「あの……」
 突然蝶子が右手を上げた。真剣な表情で真っ直ぐ市を見ている。その尋常じゃない雰囲気に慌てて蘭が肘でつついた。
「おい!余計な事言うなよ?」
「余計な事って、何よ?」
「い、いや…それは……」
「ただ聞きたい事があるだけよ。」
 そう言って表情を和らげた蝶子を見て、ホッと一息ついた。

「聞きたい事、とは?何かしら。」
「私達に用事があるって、さっきあのサルさんに言ってましたよね?早く用件を言ってくれませんか?」
「っ!?」
 全然柔らかくない物言いに、蘭は蝶子の肩に手を置いた。
「お、前っ!」
「余計な事は言ってないわよ。だってさっきから全然話が進まないから、こっちから聞いたんじゃない。」
「それにしても言い方ってもんがあるだろ!」
「えぇ~……」
 蘭に怒られて小さくなる蝶子。小声で『ごめん』と呟くと、徐に市に向かって頭を下げた。

「失礼な事を言いました。お許し下さい。」
「ごめんなさい!」
 隣で蘭も同じように頭を下げる。
 驚いた表情で固まっていた市はしばらく二人の後頭部を見つめると、盛大に吹き出した。

「ふふふっ!」
「へ?」
「面白い方ね。わたしに面と向かって意見したのは貴女が初めてよ。」
「す…すみません……」
「いいのよ。新鮮だったわ。……周りにいる家来達はみんな、腫れ物を扱うかのようにわたしに接するの。こんな生活、本当は息が詰まる。でもこれもお嫁に行くまでの辛抱。織田の家に生まれたからには仕方のない事と、もう半分諦めています。……あら、ごめんなさい。また関係ない話をしてしまいましたね。」
 少し淋しそうに笑って居ずまいを正す。蝶子はそんな市を見て、お姫様っていうのも大変なんだなと思った。

(腫れ物を扱うように、か。心を許せる人が近くにいないんだろうな。私には…イチがいたから。蘭の事もいつも相談に乗ってくれてたし。会いたいな、イチ……)

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