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「今度も無投票で当選でしょう」
 取り巻きの言葉に、82歳になった枯田が満足そうに頷いた。
「ワシに向かってくる勇気のある奴はおらんじゃろ」
「100歳までやりますか」
 取り巻きのお上手(じょうず)を真に受けた枯田は、当然というように何度も大きく頷いた。
「最年長市長記録をギネスに申請するか」
 枯田はびっくりするくらい大きな声で笑った。
 しかし、その笑いは長続きしなかった。桜田の立候補により、無投票での当選が無くなったからだ。枯田陣営は急遽(きゅうきょ)選挙対策事務所を立ち上げた。
「桜田春樹?」
 立候補の届け出を見た枯田は、苦虫を潰したような顔になった。
「39歳? 元中学校の教員? 誰だこいつは?」
 眉間に大きな皺を寄せた。それでも取り巻きが「赤子の手を捻るより簡単ですよ」と言って届け出のコピーをくしゃくしゃにしてごみ箱に捨てると、事務所に楽勝ムードが広がった。すると枯田の顔に笑顔が戻り、余裕のある表情になった。しかし、その楽勝ムードを一人の男が打ち消した。選挙参謀だった。
「素人だとしても舐めてはいけない。選挙は何が起こるかわからない。気を緩めてはダメだ」
 そして、取り巻きをグッと睨んで凄みのある声を出した。
「そいつの過去を調べろ。足を引っ張れる情報を徹底的に集めるんだ。いざという時にはその情報が必ず役に立つ。だから、どんな些細なことでもいいから集めろ。徹底して集めるんだ。いいな。わかったな」
 そこでニヤッと笑って、「もし何もなくても」と意味ありげな言葉を発して枯田に視線を送った。頷いた枯田は鬼のような形相になって大きな声を出した。
「徹底的に叩き潰せ。1パーセントも票を取らせるな!」
 その瞬間、事務所の空気がビリビリと震えた。夢開市の浮沈を決める選挙が始まろうとしていた。