「あ、あの!」
「義元とは俺の親父が随分やり合ったんだが、領地の問題で言えば向こうの方が勝ったんだ。一時期三河国にも城を持っていたが、それをほとんど奪われた。でも結局決着はつかんまま親父は死に、義元は隠居した。……はずだった。」
「はず……ですか?」
「義元は親父を相当恨んでいる。そして織田家を継いだ俺をも。自分でも物怖じしない性格だと思っているが、あのおやじだけはどうも苦手だ。」
「へぇ~あんたでも恐いものがあるんだ。」
「蝶子!」
「相変わらずだな、濃姫は。」
 蝶子の失言に苦笑いした信長は、義元と父親の信秀の因縁について話し始めた。

「発端は、松平家と今川家で結んだ契約だった。義元は松平家を助ける代わりに嫡男の竹千代を人質に差し出せと言ったそうだ。しかしその竹千代の護送中に家来が裏切り、敵の織田家に送り届けてきた。」

(竹千代……確か松平元康。後の徳川家康だ。)

 家康が何処かの人質だったという話は聞いた事があったが、今川に行くはずが織田家にきたと知って蘭はビックリした。

「でも今はそんな人いないよね?離れにいるのは信包さん達だし。」
 蝶子が言うと、信長は頷いた。
「あぁ、今はいない。今川に戻されたんだ。俺の兄と交換でな。」
「え?お兄さんいたの?」
「親父の側室の子どもだったから家督継承権はないものとされたんだ。信広といって、頭も良く優しくていい兄貴だった。」
 一瞬懐かしむような遠い目をした信長であったが、顔を引き締めると話の続きを再開した。

「兄が今川に捕縛されて、返して欲しければ竹千代と交換せよと義元は言ってきた。さすがに親父はその条件を飲み、竹千代は今川に戻った。」
 そこで一旦区切りをつけてため息を吐く。そして徐に扇子を取り出した。
「隠居したじじぃのくせに未だにその竹千代の件を引きずっているらしい。息子に家督を譲っても有力な家臣と竹千代……今は松平元康といったか。をつけて、三河国の一部を牛耳っているそうだ。その義元が今後、挙兵してくる恐れがある。」
「……え?」
 ここにきて信長が何を言いたいのかやっとわかった蘭は、信長から思わず視線を逸らした。

「そこで、だ。蘭丸。」
「はい……」
「今川義元は攻めてくるのだな?」
「……はい。」
「その桶狭間の戦いとやらで、どちらが勝つのか。答えろ。」
「…………」
 のしかかってくる威圧感に負けた蘭は数秒の沈黙の末、きつく目を閉じた。

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