「失礼しました。余りに驚いたものでつい……」
「大丈夫ですよ。それより本当にどうしたんです?信長から連絡でもあったのですか?」
 部屋に着くなり謝ってくる市を宥めて蝶子が聞くと、市は興奮気味に言った。

「お兄様からではないのです。もちろん信勝でもありません。」
「え……じゃあ誰が……?」
 蘭と蝶子は戸惑いながら市を見た。

 市の『共鳴』の力は兄の信長と弟の信勝と、後は亡くなった父の信秀だけのはずである。一体誰と『共鳴』したというのか。

「それがわからないんです。」
「わからない?」
「先程ここに一人でいたら突然声が聞こえたんです。女の人なのか男の人なのか、どちらとも言えない声でした。『お嬢様!蘭さま!』と何回も叫んでいて……」
「え!?」
「それって……」
 蝶子が叫び、蘭は絶句した。その呼び方に聞き覚えがある蘭と蝶子は、開いた口が塞がらない。

「そのお方、わたしと同じ名のようです。『イチ』という風に誰かに呼ばれておりました。こんなに鮮明に誰かの心の中が……いえ、その方が発した言葉や周囲の会話までが聞こえた事など初めてです。『蘭さま』というのは蘭丸の事ですね?『お嬢様』というのは濃姫様の事でよろしいですか?もしやこれは貴方達がいた未来から届いた声なのではないでしょうか。」
 蘭達に口を挟む暇も与えない程の勢いだった。そうでなくても茫然とし過ぎて何も言えなかったのだが。

「それ多分……私の家の家政婦ロボットのイチです。」
「ロボット?」
「えぇ。家の事を何でもやってくれる、家族のような人です。」
 蝶子がイチの事をそう説明する。『人』と言い変えたところに、蝶子とイチの絆を感じた。

「でも……そんな事があるのかな?イチの声が届くなんて……」
 蘭は腕を組んで首を傾げる。

(確かにイチは高性能のロボットだけど、次元の違うこの世界と通じる事が出来るのか?それとも蝶子のおやっさんが何か改造した……?)

「その声ってどのくらい聞こえたんですか?」
「そんなに長くは続きませんでした。聞こえなくなってからもしばらくはこちらから声をかけたのですが、それきりです。」
「そうですか……」
 蝶子が残念そうに俯く。すっかりイチとの『共鳴』を信じているようだ。
 蘭は腕を解くと二人に向かって言った。

「もしそれがイチならまた連絡してくるかも知れません。でもいつくるかもわからないし、俺達が側にいない時にきたらまた市様が混乱してしまう。……蝶子。」
「何?」
「悪いけどお前、しばらく市様とここで寝起きしてくれないか?そしてイチから連絡きたらお前も近くにいて、出来れば話せるといいんだけど。」
「うん、わかった。市さん、迷惑かも知れないけど、協力して下さい。お願いします。」
 二人して頭を下げると、市は微笑んで頷いた。

「もちろんですわ。貴方達には早く元の世界に帰って欲しいと思っていますから。その為なら喜んで協力致します。まぁ少し淋しいですけれど。」
 苦笑する市に蝶子も一瞬淋しそうな顔になるが、にっこり笑った。
「イチと連絡取れたからと言ってすぐ帰れる訳ではないですよ。じゃあ私は布団とか寝巻の用意をしてきます。ほら、蘭!あんたは運ぶの手伝って。」
「わかったよ……」
 蝶子の勢いにしぶしぶといった感じで答える蘭だった。

「それでは今夜から蝶子をよろしくお願いします。もしイチから連絡きたらまずは蝶子と対応して、俺に報せるのは後からでいいですから。」
「わかりました。」
「あ!そういえば体調は大丈夫ですか?いつもと違う状況だったみたいですし、無理したんじゃあ……」
「大丈夫です。少し疲れましたが、これくらい平気ですよ。」
「無理はしないで下さいね。具合が悪くなったら蝶子にすぐ言って下さいよ?」
「まぁ。心配性ですね。蘭丸は。」
「市様に何かあったら信長様に叱られますので……」
 照れ臭そうにそっぽを向く蘭を、市はくすくすと笑って見ていた。

「それじゃあ市さん。また後で。」
「はい。お待ちしております。」
 深々とお辞儀をする市を残して、蘭と蝶子は一旦部屋を後にした。

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