*  *
 選挙戦が始まった。
「私は三つのお約束をします。一つは学園都市計画の実現、一つは美観都市計画の実現、もう一つは禁煙都市宣言です」
 桜田の第一声は夢開中央商店街広場で発せられた。しかし、桜田の話を聞いていたのはたった4人だった。買い物帰りの主婦らしき女性が3人と若い女性が1人。それでも、自分の話を聞いてくれる人がゼロではないことに安堵し、力さえ得ていた。
「夢開市には大きな産業が何もありません。名産品もありません。自慢できるものが何もないのです」
 若い女性が頷いた。
「人口が減り、今年末には5万人を切ると言われています。この20年で人口が半分になってしまいました。その結果、空き家と空き地が目立つようになり、耕作放棄地も増え続けています。こんな状態を放置していていいのでしょうか」
 4人全員が首を横に振った。
「今変革しないと大変なことになります。最後のチャンスなのです」
 全員が食い入るように桜田を見つめた。
「時代はハードからソフトへと大きく変わろうとしています。物から知恵へ、知恵から心へ、心から愛へ、どんどん変わってきているのです」
 核心へと踏み込んだ。
「夢開市における未来創造のキーワードは、知恵、心、愛です。そして、それを育てるのは教育に他なりません」
 足を止める人が増えてきた。桜田の声に力が入った。
「私は夢開市に生まれ、夢開市で育ち、都立教育大学大学院を卒業したあと、教職に就きました。5年前に地元に戻り、夢開中学校で勤務することになりました。張り切って着任したのですが、その時の母校はひどい状態でした。その荒廃した夢開中学校を立て直そうと必死にやってきました。しかし、うまくいっているとは言えません。ただ、手を差し伸べた子供たちの中には見違えるように大きく成長した子もいました。教育が人を変えるという手応えを何度も感じたのです。苦労の連続でしたが、教育が未来を創るという確信を持つことができました」
 話に耳を傾けてくれる人たちを見渡しながら、大リーグへ行った建十字とヨーロッパのサッカークラブへ移籍した横河原が活躍する姿を思い浮かべた。
「私の教え子ではありませんが、夢開中学校の卒業生の中には世界で活躍しているスポーツ選手が出てきました。こんな荒廃した学校からでも世界的なスポーツ選手を輩出することができたのです。ですから、もっときちんとした教育体制を整えることができれば、更に多くの卒業生が世界で活躍する姿を見ることができるはずです。皆さん、私に力を与えてください。そして、未来を創る教育体制を作らせて下さい」
 少しずつ増えてきた聴衆に力を得て、自らの信念と公約を告げた。
「教育には無限の力があります。生徒に大きな力を与え、生徒の未来を切り開く力を持っているのです。教育こそが夢開市の、いや、日本の未来を切り開く鍵なのです。ですので、当選させていただければ真っ先に教育特区を申請し、何処にもない素晴らしい学校を創ります。明日の夢開市を、ひいては、明日の日本を担う優れた人材を輩出する夢開学園都市計画を必ず実行します」
 二重三重になった聴衆に向かって声を張り上げた。
「『夢開美観都市計画』が二つ目の公約です。学園都市に相応しい街を創るのです。花を植えましょう。木を植えましょう。花と緑に溢れる街にするのです」
 すると、いいわね、というふうに何人もの女性が頷いた。
「もう一つあります。電柱のない街造りです。電柱は美観を損ねるだけでなく、震災時には危険な存在になります。電線の地中化を推進することによって、危険の除去と美観とを両立させます」
 すぐさま大きな拍手が返ってきた。それに力を得て三つ目の公約を高らかに謳い上げた。
「『夢開禁煙都市宣言』を発令します」
 その背景を知ってもらうために夢開市の現状を訴えた。
「煙草の害が言われて久しくなりますが、夢開市では一向に対策が進んでいません。驚くことに、市役所のすべての会議室、すべての応接室、すべての議員室に灰皿が置いてあるのです。喫煙が可能なのです。ヘビースモーカーの枯田市長が禁煙の流れに逆らっているのです。私が勤務していた夢開中学校の職員室でも喫煙が可能です。生徒から見えるところで教師が煙草を吸っているのです。信じられますか? あり得ないですよね」
 聴衆の多くが大きく首を横に振った。
「子供を持つお母さんは特に心配だと思います。街の至る所で他人の煙草の煙、副流煙を吸い込んでしまう危険があるからです。肺癌をはじめ多くの癌で煙草との因果関係が示唆されていますし、慢性閉塞性肺疾患や脳卒中、虚血性心疾患などでもその関係性が言われています。それなのに、夢開市ではなんの対策も取られていないのです。こんなことでいいのでしょうか?」
 いいわけないだろう、という声が返ってきた。なんとかしてください、という声も返ってきた。無言の人たちの表情にも不満が表れていた。それを味方につけた。
「私が市長になったら、禁煙都市宣言を発令して、すべての公的機関、すべての学校、すべての病院、すべての飲食店、すべての公園を禁煙にします。更に、路上喫煙防止を制度化します。他人の煙の被害に遭わないように万全を尽くします」
 百人近くになった聴衆から大きな拍手が巻き起こった。しかし、一部の聴衆は、冗談じゃない、というような顔をしていた。多分喫煙者なのだろう。桜田は、その人たちに向けて静かに語り始めた。
「喫煙者を疎外するという気持ちはありません。私は煙草の害からすべての市民を守りたいだけなのです。禁煙に挑戦して何度も失敗している喫煙者が多いことを知っています。煙草の習慣性から逃れられないのです。その方たち、煙草を止めたいと思っている方たちへの支援にも力を入れていきます。禁煙外来を受診し、見事禁煙ができた方には、その治療費の半額を補助しようと思っているのです」
 すると、ホ~という声が喫煙者らしき人達から漏れた。それを見て桜田は大きな声を発した。
「禁煙都市宣言は健康都市宣言でもあるのです」
 そこにいたほぼ全員から拍手が巻き起こった。誰もが高揚しているように見えた。市長選挙の流れが変わる切っ掛けになりそうな予感がした。