会『クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー』で見事優勝を果たした。知らせを受けた時はひっくり返りそうなほど驚いて、それからすぐに祝福した。彼がこの十年で積み上げてきた努力を身に沁みて感じた。

「四月には日本に帰ろうと思う。これからは日本で、パティシエとして、鈴ちゃんの隣で生きていくよ」

 電話越しに彼がそう言ってくれた時、私は自然と涙が込み上げてきた。
 ああ、やっと会えるんだ。
 彼に恋焦がれたまま過ごした十年の間、私は正真正銘彼を愛していたんだと思い知ったのだ。