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 その週末、選対本部長は弟に打診した。いや、強制した。しかし、即座に断られた。政治にも選挙にも関心がないというのが理由だった。夢開市がどうなろうと、そんなことどうでもいいと投げやりに言った。それを聞いてムカッとしたが、怒りをぶつけて喧嘩別れしたら元も子もないので、ぐっと飲み込んだ。
「確かにおまえにとってはどうでもいいことかもしれない。市長が誰になろうと関係ないかもしれない。しかし枯田が市長を続ければ夢開市は存亡の危機に(さら)される。例え市として存続できたとしても、これ以上人口が減れば税収が減って予算は大きく削減される。そうなると公共サービスが立ちいかなくなる。老朽化したインフラの補修は後回しになり、水道や下水のトラブルが頻発するようになる。それだけでなく、その料金は値上げされる。更に、市内唯一の公共交通機関である市営バスは廃止になり、市民の足が奪われることになる。当然のことながら市外流出が加速する。その結果地価は下落し、マイホームの資産価値も下がっていく。多額のローンを組んで建てたお前の家の価値も下がっていくのだ。そうなってもいいのか?」
「別にどうだっていいよ、ローンが増えるわけではないし。それに死ぬまで住むつもりだから家の価値がどうなろうと関係ない」
 にべもなかった。本部長は呆れたが、それでもなんとかこちらのペースに引き込もうと話の視点を変えた。
「お前は小さな頃から正義感の強い人間だった。そして、優しい心を持った人間だった。虐められている友達がいたら放っておけなかった。虐めている相手が上級生であっても立ち向かっていった」
 幼い頃のことを思い出させようとしたが、話を遮って「そんな昔の話を今更されても」という冷ややかな声が返ってきただけだった。それでも本部長は諦めなかった。
「夢開市にとってこの選挙は最後のチャンスだった。しかし、枯田陣営の陰謀によって望みは断たれ、良心そのものが破壊された。それに対して私は精一杯戦った。必死になって戦った。だが、力及ばず負けてしまった。もう私には打つ手が残っていない。それに、今となっては誰も助けてはくれない。このままでは終わりだ。夢開市の将来は消えてしまう」
 そして哀願の目を弟に向けた。
「この窮地を救えるのはお前だけだ。お前以外誰もいない。私の仇を討ってくれないか。頼むから夢開市の救世主になってくれ。この通りだ」
 深く頭を下げたが、これだけ頼んでも弟の表情は変わらなかった。まったくその気はないという意思を表しているように見えた。万策尽きた本部長はこれ以上言っても無駄だと悟り、仕方なく弟の家をあとにした。