「何だかなぁ~……」
「おや。どうしました?ため息などついて。」
「あっ!光秀さん!」

 廊下から中庭に続く階段に座ってため息をついていると、後ろから光秀に話しかけられた。蘭は慌てて立ち上がる。

「座って下さい。今日は稽古は休みですから。……隣いいですか?」
「ど、どうぞ。」
 右手で自分の隣を指し示す。光秀は軽やかに階段を下りてきて蘭の隣に座った。
「あの、俺に敬語使わなくてもいいんですよ?年上だし、信長様の家臣としても先輩な訳ですし。」
「あはは。すみません、つい。こういう話し方が癖みたいなものなんですよ。小さな頃からずっと大人に囲まれて育ったので。」
「へぇ~そうなんですね。光秀さんは何処の出身なんですか?」
「え?」
「あ!すいません……余計な事聞いちゃいました?」
 どさくさ紛れに聞いてみたものの、直球過ぎたかなと反省する。上目遣いで光秀の顔を見ると、ふっと微笑んだ。

「それがわからないんだ。」
「え?わからない?」
「物心ついた頃には美濃の土岐《とき》氏に仕えていました。母はいましたが父は誰かわかりません。明智城で誕生したと聞かされましたけど、それも曖昧です。でもまぁ、明智という名ですからそれは本当なのでしょう。」
 笑ってそう言っているが、その実表情は複雑だった。
 やっぱり無闇に聞くのではなかったと思って別の話題に変えようとした時、先に光秀が口を開いた。

「土岐氏に変わって斎藤道三氏が美濃を支配するようになって、私は行き場所に迷いました。他の家臣達は殆んどの者が流れで斎藤氏に付きましたが、私はこのまま流されるのはどうしてだか抵抗があった。その時、信長様に声をかけられたのです。」
 そこで言葉を切って遠い目をする。その時の事を思い出しているのだろうか。しばらく沈黙していたが、不意に振り向いて笑顔を見せた。

「今思えば、ここに来て良かったと思います。あの時美濃に残っていたら、私はこうして生きていなかったかも知れない。」
 その言葉に蘭はハッとした。

(そうだ。もし光秀さんが道三に付いていたら、この前の戦いで息子の義龍にやられていたかも知れない……)

 選択肢を間違えていたら今存在している人物がこの世にいなかったかも知れないという事実に蘭は震えた。
 自分がこれから選ぶ道が後にどんな影響を与えるのか、改めて怖くなったのだ。
 でも、それでも……

(俺の使命は信長を助ける事……)

 ここにいる間は自分は信長の家来である。その事を改めて感じた蘭だった。

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