「さて、わたしはそろそろ戻ります。夕餉の時刻ですから。」
「あ、ホントだ。空が赤くなってきた。」
「うわ~……綺麗ね。」
 市が開け放たれた障子戸の向こうの空を見やると、蘭と蝶子もつられて外の景色を眺める。空が段々と赤くなっていくのがわかって、青と黄色と橙のグラデーションが綺麗だった。
「久しぶりに見たな~こんな綺麗な夕焼け。」
「そうだね。」
 いつもは実験室に籠ったり図書室で勉強したりで、空を見上げる機会が減っていた。ほぼ昼夜逆転生活だし、そもそもビルばかりで、こんなに広い空を見るのはもしかしたら初めてなんじゃないだろうか。
 ボーッと見つめていると衣擦れの音がして、慌てて振り向くと市が立っていた。

「あ、あの……」
「それでは明後日の祝言の時にお会いしましょう。」
 笑顔でそう言った市は今思い出したという表情をすると背筋を伸ばした。そんな市の様子を見ていた二人は次の瞬間、驚愕する。
「サル。」
「お呼びですか、市様。」
 コンマ数秒……いや言い終わるのと同時に部屋に現れたサルを、開いた口が塞がらないという状態で見つめる蘭と蝶子。市は二人に向き直ると説明した。

「この人には瞬間移動という能力があるの。この事はお兄様とわたし、そして光秀しか知らない事だから、お兄様の事と合わせて他言無用ですよ。」
「は、はぁ……」
 顎が外れるかと思うくらいまで口が開いた時、後ろで一足早く正気に戻った蝶子が背中を叩いてきた。途端、現実に戻る。
 市はそんな二人を笑顔で眺めていたがふと表情を変えてサルに向き直った。
「藤吉郎。貴方まだきちんと名乗ってないでしょう。」
「はい。ですが、サルの方が呼ばれ慣れてるので。」
「そういう訳にもいきません。わたしやお兄様とは違って蘭丸とはこれから家来同士、そして濃姫は主君の妻になるのですよ?呼び方一つとってもけじめは大事です。」
 市にそう言われて何も言えなくなったサルは、気づかれないように密かにため息を吐く。そして今までボソボソと小さな声で話していたのが嘘の様に、明朗な声音で自己紹介をした。

「私は木下藤吉郎秀吉と申します。以後、お見知りおきを。」

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