ききーっ。
 どんっ。

 私にとってその()()()()()は、とてもゆっくりに感じた。

 ピンコン。
 あ、通知音だ。
 お兄ちゃんかな。
 返事をしなきゃ。
 大切な、とても大切なお兄ちゃんからだもん。
 貰いっ子の私にも、優しくしてくれたお兄ちゃん。
 いじめられっ子だった、お兄ちゃん。
 だから守らなきゃいけない。
 だから──

 ──でも。
 でもね。
 ごめん。
 ごめんね。
 私ったらおっちょこちょいでさ。
 いま。
 いまね。
 私──

 死んでしまったみたいなの。

 ……

 広告代理店勤務。
 三十九歳、課長、独身。
 二十七連勤。
 今日こそ帰ろうと早足でながらスマホをしていた「私」生田有沙(いくたありさ)はその赤信号に気が付かなかった。

 昔から母親からもお兄ちゃんからも、おっちょこちょいだと言われて笑われていた。
 何かに夢中になると、他が疎かになる。
 昔からの悪い癖だった。
 ひと月近く休みが取れず深夜まで頑張っていたから、明日お兄ちゃんに久しぶりに会えるという期待を胸に、ハイになっていた。
 だから。
 おっちょこちょいな私は信号がとうに赤に変わったことなど気づきもしなかった、その時。
 だから。
 上司からの無理な命令ではるばる九州は宮崎から荷物を運んでいた、疲れきったトラックの運転手が、ほんの少し──一秒ほど──ぼーっと意識が飛んでいた、その時。

 交通事故という名の不慮の運命によって、私は三十九年の人生に幕を降ろした。

「明日会えるの楽しみだよ、お兄ちゃ」

 ごめんね。
 ごめんね。

 黄緑色のアイコンのメッセンジャーアプリで、そこまで書いていた。

 ごめんね。
 ごめんね。

 あと何秒か早ければ送信ボタンを押せたのに。

 ごめんね。
 ごめん──

 空高く舞い上がった明後日のプレゼンの資料のことなんかより、そのことが気がかりで仕方がなかった。