「あれ?蝶子。行ってらっしゃいとか言ってくれないの?」
「あんたを見送るのこれでもう三回目だから言い飽きたわ。ま、せいぜい頑張ってね。くれぐれも足手まといにならないように。」
 そっぽを向いてそう言う蝶子に蘭は苦笑する。後ろに控えている市とねねも同じような表情で佇んでいた。

「別れの挨拶は済んだか。」
「あ、信長様。」
 その時、信長が庭の方から現れた。秀吉と光秀を従えている。蘭は背筋を伸ばして信長に向き直って頷いた。

「はい。」
「そうか。それじゃあ出発するか。市、城の方は頼んだぞ。ないとは思うが万が一今川の残党が襲ってくる事も考えられる。そういう時の為に何人かは置いていくが、どうにもならない時はサルを呼べ。全員で末森城に逃げろ。いいな。」
「承知いたしました。お兄様。」
 市が恭しく頭を下げる。残党が襲ってくる可能性があると言われて蝶子は驚いたが、確かにそういう事もありえるのだと思い直した。そして市に倣って頭を下げた後、言った。

「市さんとねねちゃんの事は私に任せて。必ず無事に会わせてあげるから。」
「ふっ……頼んだぞ。帰蝶。」
「はい。」
「あ、あの!」
「どうしたの?ねねさん。」
 突然声を発したねねを不思議そうな顔で見る市。他の者達もねねに注目した。

「御武運をお祈りしております。」
 そう一言言うや否や、庭であるにも関わらずその場に正座した。その頭の向かう先は言わずもがな……
「ありがとう、ねね。必ず戻ってくる。」
 秀吉が前に進み出て、ねねを優しく立ち上がらせる。その顔は蘭と蝶子が初めて見る笑顔だった。

「さてそろそろ参ろうか。時間が無くなる。」
 信長の声が和やかな空気を切り裂く。途端に秀吉の顔がいつもの無表情に戻った。光秀と蘭の顔も引き締まる。

「いざ、出陣!」
 雲一つない青空に凛とした声が響き渡った。

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