翌日、早朝。

 ついに蘭丸の初陣の時が来た。
 ガチガチに固まっている蘭の背中を蝶子が思いっ切り叩く。

「いってぇっ!」
「情けない声出さない!いい?信長の側を絶対離れない事。でも危ないと思ったらすぐ逃げる。信長なんか放っといていいから一人でも帰ってくるのよ。」
「散々な言われようだな。」
 苦笑している信長に視線をやって、蝶子は鼻を鳴らした。
「ふんっ!あんたには言いたい事がたっぷりあるんだから、そっちこそ死ぬんじゃないわよ!」

『ふ~~!』と外野が囃し立てるが、蝶子は平然と腰に手を当てて仁王立ちしている。それを見ていた市が小さく拍手を送った。

「さすがですわ。濃姫様。それでこそお兄様、織田信長の正室でいらっしゃいます。」
「やめてよ、市さん。もう……私の気持ち知ってるくせに。」
 そう返すと市は微笑んだ。

 この前蘭に言った通り、この二人は共通の話題で急速に仲良くなっていた。それはいわゆる『恋バナ』である。
 蝶子が蘭の事を好きだと市に気づかれてから、事あるごとに相談に乗ってもらっているのだ。しかしお題はもっぱら蝶子の方からで、市は自分の話はあまりしなかった。
 聞きたい気持ちはあるが無理に聞くのも悪いと思い、いつか打ち明けてくれる事を期待している。

「さて皆の者、準備は整ったな?」
「はい!」
 信長の緊張を帯びた声にハッとする。いつの間に移動したのか、蘭は信長の隣で強張った表情で立っていた。

「ではいざ、出陣!」
「「「おーーー!!」」」
 甲冑と剣が擦れる聞き慣れない音が辺りに響く。ザッザッという足音が砂埃の向こうに消えていく様を、蝶子は茫然と見つめた。

(お願い……!帰ってきてね!!)

 知らず知らずの内に両手を組んで胸に当てていた蝶子だった……

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