「勝家は面が割れてる。一度元康に顔を見られたらしい。外堀から探るしか出来ない。でもお前なら顔も名前も知れ渡っていない。お前達が来てから今川の密偵は来ていないから、絶対に知らないはずだ。だから蘭丸を密偵として今川に送り込む。」
「そんな…密偵なんて出来ません!それにもし見つかったら……」
義元や元康に見つかって殺される自分を想像して、体が震えた。
「大丈夫だ。何かあった時の為に勝家を付ける。庭にでも潜ませて危なくなったら助けろと申しつけるつもりだ。」
「そんな事言われても……」
確かに勝家は頼りになるけど、駆けつける前にやられたらお仕舞いである。
これは何が何でも断らないと。そう思って顔を上げた瞬間、信長が言った。
「これはただの密偵ではない。お前達の為になるのだと言ったらどうする?」
「え……」
(俺達の為……?一体どういう事だ?)
信長のいつもと違う持って回った言い方にイライラしてきた蝶子の怒りがついに爆発した。
「ちょっと!何なの?さっきから……私達の為とか言えば蘭が大人しく言う事聞くとでも思ってんの?バカじゃないの!?」
「ちょ……蝶子……」
「密偵なんてそんな危ない事させられる訳ないじゃない!バレたらどうなると思って……いくら勝家さんがついてるからって全然安心出来ないわよ!あんた達の争いにもう蘭を巻き込まないで!何かしたいなら勝手にやればいいじゃない!!」
こんなに怒った蝶子を見たのは初めてで、蘭は驚きで固まっていた。肩でゼイゼイ息をつく蝶子は言いたい事を言った後にも関わらず、信長を鋭い目で威嚇していた。
「愛されてるな、蘭丸。」
「……っ!余計な事言わないで!」
ニヤニヤする信長に真っ赤な顔で怒鳴る蝶子。その間で蘭はどうすればいいのかわからず、小さくなった。
「お、俺達の為ってどういう事ですか?」
「ちょっと!蘭!」
「まず聞いてみようよ。信長様には何か考えがあるみたいだし。」
「ふむ。聞いてくれる気になったようだな。じゃあ今から話す事はここだけの話だ。市はもちろん、サルや光秀にも言うな。いいな?」
凄みのある目で睨まれて蘭は息を飲んだ。怒りに震えていた蝶子でさえも大人しくなる。
「お前の役目はこうだ。『主君信長は本当は今川との戦を避けたいと思っている。』という旨を伝える為に織田家の使いとして今川の城に潜り込む。」
「ちょっと待って。その戦を避けたいっていうのは本音?今川とは戦争しないつもり?」
「蝶子。話の腰を折るなよ。……続きをお願いします。」
途中で邪魔した蝶子を軽く諫める。信長はふん、と鼻を鳴らした。
「もちろんそんな話は出鱈目だ。しかし嘘も方便。戦を避けたいと言えば向こうも強引に攻めてくる事はないだろう。俺の事を恨んでると言いながら何年もずるずると引き摺って何も仕掛けてこなかったのだ。こっちが白旗を上げれば黙るしかない。」
「なるほど。」
「偽の書状を俺が書くから、お前はそれを持って城に行く。そして義元に会ったら書状を渡す前にこう言うんだ。『助けて下さい!信長から狙われています。匿って下さい!』とな。」
「…………え?」
思いもよらない言葉に、二人共絶句した……
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